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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
19/139

019

地震関連の内容が含まれます。苦手な方は飛ばして下さい。


「全く……」


東郷から説教を食らう二人であったが、怜は半分も話を聞いていなかった。むしろもっと驚かせてやろうと東郷が目を離した隙に、両手を顔の横で熊手のように広げてゴキブリの真似をするものだから、その度に黒田は小さな悲鳴を上げていた。


「大体黒田さんは声が大き過ぎるんですよ」

「くっ…」

「小松さんにもいつも注意されているでしょう?いい加減気をつけて下さいよ」

「こ、こいつが驚かすから!」

「だってまさか大の大人が、大の大人が」

「貴様っ二回も言うなっ」

「しーずーかーにー」


もはやどちらが歳上かわからない状況である。

東郷はふーっと溜め息を吐いた。


「どうにかならないですかね。そのゴキ◯ブリ恐怖症」

「俺だって治せるものなら治している!」


黒田は開き直って踏ん反り返った。


「そんなに怖いならレモンとかミカンとか持ち歩いたらええやん」

「レモン?ミカン?」

「柑橘系の匂いは嫌がるからね。あと塩も苦手らしいよ」

「そ、そうなのか?」

「怜さんは物知りだねぇ」


大隈が感心しきりに頷いたその時、本堂脇の林からガサガサと草を割る音がした。


「な、なんだ?」

「ゴキカブリちゃう?」

「もう騙されないぞォ!」

「確かめてきたげるわ」


スタスタと林へ向かう怜を追いかけようと東郷は後を追う。


「怜!待って!」


しかし一歩踏み出したところで後ろから羽交い締めにされた。


「ちょっ!?黒田さん離して下さいっ」

「嫌だァアァ!」


半泣きでしがみ付く黒田。

もはや年上としてのプライドすら無い。


「気持ち悪いから抱きつかないで!」

「俺を見捨てるなァア東郷ォオ」


どれだけ引き剥がそうとしてもやはり大人の男。力で黒田に敵うはずもない。大隈は軽く溜め息をつくと小走りで怜の後を追った。


「待って下さい!僕もっ…」

「東郷ォオォオ!!」

「ちょっ!!離してっ…!」


ギャーギャーと騒ぐ男達を背に、怜は胸まで伸びた草を掻き分け奥へ進む。ほんの三メートルほどであろうか、一際大きな木の下辺りの草が動いている。おそらく小動物だろうと見込んだ怜は、音をなるべく立てないよう慎重に近付いた。


「狸かね?」

「わからん…なんやろ」

「危ないから私が…」

「ううん。大丈夫」


と、怜が一歩踏み出した時、突然足元を何かが触れる。思わずしゃがみ込んで草を掻き分けると茶色の翼が見えた。


「あ!!」

「どうした!?」


そこにいたのは二十センチほどの鳥であった。


「わぁ!何やろう……鷲?鷹?鳶?」

「これは夜鷹(よたか)だな」

「夜鷹?……これが?」


全体的に褐色で、赤や黒や白の斑紋が入り混じった体色と扁平な頭に大きく裂けた口を持つその鳥は、人間を威嚇し翼を広げている。

大隈曰くおそらく巣立って間もない若い夜鷹だろうということだった。


「怪我をしているようだね」


大隈の言う通り広げている翼に赤い染みのようなものが見えた。巣立ったばかりの鳥は経験も浅く狙われやすい。別の鳥に攻撃されたに違いない。


「おいで。手当てしてあげるから」


怜は怯える夜鷹に手を伸ばした。大隈に止められたが放っておくことは出来なかったのだ。



◇◇◇◇◇◇◇



「よし。これでもう大丈夫や」

「キョ」(ありがとー)

「気にせんといて」

「東郷、あの子どもは夜鷹語が話せるのか?」

「夜鷹語って何ですか。意味がわかりません」


傷口は思ったほど深くはなかったものの複数に及んでいた。怜は夜鷹の身体を綺麗に拭いた後、住職から拝借した傷薬を塗る。そっと膝に乗せてヨシヨシと頭を撫でた。ちなみに黒田の部屋である。(一番近かった)


「名前何にしよかな」

「は?……怜、まさか飼うつもり?」

「そんなことせんよ。でも傷が癒えるまでは放っとかれへんし」

「変わった子どもだな。こんな不気味な鳥のどこが良いんだ」


確かに色合いなどを見れば奇妙ではあるが、二頭身の身体とぺたりと膝に自分を預ける姿は、怜の母性本能をくすぐった。


「黒田君知ってた?夜鷹って”ゴキカブリ取り”が得意なんよ?」

「キョキョ?」(取ってこよか?)

「ヒッ……う、嘘だ…」


もちろん大嘘である。


「そう言えば、江戸では辻君(つじぎみ)のことを”夜鷹”と呼ぶらしいねぇ」


京では街角に立ち買春客を待つ遊女を”辻君”と呼び、大坂では総嫁(そうか)、江戸では大隈の言う通り”夜鷹”と言った。


「あー、そうそう!ゴキカブリのような腐ったイヤラシイ男共を捕らえるっちゅう意味も含んどるらしい」


怜の言葉に三人はギョッと目を見開いた。むろんこれも大嘘である。


「ほ、本当か?」

「それは私も初耳だ…」

「という事は、黒田さんはゴキカブリそのものじゃないですか」

「そうだ!その通り!ーーいや待て東郷。聞き捨てならんっ」

「後は、夜更かしする子どもの事も”夜鷹”って言うんよ?ーーー東郷君のことや」


怜は夜鷹を抱いたまま立ち上がり、襖を開けた。


「私はまだこの子の名前考えなあかんから部屋に戻るわ。お先に」



三人は思った。


「それを言うならお前だろ」と……


怜が部屋を後にすると黒田は東郷に詰め寄った。たかだか五歳そこらの子どもにからかわれプライドが少々傷ついたのだ。


「あの子は一体何者だ」

「そ、それは…」


東郷はどこまで言っていいものか迷っていた。

黒田は小松を尊敬している。もし本当のことを言ったとしても特に問題も無いし、もしかしたら協力してくれるかもしれない。しかし黒田の性格(嘘がつけない正直者)からすると、正体がバレて大ごとになった時、実は遠島ではなく小松の手によって逃がした件がうっかり露見しかねないのだ。


「私が言おう」


その時、大隈が口を開いた。


「だがこのことは我々二人しか知らない。けして口外ならぬとの小松さんからの御達しなのだよ。それを守れるかい?」


大隈の真剣な眼差しに黒田の背筋がピンと伸びた。ただならぬ事に違いないと感じたのだろう。


「むろん口外はしません」


大隈は「うむ…」と頷き、低い声で言った。


「あの子は……小松さんの隠し子なのだよ」

「な、なんと!?それは誠で…」

「父(小松)を訪ねて遥々京都から来てね、私達はあの子を無事に家に送り届ける為にその役目を仰せつかったのだ」

「なるほど……たしかにどことなく面影が似ているな。遠く離れた父に会いに来たというわけか。可哀想に。あんな小さい子供が」


黒田は勝手に想像し、目尻の涙をそっと拭った。




次の朝、先に出発すると言って一人挨拶に来た黒田は、何やら悲しげな様子で怜の元へやって来た。


「怜、元気でやるんだぞ?辛い事があっても挫けぬように」

「うん?」

「黒田さん道中気をつけて下さい」

「ああ。ではまた会おう」


武士らしく堂々と去って行く後ろ姿。腰にはミカンが三つぶら下がっていた。


「我々も出発しよう」

「鈴木君。行こか」

「キョ」

「「鈴木君!?」」


怜の頭の上をすっかり気にいった夜鷹は「鈴木君」と名付けられた。


「それより怜、カツラはどうしたの?」

「あれな。鈴木君が嫌やって言うから捨てた」

「へえ……」(夜鷹語って本当にあるんだ)

「さあ行こうか」


その後、寺を後にした一行は向田方面を目指す。木場茶屋から勝目川を越え、更に北上して川内川沿いを西へ向かうのだ。


怜は過酷なこの旅が夜鷹と出逢ったことにより、楽しい旅になりそうだと心から思った。むろん傷が癒えるまでどれくらいかわからないが、その間だけでも一緒にいられるのが、この上なく嬉しかったのである。


しかしこれによって、怜の抱き枕からただの荷物持ちに格下げされてしまった東郷は、焦燥感のような気持ちに苛まれ、悶々とした日々を余儀無くされたのであった。


◇◇◇◇◇◇◇


しばらくは穏やかな旅が続いた。

川内川を渡り、更に高城川にかかる妹背橋という石造眼鏡橋を渡る。この橋は西郷隆盛が座書役として携わっていたらしい。その後は松並木を進み、小さな峠を幾つか越えて西方へ入って更に北上した。


そして阿久根宿を通過し、出水が目の前に迫った頃には、ちょうど小松と別れて一週間が経過していた。


「すっかり懐いてしまったねぇ」

「もう傷は完治したみたいやけど……」


よほど居心地が良いのだろう。鈴木君は我関せずで、怜の頭に乗ったまま目を瞑っている。日中ほとんどその状態で過ごし、夜になると餌を求めて近くの林を飛び回り、怜が就寝につく頃戻ってくるという毎日であった。


「このまま連れて行くの?」

「んー…まあそれは鈴木君が決めることや」

「いいんじゃないか?どちらにしろ高瀬津に着けば怜さんと我々はお別れになるのだから、鈴木君がいれば寂しくないだろう?」


”お別れ”という言葉に東郷は我に返った。そうなのだ。出水を出て無事に肥後の高瀬津に到着すれば、もうお役御免である。大隈はそのまま船を乗り継ぎ肥前(佐賀)へ戻り、自分はトンボ帰りする予定だ。つまり、もう怜との旅も終盤間近なのである。


「あ、確かにそうやね」


怜は鈴木君を両手の上に乗せた。


「これからもずっと一緒におってくれる?」

「キョキョ」(いいよ~)


(鈴木君が羨ましい……僕も怜と…)

「はっ!!?違う違うっ!!」


東郷は酷く動揺した。

やっとこの任務から解放されるというのに、何故か怜と離れ難くなっている。


「東郷君どしたん?」

「な、何でもない!それよりほら港が見えてきた!」


高台から見下ろした先に美しい八代海が広がっていた。真っ赤な夕陽は水平線に半分だけ顔を隠し、海面はオレンジ色に染まっている。


「わあっ…綺麗」

「あそこが出水港だよ。今晩は近くの旅籠屋に泊まって、朝一番の船に乗ろう」


一行はその景色をしばらく眺めた後、港町にある”八代屋”という旅籠屋へと向かった。気の良さそうな夫婦が営んでいるこじんまりとした旅籠屋である。


夕食は薩摩最後の夜ということもあり、近くの食事処でとることになった。この辺りではかなりの人気店ということもあり、中に入ると旅人のみならず、地元民らしき家族などで店はごった返している。運良く一席に案内された三人は、とんこつや薩摩揚げ、薩摩汁、”かいもん飯”という薩摩芋と米を炊き上げた料理などに舌鼓を打った。


「向こうに着いたら何処に向かうの?」

「そりゃ向こうの人に聞いてみなわからん」

「大丈夫かな……」


東郷は心配で仕方がなかった。

怜が幼いということよりも、一風変わった少女がまた何かやらかしてしまうのではないかとそちらの方が気掛かりなのである。


「東郷君は肥後に行った事あるん?」

「小さい頃に阿蘇に行った事があるよ」


東郷がそう言うと大隈が続けて口を開く。


「阿蘇と言えば六~七年前だったか大規模な噴火があったなぁ」

「あれは”寅の大変”の影響やったよね」


”寅の大変”とは「安政の大地震」の事である。東海地方を中心に江戸や東北南部、西日本では京や大坂、伊予、九州北部まで被害は拡大した。その影響で阿蘇山が噴火を起こし、数名が死亡したのだ。


「桜島なんてしょっちゅうですよ」


日本は自然災害と隣り合わせの国である。軽い地震などは日常的であるし、桜島のように頻繁な火山ガスの放出を繰り返す山々も存在する。


「なあ東郷君。海水や井戸水の温度が上昇したり、地震がしょっちゅう発生したら絶対逃げなあかんよ?」


自然災害は事故や病とは違う。

だからこそ人は不測の事態に備えなければならないのだ。まだしばらく噴火はないにしろ、こう伝えることで周りにもそれが広まり、危機管理に繋がってくれたらと怜は考えていた。


「大丈夫だよ。本島とは繋がっていないしね」


しかし大正時代に起こる桜島の大噴火で大隈半島と桜島が陸続きになってしまうのを怜は知っているし、いくらまだ先の話とはいえ東郷も大隈も存命中の出来事なのだ。


「自然災害に”大丈夫”は無いんよ」


油断と怠慢が悲劇を生むこともある。


「そうだね。今年もまた東海の方で地震があったばかりだし」

「そうそう。仙台の方でも大きいのがきたやろ。津波の被害も凄かったって聞いたわ」


怜がそう言うと、大隈は「ん?」と首を捻る。


「そんな話聞いたこと無いな」

「え!?確かに今年あったはずなんやけど」


(あれは十月くらいやったっけ....)


あの2011年に発生した東日本大震災で、連日過去の地震歴史が報道され、いつの間にか記憶してしまった怜は、これから起こりうる事象をつい口走ってしまった。


「勘違いかも」


慌てて訂正した怜だったが、隣りの男が声を上げて笑い出した。


「小さいのが予言者気取りか。こりゃ面白い」


男は二十代くらいに見えた。がっしりとした体格で身長も高く、溌剌(はつらつ)とした若者である。


「なあ坊主、タチの悪い嘘はやめておけ」


男の目に光る只者ではない不気味なオーラを怜は感じとった。身体中の毛が逆立つような「危険」な”気”である。だがそれよりも男の態度にカチンときた怜は、思わず箸をおいて真っ直ぐその顔を睨みつけた。


「私が嘘ついたと?」

「あん?」


男は威嚇するように眼前に迫る。


しかし東郷が遮った。


「怜、出よう」

「え?ちょっと東郷君まだ話は」

「申し訳ありません。子どもの戯言ですからお気になさらず」


しかし同じように「危険」を感じ取った二人は、同時に席を立った。大隈は怜と男の間を遮り、その隙を見て、隠すように東郷が怜を外へ連れ出す。


「怜、振り向いちゃ駄目だ」

「なんで?」

「あの人は多分、中村……」


東郷がそう言いかけた時、ドンッと鈍い音がして、振り返ると大隈が大の字に倒れていた。



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