020
「大隈さん!」
東郷と怜は急いで駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫。ちょっと油断しただけだから」
大隈は押された拍子に店の格子板戸にぶつかって倒れただけだった。ホッと息をつく怜であったが、男がニヤリと去って行くのを見て、一気に頭に血が昇る。
「おっさん!何してくれんねん!」
怜はズカズカとその前に立ちはだかり、両手を広げて通せんぼをした。
「怜っやめろ!」
「東郷君はシャラップや!」
キッと睨みつけて男に向き直る。
「生意気な坊主だな。まあ根性だけは立派だが」
「あんたは根性無しや」
「……なんだと?」
「おるねん」
「あ?」
「おるねんおるねん!こういうヤツ!自分が何でも正しいと思ってるヤツな!ほんで自分より弱い女子どもや、あの人(大隈)みたいな見るからに力無さそうなヤツにはめっさ強く出るんよね!」
「貴様……」
男の手が鯉口に触れた。
「殺すんなら別にええよ」
「……ほう」
「そやけど、私は嘘なんかついてないから」
「なに?」
「私には未来が見える」
目を丸くしたのは男ばかりではなかった。
大隈も東郷も鳩が豆鉄砲を食ったように大きく目を見開いて怜を見つめている。
「仙台で地震が起こる。これはホンマのことや。多分十月くらいな」
「怜、やめろって」
東郷は口を塞ごうとしたが、容易くかわされる。
「信じへんねやったら別にええけどな。でも確かめもせず斬り捨てられるんは納得いかん」
男は何やら考え込んだまま。しばらくして口を開いた。
「もし、嘘だったら?」
「殺せばいいやん」
怜は即答した。
「そやけど私の予言が当たったら、あんたは私の下僕になってもらうよ?中村半次郎さん」
そう言った瞬間ガンッとした衝撃と共に、目の前に火花が散った。怜の身体は数メートル吹っ飛ばされ、板壁に叩きつけられる。
「怜っ!!」
「おやめなさい!何という大人気ないことを」
大隈は体当たりで男を制し、東郷は怒りに任せて短刀を中村に向けた。
「控えろ!この方はお前ごときが手を出せる相手ではない!」
この騒ぎで店の客や通行人がざわざわと集まり、店の店主も何事かと奥から顔を出した。
「何故、わかった」
怜はズキズキと痛む頬を物ともせずに立ち上がった。ぽたぽたと血が流れていたが今はそれどころではない。
「それも予言や」
本当のところ半信半疑であった。ただ東郷が言いかけた「中村」という言葉で人斬り”として名高い中村半次郎しか思い浮かばなかったのである。
「さあどうする?人も集まってきたことやし、そろそろ私らも宿に帰りたいとこやねんけど」
怜がニヤリとすると中村はフンッと鼻を鳴らした。
「いいだろう。お前の予言が当たったら俺の命はくれてやる。しかし外れたその時はお前を斬る」
「ほな十月までに身辺整理しといてね」
怜が手をヒラヒラさせて踵を返すと、二人はやっと我に返って後を追いかけた。殴られた頬はみるみる内に腫れ上がり、怜の顔は半分ほど妖怪化している。東郷は「なんであんな危ないことをするんだ!」と怒り心頭だったが、鈴木君に攻撃されて口を噤んだ。
「水を取り替えてこよう」
「もうええよ。そのうち引くやろ」
「いやいや、跡が残るといけないからね」
大隈は桶を持って部屋を出ていった。東郷は水で濡らした手拭いを怜の顔に当てたまま、ずっと睨みつけている。怜は居た堪れなくなり起き上がろうとするのだが許してはくれなかった。
「下手したら死んでたんだ」
「そう簡単には死なんけど、……でも、おおきに。庇ってくれて」
「いいよ。そんなの。それより何故あいつを知ってたんだ?確かにあの人はその道では有名だけど」
東郷は男が腰に差していた刀を見て”中村半次郎”だと確信したが、何故怜が知っているのかはなはだ疑問であった。
「東郷君が"中村"って言ったんやん」
「言ったけど下の名前は言わなかったし」
「そうや。てかそれより」
怜は問答無用で話を切り替えた。
「いずれ仙台に行かなあかんな」
東郷は「え!?」と驚きの声を上げる。
「だってそうやろ?地震が起きるのわかってんのに助けに行くのは当然やん」
当たり前、といった口調に東郷はしばらく開いた口が塞がらなかった。
「そうなるとまた渡航費用がいるな。そうや!小松君に出してもらお」
「ちょっと待って、いくら何でも」
怜はピシャリと制した。
「自分とこの藩民が起こした”事故”や。小松君にも責任はある」
無茶苦茶だと思った。
しかし少ないなりに過ごした時間で、怜が一度言い出したら聞かない性分だというのを東郷は充分承知している。加えて金銭における執着心をも。
よって諦めるしかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。
「怜、手水場空いたよ」
「ちょっと待って直ぐ終わるから」
怜が夜鷹の足に何かを括り付けているのを見て、東郷は後ろから覗き込んだ。
「今度は何をするつもりなの?」
「文を鈴木君に届けてもらうんよ」
「届けるって...」
足に括り付けているのは細く折り畳んだ文である。夜鷹は嫌がる素振りもなく寧ろ自分から足を上げていた。
「そんなの無理に決ま」
しかし怜は畳み掛けるように口を開く。
「ほんで鈴木君を小松君に届けるんは東郷君の役目や。ちょっと顔洗ってくる」
東郷は目を丸くして大隈の方を向くが「仕方ない」と苦笑しながら首を横に振る。つまりここで東郷は怜と別れ、夜鷹と共に小松の元へ戻れということらしい。
「怜、待ってよ!」
急いで後を追いかけると、怜は酒樽に乗って手水場の横にある大きな鏡を見ていた。
「我ながら恐ろしい顔やわ……」
鏡越しに目が合うと、怜は引きつった笑みを見せる。紫に変色した肌があまりに痛々しくて思わず頭をよしよしと撫でた。
「治るかな……」
「直ぐに治るよ」
なんだかんだ言ってもやはり怜は女の子なのだと改めて実感する。同時にもう少し自分が注意していれば防げたかもしれないと思うと胸が苦しくなった。
「怜、もし治らなかったら僕が責任をとるから心配しないで」
「責任?」(お金くれるんやろか…)
「一生不自由はさせないよ」
「東郷君おおきに!」(不自由させへんくらいの大金?太っ腹過ぎるやろ!)
将来を誓い合った小さなカップルの誕生であった。
(※東郷談)
◇◇◇◇◇◇◇
「ほな頼むで」
「キョキョ」(お任せあれ)
別れを惜しんで怜の手を握り締めたまま離さなかった東郷であったが、最終的には鈴木君に髪を引っ張られ仕方なく帰途への道を歩いて行った。
その後怜と大隈は高瀬津経由の客船に乗り出水港をあとにする。海は穏やかで快調な滑りであった。しばらく甲板から出水港を眺めていたが、それが少しずつ小さくなると怜は船室に戻ってごろりと床に寝転んだ。昨夜は頬の痛みのせいで眠れなかったのである。
「鈴木君に会えるんは五日後やな……」
怜はポツリと呟いた。
「どうして鈴木君を小松さんのところへ?」
「顔、覚えてもらわなあかんし」
「顔?」
「声と匂いも」
怜は夜鷹と旅するうちに何処にいても直ぐに怜を見つけてしまう特性に着眼したのである。
一般的に鳥の嗅覚は人間以下と言われている。(一部を除く)従来鳥という生き物は、夜行性、昼行性に関わらず、視覚で獲物を探し捕食するのだ。
しかし鈴木君は一味も二味違う夜鷹であった。
彼は匂い(嗅覚)で相手を探し出し、睨み(視覚)で相手を牽制し、頭(勘)で敵か味方か判断する。更に、夜鷹は普通渡り鳥であるが、鈴木君に限っては、生まれ持った特性(面倒くさがり屋)により、自らは渡らない、極めて珍しい夜鷹なのである。それに真っ先に気付いた怜は、彼を”伝書鳩”ならぬ”伝書夜鷹”として育てようとしているのであった。(※鈴木君自身も異議はないようである)
「あの子の”走り”やったら小松君とこから私のとこまで二日もあれば充分や」
「しかし城下まで早くても五日、六日はかかると思うのだが」
「大丈夫。あの子は薩摩の地形を熟知しとるから、今頃東郷君と近道で向かっとるはずや。まあ、三日ってとこやな」
「近道……」
大隈はその言葉に身震いし、両手を合わせて祈ったのであった。
(東郷君……ご武運を……)
その後、船は八代海を北上し宇土半島と上島の間、上天草港で一泊した後、島原湾に出て有明へと上る。僅か二日間の航海は呆気なく過ぎ去って高瀬津に到着したのは陽が高く昇った昼時であった。
「君のおかげで楽しい旅だったよ」
「色々おおきに」
怜と大隈は固い握手をした。
「ほな、私忙しいから行くわ!またね!」
怜は荷物袋を肩にかけ、颯爽と歩いて行く。その後ろ姿を見つめながら大隈は不思議と晴れやかな気分であった。
ほんの少しの日々であったがまるで何年も前から付き合いがあるみたいに自然と自分の中に浸透した少女。次会った時、どんな風に成長しているか楽しみで仕方がない。あの小松さえ一目置いているのだ。小さな少女の伝説は、瞬く間に世間に広がっていくだろう。本人が気付かない内に……
◇◇◇◇◇◇◇
一方東郷はというと、
「はぁ…はぁ……ま、待って」
「キョキョー!」(早よこんかい!)
やはり怜の言った通りであった。
鬱蒼とした獣道と人一人通れるかわからないような絶壁の崖。何度か落ちかけながらも三日目には城下の見える丘に辿り着いた。
「あ…、ああ……やっと……」
「キョキョ」(おつかれ)
ばたりと大の字になった東郷に、夜鷹は寄り添うように横に並んで目を閉じた。どうやら根性だけは認めたようである。




