第百二十九話 両想い?
「……えっと……大丈夫?」
隣に座っている春澄が心配げに聞いてくるが、昇は『大丈夫』と言葉にする事が出来ないほど呼吸を荒くしていた。
なにしろ昇は学校を切り抜けてからも、シエラ達なら何かしてくるのではないのかと思い。細心の注意を払いつつ、全速力でここまで駆けて来たのだから。最近では鍛えられた昇だが、学校から公園までの全力疾走は昇の体力を一気に削ったのだろう。だからこそ、昇は未だに春澄にしっかりとした返答が出来ずに荒い息をしていた。
そんな昇に対して春澄はどうして良いか、戸惑うばかりだ。なにしろ春澄の目は見えない。つまり、昇がどんな状態のかが分からないのだ。だからこそ春澄は昇に向かって凄く心配そうな顔をしつつ、どうして良いか戸惑っていた。
そんな春澄を見て、昇も早く春澄を安心させないといけないと思ったのだろう。無理に呼吸を整えようと深く息を吸い込むが、さすがに無理だったのだろう。思いっきりむせて、荒い咳を連発するが、けれども少しだけ楽になったのだろう。昇は途切れ途切れながらも春澄に向かって話し掛ける。
「だい、じょうぶ。少し、疲れただけ、だから。もう少し、すれば、落ち着くから」
「えっと……そうなんだ」
昇の言葉を聞いて、春澄も急を要する事態ではない事を察したのだろう。だから春澄は少しだけ心配そうな顔をしながら、今は昇の呼吸が落ち着くのを待つ事にした。春澄は目が見えないだけで、耳はしっかりと聞こえる。だから昇の呼吸が荒い事もしっかりと分っていた。そして、その呼吸が少しずつ、平常に戻っていくのもしっかりと確認できた。
だから春澄は何も言わずに、今は昇の呼吸が整うのを待つために、昇のとなりにちょこんと座り続ける事にした。
そんな春澄とは正反対に昇の身体は疲労と乾きを訴えていた。さすがに長距離を全力疾走したのだから、昇の喉が渇くのも当然の事だと言えるだろう。だから昇は何とか話す事が出来るまでに呼吸を整えると春澄に、ここで少し待っているように伝えると、公園に設置してあるジュースの自動販売機に向かった。
そこから二本のジュースを購入すると、すぐに春澄の元へ戻って、春澄に声を掛けてから、春澄の手を取ると購入したジュースを持たせる。春澄に持たせたジュースがプルタブ式ではなく、回転式の蓋になっている辺りは昇らしい気遣いと言えるだろう。だから春澄は持たされたジュースを手探りで形状を確かめると、戸惑う事無く、蓋を開けて一口だけ含んで味を確かめる。
そんな春澄とは正反対に昇はジュースの蓋を開けると半分ほどを一気に飲み干した。全力疾走をした後だけに、昇は身体に染み込む水分が心地良く感じられた。
季節は夏は過ぎたものの、未だに少しだけ残暑が残っている季節といえる。だから昇には余計に身体に染み込んで来る水分が心地良く。身体だけでなく心も落ち着けさせる事が出来た。
そんな昇の横で春澄はゆっくりとジュースを口にしていた。そんな春澄が昇の呼吸が正常に戻っている事を感じたのだろう。ジュースから口を離すと昇に向かって微笑みながら口を開くのだった。
「今日もオゴってもらっちゃった、ありがとう、昇さん」
昇の好意に素直に礼を述べる春澄。そんな春澄を見て昇の心は更に心地良さを覚える。
一見すると、それは普通の光景かもしれない。けれども昇にとっては春澄にお礼を言われると心地良く、ついつい思ってしまうのだろう……可愛いと。だが、昇が春澄を好きになった訳ではない。盲目でありながらも、前向きの姿勢と覚悟と雰囲気を出している春澄だからこそ、昇は自然とそんな事を思ってしまい。春澄から目を逸らすとジュースの残りを一気に飲み干して、照れたように言葉を返すのだった。
「別に気にしなくて良いよ。僕だけが飲んでるのもあれだったし、それに一本買うのも二本買うのも同じだから」
一応、言っておくが決して同じでは無い。確実に金額的に違いがある。けれども昇としては春澄が喜んでくれるなら、ジュース一本どころか百本以上の価値があると感じるようになっていたようだ。
だからこそ、そのような言葉を口にした後に昇は照れたし、春澄も昇の行為に満面の笑みで感謝を示すのだった。そんな春澄の笑みを見て昇はますます照れる自分を感じていた。だからだろう、昇から話題を切り出してきたのは。
「そ、そういえば昨日の人。まだ紹介してくれてなかったよね。確か……家族であり、パートナでもあるとか言ってたけど、あの人がそうなの?」
そんな質問を切り出してきた昇に対して春澄は口にしていたジュースを離すと昇の方へ顔を向けて答えてきた。
「うん、そうだよ。ちょっと前から二人っきりで、いろいろな所に行ってるんだよ」
「へぇ~、二人っきりで」
無意識の内に、その言葉に引っ掛かりを感じた昇は思わず、その言葉を繰り返してしまった。そんな昇の言葉を聞いて、春澄は少しだけ意地悪な笑みを浮かべると昇に向かって言葉を放つのだった。
「もしかして……ヤキモチを妬いてくれた?」
突然すぎる春澄の言葉に昇は春澄とは反対方向に息と唾を思いっきり吐き出すと、慌てて言い繕う。
「いやいや、そういうんじゃなくて、二人っきりでいろいろな所に行っているのが珍しいというか、なんで二人っきりなのかなって思ったから、だから、別に特別な意味がある訳じゃなくて」
慌てる昇とは正反対に春澄は堪えきれなくなったのだろう、昇が言い繕っている途中で思いっきり笑い出してしまった。そんな春澄を見て、昇もやっと自分がからからわれた事に気付いた。けれども昇は、そんなに悪い気分にはならなかった。むしろ逆の気持ちを覚えるのだった。
ずるいな~。春澄に対してそんな感想を抱く昇。自分がからからわれたのにも、何故か春澄が笑っていると昇には春澄対して悔しいと思うより、逆に春澄と一緒に笑い出すほど楽しかった。だから昇は春澄の笑顔に釣られるように一緒になって笑っていた。
それだけ春澄の笑顔には何も無かったのだ。ただ楽しいから笑ってる、本当にそれだけだ。だからこそ、昇は春澄に釣られるように笑ったのだろう。本当に何も無い笑顔、その笑顔こそが純粋な笑顔と言える本当の笑顔だからだ。
二人で楽しく笑っていると、昇としてはますます昨日、春澄と一緒に居た男性が気になったのだろう。昇は笑いを収めて、いつもの昇が出している表情に戻ると、再び同じ質問を春澄にするのだった。
「それで春澄ちゃん、あの人の事は教えてくれないの?」
昇がそんな質問をすると今まで笑っていた春澄も呼吸を整えて、春澄が昇に多く見せている純粋な顔付きになると春澄は昇の質問に質問で答えた。
「そんなに気になるの?」
そう聞かれて昇は少し考える。確かに気になると言えば気になる。けど、ここで春澄対して追及するほど気になると聞かれれば、昇も首を傾げるしかなかった。つまり昇は春澄と一緒に居た男性は気になるが、春澄に追求してまで知りたいとは思えなかったのだ。だからこそ、昇はこういう答えを返す事にした。
「そうだね、気になると言えば気になるかな。でも……答えたくないのなら答えなくても良いよ。僕もちょっとだけ気になっただけだから」
そんな昇の答えを聞いて、今度は春澄が考え込む仕草をし始めた。どうやら春澄にとって昇の答えが考えるに値する、または考えるだけの価値があると判断したのだろう。だからこそ春澄は少しだけ考えると、昇に顔を向けてくる。その表情は先程までとは違って、真剣さを訴えるような顔つきだった。
そんな春澄が口を開く。
「アルビータ、それがあの人の名前。そして……私もアルビータも同じだった。だから今は一緒に居るんだよ」
「同じだった?」
春澄の言葉に引っ掛かりを感じた昇はその言葉を繰り返す。そして春澄も昇が必ず、そこに注目してくれると思ったのだろう。昇の言葉を聞くと頷いてから語り始めた。
「そう、私もアルビータも同じだった。普通の人とは少しだけ違う。でも……たったそれだけの違いで私達は死んでた、無為な日々を送るしかなかった。だから私は決めたんだよ、アルビータと一緒に世界を見るって」
春澄の言葉に昇はなんて言って良いのか分からなかった。そもそも『死んでいた』という言葉が春澄にとって何を意味しているのかが昇には分からなかった。だから春澄が何を決めて、アルビータと一緒に世界を見るといわれても理解が出来なかった。
だからこそ昇は春澄の言葉を頭の中で繰り返しながらも、春澄が何を言いたいのかを理解しようと頭をフル回転させる。
死んでたって……春澄ちゃんがここで僕と話している限りは春澄ちゃんは生きてるって事だよね。という事は……死んでたってのは何かの比喩かな? その続きの無為な日々……何も無い、空っぽな日々。そんな日々を春澄ちゃんは送ってたって事かな? ……そっか、そういう事か。半分だけだけど、春澄ちゃんの事が分かったかもしれない。昇はそう確信すると、その確信が確かな物かを春澄に問い掛ける。
「春澄ちゃんには……夢も希望も、そして目標もなかったんだ。だから未来が見えない、昔も何もしていない、そんな何も無い日々を送ってたんだ。確かにそれは死んでると言えるかもしれない。身体は動いていても、心が何も持っていないのなら、生きているという事を実感できないし、生きる意味すら見えない。生きる意味が見出せない人生だったからこそ、春澄ちゃんは死んでたって言うんだね」
そんな昇の言葉を聞いて春澄は驚いた表情を示した。けれども、それも少しの間だけ、春澄の表情はすぐに少し複雑な表情になった。どこか悲しげで、それでもどこか嬉しそうな、そんな表情を昇に見せてきた。
そんな春澄の瞳が光る。少しだけではあるが春澄の瞳には涙が浮かんだのだろう。春澄はその涙を拭うと、気分を紛らわすためか、残っているジュースを口にすると顔を俯けたまま、昇との会話を続ける。
「凄いですね。たったあれだけの言葉で、そこまで私の事を理解してくれるなんて。私が暮らしてた施設の人なんて、私の言葉が何を意味しているのかすら考えてもくれなかったのに。だから凄く驚きました。けど、こういう時にどんな感情を示せば良いのか分からないから。ちょっとだけ戸惑ってます」
昇はそんな事を言って来た春澄の頭を優しく撫でてやると、優しい声で会話を続ける。
「僕が言うのもあれだけど……いつもの春澄ちゃんで良いと思うよ。少なくとも、昨日出会ってから今までの春澄ちゃんは明るくて、純粋な笑顔をするいい子だと思うよ。僕には、それが本当の春澄ちゃんかどうかは分からないけど、僕が昨日から知り合った春澄ちゃんは、そういう子だと思うから」
昇の言葉に春澄は何かに気付いたかのように顔を上げる。それから春澄は何かを考えるように手にしているジュースの缶を少しだけ強く握り締めると、大きく深呼吸して昇に今までと同じように純粋な笑顔を向けてきた。
「そうですね、その通りかもしれません。こんなのは私らしくないですよね。なんだか変な事を考えていた自分がバカみたいに思えてきました。どんな事をしても、私は私なんですから」
「そうだね、どれだけ辛い事があっても、どれだけ苦しい事があっても、自分を作り出しているものは変えられない。成長は出来るかもしれないけど、自分が自分である事には変わりない。だから春澄ちゃんも春澄ちゃんでいれば良いんだよ」
「うん、私は今の私で行きたいと思います。最後の終焉まで」
そんな言葉を口にした春澄は再び残っているジュースを口にする。けれども、昇には引っ掛かる言葉があった。それが終焉という言葉だ。なにしろ春澄は昨日から、まるで終わりを意味する言葉を多く使う事が見受けられた。だからこそ、昇が自然とその事を気にしても不思議ではなかった。
だが終わりを意味する言葉に対して率直に尋ねるのは気が引けた。なにしろ終わり、つまりは死を意味しているからだ。そう、昇が時折ではあるが春澄の言葉に引っ掛かりを感じていたのは、まるで春澄が死に向かって歩いているかのように昇には思えたからだ。
だからと言って、昇には率直に、その事を尋ねるだけの勇気も無かったし、そんな気分にもなれなかった。だから昇は言葉を変えて春澄に尋ねる。
「ところで、春澄ちゃんは何か目的があって旅をしてるんでしょ。その目的って何なの?」
そんな質問をする昇。春澄の目的さえ分かれば、春澄が時折口にしている終わりについても分かると判断したからだろう。そんな昇の質問に対して春澄は昇に顔を向けると、今までの笑顔とは打って変わり、まるで何か重大な決断をした者の顔になっていた。そんな春澄が昇に向かって話を続ける。
「私はこう考えているの、人は終わりを目指して人生という道を歩いている。その終わりこそが終焉、死という人生という道を終わらせる最後の場所だと。だから皆が辿り着く場所は同じで、終わりを目指して歩き続けてるんでしょ。途中でいろいろな事があるかもしれないけど、最後に待つものは終焉、終わりで死だと。だから私が終わりを目指して歩いているのは当然だと思いませんか?」
そんな春澄の言葉に昇は考えざるえなかった。なにしろ、春澄の言葉は正しい、けれども、どこか間違っている。そんな風に昇には思えたからこそ、昇は春澄の言葉を考えるのだ。
確かに、春澄ちゃんが言っているように……人の終わりは死。それは終焉とも言えるものだ。けど……それだけで済まして良いのかな。確かに人は死に向かって歩いているのかもしれない。その途中でいろいろな事があって、人は幸福だと思うのかもしれない。でも……それだけ? なんだろう、何か……違うような気がする。
春澄の言葉にすっかり考え込む昇。春澄はそんな昇が見えているかのように満面の笑みを浮かべるのだった。その笑顔を昇は見てはいない、それでも春澄は嬉しかったのだ。自分の言葉にここまで真剣になってくれる人がいる事が。そして春澄はしっかりと気付いていた。昇が自分の言葉に否定的な事を思っている事に。
目が見えないだけに人が出している雰囲気に敏感になっているのだろうか、春澄にはそれだけの事がしっかりと分っていた。だからこそ、春澄は楽しみでしかたなかった。自分のいった言葉に否定的な事を考えている昇がどんな言葉を口にするのかを。
けれども、春澄が出した問題はよっぽどの難問だったのだろう。昇はしかたないとばかりに、一旦白旗を上げる事にした。
「ごめん、今の僕だと春澄ちゃんの質問に答えられないよ。本当なら答えてあげたいけど、今は無理かな」
そんな昇の言葉を聞いて、明らかにガッカリとした表情を見せる春澄。けれども、それも一時の事だけだった。次にはいつものように純粋な笑顔を浮かべながら春澄は昇に言うのだった。
「じゃあ、この質問は宿題だね。私が終わりを迎える前に答えを聞かせてね」
「年齢的に言えば、僕の方が先に死にそうだけどね」
確かに昇が言ったとおりである。年齢的に言えば昇の方が年上。だから順番的に言えば、昇の方が先に死ぬのは当然とも言える事だろう。けれども、春澄は変わらない笑顔のままで昇に告げるのだった。
「残念だけど、その考えは間違ってるよ。先に死ぬのは私、それは私は大きな代償を支払ってるからね。だから先に死ぬのは私って決まってるんだよ」
そんな春澄の言葉を聞いて昇は春澄の笑顔を見詰める。昇には分っていたのだろう、春澄が浮かべている純粋な笑顔の向こうには、春澄が決意した覚悟と何かは分からないが、絶対に譲れない何かがあると。だから昇は会話を一旦中止して、次に出すべき言葉を考えざる得なかった。
何故かは分からないが昇には、これ以上は春澄の奥には入ってはいけないような気がしたからだ。いや、正確には昇がそれ以上、春澄の奥に入る事をためらったのだ。
けれども、そこにあるのは大事な物だと昇にも分かったのだろう。だからこそ、あえてためらいながらも、その領域に足を踏み入れようとする。
「その大きな代償を支払ってまで春澄ちゃんが望む事は何? 何のために大きな代償を支払ったの?」
そんな質問をする昇。もし、春澄の目が見えていたのなら、昇が真剣な顔付きで質問してきた事が見えていただろう。けれども春澄は目が見えない代わりに、周りに雰囲気に敏感になっている。だから昇が真剣に質問をしてきた事に春澄はしっかりと気付いていた。気づきながらも、春澄は笑顔のままで昇の質問に答えるのだった。
「昨日も言ったけど、それは話せないよ。でも……もう少しだけ私の我が侭に付き合ってくれたら話して上げても良いよ」
そんな事を言い出して来た春澄に昇は戸惑いを感じていた。確かに春澄が望む物、つまり春澄の目的が気になるのは確かだ。だからと言って、春澄が昇達の障害として立ちはだかるとは思えない。むしろ春澄が契約者という証拠は無いし、話に出てきたアルビータが精霊か契約者だという証拠も無い。
つまり、ここで無理してでも春澄の目的について追及する必要は無いのだ。だからと言って昇には、このまま春澄を放っておく事も出来なかった。春澄達が争奪戦に関係が無いのだとしても、春澄が言葉にした終焉が昇には気になっていた。いや、正確には、それは欠片に過ぎない。昇は春澄という少女が気になり始めていたのだ。
それは好きとかの恋愛感情ではない。放っておけない、いや、むしろ引き合うような感触を覚えていたからだ。だからこそ昇は春澄に質問に答える、少しだけふざけながら。そうでもしないと春澄に何もかも見通される気がしたからだ。
「それではお嬢様、そのお嬢様の我が侭をお聞かせくださいませ」
そんな返答してきた昇に春澄は面白そうに笑うと、満面の笑みのまま口を開いてきた。
「じゃあ、これからしばらくの間、毎日こうやって、お話がしたいな。そんな私の我が侭を聞いてくれるなら教えてあげても良いよ。でも、その前に、その時が来るかもしれないけどね」
……その時? 春澄が言った言葉に、またしても引っ掛かりを感じる昇。それは今までの春澄の奥に隠された覚悟とか、そういう物じゃない。まるで未来を見通したような言い方をしたと昇は思えたからこそ、今までとは違う引っ掛かりを感じたのだ。
だからだろう、昇は少し不思議そうな顔で春澄の顔を見詰めたのは。もし、春澄の目が見えていれば、昇が何を考えていたのかが分かっただろう。だが春澄の目が見えないからこそ、春澄は笑顔のままで昇の答えを待っていた。
そんな春澄を見詰めつつ、昇はある覚悟を決めていた。いや、正確には確証が無い因縁を確信したと言えるだろう。つまり根拠は無いけど、昇は春澄とは何かしらの縁があると感じ取ったようだ。だからこそ、昇は微笑むと春澄に向かって答える。
「良いよ。それじゃあ、その時が来るまで毎日春澄ちゃんに付き合ってあげるよ」
「やったっ!」
昇の言葉に嬉しそうに返事をする春澄。そんな春澄の笑顔を見て、昇はこれで良かったのだと思う事にした。はっきり言って、春澄が言った『その時』なんて昇には想像が付かなかった。けれども、昇が感じた縁は春澄との関係を良くしておいた方が良いと訴えていた。
先に待ち受けているものなんて誰にも分からない。けれども、昇には一つだけはっきりと未来について分っていた。昇は……春澄との因縁に近い物があると。だからこそ、昇は春澄の提案に乗る事にしたのだ。そう……まったく他の事を考えないままに。
昇が春澄の提案に乗ってきた事に春澄は純粋に喜んでいると、今度は春澄から質問が飛んできた。
「こうして話してると、やっぱり昇さんが強くて優しい事が良く分かるよ。だから今度は私の番だね。昔はお母さんと二人暮しだったんでしょ、でも、今は居候が増えて賑やかになってるっていったよね。その居候さんについて聞きたいな」
春澄の言葉に昇は硬直してしまった。それはそうだ、まさか争奪戦の事なんて話せないし、精霊と一緒に暮らしていると言っても信じてもらえないだろう。だから昇はなんて答えれば良いのか戸惑ってしまったのだ。まあ、それ以前に、まさか居候全員が女の子だと言って良いものか分からないからこそ、昇は硬直してしまったのだ。
いつまでも返事をしてこない昇に対して春澄は首を傾げると、手探りで昇の身体に触れると、そのまま手を顔のところに持って行って、昇の頬を軽く引っ張る。それで昇の硬直も解けたのだろう。昇は慌てて、春澄から上半身を離すと驚いた視線で春澄を見詰める。
一方の春澄は昇の反応が面白かったのだろう。楽しそうに笑うのだった。そんな春澄の笑顔を見て、これは誤魔化しきれないと感じ取ったのだろう。昇は出来るだけ、話せる事だけを話す事にした。
「えっと、前にも言ったけど、四人も居候が居るんだ。だから毎日が騒がしくて、それでも楽しくて、苦労する事も多いけど。皆が居たから、いろいろな苦労を乗り越えられてきた。そんなところかな」
具体的ではなく、なるべく抽象的に話を進めようとする昇。そんな昇とは正反対に春澄は具体的な事を聞いてきた。
「へぇ~、そうなんだ。それで、その四人の人ってどんな人?」
「いや、どんな人って言われても」
「一人ずつで良いから教えて欲しいな」
そんな春澄の言葉に昇は戸惑った。改めてシエラ達がどんな人と聞かれても、どう答えて良いのか分かり辛かったからだ。まあ……シエラと琴未に関しては深くは話せないだろう。なにしろ、毎日ように喧嘩、または戦闘を行っているのだから。
それでも昇は一人一人を思い浮かべながら、春澄に伝わるように話すのだった……なるべく黒い部分を隠すように。
「えっと、一番最初に来たのはシエラって言って、表情や感情をあまり表に出さないけど、頭が良いから頼りになるよ。二番目に来たのがミリアって子で、ミリアはシエラとは正反対で元気が良くて、食欲旺盛で……それでも皆の為に頑張れる子だよ。次に昔から知っていた、幼馴染の琴未が来て、琴未は変なところで不器用だけど。それでも、いつでも僕ためにいろいろと頑張ってくれる、大切な幼馴染だよ。最後は閃華かな、閃華はいつも何を考えているのか分からないけど、いつでも皆をまとめてくれたり、僕に道を示してくれたり、いろいろと頼りになる存在かな。そんな居候が居るから、今は騒がしくて、苦しくても立ち向かえる、そんな風になってると思うよ」
「へぇ~」
昇の話が終わると春澄は短い返事を返した後に、残っているジュースを一気に飲み干した。さすがに、一気に四人も説明に出されては、春澄としても頭の中で整理するのに時間が掛かって当たり前だ。
だから春澄が昇の話を確認するかのように、指を折りながら一人ずつ考えている仕草を昇は微笑みながら見詰めていた。
確かにシエラ達も昇の事を一番に考え、理解しようとしてくれるだろう。けれどもシエラ達は少し強気、いや、かなり気が強いので昇が日常ではシエラ達に押し切られる場面も多い。だが大事な場面では昇に重要な決断を任せ、昇の為に戦ってくれる。それはそれで昇としても頼りになるし、大事に思っている事も確かだ。
だが、春澄のように出会って、そんなに経っていないのに昇達の事をしっかりと理解しようとしてくれた事が昇には嬉しかったし、話した意味が充分にあると感じていただろう。
けれども、昇は重要な事を一つだけ忘れていた。そして春澄はしっかりとそれに気付いて、それについて質問してきた。
「ちょっと気になったんだけど……名前から考えると皆、女の人だよね。それって同棲っていうの?」
春澄の質問に昇は思いっきり後頭部をベンチの背もたれにぶつける。昇としては四人の女性と暮らしているという事実を春澄には隠しておきたかったのだが、春澄がこうも簡単に名前から女性だと判断してきたのだから昇には驚きだろう。その反応として昇は思いっきり後頭部をぶつけたわけだが、それでも昇は春澄に向かって言い繕う。
「いやいや、同棲なんてとんでもない、皆居候だよ、そう、皆してウチ暮らしてるけど、そんな同棲なんて、そんな関係じゃないよ」
慌てているのが、はっきりと分かるほどに早口で春澄に向かって話す昇。分っているかと思うが、昇達の関係ははっきり言って同棲と同じようなものだ。
なにしろシエラとは二回も同じ布団で寝ているし、琴未に対してはいろいろと触れているし、思いっきり抱きしめた事もある。更に、閃華とは二人っきりで風呂に入っているし、そこで閃華から思いっきり抱き付かれている。ここまでの事をやっておきながら、今更だが同棲では無いと昇は断言できないし、誰が見ても同棲以上の事をしていたのも確かな事だろう。
けれども昇は春澄には、そんな風に思って欲しくは無いのか。慌てて言い繕うのだが、春澄には、そんな昇の言い訳なんてお見通しみたいだ。だから春澄が軽く笑い出すと、昇は少しだけ呆けた顔になり、春澄の反応を窺っている。
そんな春澄が笑いを止めると、微笑みながら昇に向かって言うのだった。
「その居候さん達、皆さんとも昇さんの事が好きなんだね」
突然、春澄から、そんな言葉が飛び出した物だから、昇の顔は一気に真っ赤になり、舌足らずの口調で春澄の言葉を否定しようとする。
「いや、そ、そんなんじゃないと思うんだ、ほら、えっと、なんていうか、は、ハプニングというか、そう、そういうハプニングが無い事も無いんだよ」
既に何を言っているのか意味不明な昇の言葉に春澄は再び笑うのだった。そんな春澄を見て、昇もやっと自分がかなり動揺している事に気付いて、座り直すとワザとらしく咳払いすると大きく深呼吸する。これでやっと昇の心も落ち着いたように思えた。だが、意外なところから再び昇を動揺させる事が起こった。
何の前触れも無く、春澄が手探りで昇の手を探り出すと、春澄は昇の手をしっかりと握ってきたのだ。あまりにも突然の事で昇は再び動揺する。そして春澄に対して言葉を投げ掛けたいのだが、あまりにも動揺した所為か、言葉が出ずに口をパクパクと動かすだけの昇だった。
そんな昇に向かって春澄は微笑を向けると言葉を口にしてきた。
「私にも少しだけ分かるかな、その居候さん達の気持ちが。だから……ますます昇さんに興味が沸いてきたよ」
「いや、えっと、そう言われても……」
春澄の言葉に対して何と答えて良いのか分からない昇は、それだけの言葉を口にすると後は黙り込むしかなかった。そもそも昇には今の状況をどういう風に捉えて良いのかが分からないのだ。ベンチに二人っきり、しかも春澄のように可愛らしい少女と手を繋いでいる。そんな状況なものだからこそ、昇の頭は混乱するばかりだった。
そんな昇とは正反対に春澄は手探りで昇の腕を確認すると、今度は腕を組んできた。そんな春澄が昇の腕に顔を沈めて、静かに言葉を口にする。
「恋愛か……今までの私は自分の望みを叶える事だけしか考えてなかったから、そんな事を考える余裕もなかったよ。でも……今はそういうのも悪くないかなって思えるよ。こうして昇さんの温もりを感じてると……凄く……安心できるから……」
春澄の言葉が混乱している昇の頭を一気に冷やした。昇にもはっきりと分かったのだろう、今の春澄が口にした言葉には真剣に答えなければいけないと。
昇も伊達にシエラ達と暮らしてきた訳ではないようだ。確かにシエラや閃華の画策により、いろいろな罠にはめられてきた。けれども、そこで得た経験、そしてシエラ達が時折見せる女らしさと本音。そんな経験を重ねてきたからこそ、昇には今の春澄にしっかりと答えてあげなければいけないという気持ちが沸いてきた。それはもう、他の事をまったく考えないほどに。
そんな昇が腕に寄り添っている春澄に向かって微笑みながら春澄の言葉に答える。
「そうだね、誰かが傍に居る、誰かの温もりを感じる、そして誰かと繋がっていると感じる。そうした事はとても大事な事だと思うよ。僕も春澄ちゃんの傍に居ると、とても安心出来るよ。だからお互い様かな」
すでに春澄の事だけしか考えていない昇が、そんな言葉を口にする。それを聞いた春澄は嬉しそうに顔を上げると昇に向かって微笑みながら、そして少しだけ照れながら素直な気持ちを口にする。
「なら……私達は両想いだね」
「……へっ?」
春澄の言葉にすっとんきょうな声を出す昇。そんな昇を気にする事無く、春澄は話し続けるのだった。
「だって、お互いに傍に居る事が重要なんでしょ。そしてお互いに安心できるなら、それは両想いって言えると思うんだけど……違うの?」
「えっと、いや、うんと……」
春澄の言葉を否定するのは簡単な事だ。それは昇の本心が春澄を本気で好きだと思っていないと告げれば良いだけだ。けれども、昇が春澄の事を少しだけ気に掛けている事も本当の事だし、春澄の傍に居る事でシエラ達とは違った安心感があった事も本当の事だ。だからこそ、昇はあのような言葉を口にしたのだが、まさかここまで飛躍するとは昇には思いもよらない事だった。
だからと言って春澄の言葉を、そのまま否定する気にもなれない昇だった。
正確に言えば怖かったのだろう。昇は自分の言葉で春澄を傷付ける事が、だから昇は春澄の言葉を否定できずに、どうやって返答して良いのか迷っていた。
そんな時だった。突如として春澄が笑い出すと昇から離れた。それから手探りでベンチに立てかけてあったステッキを手にすると立ち上がった。そして昇の方に顔を向けると、微笑みながら、けれども、ほんの少しだけ悲しそうな微笑で昇に言うのだった。
「冗談だよ、だから、そんなに本気で考えなくても大丈夫だよ」
そんな事を口にした春澄は昇に向かって笑ってみせる。それはいつもと同じように純粋な笑顔だった。先程の悲しそうな一面はすっかり消えていた。けれども、春澄は昇に背を向けると話を続けてきた。
「でも……ちょっと残念だったかな。もっと早く昇さんと出会っていたら……私は違う生き方を選んだかもしれない。でも……もう決めちゃったから。だから、もう間に合わない。でも……後悔はしない。だって、それは私が望んで、私が決めた事だから」
それだけ言うと春澄は再び振り返り、昇に顔を向ける。そこには先程と同じように純粋な笑顔があった。昇はその笑顔を見ながらも口にする。それが無駄だと分っていながらも。
「今からでも……間に合うんじゃない。失敗したと思ったのならやり直せば良いだけだし」
そんな昇の言葉を聞いた春澄は静かに顔を横に振る。
「さっきも言ったように私は後悔してない。だから失敗したとも思っていないよ、だから……私は進む事が出来る。自分が決めた未来に向かってね」
……なんだろう……胸が……苦しい。昇は何故だか、春澄の言葉を聞いて、そんな風に感じていた。春澄が春澄の決めた未来に向かっているのなら、それは良い事だと昇は思っている。思っているのだが、何かが違うような気がしていた。それが何なのかは昇には分からない。ただ……春澄は何かが間違っている。そんな気持ちが昇の胸を締め付けているのだろう。
そんな昇に気付かないままに、春澄は昇から顔を背けると、公園の出入り口に顔を向けて、それから再び昇に顔を向けてきた。
「迎えが来たから、今日はここまでだね。私の我が侭、本当に聞いてくれる?」
最後にそんな事を尋ねる春澄に昇は胸を締め付けている、何かを振り払って立ち上がると春澄に向かって微笑みながら答える。
「うん、約束したとおりに毎日会いに来るよ」
「ありがとう」
昇の言葉に心の底からお礼を言う春澄。そんな春澄が最後にちょっとだけ意地悪な笑みを浮かべると、とんでもない事を言い出してきた。
「それから、私達って両想いだよね。だから、居候さん達以上の事をして欲しいな」
「……へっ?」
「あははっ、冗談だよ。それじゃあ、迎えが来たから、また明日ね」
春澄はそういうと昇に背を向けて歩き始めて行った。昨日と同じく、迎えに来た男性の元へ向かって。
そんな春澄とは正反対に昇は血の気が引くのを、しっかりと感じていた。まあ、それはそうだろう。ただでさえ、シエラ達を出し抜いて春澄と会っているのに。その春澄から両想いだと言われた事がシエラ達に伝わったら……どんな事が起きるか分かった物ではない。
まあ、全ては春澄に優しくしすぎてしまった昇が悪いのだが、昇の性格から言ってもしかたないだろう。ついでに言うとはっきりと春澄の好意を否定できなかった昇が悪いのだ。自業自得も、ここまで来ると無残としか言いようが無い。
そんな昇はこれからの事を考える事も出来ずに呆然としてしまう。いや、正確に言うと、今は何も考えたくないから呆然としているのだろう。
なにしろ、これから春澄との会話次第で……春澄の心が本気になりかねないと昇は感じ取ったからだ。つまり、昇は自ら厄介事の種を撒いた訳である。自分でやった事はいえ、さすがにこれはどうかしないといけないだろう。だが今の昇には、それを考えるだけの余裕がなかった。
だから昇の頭に一匹にハトが乗ろうとも、昇は硬直したままだった。
はい、そんな訳で、春澄フラグと死亡フラグを同時に立ててしまった昇でした(笑)
いやはや、まさか春澄があそこまで積極的な行動に出るとは、まったく当初の予定にはなかったのですよ。でもさ……やっぱり浮気をするなら徹底的にやった方が面白くない?
とか思ったので春澄が積極的になりました。そんな訳で、皆さんは昇のような朴念仁にならないように注意しましょうね~。その先に待っているのは修羅場だけですから(笑)
まあ、少しだけ昇をフォローしてあげると、昇は春澄の本音に本気で考えて、春澄の為に自分が出来る事をしただけだよ。……まあ、昇は朴念仁だし、どうやら春澄もこれが初恋っぽいから、二人がギクシャクしてもおかしくはないんだけどね(笑)
さてさて、そんな二人がこれからどうなって行くんでしょうね。そして、そんな二人、じゃないか、昇を待っているシエラ達はどうするのか。この辺がこれからの展開で楽しみになところですね。
まあ、最後には、たぶん、想像できないような展開が待っていると私は思いますけどね~。けどけど……最後を想像させるような文章が多々ある事も確かです。
そんな中で昇が選ぶ未来とは、そして春澄が望む終焉とは。その辺も楽しみにしながら、次を気長にお待ちくださいな。
……いやね。更新ペースを上げたいのは私も同じですよ。でもさ……連載を二本もやってるじゃん。更に言うとさ……私の小説って一話の文字数がかなり多いじゃない。だからさ……一話書くのに時間が掛かるんだよね~。まあ、一話の文字数を減らしても良いんだけど……それだと話数が凄い事になりそうなので、凄く怖いから、こんな形で上げてるんだけどね。
たぶん……一話の文字数を減らしたら、今頃は千話近くまで行ってるんじゃね。とか思うぐらい書いていると思います。まあ、さすがに千話は言い過ぎかもしれませんが……かなりの数になってるのは確かだよね。
そんな訳で、これからも、これぐらいの文字数を目安に進めていこうと思います。
という事で長くなってきたので、そろそろ締めますね。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、気付けば三月ですね……二月っ!!! 早いよっ! 早すぎるよっ!!! と過ぎ去った季節を見送りながら叫んでみた葵夢幻でした。