第百八話 シエラとアレッタ(前編)
窓の外は鈍色の雲が広がり、その雲からうっとおしと思うほどに雲は雨を降らせていた。そんな光景を昇は教室ある自分の席から授業を聞き流しながら見ていた。
シエラが居なくなってから数日が経った。昇はシエラが居なくなった翌日は学校を休んでまでシエラを探したが見つけ出す事が出来なかった。けれどもシエラの事だけで、そう何日も学校を休む訳には行かないと綾香に諭された昇はシエラを探したい気持ちを無理矢理抑え付けながら学校へと来ていた。
もちろんシエラを探しているのは昇だけではない。琴未達も学校が終われば即行で学校を飛び出してシエラを探し、フレト達や与凪も手伝ってくれてはいるが未だにシエラを見つけ出す事は出来なかった。
以前にラクトリーがミリアを発見したように精霊反応を追えば簡単に見付かるというフレトのアイデアも出たのだが、そのアイデアも効果を発揮する事無くシエラを見つけ出す事が出来なかった。
その事でラクトリーが言うにはシエラが純粋の精霊でなく妖魔である事が関係しているのではないのかと推測を話した事があった。それはシエラが妖魔の力で自分の精霊反応を消しているのではないのかという事だ。
確かに純粋な精霊にはそんな事は出来はなしない。けれども妖魔であるシエラならそういった事が可能ではないのかとラクトリーが言い出し、与凪もそうかもしれないとラクトリーの推理に同意を示した。
つまりシエラが妖魔であるからこそ未だに昇達はシエラを発見する事が出来ないという訳だ。そんな状況に昇は苛立ちを覚えながらも、なるべくそれを表に出さないようにしていた。それはフレト達も与凪も全力でシエラを探してくれているからだ。そんな時にシエラの契約者である昇が取り乱すわけには行かないと閃華の進言により昇は自重せざる得なかったのだ。
それでも昇の心はシエラへと向かっていた。
シエラ……いったい何処に行ったの? この雨の下でも無事で居るよね。……なんでだろう、一緒に居た時はそれが当たり前だと思っていたのに、こうやって離れると無性にシエラの事が心配になってくるよ。だから……シエラの姿が見たい、シエラの声が聞きたい、そしてもう一度……シエラの温もりを感じたい。昇はそんな事を考えながら視線を窓の外へと向けていた。
そんな昇を気遣うように琴未もちょくちょく昇の方へと視線を向けているのだった。琴未の席は昇の前である。だから教師に気付かれないように時折、顔だけを傾けて昇を心配そうな眼差しで見詰めるが、そんな琴未と昇の視線が交じ合うことは一度も無かった。それだけ昇は前を見ていないということであり、だからこそ琴未はそんな昇がより一層心配になり、複雑な思いが胸の内に生まれるのだった。
そして閃華もそんな琴未を気遣うように時折、琴未に向けて視線を送っているが、琴未がそんな閃華の視線に気付く事は無かった。それだけ昇の事を気に掛けていたのだろう。
そんな状況に閃華は溜息を付きたくなってきた。思いのすれ違いはこういう事を言うんじゃろうかのう。そんな事を考えながら閃華は小さく溜息を付くのだった。
確かに閃華が考えたとおりに今の昇達はすれ違いを繰り返している。シエラの事を皮切りに、昇の心は完全にシエラの心配に移っており、そんな昇を心配しながらもシエラの事も気に掛ける琴未。更にはそんな三人を気に掛ける閃華。お互いにお互いの事を気にしながらも、誰しもがお互いの事に気付いていない。そんなすれ違いの連鎖に終止符を打つためにはどうしたものかと閃華も授業を聞き流しながら考えるが一向に答えなどは出てこない。
そんな閃華が右前に視線を送ると、そこには自分の席に突っ伏してすっかり居眠りしているミリアの姿があった。そんなミリアを見て閃華は思う。どうやら私もミリアのように行動した方が良いみたいじゃな。それにしてもじゃ……まさかミリアからそんな事を感じるとはのう、どうやら私も深刻になり過ぎていたようじゃな。
ミリアもシエラが居なくなってからというもの、いつものように常にお気楽な態度は取ってはいなかった。それは放課後になってミリアの行動を見ればすぐに分る。
今まではラクトリーによって強制的に連れて行かれていたミリアだが、今はシエラを探すために自主的にラクトリーの元へ行ってシエラを探す手伝いをしている。けれども昇達の前ではいつものようにお気楽で決して深刻な態度は見せなかった。
それはミリアも昇達が深刻な空気になっている事を肌で感じているからこそ、自分はいつものようにと自分で考えて自分で決めて、そういう風に行動しているようだ。今回の事では珍しく真面目に事態を考えたミリアだが、やっている事のほとんどはいつもと同じだ。
けれども深刻な雰囲気を出している昇達の中でそのような態度を取るのが一番難しいかもしれない。けどミリアはいつもお気楽である。だからこそ、そのような態度を取るのが一番簡単であり、今の状態では一番良いと判断したのだろう。もちろん、その判断を下すのにラクトリーからの助言があったからこそミリアはいつものような態度を取っている事が出来たのだ。
そんなミリアにも気付かないままに昇は窓の外を見たままだ。
いつもは固い絆で結ばれていた昇達も、こうも簡単にすれ違いを続ける事になるとは思ってもいなかった事で昇達はお互いに戸惑いながらも、お互いにこの五里霧中から抜け出す方法を探っていたのだった。崩れかけ始めたいつもを取り戻すために。
その頃、シエラは雨を防ぐために橋の下にある架橋の上で雨をしのいでいた。膝を抱え込み顔を隠すかのように座り込んでいるシエラは、ここ数日まともに食事もしていないのがシエラの顔色は悪くは無い。けどかなり沈んで暗い表情をしているのははっきりと分る。いつもはあまり表情を表に出さないシエラがそんな表情でいる事は昇達には想像も付かないことだろう。どうやらシエラの心も昇達と同じように深刻なのは変わりないようだ。
そんなシエラはここ数日、まるで昇から逃げるように移動しているが、決して町から出ようとはしなかった。それは何かを期待してるのと同時に何かを恐れている結果と言えるだろう。そんなシエラだが健康状態には何も問題を起こしてはいなかった。
なにしろシエラは純粋とは言えないが精霊である事には変わりない。だからこそ数日はまともに食事を取らなくても全力で戦う事が出来る。だからここ数日でシエラが口にした物と言えば綺麗とは言えない川の水だけで喉を潤しただけだ。それでもシエラの健康状態に異常を来たさないのは精霊が身体という物を持っていないから、汚い水を飲んだかと言って体調を崩す身体を持っていないからだ。さすがに汚れきった水を飲む気にはなれないが、少しぐらいなら汚れていても今のシエラには喉の渇きを癒すために口にしても何にも問題は無かった。
むしろ問題なのはシエラの心だ。そんなシエラの心が勝手にシエラの思いを代弁するかのように訴えかけてくる。……また、逃げ出した……と。
そんな事を思うとシエラの頭も自然とその事を考え出す。私は……また逃げ出してきた。アレッタの時と同じように……昇の元からも……逃げ出してきた。そんな事を頭が勝手に考えてしまうシエラは自分自身を弁護するかのように先程の考えを否定するような事を考える。
だってしかたない。私は純粋な精霊じゃなくて妖魔なんだから……だから……。私は……嫌われて当然なんだから……だから……逃げたっていい。そう、私には逃げ出して良い権利がある。
自分でも無理があり勝手な理論だとシエラは自分を笑うかのように軽く短く笑った。シエラにもちゃんと分っているのだ。今の自分が……凄く惨めだという事を。
そんなシエラが顔を横に向けると未だに降り続いている雨と幾つもの波紋を消し去るように流れる川が瞳に写った。その光景はまるでシエラの心を映し出しているかのように思え、そして降りしきる雨はあの時の事を思い出させた。
そう、シエラがアレッタと過ごした時間とアレッタの前から姿を消した時の事を……。
人間世界に隣接する精霊世界。その精霊世界は人間世界を見ることが出来るが、決して干渉する事が出来ない世界だ。そんな精霊世界でシエラは一人、高層ビルの上で足だけをビルの外へ出すような姿勢で座りながら知識書と呼ばれる本を開いて目を通していた。
知識書とは精霊に関する知識を記した書物だが、精霊に関する知識は無尽蔵にあり、とても一冊の本にまとめられる物ではない。けれどもこの知識書は自分が知りたいと思った精霊に関する知識を本を手にした者の意思を読み取ってそれを表記してくれる便利な本だ。
つまり普段は白紙の本だが、知りたいと思った事を思い浮かべながら本を手に取ると知識書には自動的に本を手にした者が知りたい知識を記してくれる便利な本なのだ。
そんな知識書を見ながらシエラは一人で心地良い風を感じながら読んでいると、自分に近づいてくる気配をシエラは感じ取った。けれどもシエラはその気配を無視して本に集中しているとシエラに近寄ってきた。正確には空から舞い降りてきた精霊がシエラに向かって話し掛けてきた。
「やっと見つけた。シエラはこんな場所で知識書を読むのが好きだからね。だから高い所を中心に探してたんだ」
そんな言葉を掛けてきた精霊をさすがに無視する事が出来ないのか、シエラは知識書を開きながらも顔だけを精霊に向けると口を開いた。
「それで何の用、アレッタ」
どうやらアレッタはシエラを探して文字通りに翼を広げて飛び回っていたらしい。そんなアレッタはシエラの横に座ると同じように足だけをビルの外へ投げ出して満面の笑みをシエラに向けてきた。
「暇だから何かして遊ぼうよ、シエラ」
「嫌」
アレッタの提案を即答かつ拒否するシエラはすぐに知識書に向かって顔を戻した。そんなシエラにアレッタは頬を膨らませて明らかに不機嫌になった事をアピールしながら、シエラにちょっかいを出すようにシエラの頬を突付きながら無理矢理話を続ける。
「そんな事を言わないで遊ぼうよ、シエラ」
さすがにアレッタに頬を突付かれたままでは知識書に集中できなくなったシエラは呆れたような顔付きでアレッタの指を軽く払いのけると、しかたなくアレッタに向けて再び顔を向けるのだった。
「遊ぶなら他の精霊を誘えばいい」
そんなシエラの提案にアレッタはそれは無理とばかりに顔を横に振るのだった。
「だって、この辺で空を飛べる精霊と言ったら私とシエラだけよ。せっかく空を飛べるのに地上を駆け回る遊びなんてつまらないじゃない。だからシエラの元に来たの。それにこの辺には他に友達は居ないんだから」
アレッタに友達が居ないのはアレッタに問題がある訳ではない。そもそも精霊の数が全体的に少ないうえに、精霊世界でも精霊同士が出会う確立が低いのだ。例えるなら過疎化しきった村のようなものだ。
そのうえ精霊世界も人間世界に隣接している所為か、地上の面積は人間世界と同じだ。そんな世界で精霊同士が出会うだけでも稀だというのに、同じ精霊同士が出会う確立はかなり低くなる。確かに精霊同士が集合して独自の町のような物も存在するが、シエラは自分がそこで体験した経験により、その体験をしてからはそんな町には一切近づかず。あまり他の精霊と接する事が無い場所を選んで居つく事が多くなった。
そんな時に同じ翼の精霊とであったのだ、だからこそ同じ翼の精霊同士であるアレッタとシエラが打ち解けあうのにはそんなに時間は掛からなかった。
けれどもシエラの性格から言って遊ぶ事よりも今は知識書に目を通している方が、シエラにとってはとっても有意義な事であり、楽しい事でもあった。だからこそ、こんな場所で一人で居たのだ。
だがアレッタはそんなシエラとは正反対であり、誰かと一緒に居た方が楽しいと感じるタイプのようだ。それに好奇心も強いからいろいろな事に興味を示す事が多い。その度にシエラはアレッタに引っ張られていたのだ。
だからこそアレッタの誘いを即行で断ったシエラだが、その程度でアレッタが諦める事が無い事も充分に分っていた。だからこそシエラはしかたないという感じで知識書を虚空へと仕舞ってアレッタの話し相手になる。
シエラが知識書を仕舞うのを見て、やっと自分の相手をしてくれると感じ取ったアレッタはそのままお喋りに入っていった。
「あぁ~、早く争奪戦が始まらないかな。そうすれば人間世界に干渉できるのに」
精霊王の力が弱まってきている事は全ての精霊が知っている事であり、それは争奪戦が間近に迫っている事を示していた。だからこそシエラとしては知識書を使って少しでも争奪戦に役立てようとしていたのだが、アレッタとしては別の目的があるようだ。
「アレッタは人間世界で遊べれば満足なんでしょ」
「まあね」
シエラの言葉を否定しないという事はシエラが言った通りなのだろう。そんなアレッタがシエラに顔を近づけて熱弁する。
「だって人間世界には面白そうな所がいっぱいあるじゃない。精霊世界だとそれを見ることしか出来ないけど、人間と契約すればそうしたところで遊べるのよ。それを考えると今からでも楽しみなのよね」
どうやらアレッタは完全に争奪戦の目的を忘れているようだ。それよりも人間世界で遊ぶ事を優先させたいらしい。まあ、シエラとしてもそんなアレッタの気持ちが分らない訳でも無かった。
なにしろ精霊世界では人間世界を見ることだけしか出来ない。だからと言って全ての物に干渉出来ない訳ではない。現にシエラはビルの上に座っている。これはビルの素材が複数の精霊の力を借りて作られたものであるから、人間世界にあるものでも精霊世界に共通して存在する物があるのだ。
けれどもそれらも限られている。あまりにも複数の精霊が密接に関わっている物や、未だに精霊の力が宿っていない物。つまり人間が独自の力だけで生み出してきた物には精霊は干渉する事が出来ないのだ。
文明開化前ならいざ知らず、機械という独自の技術を生み出し続けた人間の物にはなかなか精霊が宿る事が出来ずに、未だに精霊が干渉できない物が数多くある。だからこそ精霊世界は人間世界に干渉できないと言われる要因の一つとなってきているのだ。
まあ、それ以前に精霊世界から人間世界に向かって属性を力を使っても発動できない事から干渉できないと言われているのだが、今では人間が独自に生み出して来た物で溢れているから余計に精霊にとっては干渉できないと感じる機会が多くなっているのは確かだった。
だからこそアレッタがそんな事を思っても不思議は無いのだが、シエラにとっては争奪戦は遊びではなく、本気で挑む物と捉えているようだ。
「争奪戦は遊びじゃない。エレメンタルロードテナーを決める重要な儀式。だからあまり軽視するのはどうかと思う」
「そうだけどさ……やっぱり人間世界に行ったらやってみたい事がいろいろとあるじゃない。シエラだってそうでしょ」
「別に」
「え~」
シエラの答えに不満を漏らすアレッタ。それはそうだろう、ここでシエラに同意して貰わないと自分だけが人間世界に遊びに行くのが目的とアレッタは思わなくてはいけなくなるのだから。まあ、実際はその通りなのだが、アレッタとしてはシエラにも同意して欲しいのだ。そうすれば二人して同じ人間と契約して一緒に遊べる事が出来るのだから。
けれどもシエラが人間世界にまったく興味を示していないのも確かだった。それはシエラだけが知っている自分が妖魔だという秘密。その秘密を精霊世界では隠しとおさないといけないのに人間世界が受け入れてくれるとは限らない。むしろ精霊達と同じように妖魔として差別を受ける可能性だってあるからだ。
シエラは以前に妖魔として差別を受けた事が一度だけある。それはまだ生まれたての頃。自分が妖魔だという事実を軽視していた頃の事だ。その頃は精霊が集う町のような場所に住んでいたが、シエラが妖魔だという事実が分った途端に精霊達はシエラに向ける視線が一気に冷たくなり。更には罵倒や非難、石などを投げられるのが当たり前になってきた。
そんな差別を受けたシエラだからこそ、今は他の精霊と出会う確立が少ない場所に移り住んでおり、アレッタにも自分が妖魔だという事実を入念に隠している。もしアレッタにも自分が妖魔だという事が分れば、アレッタも以前の精霊達のように急変するに違いないとシエラは思っていたからだ。
けれどもアレッタとの友好を深めていく内に心のどこかではアレッタがシエラの秘密を知ったとしても、いつものように接してくれるのではないのかと微かな期待もしていた。だからこそシエラはアレッタと行動する事が日に日に多くなって行ったのだ。
二人が出会った切っ掛けは本当に些細な事。シエラが精霊と出会いそうに無い場所、つまり空を飛ぶ属性を持っていないと行けない場所。例えるなら今現在二人が居るビルの上。その時は大きな木の上だったが、その場所でアレッタがシエラを発見して、アレッタから積極的に話しかけてきた。そしてシエラが自分と同じ翼の精霊だと知るとアレッタはそれからシエラに更なる興味を持つようになり今日に至ったのだ。
そんな経緯もあり、シエラとアレッタは共に過ごす時間が多くなっていき、今でもお喋りを続けているのだった。
「ところでシエラはどんな人間と契約したい?」
「どんな人間って?」
「ほら、人間にもいろいろなタイプがあるじゃない。性別とか性格とか趣向とか、それぞれ皆が違うわけじゃない。様々な人間の中でどんな人と契約したいかってことよ」
アレッタにそんな質問をされて考え込むシエラ。確かに契約をしない限り人間世界に行く事も出来ないし、争奪戦にも参加する事が出来ない。それでは今まで知識書を読んできた意味が無くなってしまう。けれどもシエラはアレッタにそんな質問をされるまでどんな人間と契約したいかなんて考えた事が無かった。だからこそ考え込み、自然と出てきた言葉を口にした。
「……優しい人、かな」
「優しいって、どんな風に?」
「全ての物事に対して優しさで接する事が出来る……そんな人間かな?」
「ふ~ん」
シエラの答えに曖昧な返事を返すアレッタ。やっぱりシエラの言い方ではどんな人間なのかは想像出来なかったようだ。そんなアレッタに向かってシエラは同じ質問を返した。
「アレッタは?」
「私、私は……そうね。やっぱりお金持ちな人間かな、そういう人間と契約すればいろいろ体験が出来そうだし、いろいろなところに遊びに行けるじゃない」
そんなアレッタの答えにさすがのシエラも呆れた顔をした。そんな顔をしたシエラによっぽどアレッタは不満を憶えたのだろう。いきなりシエラを抱き寄せるとシエラの頬を軽く突付きながら文句を言い出した。
「何よ、その顔は。確かにお金が全てじゃないけど、多くのお金があった方がいろいろな体験が出来るじゃない。その方が面白いでしょ」
「分ったから離して」
「本当に?」
「本当に分ったから離して」
「しかたないわね……えいっ」
何故だかアレッタはシエラを離すどころか、シエラを抱える形で一緒になってビルから飛び降りた。もちろん、そんな事をすれば二人とも重力に従って落下して地面に叩きつけられるのだが、二人とも翼の精霊である。シエラは逸早くウイングクレイモアを取り出して羽ばたかせ、アレッタは背中の翼を広げて羽ばたくとようやくアレッタはシエラを解放した。
そんなアレッタにシエラはウイングクレイモアを向ける。
「なんであんな場所から飛び降りないといけないの?」
「スカイダイビング~、人間世界では遊びの一種よ」
笑顔でそんな事を言ってくるアレッタにシエラは顔を伏せると静かに言葉を放つのだった。どうやらいきなりスカイダイビングをさせられた事にシエラは不満を感じたらしい。そんなシエラだからこそウイングクレイモアをアレッタに向けながら呟く。
「……このまま摸擬戦をして、ウイングクレイモアの一撃を喰らってみる」
「嫌よ、そんなの。シエラの攻撃はちょっとだけスピードが遅いけど一撃が思いっきり痛いんだもの」
「なら私を巻き込んで遊ばないで」
「だって、こうでもしないとシエラは一緒に遊んでくれないじゃない」
あまりにも無邪気なアレッタの言葉にシエラは諦めたかのように溜息を付くとウイングクレイモアを下に降ろした。そんなシエラを見てアレッタは楽しげに次なる遊びを言い出してきた。
「このまま空中鬼ごっこをしようよ。もちろんシエラが鬼でね、私は全速力で逃げるから」
「……行ってらっしゃい」
「少しは付き合ってよ」
シエラの一言に少し泣きそうな声で返してくるアレッタ。いつまで経っても釣れない態度を取っているシエラにアレッタも泣きそうな気分になってきたのだろう。そんなアレッタを見てシエラは思いっきり溜息を付くと、ウイングクレイモアの翼を羽ばたかせて先程まで居た場所にまで飛び上がると再び同じように座る。
シエラが戻ってしまったのでアレッタも不満を顔に出しながらシエラの後を追って元の場所に座るアレッタ。そんなアレッタの姿を確認するとシエラは風を感じるかのように顔を上げてゆっくりと歌いだした。
「果てなく続く空の中で、君は今、何処にいるの~」
風がそのまま音楽となりシエラの歌声を一層美しい物にしている。そんなシエラに続くかのようにすっかり機嫌を直したアレッタが笑顔で続きを歌い始めた。
「彩る空で私は祈る、再び出会う永久の時を~」
それからはシエラとアレッタの歌声が重なり合い、風は更なる音楽を奏でるように流れると二人の歌はより一層彩られる。
二人とも翼の精霊であるからには、その姿は天使に近い物がある。だから二人の歌声もまるで天使が歌っているかのように美しく響き渡る。翼の精霊はその歌声も美しく天使を思わせるようだ。そのうえアレッタは未だに翼を出していて、シエラも翼の生えたウイングクレイモアを横に置いている。
そんな二人の姿は誰が見ても天使が美しい歌声で歌っているのだと思う事だろう。それほどまでに二人の姿と歌声は天使を思わせる物があった。そして二人の歌は風に乗せて流れて行き、美しい歌は何処までも響くのであった。
一度歌い始めたらなかなか止まらないのがアレッタである。二人はあれから十曲ほど歌ったところでアレッタも満足したかのように思いっきり身体を伸ばし、そんなアレッタをシエラは優しげな瞳で見ていた。
そんなアレッタが身体を伸ばし終えると最高の笑みをシエラに向けてきた。
「やっぱりこういう場所で思いっきり歌うと気持ちいいね」
「それに天気も風も心地良かった」
アレッタの感想に同意するかのように言葉を返すシエラ。どうやら歌を歌って満足したのはアレッタだけでは無いようだ。けれどもシエラの表情はいつものように無表情に近いがアレッタはシエラが思いっきり気持ちが良い気分である事を、シエラの微かな表情の変化からしっかりと読み取る事が出来ていた。
だからこそアレッタはシエラに向かって更に話を続けるのだった。
「それで、次は何をしようか?」
どうやらアレッタはまだ遊び足りないようだ。そんなアレッタにシエラは呆れたような顔を向けてアレッタに提案を出すかのように呟くのだった。
「滝落ちならぬ風落ち」
「なにそれ?」
聞きなれないシエラの言葉にアレッタは興味津々といった感じで尋ねてきた。そんなアレッタから顔を逸らしたシエラは絶対に視線をアレッタに向けないように呟く。
「風と一緒にここから落ちる。そして地面に叩きつけられる遊び。もちろんアレッタ一人で実行」
「……それってただの自殺行為だよね」
「パラシュートの無いスカイダイビングのようなもの、もちろん翼の属性を発動させてはダメ」
「だからそれは自殺行為だよねっ!」
「精霊は自らの意思で消えようとしない限り死なないから自殺行為じゃない。じゃあ行ってらっしゃい」
「実行する事が決定してる! というかシエラ、思いっきり押し出さないでよ」
最早、厄介払いとしか思えないシエラの行動に非難の声を上げるアレッタ。それはそうだ。こんな場所から落ちて、地面に叩き付けれれば死なないものの痛い事は確実だ。そんな行為をアレッタは好んでするほどマゾでは無い。
けれどもシエラはアレッタの翼を封印するように、何処からか取り出したロープでアレッタの翼を縛り上げるとアレッタを突き落とそうと思いっきり押してくる。そんなシエラの行為に必死になって抵抗するアレッタだが、徐々に押されているのは確実だ。
こうなってはしかたないとアレッタは素早くシエラのウイングクレイモアを蹴り飛ばすと、シエラを抱きかかえて、一緒に高層ビルから落下する。それから……二人は仲良く地面に叩きつけられるのだった。
地面に思いっきり叩きつけられてピクピクと痙攣しているシエラとアレッタ。そんなアレッタが顔を上げる事無くシエラに尋ねる。
「ねえ、私達……いったい何をやってるの?」
そんなアレッタの質問にシエラも顔を上げる事無く答える。
「私に……聞かないで」
そんな二人が意識を失うのには、そんなに時間が掛からなかった。そして二人の意識は一気に闇の奥底へと沈んでいくのだった。
「ああ~っ、もうすっかり夜じゃない」
二人が復活した頃にはすっかり日も落ちて、空には見え辛い星が輝き、地上には星の輝きを消し去るほどの光で満ちていた。
そんな光景を再びビルの屋上に腰を掛けて見渡すアレッタはシエラに向かってそんな文句を言って来た。そんなアレッタの文句にシエラは平然と言葉を返す。
「……だからアレッタだけを突き落とそうとしたのに」
「シエラって……時々酷い事を平然とするわよね」
「そお?」
シエラの言葉に呆れるしかないアレッタ。一方、そんな言葉を向けられたシエラは再び知識書を取り出して、そちらに目を向けていた。だからだろうアレッタがそれ以上はシエラに文句を言わないのは。
そんなシエラの横に座りながらアレッタは見え辛い夜空の星を見上げていた。そしてアレッタは静かにシエラに顔を向ける事無く話し出すのだった。
「ねえ、シエラ」
「なに」
シエラも顔をアレッタに向ける事無く言葉を返す。アレッタがこうして話しかけて来る時は真面目な話をする時だという事はシエラにも分っていたからだ。だからシエラは知識書から目を離す事無く、言葉だけを返したのだ。
アレッタもシエラが知識書に目を向けていても自分の話をちゃんと聞いていてくれる事を知っているから、二人ともお互いに顔を合わせる事無く話を続ける。
「争奪戦が始まっても一緒に居ようよ。同じ人間と契約して同じ時間を過ごそう。それに翼の精霊が二人だよ。戦いが始まっても私とシエラのコンビネーションならかなり有利に戦えるし、負けることは無いよ」
そんな事を言い出してきたアレッタにシエラはすぐに同意を示す事は無かった。確かに翼の精霊が二人も居て、その二人の息がぴったりと合っていれば相手にとっては限りなく厄介な相手になる事は間違いないだろう。
なにしろ二人の精霊が空中から揃って攻撃してくるのだから、対応するのは相当難しくなるだろう。だからこそアレッタはそんな提案を出したのだが、本心を言えばシエラから離れたくないという気持ちが強いのだ。
そっけない態度を取るシエラだが、アレッタはそんなシエラを気にいっていた。それはいつもはそっけなく無表情なシエラだからこそ、時折見せるシエラの一面にアレッタは新鮮さと面白さを感じていたからだ。だからこそアレッタはシエラの傍に居て、シエラの相棒になろうとしているのだ。
けれどもシエラはいつもアレッタがそんな話を出してくるとはぐらかすか、沈黙を守る。それは別にアレッタを嫌っている訳ではない。昼間の行動を見ても二人の仲はかなり良好な事は見ているだけで分るだろう。
けれどもシエラには漏らしてはいけない秘密がある。自分が妖魔である事はアレッタには絶対に知られてはいけない。シエラはアレッタとの仲が親密に成れば成る程、そんな風に考えるようになっていた。
だからこそシエラはアレッタがそんな事を言い出した時には必ず一線を引いて、それ以上はその話を続けないようにしている。シエラも忘れれないのだ、自分が妖魔だと知られた時に精霊達が取った行動を。だからこそシエラはアレッタとの関係について考えてしまう。
……私は……どこかで恐れてる。私が妖魔だと分れば……アレッタとの関係が壊れる事に恐怖してる。だから……私は……。そこまではいつも考えるが、いつも結論を出す事が出来なかった。シエラとしてもアレッタにどういった返事を返して良いのか分らないのだろう。
だからこそシエラはアレッタの話を無視するかのように知識書に目を向ける。そんなシエラにアレッタはいつもの事だと思って軽く溜息を付くと話題を切り替えてきた。
「そういえばさ、この前ね。鷹の精霊を真似して木々を蹴りながら森の中を全力で飛び回ったのよ。その時に温泉を見つけたのよね、だから今度二人でそこに入りに行こうよ。シエラは温泉に入った事は無いでしょ」
「確かに温泉には入った事は無い」
いつものようにそっけない返事を返してきた事でシエラがアレッタの話に興味を抱いた事を感じ取ったアレッタは更に話を続ける。
「それで温泉に入ってみたんだけど、結構気持ち良かったよ~。その時にこういうお風呂も結構良いな~って思ったのよ。だから今度二人で行こうよ」
「……別に構わないけど」
そっけない返事だが、その返事がシエラが同意した事だとアレッタには分りきった事だから。アレッタはシエラの返事を聞いてすっかり上機嫌になり、その顔には笑みを浮かべていた。こうやって少しずつシエラとの親交を深めていくのがアレッタにとっては楽しくてしかたないのだろう。
そんなアレッタの行動にシエラも嫌な態度を示す事は無かった。シエラも心のどこかでアレッタとの交友を楽しんでいたのかもしれない。だからと言ってシエラの態度が急変してアレッタと仲良く出来ないはシエラの特徴とも言えるだろう。
だからシエラがいきなり知識書を仕舞って、屋上の真ん中に移動していきなり結界を張って、その中に布団を敷いて眠りに付こうとしてもアレッタは驚く事無く、まるでそれが当たり前かのようにシエラが寝ているう布団へと潜り込んできた。
そんなアレッタにシエラはいつもの質問をぶつける。
「なんでいつも私のところに潜り込んでくるわけ」
シエラとしては自分の隣に同じように布団を敷けば良いと思っているのだが、アレッタは決してそうする事無く。いつもシエラの布団に潜り込んでくるのだった。そしていつもの決まり文句を口にする。
「シエラの温もりが恋しいの」
「おやすみ」
アレッタの言葉に即答したシエラはすぐにアレッタに背中を向けて眠りに付こうとする。シエラとしてもアレッタを無理矢理、布団から追い出す気は無いようだ。そんなシエラでもアレッタを布団から蹴り飛ばす時は、シエラが背中を向けた事を良い事にアレッタがシエラの胸を揉んできた時だけだ。それ以外の時は普通に仲良く一緒の布団で寝るのが二人の日常になってきた。
そんな状況を楽しむかのようにアレッタはシエラの背中にくっ付きながら話しかけてきた。
「温泉、一緒に行こうね」
「そのうち」
短く返事を返してきたシエラの言葉に満足したアレッタはそのままシエラの温もりを感じながらゆっくりと眠りついていく。シエラもアレッタの温もりを背中に感じなら心地良い眠気に身を任せていた。
けれども先程交わした約束が二人の仲に修復が難しい亀裂を入れる事になるとは、今の二人には想像も付かない事だった。
そんな訳で今回はシエラの回想となりました~。……当初の予定なら一話で終わらせるつもりだったのですが、いつの間にか長くなり、これまたいつものようにしかたなく二話に分ける事にしました。う~ん、けどまあ、今回は二話に分けた方が面白いかなと思ったからいいけどね~。
さてさて、そんな訳で回想の中ですが再登場したアレッタですが……すっかりキャラが変わってますね。
まあ、正確に言うと今回のアレッタが本来のアレッタの姿であり、この後に起こった出来事がアレッタがシエラに対する態度を急変させた要因となっているのですよ。つまり本来のアレッタはこんな感じだという事ですね。
……なんか、このアレッタって琴未を昇でなくシエラに惚れさせたようなキャラを思わせますね。まあ、それだけアレッタと琴未は根幹が少し似ているという事なのかもしれませんね~。
そんな訳ですっかり重くなっていた話も今回はちょっと軽くして、次回の最後辺りには、また一気に重くなってくるでしょうね~。まあ、あまり重い話を続けてもと思っている間に今回はこのような話と成りました~。まあ、時にはこんなのもありかなとか思ってますけどね~。
さてさて、長くなってきたのでそろそろ締めますか。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、風邪でリンパ腺が炎症を起こして二日ほど寝込んでいたのですが、そこに登場した救世主、その名を葛根湯に助けられて、今ではすっかり回復した葵夢幻でした。