95_竜もどき
工房に奥に、その“竜もどき”は佇んでいた。
『弐号』という名はあくまで便宜的なものだろう。
きっとまだ名前すらつけられていない、出来損ないの翼だった。
しかし、あの7《ジーベン》が目をつけていたモノ。
この場を脱出するには十分ということだろう、とトリエは思った。
「扉は、ここ……?」
5《シュンフ》が核にあたる水晶をいじると、が開いた。
操舵席と、その後ろに何人かが入れそうなスペースが空いている。
トリエは5《シュンフ》に手を引かれ、その間に強引に突っ込まれた。
「使い方、知ってるの?」
そして操舵席に収まる5《シュンフ》に対し、身を乗り出してトリエは尋ねた。
「知る訳がない」
すると彼女は、さらりとそんなことを言ってのけた。
トリエはなんといったものかと言葉に詰まるが、
「でも、大丈夫」
水晶に走る言語を猛然と読みながら、彼女は断言する。
「あたしは飛べたから──きっと今だって飛べる」
その言葉と同時に彼女は、操舵用の水晶をそれぞれの手で握りしめた。
椅子に備え付けられた二つの水晶は、ぼう、と幻想の青い輝きを見せた。
同時に言語機関が獣の咆哮のような唸りを上げ、ぐん、と浮き上がる感覚が襲う。
「ちょっと、5《シュンフ》さん、扉ぐらいしめ」
「大丈夫」
何が大丈夫なの、と言おうとしたが、しかし5《シュンフ》は決然と顔を上げて、
「飛んでみるから!」
その瞬間“竜もどき”は翼を広げた。
水晶に光がともり、想念の両翼が羽ばたき、工房の天井を突き破っていた。
衝撃が伝わり、トリエは思わず頭を打つ。
あまりにも強引な飛行。
ドーム内を不格好な“竜もどき”が、やはり変な軌道で飛んでいる。
「──あは」
そのさなか、5《シュンフ》は楽しそうな笑みを浮かべていた。
思わずトリエはドキリとする。彼女がそんな風に笑うのを、その時初めて見たからだ。
「飛んでる。飛んでる。また──飛べてる! あたし!」
いつも茫洋と澱んでいた瞳に、光が灯っていた。
そうトリエには見えた。
彼女は快活に、楽しそうに、そして泣きながら空を飛んでいるのだ。
「ねえ! 見て私! 飛んだ! 飛んだよ!」
彼女はそう言ってトリエを見上げて、
「飛んだよ──姉さん」
そう呼ばれた時、トリエは思わず目を見開いた。
「あ」と声が漏れる。5《シュンフ》もまた目を見開き、口元を手で押さえていた。
その瞬間、二人の時間が静止したように感じた
「おい、馬鹿者落ちるぞ」
竜のアランの声に、トリエが顔を上げる。
「5《シュンフ》さん! 飛んで、飛んで」とトリエは叫びを上げた。
態勢を崩しかけていた船を、慌てて5《シュンフ》が操る。
「……7《ジーベン》を拾うから」
5《シュンフ》がそう言うと、“竜もどき”が翼を羽ばたかせる。
大周りに旋回し、工房の前へと向かう。
その先で、7《ジーベン》とヴィクトルが刃を交えているのが見えた。
一進一退の攻防を続けているようだった、7《ジーベン》はこちらの接近に気づいたのか、顔を上げる。
「来て、来れるでしょアンタなら!」
5《シュンフ》が声を張って告げた。
その言葉を受け、7《ジーベン》はその手に持った偽剣を鞭のような形状へと変形。
一瞬の跳躍との組み合わせで、空に飛ぶ“竜もどき”へとその刃をひっかける。
「ヴィクトルがっ!」
7《ジーベン》の離脱をヴィクトルが黙ってみているはずもない。
彼は手を上げ、不可視の剣撃によってこちらを穿とうとする。
通常の偽剣からどう考えても射程外だが、ことヴィクトルに関しては、その剣の性質故ここまで届き得る。
「『ヴァラディオン』」
だがそれを阻んだのは、やはり5《シュンフ》だった。
彼女はその手に出現させた剣を片手で握りしめ──炸裂させた。
『ヴァラディオン』は『可変式フーブゥ』と同じく特殊な機構を搭載した偽剣である。
剣身の六つの子騎へと分離させ、それぞれに刻まれた天使Viaの物語群によって、剣は飛び上がる。
つながりのない選集を一つにまとめる。
そのコンセプトの基に設計された偽剣であり、5《シュンフ》によって放たれた子騎がヴィクトルへと襲い掛かる。
子騎は単純な動きしかできないが、しかしヴィクトルが一人である以上、対応せざるを得ない。
その隙に7《ジーベン》が“竜もどき”の核まで登ってこようとする。
そんな彼にトリエは手を伸ばすが、
「さて、何故手を伸ばそうとする? 彼らは君を殺そうとしているのだぞ?」
竜のアランの声が響いた。
「そこの5《シュンフ》という女はどうも御しやすそうだし、抜け目がなさそうなこいつだけでも蹴落とすのもありだぞ、トリエ」
トリエは首を振って、
「どうせ終わるなら、終わり方を選びたいでしょう?」
そう呟いて、7《ジーベン》の手を取った。
彼はトリエの手を握り返し、さっとその身を核の中へと引き入れた。
がた、と音を立てて7《ジーベン》が入ってくる。同時に核の扉が閉じた。
「飛ぶよ」
5《シュンフ》はそう言って、“竜もどき”を羽ばたかせた。
急加速がかり、その勢いのままドームの天井を突き破る。
青い空が見えた。
濃い幻想がきらきらと光る、きれいな空だった。
眼下には荒野を走る芋虫、言語機関車がいる。
もう既にヴィクトルの剣も届かないだろう。
再び自分は逃げていくのだ。
もうあの部屋がないことには一抹の寂しさを覚えるが、しかし楽しそうに笑う5《シュンフ》の横顔を見ていると、なんだか晴れやかな気分になっていく。
あの時計塔の街の時よりも、ずっと……




