94_銀色の樹を越えて
トリエ。
5《シュンフ》、7《ジーベン》。
そして竜のアラン。
彼らで過ごしたその一室は、あまりにも呆気なく破壊されていた。
5《シュンフ》がずっと見ていた窓は割れ、割れた結晶が床に散らばっている。
せっかく掃除していた家具類はひしゃげ、あの料理らしきものが行われていたテーブルも砕けてしまっていた。
穴の開いた窓から猛烈な風が流れ込む中、トリエは5《シュンフ》に抱えられていた。
灰色のカソックに包み込まれるような気分だった。見上げると5《シュンフ》は素顔を晒していて、敵意を込めた眼差しでヴィクトルをにらみつけていた。
「ふむ、あの針金剣士はいないのか」
対するヴィクトルは、肩透かしを食らったような口調で言った。
針金剣士というのは7《ジーベン》のことだろう。
彼はまだ戻っていなかった。この時間はまた工房かどこかにいるはずだった。
「しつこい男もいたものだ」
竜のアランが呆れるように言った。
その言葉通り、ヴィクトルは時計塔の街でこちらを取り逃がして以来、こちらを追う方法を探していたのだろう。
どうやってやったかは知らないが、今日、ついにこの機関車までたどりついたということらしかった。
「…………」
5《シュンフ》はヴィクトルをにらみつけたのち、
「直してもらっていてよかった──『ヴァラディオン』」
5《シュンフ》はそう呟き、偽剣を手元に抜いた。
『ヴァラディオン』は刀身に継ぎ目のある、銀色の偽剣。
間庭役長剣を両手で握りしめながら、5《シュンフ》はヴィクトルと相対する。
「その剣も、珍妙なギミックがあるんだったな」
ヴィクトルの言葉を無視して、5《シュンフ》はトリエに囁いた。
「しっかり捕まっていて、とりあえず7《ジーベン》と合流するから」
次の瞬間、5《シュンフ》とヴィクトルは共に跳躍をした。
ごっ、と半壊していた壁を突き抜け、二人は部屋を飛び出る。
ドームの内部、柱を中心に枝のような細い通路が重なり合っている。
ごちゃごちゃと散らかったごみを踏みしめ、枝から枝へと跳躍。
墜ちる──反射的にそう思ったトリエは目を瞑った。
一瞬の浮遊感と、衝撃。
そしてさらなる跳躍。
途中、工具を運んでいた小鬼たちが目を丸くしたのが見えた。
無理もない。
ドームに内部に張り巡らされた通路、枝から枝への跳躍など、自殺行為に等しい。
一歩でも踏み違えれば真っ逆さまに墜ちる。
下を見れば、こちらを見上げる人々が豆粒のような大きさであり、その高さにトリエは目を見開く
それでも5《シュンフ》もヴィクトルも一切の躊躇は窺えなかった。
それは一度交戦しているが故、互いの力量を把握しているためだろう。
時に滑るように墜ち、時に連続で跳躍で駆け上る。
連続の跳躍で、彼らは舞うように跳んでいた。
縦横無尽に駆け抜ける5《シュンフ》に、トリエは必死にしがみつく。
時計塔の街と同じ構図だった。しかしこんなに彼女は細い身体をしていたのか、とトリエはどういう訳か思ってしまった。
きっとこの身体は、最弱の名を持つ、自分よりも弱く、華奢に思えて──
「行くよ、捕まってて」
──けれども、そう告げる5《シュンフ》の顔は凛々しく、芯の通ったものに見えた。
鋼色の道から道へ二人は跳ぶ。
が、と轟音が響き渡った。
トリエは、きゃっ、と思わず声を漏らす。
土煙が上がる。
見れば、通路の一角が破砕されていた。
ぎいいい、と音を立ててひしゃげていく。
「アイツ、このドーム内で剣を撃ったのか」
5《シュンフ》の背中越しに、トリエは見た。
ばさばさとコートを揺らしながら、佇むヴィクトルの姿。
彼は楽しそうに哄笑し、こちらを追い詰めようとしている。
その姿に、トリエは本能的な恐怖を覚えた。
彼のことが理解できなかった。
自由軍にいたころから気狂いなどと言われていたが、本当に──そうとしか言いようがない。
「とにかく7《ジーベン》と合流しないと」
「……工房にっ!」
「んっ! 何!?」
そこで、はっ、とトリエは顔を上げた。
7《ジーベン》がわざわざこの前、自分を連れ出した。
そして、ここから飛び立てる足を自分に見せた。
もしもの時に覚えておけ、とも彼は言っていた。
「工房に、たぶん7《ジーベン》はいるし、待っているとも思う」
「────」
5《シュンフ》は一瞬逡巡するように目を瞬いたが、再びヴィクトルの“早撃ち”が通路に炸裂したのを見て、頷いた。
「上にいって! この前連れていかれたから、覚えてる!」
トリエは5《シュンフ》に必死に叫びを上げた。
ぐるぐる回る視界は気持ち悪かったが、ここで目を瞑ってはいけないのだ。
「7《ジーベン》という男は、この事態を予想していたのか。しかし何故だ、予想しているのはまだしも、何故対処法を教えておく?」
竜のアランが何かを言っていたが、無視をした。
5《シュンフ》の身体を抱きしめながら、彼女を工房へと誘導した。
──果たして、そこに7《ジーベン》はいた。
その時の彼は、仕事に出ている時の魔術師服ではなかった。
灰色のカソックを纏い、剣の仮面を纏っている。
そして彼の足元には、工房の魔術師たちが倒れ伏している。
そこにいたのは異端審問官としての、彼だった。
「行きなさい、5《シュンフ》。奥に翼と足があります」
「了解、助かるわ」
最低限の言葉だけを交わしたのち、二人はすれ違った。
その淡々とした所作は、あの部屋での二人とは何もかもが違った。
その事実にトリエは胸を締め付けられるような心地だった。
「奥に行けばいいんでしょ? あたしに教えて」
5《シュンフ》の言葉にトリエは頷く。
またしても、自分は逃げなくてはならないのだ。
◇
「まったく、翼人に自分を運ばせるとは……どこにそんな執念があるのです」
工房前にて待ち構えていた7《ジーベン》は呆れるように言った。
「我が好敵手か。待っていてくれるとはありがたいものだ」
対するヴィクトルは7《ジーベン》の姿を見るなり、またしても楽しそうに声を上げて、笑った。
そして手首に巻いた鞘を見せつける。
彼の剣は見えない。巨大な剣による不可視の剣撃こそ、彼の最大の武器だった。
「誰が好敵手ですか」
「あの時は結局勝敗はつかなかったからな。次こそは俺の“早撃ち”が貴様を越えよう」
「勝敗などくれてやりますから、どこかに行ってくれませんかね」
7《ジーベン》はそこで髪をかきわける。
その手には偽剣『可変式フーブゥ』がある。
短剣形態から、既に鎌の形まで刃は展開されていた。
その刃を見て、ヴィクトルが満足げに口笛を吹く。
そうして戦いの火ぶたが再び切って落とされる──
「ところで一つお聞きしたいのですが」
──直前、7《ジーベン》は尋ねていた。
「貴方、あの5《シュンフ》と通じていませんか?」
と。




