93_転換
翼人、という種族がいる。
読んで字のごとく翼を持つ人間であり、妖精や霊鳥と違い、身体も大きさも他の種族と変わらない。
華奢な身体つきに、5歳程度で翼を得る彼らは、各地の大神樹に多く住んでいる。
そのルーツには諸説あるが、ある者は妖精の流れを汲むと言い、またあるものは神話時代の天使が物質的に堕した存在だと言う。
とはいえ、翼以外のその言語構成的は物質寄りとなっており、
そのため完全に閉じたコミュニティの中に存在する妖精と違い、独自の言語も持たず、他の人間との交流もよく行っている。
中でもその翼を生かした“運び屋”業を行っている者は多い。
個人が安全に街から街へ移動するためにも、彼らの翼は当てにされていた。
「この風、善き風、昂る風だ……」
「上機嫌ねぇ、ヴィクトル」
「そりゃそうだ。あの機関車にはなんと劇団が乗っているらしい」
彼らの抱える籠に収まりながら、目深に帽子をかぶった“ガンマン”は揚々と声を上げた。
それと同じ籠に、縮こまるように白い猫が収まっている。
「劇団ですか。旦那ぁ、劇はお好きで?」
頭上から“運び屋”の翼人の野太い声が聞こえる。
この稼業においてベテランらしい彼は、その手で籠を掴みつつ、まばゆく輝く幻想の翼を広げ、悠々と空を飛んでいる。
漂う幻想が濃く、非常に飛びやすい空だったという。
きらめく虹色の粒子に載って、悠々と風を切る感覚は気持ちがよく、ヴィクトルはこれから始める仕事の幸先の良さを感じていた。
「劇! 劇は大好きだ。心躍る冒険、嵐のような激しい恋、この身を焦がす熱を持った決闘……」
「アンタって、ホント暇さえあれば劇見るわよねぇ」
「こりゃ熱烈なフアンでらっしゃる。俺も昔はよく見たねぇ、この時代、その手の娯楽なんざ贅沢中の贅沢だ」
牝猫のサアの声や、翼人の言葉にヴィクトルは気分よく頷く。
なんといってもこの仕事が終われば、その足で劇に行けるのである。
そう思うだけで、ヴィクトルは鼻歌でも歌いたい気分になるのだった。
「……その前にアンタ、ちゃんとやることやるんでしょ?」
「そりゃあ、もちろんだ。仕事があるからな。きっかりとやることを殺ってから、進むべきだろう」
「ううん? 旦那ぁ、なんだって?」
ヴィクトルはサアにそう返しつつ、手首に巻かれた《ソードリスト》を撫でた。
口元は獰猛に歪められていた。
彼の狙いは変わらず──
◇
その日も穏やかに過ぎていくかと、トリエは思っていた。
この機関車に来て、だいたい二十日ほど経っただろうか。
次の街の停泊の話もちょくちょく耳に入る頃だったが、しかしまだその日は来ていなかった。
だから朝働きにいった7《ジーベン》に挨拶した。
その日も腰を上げて掃除を始め、竜のアランと適当な会話をしつつテキパキとはたきを握った。
まだ寝ていた5《シュンフ》は、寒そうだったのでシーツをかけてあげた。
そして、食事を挟む頃になると5《シュンフ》が起き(気づいたのだが、彼女は実は目覚めがひどく遅い)、用意されたパンを食べる。
そののち、買っておいた本を5《シュンフ》と共に読む。
トリエが読めない言語も、5《シュンフ》はよく知っていて、時には読み聞かせもしてくれた。
そうしていると、最後に劇ぐらいは見れるかもしれない、とそんな気分になっていた。
おそらく自分は次の停泊先で、殺される。
だがその前に、頼み込めば劇ぐらいは見せてくれるかもしれない。
5《シュンフ》や7《ジーベン》の監視の下でいい。むしろ一緒に見たいと思っていた。
そんな風に考えていた、夕暮れ時だった。
「────」
5《シュンフ》が不意に顔を上げた。
「うん?」とトリエが首をかしげる。
仮面を取り、穏やかに本を読んでくれていた彼女が、突然険しい顔をしだしたからである。
彼女はじっと扉の方を見つつ、おもむろに手首に触れた
一体何が、と問いかけるより早く──5《シュンフ》はトリエの身体を抱え、跳んだ。
途端、扉が轟音と共に跳ね飛んだ。
炸裂する破壊の光。軋む木の音。つい今しがたまで二人がいた場所を、不可視の剣が抉り取っていた。
跳躍によってそれを躱した5《シュンフ》は、立ち上る煙の向こうに立つ見覚えのある男を見た。
「──さて、助けに来たぞ。聖女サマ」
猫を連れた、帽子の“ガンマン”はひどく楽しそうな口調で言った。
「殺してでも連れに還ろう。そして、死してなお、自由軍の旗となってくれ」




