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虚構転生//  作者: ゼップ
聖女エリスとさかしまの城
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07_“犠牲”の聖女


「――ありがとう、ロイ君」


エリスは碧色の瞳で田中をまっすぐと見つめながら、頬を上気させて言う。


「貴方は私の“犠牲”になるためにやってきてくれたんだね」


まるで待ち焦がれた運命の相手にささやくような口調だった。


「私の大切で愛しい人! ロイ君なら思う存分に犠牲にできるもんっ!」


その叫びとともに光が田中を貫く。

身体の中心にあるべき大切な何かを“抉り”取られる感触が走った。

意識が遠のくとともに異様な吐き気がロイに襲い掛かった。


「“犠牲”の第六聖女は殺生が好きと見た」


仮面の男が舌打ちをし、田中の身体をかばうような形で前に出る。

真っ黒な刀身の剣をエリスへと振りかぶるのが見える。思わず田中は声を上げる。

けれどもエリスは顔色一つ変えなかった。見えない斥力が発生し、振り放たれた刃を弾いていた。


態勢を崩した仮面の男に対し、エリスはそっと手を伸ばし、


「私はあの街を守らなくてはならないの! だからっお願い!」


――どこかに消えて。


エリスの口元がそう動き、一筋の閃光ビームが男の身体を貫いた。

ぶち抜かれる臓物。飛び散る鮮血がきらめき、肉が焼ける厭なにおいがした。


どさり、と音を立てて男は倒れ付す。


一瞬の出来事に田中は頭がついていかない。

だが身体を貫く激しい痛みの中、彼は必死に意識をつなぎとめ、エリスを見上げた。


「ありがとうっ! ロイ君は頼りになる奴だった! なんたって神話の国から来た人だ!」


エリスはニッコリと笑って言う。

弥生と似た顔で、しかし決して同じではない顔をした聖女は、そう田中に語りかけるのだ。

そんな笑顔に田中は何も言うことができなかった。

言うべきことがあったはずなのに、すでにそれは胸の中から消えてしまった。


そのタイミングで、カツン、カツン、と音がした。


「第六聖女エリス。幼少期より自らの空想を物質化させる奇蹟を見せていたことが確認されている。

 だがその代償として、君は大切なものを喪うわけだ」


その声は、田中の頭上に唐突に響きだした。


「聖痕は“犠牲”。君の力には必ず何か捧げるものが必要だった。

 君は自らの記憶を“犠牲”にしていたわけだが、ここにきて心変わりか?」


仮面の女、もう一人の異端審問官だった。

彼女は抜き身の剣を持ち、エリスと相対している。床に転がる男と田中を見ることはない。


「心変わり? 違うよ、私はただ“犠牲”が悲しかっただけ」


エリスはそこでひどく悲しそうな顔を見せた。

胸を押さえ、下唇をかむ。ここに至るまでの苦悩を思わせる表情だった。


「私は力を持っている。この荒れ果てた世界を救うことができる力」


次の瞬間には、エリスは空にいた。

異端審問官が見せた跳躍ステップに酷似した動きだった。

彼女はそうして翼もなしに空を飛んでいる。息をするかのように、当然の動きだった。


大地に張り付く広大な街を背に、エリスはよどみなく語る。


「虚構の空に浮かぶ“さかしまの城”の主として、聖女エリスはあの街を守らないといけない。

 だけどこの力で捧げることができるものは、もうほとんど差し出しちゃった」


からっぽの城を思い出す。

ここには何もなかった。人は主であるエリス以外には誰もおらず、装飾は剥げ、宝など何もない。


「だから私は“思い出”を差し出すしかなかった。

 私の大切なモノはもうそれくらいしか残っていなかったから。

 毎日一日分の記憶を“犠牲”にして、あの街を守っていた」


エリスは聖女としての力を使うたびに記憶を喪っていた。

それしかなかったから、とエリスは言った。


「大切なモノじゃないと“犠牲”にできないから。

 何もない私には、もう私自身くらいしか、大切なものが残されていなかった。

 そしてそれは記憶……私が私である証……」


彼女はそう言って首から下げた手帳を握りしめる。

ロイに渡されていたその手帳は、いつのまにか彼女の手元に戻っていた。

使い込まれ、しわくちゃになった日記帳。

“犠牲”として削られていく己自身を、彼女は言葉としてそこに刻んできた。


「でもロイ君は違ったの。

 ロイ君を見た瞬間、何故だかビビッと来たんだよ!」


そこで彼女は、パッ、と顔を明るくした。

溌溂に、快活に、上機嫌に彼女は、くるり、と空を舞ってみせる。


「突然現れて私を助けてくれたロイ君。

 出会った瞬間に安心感が胸から湧いてきた。なんでかな? 自分でもわからない。

 だから今まで誰にも見せたのことない、私の本だって見せちゃった。

 恥ずかしかったけど、でも、うれしかったのっ!」

「興奮して言うな、気持ちが悪い」


昂ぶりをにじませて言うエリスを、仮面の女は一言でそう切り捨てた。


「やれやれ、この城で淋しく自慰オナニーに耽っているだけならよかったのに。

 こうして傍迷惑なことをするから、私みたいなのが出張ってくるんだぜ」


そこで仮面の女は、ちら、と床に転がる男を見た。


「8《アハト》、あれだけ強かった君がこんなところで死ぬのね」


そこで女は「あははっ」と笑った。

ひどく乾いた、投げやりな笑い方だった。


「異端審問官は、人斬りの君にとって天職だったろうに、悲しいわ」


抑揚のない口調で言いながら、女は視線を外して剣を向けた。

そうして空に立つエリスへ向かい、跳躍ステップしてみせる。

ダ、と乾いた音が響いた瞬間、彼女は空にてエリスに向けて剣を振り放っていた。


「ああ! 私の敵! ロイ君を“犠牲”にして私はこれを撃つの!」


地上の街と虚構の空の間にて、二人の影は交錯する。

その戦いを呆然とロイは見上げていた。


「――ああ、1《アイン》に置いていかれてしまったか」


すると隣から、声がした。


「フフフ……せめて、せめてもう一度×りたかったものだ。もう一度だけ、あの感触を――」


8《アハト》と呼ばれていた仮面の男は、かすれた声を漏らしていた。

その胸には大きな穴が開いており、だくだくと血が流れている。

彼が死ぬのはもはや時間の問題であった。


から、と音がした。

男の仮面が外れていた。剣の紋章が刻まれた仮面が取れ、男の顔が露わになっていた。

精悍な顔つきをした男は、頭上にて行われている剣と閃光の戦いを見て、目を細めた。


「貴方、俺を助けようとしてくれたのか」


その素顔を見て、田中は思わず声をかけていた。

すると彼は「おお、お前がいたか」と漏らし、


「忘れていた。任務中にちょろちょろと邪魔な男が増えたと思ったが」

「ひどい、言いようだな。一緒に死にそうになってるのに」


そういって田中は笑おうとして、うまく表情を作れず顔をゆがめた。

“犠牲”にした、とエリスは言っていた。その言葉の意味はわからない。

しかし田中は急速に意識が薄れ、身体から力が抜けていた。

まるで己の存在そのものがかき消されていくような、強烈な喪失感が全身を襲っていたのだ。


それゆえに、彼は確信している。

このままでは自分は――死に至る、と。


夢にしても、あまり楽しくない結末だった。

消えゆく自分と、空で楽しそうに戦うエリスを見てそう思わざるをえなかった。


「一緒に死ぬ、か。まぁ恐らくはそうだな。

 拙者オレは単なる不注意だが、そちらはとばっちりのようなものだろう」

「わからない。何もかもわからないままだ。気づいたら死んでいた」


結局エリスのことも、この世界のことも、弥生のことも、何一つわからない始末だ。

そう告げると、8《アハト》は声を上げて笑い、そして血を吐いた。

が、それでも笑っている。その様子に田中は思わず声をかけていた。


「貴方は死ぬのが怖くないのか?」

「何?」

「冗談みたいな状況なのに、俺は笑えなかった。でも貴方は笑っている」


そう言うと、8《アハト》は再度笑った。

それは今しがたの笑みとは違う、獰猛で、凶暴な笑みだった。

ぞっ、と田中は背筋が凍る。それは人でなく野獣が浮かべるものに近く感じられたのだ。


拙者オレはな、実は気が違っているらしくな。困ったことに怖いとは思わない。

 ただ――」


8《アハト》は言う。

血まみれの顔で、田中を見据えながら言うのだ。


「一つだけ、悪辣なことを考えた。

 この身の“乾き”を潤すために、ちょうどいいところにお前がいる」


ニィ、と口の端を吊り上げ、その勢いよく田中の身体を拳で打ち据えた。

薄れる意識を醒ますような激烈な痛みが走る。


8《アハト》の手は田中の身体を貫いていた。

真っ赤な血が、田中の身体から噴水のように飛び出した。



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