63_死
分厚い雲に覆われた街。
過去、多くの冒険者たちが行きかっていたこの場所も、今では忘れ去られている。
もうすでに人はあきらめたのだ。
この奥へと進むことを、迷宮の奥には何もないのだと、あきらめてこの街を捨てた。
そんな場所で、“不殺”の剣士と“無血”の少女は相対していた。
「また、貴方ですの」
“無血”のマルガリーテは軽蔑するようにそう言い放った。
痣だらけではあるが、しかし彼女の眼差しは強かった。強い目でキョウと、その向こうにいる田中を見ていた。
「…………」
対するキョウはじっとマルガリーテを見据えていた。
「私、あの人たちに暴行されましてよ。
まぁ“教会”の人なら珍しくもないのでしょうね。こういう野蛮な真似は。
だから、私がこうしてやり返すことに、なんの問題がありまして?」
マルガリーテはそう言って笑ってみせた。
そして漆黒の偽剣をひけらかすように、ぶうん、と振ってみせる。
「邪魔ですわ。どいてくださいまし。
あとのことはその人たちを排除してから決めますわ。
貴方の子どものワガママのような“不殺”に付き合ってる暇はないんですの」
「……別に」
キョウは少し迷ったように視線を動かしたのち、
「別に貴方が間違っているとはいいません。
悪いのはロイ君たちです。私だって、さっき襲い掛かってきた人は退けました。
だからきっとマルガリーテさんは、正しいんだと思います」
「なら、そこをどいてほしいものですわ。そうでないなら──貴方ごとですわ」
そう言ってマルガリーテは声を上げて笑った。
しかしキョウは首を振って、
「どきません。私は、誰かが誰かを殺すところを見たくないんです」
「あらそう、でもなんのため?」
「……私が、厭だからです」
「それ以外は何もない癖に! よくもまぁ言ったもの!」
マルガリーテはひどく軽蔑したように言った。
「空っぽの貴方に、私は負けませんわ。
私は絶対に成し遂げたいことがある。成し遂げたい理想がある。そして胸には“希望”がある。
だからここまで来れた! 私は諦めない!
何の力のない少女でも、聖女様のように世界を救えるの!」
「いいや、君には無理だろう」
そこでまたの声がした。
空より黒い影が、ばさ、ばさ、と翼を広げながら降りてくる。
「君は自らの生き方に対し、あまりにも不誠実過ぎる」
リューであった。
彼はキョウを守るように廃墟に降り立ち、マルガリーテをその金色の瞳で見上げた。
「不誠実? この私のことかしら?」
「ああ、そうだよ。自称・過激派平和主義者さん」
リューは淡々と、しかし突き放すような口調で言う。
「いや、本当は口を出すつもりはなかった。
私はキョウの保護者であり、味方であるが、親ではないし、代弁者でもない」
「あらそう、しかしそこの不殺剣士さんは、貴方がいないとどうにもならなそうですけども」
「そんなことはないさ。キョウは自分に何ができないかをよくわかっている」
あら、とマルガリーテは不思議そうに首をかしげた。
「何ができるか、ではなくて?」
「違うさ。人は自分が思うほどには、何事も上手くはできないものだ。
だから貴重なのさ。キョウのような、身の丈をわきまえた人間がね」
「その結果が、無鉄砲で向う見ずな“不殺”でして?
はっ! 笑ってしまいますわね。それでは何も為せませんことよ」
「キョウは何も為そうとはしていないさ。
ただ自分が厭なことを、自分の手で退けているだけだ。
だが君は、どうだろうか? 君は本当にそれで自らの目的が達せられると思うのかい?」
嘲るマルガリーテに対して、リューは告げた。
「君は“無血”の世が欲しいと言った。
どれほど血を流しても、その“終わり”に幸福な世が訪れればいいと」
「ええ、そうですわ」
「おかしな話だ。何時だ、何時“終わり”が来るというんだ」
「はい?」
「だから、何時君の目的が達せられたと君は断定するんだ。
血を流し、屍を積み重ね続けて、それで君はそれを何時“終わり”にする」
「勿論、それが不要になった時ですわ」
はっ、と今度はリューが彼女のことを笑ってみせた。
「いいや、君に限ってはそんな日は訪れるまい。
この調子でいけば、確かに君は理想の近くまで行くことができただろう。
だが、最後の一歩がどうしても埋まらない。たどり着けない。
自分に嘘を吐くようなやり方でしか前に進まなかった君では、築き上げた理想に満足することができない」
仮にだ、とリューは言う。
「君の目論見が成功し、君だけの軍隊によって平和を築けたとしても、君は止まらないだろう。
少しでも意図から外れるものがあれば、高き理想を持つ君は許容できない。
まだ終わっていないと思う。たどり着けていないと思う。
だから君はまたその手を血に汚すことを許す。それしかやり方を知らないからだ。
血を流し目的を排除し、また一歩目的に近づいた、と思う。
だがそれでもまだ完璧な“無血”には程遠い。また不和が起き、君は血を流す」
「何を言うのです……このっ……!」
眉間に皺を寄せたマルガリーテは偽剣をリューへと向けた。
フィジカルブラスターが発射されれば、MT加工の防具を纏っていないリューでは一たまりもないだろう。
だがリューはあくまで態度を変えず、
「撃つか? いいだろう。君は厭なことがあると、そういう手段に出るんだな。
その結果、君はどうやってもたどり着けはしないんだ。
この世は物語ではない。だから完全無欠な“終わり”なんてものもない。
終わらない世の中にあって、君は満足を得ることなく、血を流し続ける」
「議論を交わすつもりはございませんわ」
「何故だ? 君が血を流さないというのなら、私と言葉を交わすべきだ。
私を納得させるべきだ。
しかし君は暴力という手段を取ろうとしている。
それでは異端審問官と同じ、そして──キョウとも同じだよ。
短絡的でどうしようもなく、楽な手段を使おうとしている。
それに慣れてしまっているからこそ、私や田中君の説得をハナからやろうともしない。
どうせ人は分かり合えない。理解できない。
そう思うから暴力を許容する。そして延々とそれを続ける」
リューはそこでマルガリーテに対して、告げた。
「だから当然、辿り着けない。
君の手は何時まで経っても汚れ続ける──マルガリーテ・グランウィング」
その言葉に彼女は自然との純白の手袋に触れていた。
「…………」
そして、黒い閃光が走り、リューをまっすぐと貫いた。
黒い羽根が飛び散り、鮮血がぶちまけられる。
「叔父様!」とキョウが甲高い声で叫びをあげた。
マルガリーテは無言でその様を見ていた。
何時もの虚飾にまみれた微笑みを消し、ただ無表情に自らが手を下した死を見つめていた。
返り血が彼女の頬にかかっていた。純白の手袋も汚れてしまっていた。
しかし、それもすぐに拭い去れば同じことだった。
目の前の殺人を許容したこともあった。他人を誘導したこともあった。
しかし、彼女が自分の手で明確に人を殺したのは──それが初めてであった。
彼女を知る者がいればこう言うだろう。
それは“堕落”である、と。




