61_拷問
「……私、実はこう見えて結構、由緒ある家柄の人間だったんですよ」
鏡の先では、夜が広がっていた。
扉を潜り抜けると、そこはそれまでの青空はない。
薄暗い夜空に、流れる雲、そして碧色の月が浮かんでいるのだった。
「王朝時代には騎士の名を持っていたとか、家宝として神剣を持っているとか、子どもの頃いろいろ聞かされました。
どこまで本当かはわかりません。
私が子どもだった頃には、全部なくなってしまいましたから」
吹きすさぶ風の中、田中とキョウ、そしてリューは歩いていた。
「家も、剣も、名も、人も……」
田中は何も言えなかった。
肩に止まっていたリューも何も口を挟むことなく、彼女の述懐に耳を傾けていた。
「だから私はキョウ。それ以外の何物でもないキョウなんです」
そう言って、彼女は笑ってみせた。
それは特に沈んだ様子もなければ、力んだ様子もない。
何時も通りの笑みだった。
田中は“雨の街”での出来事を思い出していた。
己の生き方を心理的外傷と彼女は述べていた。
それが何であるのかはわからない。
彼女が家族と何があったのか、何故“不殺”をずっと語っているのか。
だが“理想”の奇蹟を彼女は拒絶してみせたのだ。
これ以上何を望めばいいのかわからないから、と。
彼女は理想など持っていなかった。目的も目標もなかった。
だからこそ、アマネの力を拒絶できたのだろうと、田中は思っていた。
「……そんなこと、俺に話していいのか?」
「え? まぁ、その、半端に聞かれてしまいましたし、少しだけ話してもいいかなって。
相手に心を開かせるには、まずこっちから開かないといけないって、リューにも言われたんです」
「他人の受け売りだということは、言わなくてもいいぞ、キョウ」
呆れたようにリューは言った。
田中は一瞬顔を綻ばせてしまいそうになるが、自分には許されないことだろうという想いが胸に沸き、すんでのところで止めた。
「何故、ここに居る。この“たまご”で何をしていたんだ、君は」
代わりに務めて平坦な口調でそう尋ねた。
「何故って、言ったじゃないですか。待っていたんですよ、ロイ君を。
聖女様の近くに行けば会えるかなって思って、それで」
「何故、待っていた」
「人殺しを止めるためです」
何を当たり前のことを、とでもいうような調子だった。
「今の時代、俺以外にもそんなもの、溢れているだろう。
殺しを止めたいなら、俺以外も選べたはずだ」
「ロイ君ほど危なくて、不安定で、目を離せない人なんてそうそういませんよう」
「大分、コントロールできるようになったさ」
少なくとも“転生”当初のような、誰を見ても殺してかかってしまいそうな衝動は収まっている。
正確には今だって胸には渦巻いていたが、衝動に敗けるほどではない。
何時でも殺せるし、殺したいとも思っているが、それがすべてではない。
「いいえ、そういうことじゃありません」
そう答えるとキョウは首を振った。
「ロイ君は、強い芯があるように見えて、なんていうか、こう、実はぐちゃぐちゃななんです」
「意味がわからない」
「ええと、わかるんです。私とロイ君、本当に色々正反対だから」
歯切れ悪く彼女はそう言った。
その胸に湧いた想いをどう言葉にすればいいのか、彼女自身わかっていないようにも見えた。
「さっき田中くんが一緒にあの人の言葉も、きっと正しいんです。
私には目指したい場所も、達したい目的も、成し遂げたい理想も、欠けちゃってるみたいで」
「…………」
「でも田中君は全部持っていますよね。
絶対にやりたいことが、芯としてある。でもその方法が見えてないんですよ、きっと。
私は、でも逆に……」
キョウはしばし迷ったように顔を俯かせた。
先ほど受けたマルガリーテの糾弾について、やはり思うところがあるらしかった。
そのうえで、ぶんぶん、と首を振り、
「それで」
と、そこでキョウは改まった口調で言い、こちらを覗き込んできた。
「そっちこそ、何でこっちについてきたんですか!」
「…………」
再びそれを問われた田中は、思わず鞘に触れていた。
「答えられない」
しかし、田中は剣を抜くことはなかった。
ただそう答え、彼女に背を向けて歩き出した。
「まぁ無理だろうな、君は」
後ろでぼそりとリューの声がした。
その上から見下ろされるような言葉に反感を覚えたが、田中は黙って進んだ。
既にこのフロアの扉は見えていた。
キョウは駆け出して田中に並ぶと、二人でその扉を開いた。
「うわっ、広い」
暗がりのフロアから急に開けた場所に出て、キョウはそう漏らしていた。
その先にあったのは、朽ち果てた街のフロアであった。
曇天の下に生成される廃墟に、聖女の歌が響き渡っている。
そこを二人は砂利を踏みながらも進んでいく。
「歌が……」
田中は思わず呟いていた。
「歌が、近くなってきた」
聖女が近くにいる。そう思うと、ぐっと掌が握られた。
耳をすませば既に歌詞まで聞き取れる域なのだ。
“堕落”の名を冠した三番目の聖女に、もうすぐ会うことができる。
「う、うぅ……」
そこで田中ははっとした。
歌に紛れる形で、少女の苦悶の声がフロアに響いていることに気づいた。
その苦しみの声はどこか聞いたことのある声音をしていた。
田中は『エリス』を抜き、跳躍。
分厚い雲に覆われた廃墟の街を跳び、声の下へと急いだ。
「あ、ロイ君。追いつけたんだ」
予想通り、そこには見知った顔がいた。
4《フィア》が血のついた顔を上げこちらを見上げていた。
「うぅ……あ」
もう一人、金髪の少女は苦痛に顔を歪めながら地に伏している。
彼女、マルガリーテは両手両足をズタズタにされ、その白い肌に青黒い痣が出来上がっていた。
注目すべきこととして、血は一切出ておらず、命に別条はなさそうであった。
それはあくまで苦痛を与えるためだけに行われた暴行なのであった。
「面倒だから、ぶちのめしちゃった」
4《フィア》はあっけらかんとそう言うのだった。
彼女のその手には分離二刀タイプの偽剣『メルレピオン』が握られている。
「あ、その……動かないで」
そこで足をビクビクと痙攣させたマルガリーテに対し、4《フィア》はゆっくりと刃を薙いだ。
敢えてゆっくりと走らされたであろう刃を受け、彼女の喉から苦悶の声が漏れた。
マルガリーテは玉のような汗を浮かべながら「はっ、はっ」と荒い息を漏らしていた。
しかしそこまでやってもその肉から血は一切出ない。
苦痛のみ伝え、その身に致命傷を与えないのである。
「あの“不殺”とか言ってた剣士……殺しちゃったの?
ダメ……だよ、先輩である私の言うこと無視しちゃ」
4《フィア》は頬を膨らませながら言った
「でも気持ちはわかるよ、ロイ君。私もあの娘のこと、嫌いだもん。
だってあの娘の使ってる偽剣、拷問用だよ? これと同じ」
そう言いつつも、彼女はマルガリーテの膝に、ドン、と刃を突き立てた。
マルガリーテの甲高い悲鳴が響く。「うるさいなぁ」と4《フィア》は眉をひそめた。
「拷問用……?」
「絶対に殺さないって、そりゃ……そうだよ。
どんだけ傷つけても致命傷だけは与えない拷問剣だもん、アレ。
それを使って、あんな馬鹿なこと言う人、なんか……ヤダなって」
不殺剣、とキョウは言っていた。
しかし確かにその性能と、“教会”の『メルレピオン』は似た点がある。
「でも、この女もやっぱり嘘吐きだったよ、ロイ君」
4《フィア》はマルガリーテを見下ろしながら言った。
「色々怪しいって思って聴いてみたの
“たまご”について詳しいって言ってる割には出たとこ勝負だったし。
聞いてみたら、“たまご”の事情とかもほとんど知らなかったって言うから。
今までも口八丁手八丁でその場を切り抜けてきたみたいだよ……」
そう言うとマルガリーテは「うぅ……」と力なくうめき声を漏らした。
4《フィア》は、聞いた、と言ったが、簡単にそんなことは教えまい。
だからこそ教えるまで……
「詐欺師みたいな人。従ってバカ見ちゃったね……」
「……殺そう」
「うーん、信用ならないし、殺してもいいんだけど、でもなんかまだ隠してそうなんだよね。
まだ軽くしか拷問できてないし……」
田中は首を振って言った。
殺そう、と。
彼は考えるの止めたかった。すると、残ったのはその衝動だけだった。
「ええ……私先輩だよ。言うこと聞いてよ」
「……時間のロスだろう。どうせ大したことは知らない」
田中は淡々と述べた。
すると4《フィア》は「うーん、でも」と悩まし気に言ったのち、
「たぶん1《アイン》さんとかが先に行ってるし、もうゆっくり行けば、よくない……かな?」
そうしている間にも聖女の歌が響き渡っている……
◇
その最中、マルガリーテは苦痛に身を震わせていた。
既に数時間に渡って拷問を受けていた彼女は、しかし決して絶望はしていなかった。
過激派平和主義者を標榜する彼女にとって、こうした事態に陥ることは想定内なのだった。
だからこそ田中が表れたことは、
──これ以上ない、好機ですわ。
と、苦痛に顔を歪めつつも思っていた。
拷問者である4《フィア》の注意が一瞬でも逸れればいい。
そのための布石は既に打ってあるのだ。
──それでは握手を。
田中たちと初めて会ったときに、彼女はそう言って手を差し伸べた。
直接触れることを求めた。
あの時は手を弾かれたものの、同行する以上機会はいくらでもあったのだ。
「『リリークィン・0』起動しまして」
その言葉と同時にマルガリーテの純白の手袋に隠された鞘より、偽剣が現れる。
同時にあらかじめ印が撃ち込まれていた田中と4《フィア》に、漆黒の閃光が撃ち込まれた。




