55_“無血”対“不殺”
しばしキョウは目をパチクリとさせていた。
「ロイ君?」
青空の闘技場にて、二人はあまりにもあっさりと再会した。
“聖女狩り”の異端審問官の田中と、元々聖女がいる場所に待ち構えていたキョウ。
当然、何時かは再会するはずだった。
しかし、それがこの時、この瞬間だというのは、やはり偶然だろう。
「え? ロイ君? 会っちゃった?」
両者互いに、再会する覚悟など一切ないままに、二人は“たまご”の中で顔を合わせることになる。
二人の視線が絡む。キョウが戸惑いに瞳を揺らせているのが見えた。
「ねえ。知り合いなの?」と4《フィア》がふしぎそうに田中を見上げていた。
「……生きていたのか」
気を取り直した田中は鞘より『エリス』を引き抜いていた。
「確かにあの時、殺したはずだった。それでも」
「いや、嘘は良くないな、ロイ田中君」
ばさばさ、と肩に乗った霊鳥、リューがその黒い羽根を広げる。
田中は眉を広めながら、
「嘘? 俺が何の嘘を吐く」
「さて、自分の胸にでも聞くといい。
君に与えることのできる親切心は、もう品切れだ」
久しぶりに聞くこの霊鳥の口調は、落ち着いたものであることは変わりなかったが、数か月前と比べて棘があった。
その事実に田中の胸中は、すっ、と冷めていく。
曲がりなりにも同行者であった時期は既に終わった。
あの“雨の街”で、キョウを斬った時から、この関係は見えていたはずだった。
そう思い、剣を強く握りしめたが、
「──ここで会ったが百日目! かはわかりませんが! 会いましたね!」
しかし変わらず快活に響くその声に、ほんの少しだけ、握った手が緩んだ。
「私は“不殺”の剣士、キョウです。人殺しのロイ君、貴方を止めに来ました。
人殺しはやっぱりダメなんです。そこで全部“終わり”だなんて、そんなことはありません。
分かり合えないなら分かり合えないなりに、やっていくこともできるはずです。
でも、ロイ君はちゃんと人の気持ちもわかるひとですし、だからこそそんな生き方をしちゃだめです。
そう言うために! 私はここで待ってたんですよ」
キョウは、自身で返り討ちにしたのであろう偽剣使いたちを踏みつけながら、つらつらと言ってのける。
そのまっすぐな眼差しに射貫かれ、田中は迷ってしまっていた。何と答えるのか、自分はどんな言葉を選ぶべきなのか。
「──不愉快ですわ」
しかし、田中が答えるよりも先に、口を挟む者がいた。
「“不殺”? “不殺”というのは、その足蹴にしている方々を以てしての話でしょうか?」
“無血”を標榜する少女はその金髪の撫でながら、田中の前へと踏み出していた。
「ええと? うん? そちらは……」
「マルガリーテ・グランウィング。無垢にして天衣無縫の平和主義者ですわ」
「あ、どうも、よろしくお願いいたします」
傲岸に名乗りを上げるマルガリーテに対し、キョウは少しかしこまった様子で挨拶などをしていた。
だが当のマルガリーテは彼女を無視して、倒れ伏す偽剣使いたちへと駆け寄っていた。
「まったく、私たちにやられたからって、そんなにもやけっぱちにならなくてもいいですのに」
その声音は、打って変わって優し気であった。
「う、うう……」とうめく彼らの背中をさすりながら、
「キョウさんと言いましたね。彼らは貴方が?」
「え? ええと、まぁ、襲われたので……」
詰問されるように言われて、キョウは一瞬目を泳がせたのち、
「でも、大丈夫です。私とこの不殺剣なら、死んじゃったりはしませんから」
「その話は本当だろうよ」
そこで田中は口を挟んでいた。
「キョウさん……そこの女剣士が使っている偽剣は本当に人が死なない剣だ」
隣で4《フィア》が不審そうにこちらを見ている。
何か引っかかる様子だった。しかし田中は敢えて取り合わない。
「襲われたのも本当だろう。彼女は喧嘩の中には飛び込むが、自分から喧嘩を売ったりは──」
「そういうことではありませんわ!」
苛々するようにマルガリーテは声を荒げた。
「別にどちらが悪いとか、善いとか、そんなものは問題じゃございませんの。
今の時代、殺し殺されは致し方のないこと。
でも、その中にあって“不殺”なんてのたまうなんて」
本心を見せなかった彼女だったが、その声に滲む震えには、どこか真に迫るものがあった。
「貴方、人を殺さないって言ってますけど、ではこの方たちがどうすればいいのか? わかってまして?」
「え?」
「彼らはギルドからの離反組。
地上では333年稼働するとされる処刑人形たちに延々と追い回され、“たまご”の外に出れば居場所はない。
ここで盗賊や墓荒らしの真似事をしながら生きていくしかないものたちです」
マルガリーテの言葉に、倒れる男たちが小さく口を動かした。
その動きは「なぜ」と言っているように見えた。
それを察したのか、マルガリーテは、ちら、と彼らを一瞥して、
「さて、色々な伝手があるのですよ。
この“たまご”に行く前準備として、色々聞いて回りましたから。
もちろん傭兵ギルドなんかにも」
「……連れ戻しに来たのか」
「まさか。別に、彼らに義理はございませんもの。
でも、逆に貴方たちを救う理由もなかった。戦力がなければ貴方たちを利用することも考えていましたが、それも間に合いました」
代わりに自分たち異端審問官が来たという訳か、と田中は察する。
「だから私は貴方たちを救うことを選びませんでした。
いいえ、救えなかった。
目の前の者をすべて助けることなど、私にはできませんから」
そう突き放すように言い放ったのち、彼女はキョウへとその眼差しを向け、
「翻って不殺剣士さん、貴方は彼らを殺さないで、それで何をしおうと言うのですか」
「えっ! ええと、その、だって死んだら悲しいって」
「生きていても悲しいですわ、こんな時代。
そのうえで問いますわ──貴方、何故“不殺”なんてお題目を掲げているの?」
見据えられたキョウは、一瞬目を泳がせ、肩に止まるリューの方を見た。
しかし、すぐに首を振って、
「……人が死ぬのは悲しいから。厭だから、ですよ」
その言葉はどこか震えており、自信が感じられない。
だがマルガリーテはそこでニッコリと笑って、
「同感です」
「え?」
「人が人のことを傷つけることは悲しいことです。
人が人のことを思いやることができないのは苦しいことです。
その根は一緒です。一緒でしょうと、私も思っていますわ」
「…………」
二人が言葉を交わす中、聖女の歌は続いていた。
穏やかに、それでいて切々とした歌声は、未だ詞こそ不明瞭であったが、それでもますます存在感を増しているようであった。
「でも、だから相容れませんわ」
マルガリーテは、笑みを崩さずにそう言ってのけた。
「私は最後にまた、人が人を傷つけずに済む“無血”の世が手に入ればいい。
そのためにこの手がいくら汚れようとも良い」
「私は」
「貴方はでも違う。とにかく手が汚れなかったら、それでいい。
貴方と私は、手段と目的が逆ですの。
だから相容れないし、端的に、貴方のような人が──」
──嫌いですわ
傲岸に、悠然と、マルガリーテはキョウへと嫌悪を口にした。
田中はその時思わず何かを言おうとしたが、しかし、いざ口にしようとしたところで消えてしまった。
「あのー」
代わりに闘技場の観客席から声がした。
「何でもいいので、とりあえず先に行きませんか?」
ひょろりとした眼鏡の男であった。
そこで田中は初めてその存在に気づいたのだが、どうやらキョウの同行者であったようだ。
「この闘技場のフロアは、どうやら一騎討ちで戦わないと次にいけないらしいですよ。
僕らの隊と君たちの隊、一人ずつ選出して戦いましょう。
あ、僕は出ないんでキョウさん、お願いしますね」
眼鏡の男は飄々とした言葉を聞き、田中は頭上に浮かぶ碧色の太陽を見上げた。
突然の遭遇によって場が乱れてはいたが、今は“たまご”の核に立つ聖女へ向かって、とにかく前に進む時であった。
だから、キョウとマルガリーテの対立など、異端審問官である自分には関係がない。
その筈だ。
そう考えた田中はキョウを見据えた。
こうした相対する彼女は、依然見た時よりも心なしか小さく見えた。
「一騎打ち、か。じゃあ俺が」
「いや、待って」
一歩踏み出そうとした田中を制したのは4《フィア》であった。
彼女はダボついた袖から偽剣『メルレピオン』を覗かせながら、とん、とキョウの前に立った。
「私にやらせて、ロイ君」
青空の闘技場の中、キョウを見据えて4《フィア》は言った。
「なんか私も、この娘……嫌いかも、普通に、なんか」




