54_エンゲージ
雲の上に架かる吊り橋がある。
下を見れば、悠々とした雲海が広がり、相当の高度を感じさせた。
橋が一体どこから始まり、どこまで続いているのかはわからない。
何せ扉から一歩踏み出した時点で、すでに橋の途中であり、終わりも始まるも見えなかった。
とにかく視界のずっと先まで橋は続いており、そこを田中、4《フィア》、マルガリーテの三人は並んで歩いている。
「なぁ」
踏みたびに木が軋む音がする。その感触に若干の不安を覚えつつも田中は口を開いた。
「こっちで合っているのか?」
「もちろんです」
前を行くマルガリーテは自信満々に言ってのける。
ちら、と田中は頭上に浮かぶ碧色の太陽を見る。
そこから響く聖女の歌声はフロアを経るたびに近づいてはいるが、しかし思った以上にそのペースは遅い。
「進度としては順調ですわ。まぁこの“たまご”、最短ルートというのはその性質上取りづらいのですけど」
「そうかい、見たところ出たとこ勝負にも思えるが」
「ご不満ですか?」
マルガリーテはそこで振り向いた。ふわりとその金髪が舞い、傲岸な眼差しが田中を見据える。
同時に彼女はその両手を広げ、掌を見せている。不満なら斬れ、とでもいうように。
瞬間、田中の胸の中に暗い衝動が沸き起こるが、それを鎮めながら、
「いや、良いさ。たどり着けるのなら問題ない」
「ふふふ、大丈夫ですわ。このマルガリーテ、“無血”の名の下にあなた方を導いてみましょう」
そう言う彼女に対して、田中はふと思い立ったように尋ねた。
「“無血”といったな。それはアンタの、その、信条なのか」
「ええ、すべて事は暴力でなく、言葉によってまとめあげること。それが肝要なのです」
「しかし、アンタは俺たちの行いを」
ちら、と田中は後ろで隠れるように立っている4《フィア》を一瞥しつつ、
「こちらの殺人を容認していたように見えたが」
マルガリーテは純白の手袋を纏っている。
とはいえここに来る前、彼女はその手袋を赤く染めていた。
そのことを問われて、
「あら、容認などしていませんわ。私、心痛めてましてよ」
そう切々と語る彼女の言葉は、どこまでが本当かが読めなかった。
コロコロと表情の変わる少女であった。それこそコインの表と裏のように。
「勘違いしてはいけませんわ。私の掲げる“無血”は手段でなく、目的なのですから」
マルガリーテはさっそく切なる表情を消し、神妙なトーンで語りだした。
「確かに私は誰の血も、誰の涙も流さずにいられる世界が欲しいと考えております。
ですが、それがこの時代でそう簡単に主張できると思いまして?
空疎な主張にて終わるか、煽り立てるだけのデマゴーグになり果てるかの二択です」
ああ、と今度は彼女は芝居がかった様子で声を漏らした。
「ですから、私は迷いませんですの。
途中、いかな犠牲が出ようとも、理想を実現できればいい。
最後に! 血の流れない平和な世界が訪れるのであれば! 私はそれでいいのです」
後ろで隠れる4《フィア》が小さく欠伸をしているのが見えた。
大層な演説であるが、しかし少なくとも彼女には響いていないようだった。
一方で田中は、果たしてこのマルガリーテという少女の本心はどこにあるのだろうかと考えていた。
「無論、可能ならすべてを平和裏に解決したいとも思いますが」
マルガリーテは、ニッコリと笑みを浮かべて言った。
その言葉には妙な説得力を伴った迫力があり、同時に台本の台詞を朗読しているような嘘くささが付きまとっていて……
◇
その空を踏むと、ぴちゃ、ぴちゃと音がした。
青く澄んだ空の鏡像が湖の水面に移り込んでいる。
その純度があまりにも高いものだから、視界一面が空となっているかのようだ。
加えて白い霧までかかっているものだから、雲の中にいるような錯覚を思わずしてしまう。
「きれいですねえ」とキョウは素朴な声を上げる。
「……あーなるほどね、ここは駆け抜ける速度が物を言う」
「stbanosnosqpak@」
「ふうん、でもそうか、速ければいいという訳でもない、か」
「gaba0gbjka」
「あ、そうなんですよ、僕、実は世紀の大発明をしようかと思いまして」
だが、隣を行くヨハンは妖精たちと話すのに夢中で、返答はなかった。
森のフロアで妖精と妖精符丁で話して以来、彼はずっとこんな調子だった。
妖精との会話というのは面白いのだろうか。
よっぽど珍しい存在なのは間違いないので、好奇心をくすぐられるのは間違いないのだろうが。
しかしヨハンが一々話すせいで、進行ペースは随分とゆっくりになっていた。
一応、妖精の言葉によって最適解らしい扉をくぐっているので、トントンと思いたいが。
「……呆れることだ、妖精が増えている」
肩に乗るリューが一言そう漏らした。
キョウは「え、そうなんですか?」とヨハンを振り返る。
彼の周りを飛び交う光の数は、一見して変わらないようにも見えた。
「わかるんですか? 本当に?」
「わかるさ。私と奴らは同類といってもいい」
「えー、叔父様はあんなに綺麗な顔してませんよう」
「ひどいことを言う娘だ……」
遺憾だ、という態度を滲ませるリューにキョウは微笑みを浮かべる。
これで意外と見た目を気にする人なのである、この霊鳥は。
しかし、本当にヨハンの周りの妖精が増えたとなれば、森以降潜り抜けたフロアでついてきたのだろうか。
妖精たちが同類たる妖精を呼んでいるのかもしれない。
「妖精たちは不安定な存在だ。
それ故に色々なものに寄生し、あるいは逆に寄生することで生きながらえる。
つまり、ここでは──」
リューが気を取り直して顔を上げた、その時だった。
ビチャビチャ、と騒々しい音がした。
誰かがこのフロアに降り立つ音だった。その乱暴な足取りにキョウは一瞬で意識を切り替える。
『ネヘリス』を鞘より抜き、後方に跳躍した。
「護衛は万全ですから、安心してくださいね」
「ggabniqaosv」
「ん、敵かい?」
守るように立つキョウに対し、ヨハンはとぼけた声を漏らした。
だがそれを無視してキョウは辺りに感覚を研ぎ澄ませる。
澄み渡る世界の中、霧の向こうより彼らはやってきた。
レインコートのような独特の艶のあるコートに身を包んだ、ゴーグルの偽剣使いたちであった。
数は五、六人ほどだろうか。揃って武装している彼らは、こちらと遭遇すると驚いたように動きを止めた。
「ご同業かい」
「墓荒らし、という訳じゃありませんけどね」
その佇まいからキョウは彼らの素性を察し、僅かに緊張を滲ませつつ口を開いた。
何らかの理由で地上を追われた連中がいると、“たまご”に滞在中も聞いたことがあった。
「キョウ、武装は大したことがなさそうだが、練度はそれなりだ。何より数がいる」
「わかってます。喧嘩なんか売りませんって」
耳元で囁かれたリューの言葉にそう返す。
後ろを窺うとヨハンはまた妖精と会話をしていた。
その事実に少しだけ呆れながら、キョウは取り囲む人間たちに言う。
「私と、こちらのヨハンさんに交戦の意思はありません」
「……さて、お前さんになくとも、こちらにはあるかもしれんぞ」
リーダー格と思しき男が挑発するように返してきた。
だがその言葉にはどこか慎重さと、疲労が垣間見えた。
向こうとしても交戦を避けたいらしい。キョウはそう判断した。
「私、こう見えて強いんですよ。だから手を出すと痛い目を見ますから」
「子供だってヤンチャをする時代だ。そちらの腕はまぁわかるがね。
とはいえそれだけに持ってる剣も、装備も高くなりそうだが」
「残念ながら、これは家宝なんで貴方たちに渡せないんですよ」
「フムン、まぁ腕以上に、剣のガワがハッタリの可能性もあるか」
緊張を孕みつつも、互いに一歩引く展開が見えてきた。
それに僅かに安心しながら、キョウは彼らを見据えて言う。
「私は傷つく気はありません。そして、貴方たちを殺す気だってありません。
誰かが死んで、それで終わりなんて、そんなの悲しすぎますから。
──貴方たちが無為に死なないためにも、ですね!」
彼女なりに牽制と融和を込めた言葉の筈だった。
しかし、その言葉を聞いた偽剣使いたちの間は、ギリ、と苛立たし気に歯を鳴らした。
「最近、似たような言葉を聞いたな。ああ、とても最近だ」
彼の言葉は冷たく、棘があった。
その様子の変化に、キョウは「あれ?」と思ってしまう。
もしかして、何か、ひどく気の障ることを言ってしまったのか──
「……いや、そうか、俺たちは進退窮まってんだ。
ギルドを追われ、ビジンもケイリッジもガキ共に殺された。
ああ、そうだな。何を、腰が引けたことを言っているんだ俺は……」
声に昂揚が混じっていく。
キョウはその態度に焦りを覚えつつ、
「あの! 私、“不殺”の剣士を標榜してまして……」
「“不殺”やら“無血”やら、信じられるか!
そう言って殺された奴だっているんだぞ!」
その言葉と同時に偽剣使いたちは剣を抜き、一斉に跳躍。
猛然と襲い掛かってきた。
キョウはヨハンを巻き込む形で強引に跳躍し、初撃をやり過ごす。
「ヨハンさん、捕まっていて」
「おっと、移動ですか」
それからヨハンの手を引いて、キョウは跳躍する。
そのまま敵から逃げるべく、鏡面の湖を駆け抜ける。
優秀な機動性能を誇る『ネヘリス』は、キョウ、リュー、ヨハンを抱えても跳躍が可能だ。
一方で敵の偽剣は劣化品だろう。
それゆえ、なんとか対応できていた。
しかしそれでも強引な機動には変わりはない。
ここで“浮いて”しまえば追いつかれ、面倒なことになるだろう。
キョウは玉のような汗を浮かべながら、跳躍を繰り返していた。
「とにかく、このフロアを出ます!」
「ああ、それならとにかく走ればいいんです、この調子で」
ヨハンが涼し気な顔で言う。
「え?」
「このフロアの扉は、一定速度に到達した時点で出現します。だから、ほら」
そう言って彼が示した先に、また燐光を放つ扉が出現していた。
「なるほど!」と叫びをあげ、彼女はその扉をぶち破るように跳んだ。
ドン、と音がして、キョウたちは次なるフロアに言った。
そこは──闘技場であった。
青空の下に生成された、石造りの円形広場である。
湖のフロアから打って変わって乾いた風が吹く場所に一瞬目をしばたたせるが、
「……キョウ、どうやら向こうが間に合ってしまったようだ」
リューの言葉にキョウは降り返った。
そこにはゴーグルをつけた偽剣使いたちがいる。
彼らもまた息を切らしつつも、この闘技場に降り立っていた。
当然、その戦意は途切れていなさそうだった。
どうも自分が語った不殺についての文言が、えらく気に入らなかったらしい。
「フロアをまたげば、この無規則生成に巻き込まれて撒けないかと思ったが、どうもそう都合良くはいかないらしい」
リューの言葉に、キョウもまた割り切った思いだった。
こうなれば、不殺剣『ネヘリス』を使い、無理やりにでも彼らを止めるしかない。
「ヨハンさん、手を出さないでください」
「え? いいけど」
前に出たキョウは、とにかく全員叩きのめして黙らせる、ということを選ぶことにした。
傷つくだろうが、この『ネヘリス』ならば死にはしない。
それ故にキョウは毅然とした態度で、この闘いに臨むことができるのだ。
「来るか! この女ァ!」
「もう! なんで! そんなみんな暴力的なんですかっ!」
◇
延々と続くつり橋を超え、田中たちは次なるフロアへと足を踏み入れていた。
マルガリーテの情報の確度は相変わらず怪しかったが、聖女の歌が徐々に強くなっていた。
とりあえず進んでいることには間違いない。
そう思っていた矢先に、彼らは闘技場のフロアに足を踏み入れた。
途端、4《フィア》は「うん?」と漏らし、とマルガリーテは「まぁ偶然」とこぼしていた。
フロアには見覚えのある偽剣使いたちが倒れ伏していた。
だが一切血は流れていない。気絶しているだけのようだった。
彼らは、マルガリーテと出会うキッカケになった、“たまご”の外殻にて絡んできた奴らに間違いなかった。
「……はぁ、はぁ、まったく殺さないって、言っているのに!」
中心一人の少女が息荒く、剣を握っている。その肩には霊鳥が止まり、何やら囁いていた。
その見覚えのある背中に、田中は声を喪っていた。
「キョウ」
「え? なんですか、また新しい人が……」
少女が振り返ると、ひどく驚いたように目を見開いた。
その少し間抜けにも見える驚きようを見て、もしかすると自分もまた同じような顔をしているかもしれないと田中は考えた。
「ロイ君?」
そしてもらった仮面を被っておけば良かったと後悔したのだった。




