50_絶対差
「うわわっ、と。ここに出ましたか!」
扉をくぐり抜けたキョウが地面を見て、ぎょっ、とした顔をする。
そこは規則正しく正方形で区切られた方眼の世界であり、その中に「1」だとか「厳」だとか「@」だとか、文字が突っ込まれている。
フロアに壁というものは存在しない。
地平線までどこまでも文字の羅列は続いている、果てしない世界であった。
「ここ、前にひどい目にあったんですよ」
「あれは君が無駄にゆっくりしていたからだろう、キョウ」
キョウとリューが言葉を交わしているのをしり目に、ヨハンは「5」と「Ω」の升目を踏みしめながらフロアを確認する。
澄み渡る青空、変わらず響き渡る聖女の歌、碧色の太陽と並ぶように、空にぽつんと浮かぶ何かがある。
それは扉であった。
ノブのついた薄紅色の扉が、空に張り付くように浮かんでいる。
妙な光景だが、ここはこういう法則なのだろう。
さて、とヨハンは思う。
“たまご”の内部は仮想的想念層に言語を好き勝手に増設した結果、こういう意味不明な空間になったと聞く。
幼児に白紙のノートを渡して自由にやらせたようなものだ。
個々の空間の構造にそこまで意味はないのかもしれない。
「あ、ヨハンさん。気をつけてくださいね、そのマス」
「うん? ああ、なるほど」
踏みしめていた「Ω」に妙な反応があることを感じ取ったヨハンは、隣の「ね」のマスへと映る。
途端「Ω」がじんわりと赤くなり、どん、という音を共に爆ぜた。
見れば他のマスも同じだった。
ヨハンが確認できただけで「ね」「√5」「g」「Z」「バ」「気」などのマスが、ドドドドドドド、と軽快な音を立てながら爆発している。
「言語の自動生成による“攻撃”。いや“時間制限”かな?
おそらくは後ろから来る冒険者たちへの嫌がらせとして考えられたのだろう。
爆発の魔術構造は非常に簡単だから、数世紀前の魔術師たちでも自動化が可能だったはず」
ヨハンは分析を続ける。
ある種の嫌がらせのようなフロアだが、しかし脱出の手段はないはず。
“たまご”の構造上、フロアを創った者自身も一度踏破する必要があるので、本当にどうしようもないどん詰まりはないはずだ。
「だからまず自動生成を止めたうえで、同時に走っているであろう上下演算の言語を止めて……」
「あのー」
眼鏡を上げ、分析を始めていたヨハンに対し、キョウが声をかけてきた。
「ここ、リューがいれば、飛んで進めちゃいますよ?」
キョウは霊鳥に捕まりながら、その力をもって浮かび上がっている。
青空に張り付いた扉にそのまま行く気だろう。
リューがキョウを運び、順次ヨハンを運んでくれれば、それだけもう進むことができる。
なるほど、とヨハンは思う。
楽をしようと思っても、やはり自分は目の前の問題に勝手に取り組んでしまう人間だ、と。
◇
青空の下に生成された闘技場にて、二人の剣士が相対していた。
人狼の剣士、ヴァレンティンは『ルーン・アサルト』を上段に構え、獰猛な笑みを浮かべている。
その害意を滲ませた佇まいには、刃物のごとき鋭さがあった。
一方で剣の仮面を被った異端審問官、6《ゼクス》はどこか気障ったらしく挑発的に己の金髪をかきわける。
その手では偽剣『イヴィーネイル2』が握られていた。
びゅうびゅうと風が吹き、土煙が舞い上がる。
聖女の歌が聞こえ続ける中、“たまご”のなかにて出会ってしまった二人の剣士は、今まさに剣を交えようとしていた。
「よーし、頑張ってくれ、6《ゼクス》。私は応援してるぞー」
……その構図を前に観客席のカーバンクルが手を振っている。
一応仮面を被ったままであるが、席に寝転ぶように座る彼女はひどくくつろいだ態勢であった。
「やれやれ、上司の前だ。気は抜けないな」
嘆息するように6《ゼクス》は言った。
するとそれを見たヴァレンティンが「くっくっくっ」と笑みを漏らし、
「余裕の様だな、異端審問官。
なんだ、どうせなら二人同時に来ても構わんぞ、拙者は。
姑息な者共よ、なんであれ、拙者は粉砕してみせよう」
謡うように言う彼だが、当の6《ゼクス》は冷めた口調で、
「いや、良いだろう。こういう一騎討ちじゃ、おそらく私の方が1《アイン》殿より強いのでね。そして……」
「拙者よりも強い、とでも言うつもりか?」
「ご名答」
その言葉、その絡んだ視線、その空気が合図となった。
二人の姿は、ふっ、とかき消える。
跳躍。地面を跳ぶ鈍い音がしたかと思うと、キン、と甲高い金属音が鳴り響いていた。
一合の打ち合い。黒い『イヴィーネイル』と暗青の『ルーン・アサルト』の刀身が交錯していた。
人狼のぎらついた黄金の瞳が6《ゼクス》の間近へと迫っていた。
「馬鹿力! この人狼」
刀身間に迸る斥力でぎりぎりと押し合う。
だが不意にその交錯は解かれる。6《ゼクス》の跳躍による後退と、それを追随するヴァレンティン。
「反射だけではなぁ!」
「場数は踏んでいるようだね。“浮いて”もいないし、移動に無駄も迷いもない」
6《ゼクス》はそんな偽剣戦を演じつつ、分析を述べる。
「そういう貴様は柔い! 柔いぞ、異端審問官!」
叫ぶように言うヴァレンティンは『ルーン・アサルト』を駆り、果敢に攻めてくる。
「太刀筋は思いほか全う! しかし異端審問官、戦いはお手本を見せていればいい訳じゃない」
跳躍のさなか、着流しに手を突っ込んだ人狼は懐より何かを掴み、放り投げた。
それは──花であった。
宙へと投げられた薄紅色の花は風に吹かれ、吹雪のよう舞っていく。
殺し合いのさなかにおいてはあまりにも場違いな光景であったが、そこを、ヴァレンティンは駆け抜けてきた。
「ハァ!」
6《ゼクス》の眼が眉をひそめる。
跳びあがった彼は、空よりやってきた。
その光景は普通ならばあり得ない。
偽剣による跳躍は安定した足場が必要な関係上、“浮く”ことは命取りになるからだ。
だからその攻撃にしたところで、6《ゼクス》が一度しのいでしまえば、ヴァレンティンはもう跳躍できない。
そして着地の瞬間はどうしようもない隙となる。
そう6《ゼクス》は冷静に分析して『ルーン・アサルト』を『イヴィーネイル』で弾き飛ばした。
「桜嵐殺」
だが、ヴァレンティンはニィと笑って、舞い散る花を足場に跳躍してみせた。
ダ、と音がする。今度こそ6《ゼクス》の眼が見開かれる番だった。
本来ありえない空中での跳躍をこの男はやってみせたのだ。
……跳躍は安定した足場を必要とするが、しかし何も実際に地面を蹴っている訳ではない。
あくまで足が面についていることが肝要であり、一瞬でもその条件を満たしていれば跳躍が可能だ。
そこに着目したヴァレンティンが創り上げた技であった。
空を舞う花びらが足場として機能する一瞬を見極め、跳ぶ。
結果として偽剣が不可能な三次元的な動きを可能にするのである。
そしてこれは、この闘技場のような平な空間で最大の効果を発揮する。
「驚いた! 妙な技を使う」
空からの攻撃を紙一重でさばきつつ、6《ゼクス》はそうもらした。
ヴァレンティンの空中からの連撃は確か神業だといえるだろう。ここに至るまで、相当の研鑽を積んだことを彼は察する。
「だが──大道芸だな」
しかし、6《ゼクス》はその言葉とともに『イヴィーネイル2』を振り上げた。
剣身に言語が離れ垂れる。。
途端、ヴァレンティンの身体は吹き飛ばされていた。
花とともに舞っていた彼は、あっさりとその身を地面へと叩き落とされた。
それは、あまりにもあっけない決着だった。
「その剣、劣化品だろう?」
墜落し、態勢を崩したヴァレンティンの喉元へ、6《ゼクス》は既に剣を突き付けていた。
クールタイムを極限まで消した連続跳躍。
それは“教会”が開発した高性騎だからこそ可能にする。
「そんな一発芸を覚える前に、強くなるならもっと基本的なことをやるべきだったね! 人狼くん!
人の身なら人の身らしく、まずは当たり前のことをやるんだな」
「何をこの──」
言い切る前に、6《ゼクス》はその剣をヴァレンティンへと突き刺していた。
肉を突き破る感触。「ぬぅ」と彼の声。その二つをもってして、6《ゼクス》は敵の死を確信したが。
「……いや。死んでないよ、ソイツ」
カーバンクルの冷静な声が響いた。
6《ゼクス》は「む」と漏らす。確かに見ればヴァレンティンの身体から一切血が出ていない。
「拷問用の言語。“教会”にあるものと同じか。何故そんなものを」
「さぁ、間違えて身内だけで入っちゃったときの、安全弁でも兼ねてたんじゃないかしら」
何にせよ、ここで遭遇相手は殺せないようだ。
失神したヴァレンティンを見て思う。まぁここで無理に殺すほどでもない相手だ。
「勝負にならないほどの敵だったな!」
6《ゼクス》はそう声を張り上げる。
するとその背後に、ぼう、と扉が出現する。
逆にヴァレンティンが倒れる地面にももう一つ扉が現れていた。
「勝敗で別れる扉、ね。勝った方がアタリだといいけど」
カーバンクルは、よっ、と観客席から降りてきた。
6《ゼクス》は一瞬だけヴァレンティンの方をみたが、すぐに視線を外し、勝者の扉へ向かっていった。
人狼と異端審問官の戦いは、異端審問官の圧倒的な勝利という形であっさり幕を閉じた。
「否、拙者はここで勝つべき者が……!」
……その筈であった。




