33_聖女と決別を
「さて、そろそろこの“雨の街”の物語も閉じましょうか」
愕然とした様子の田中とアマネを、愉しそうに眺めながら、彼女は、ゆらり、とその手を上げた。
ぼんやりとした光が、彼女の周りに渦巻いていく。
「私はただね、この虚構で愉しみたいの。
だから面白おかしく踊ってね、登場人物の皆様」
そして次の瞬間、炸裂した光がアマネへと襲い掛かった。
田中は声を上げ跳躍、ユウカへと斬りかかるが、しかし既に彼女の姿はなかった。
『じゃあね、またどこかで会いましょう、田中君』
反響する声だけを残して、彼女は消えてしまっていた。
その事実に忸怩たる想いを感じつつも、田中はアマネに駆け寄ろうとした。
「あ、ダメ。田中君……!」
しかしそれを、アマネは拒絶した。碧の斥力を発生させて、田中を弾き飛ばす。
彼女は苦悶に満ちた顔を浮かべながら、その頭を押さえている。
「ああ、来る。また、またあの雨の音が……頭の中に響いて」
ざざざ──
雨の音が近づいていた。
ユウカの放った光により、アマネの頭上の屋根が破壊されてた。
結果としてそこに雨が溢れ出て、吸い寄せられるようにアマネの身体に大粒の雫が降り注いだ。
「アマネさんっ!」
「私はきっともう、傷に耐えらない身体になってしまっています。
この雨に漬かり過ぎたから、私はもう聖女以外にはなれない……の」
彼女は身を震わせながら、それでも必死に声を絞っていた。
「だって憎いの。私を取り囲んで、私のことを置いていく人たちが。
あのおべっかを使う人たちが! あの恥知らずたちがっ!
私が──救わないといけなかったあの人たちのことが、本当は全部、大っ嫌いだったんです」
アマネが纏う碧色の光が強まっていく。
一時浮上した彼女の意識を、再び取り込まんとするかのごとく、狂乱の雨とともに彼女を侵していた。
「だからもう、救うことも、憎むことも、ここで終わりにしたいんです。
聖女から──この身体の奥からずっと響く、私でない誰かの声から──」
その言葉を最後に彼女は大きな碧の光を解き放った。
その波及は破壊の嵐となって灰色の街を砕いていった。
石造りの回廊は砕け散り、冷たい雨の感触が再びやってきた。
「ロイ君!」
「少年!」
とっさに跳躍して破壊をしのいだ田中に、二つの声がかかる。
キョウとカーバンクルは一時休戦となったのか、共に並んで瓦礫の山を跳び越えこちらにやってきた。
「大丈夫でしたか? なんだかとてつもない音がしましたが」
「……俺は大丈夫だ。でも奴、タイボは逃がしてしまった。そのうえで」
田中は頭上を見上げた。
吹き荒れる嵐を支配するかのように、彼女は雨とともに空の中心に鎮座していた。
「…………」
こちらを見下ろす碧色の瞳に、一切の感情は籠ってはいなかった。
ただ“理想”の聖女として、世界を救うシステムとして、彼女はただそこに在る。
先ほど見せた感情の波は、すでに沈んでしまっていた。
「聖女サマは健在という訳ね」
「どころか、力が強まっているようにも見えるが」
カーバンクルとリューがそれぞれ分析を告げる。
確かにその通りだった。そのうえでアマネはこうも続けた。
「あなた方は、この街にとって危険です。
“理想”を拒絶するだけでなく……私の傷を晒そうとするなど」
淡々と述べ、ゆっくりと語る彼女には、静かな敵意があった。
……そしてそれは決して憎悪ではないのだ。
個人的な感情ではない、超然としたシステムとして、こちらを排除しようとしている。
恐らくはそれこそが──かつてアマネが欲した“理想”だったのだろう。
聖女でありながら人間を憎んでしまった彼女が、苦しみの末に到達した正しさ。
「……さて、ロイ君。一応聞くが、君はあの聖女をどうするんだい?」
カーバンクルは偽剣を握りしめながら言った。
剣の仮面は取っていた。素顔で、赤い瞳で田中を見据えている。
「結局、君は聖女を殺すのかしら?」
「ロイ君! ダメです!」
その言葉を阻んだのはキョウだった。
「ロイ君は、本当は優しい人なんです。
人が傷つければ、自分が傷つく。そんな人なんです!
だから探しましょう。誰も死ななくて済む、そんな道を!」
カーバンクルとキョウ。
二人の言葉の狭間に田中はいた。
自分は結局何をしたいと考えているのか。
どうありたいと願っている。この世界を、この物語をどうしたいというのだ。
「俺は──」
田中はようやく答えを出すことができた。




