34_クォード『エリス』
「──殺すよ」
田中は雨を一身に浴びる聖女を見上げて、そう言い放った。
「殺して、会いに行く。
嘘じゃない、本当のアイツにだ」
そういった時、キョウの顔が歪んだのがわかった。
「ロイ君……貴方は」
田中はしかしそれを振り返らない。
何故ならば、その悲しみも所詮は虚構に過ぎないからだ。
思うところはある。感じ入ることだってある。
けれども──それ以上に、田中は本当の弥生に会いたいと思っていた。
どれほど探しても、もう会えない。
そうユウカは、あの太母は言った。
それが現実のものであると、どうしても認めたくはなかった。
この世界で本当のものは弥生と田中自身だけだ。
ならば、その願いこそ、きっとあらゆる虚構に先立つ感情だと、彼は切り捨てた。
「そうか、それでこそ、だよ」
満足げにカーバンクルが頷いた。そして田中の懐にそっと剣の仮面を入れてみせる。
それが何を意味するのかは、聞かずともわかった。
「しかしロイ君、剣はどうするんだい? その『イヴィーネイル』、流石に限界だと思うぞ」
その言葉通り、彼の持つ偽剣は元々ガタが来ていたところに、強引に跳躍したせいで、刀身が半ばから折れてしまっていた。
確かにこれではもう使いようがない。そう判断した田中はそれを無言で投げ捨てた。
「大丈夫だ。俺にはこれがあるから」
そう言って彼は一冊の手帳──“犠牲”の聖女エリスの日記を取り出した。
そこには彼女の記録が、彼女が自身が創り上げた物語が刻まれている。
それこそが、聖女エリスを形作る言語であった。
それを握りしめた田中は、確信をもってそれを鞘に入力し──展開した。
「名前は、そうだな『エリス』とするべきだろう」
──クォード・エリス
そして次の瞬間には、田中の手には新たな偽剣が握られていた。
美しくも儚い、片刃の剣であった。
幅広の刀身は向こう側が見えそうになるほど薄く、それ故に鋭利さと脆弱さを同じ刃の中に同居している。
その白い装飾に彩られた黄玉の色彩は、この灰色の街にあって異様なまで映えた。
「聖女のエリスの言語を……物質化したのか?」
カーバンクルは目を見開いていた。
この世界に来てから彼女のそんな表情は初めて見たかもしれなかった。
「そうだ。俺が殺した『エリス』の剣だ」
“犠牲”の物語が込められた剣を携え、田中は頭上に立つアマネを見据えた。
勢いをつけて跳躍をすれば、この刃も届きはするだろう。
しかし雨降り注ぐ中、彼女を傷つけたところで意味はない。
カーバンクルが致命傷を与えたにも関わらず、アマネは当然のように立ち上がってきた。
あの雨があらゆる傷を、死すらも洗い流してしまうのだろう。
雨がアマネの傷を癒し、そのアマネが“理想”の奇蹟を起こして雨を降らせる。
その循環を破らない限りは、ずっと彼女は聖女としてあり続けることになる。
「どうやってアイツを殺せばいいと思う?」
「……さて、思うに手は一つだと思うわよ」
カーバンクルはすぐに元の調子に戻り、田中にその考えを耳打ちした。
それを聞いた瞬間、田中は笑い出したくなった。
本当にどうしようもない。そんな気分だった。
それでも迷わず彼は頷き、カーバンクルから打倒の鍵となるそれを受け取った。
「行かせません」
そうして聖女へと刃を向けようとする田中に対し、行く手を阻むようにキョウが立ちふさがった。
「そうだよな、君はそう来るはずだ」
「……殺させませんよ、絶対に」
雨降る街の中、田中とキョウは相対する。
すっ、と二人はともに息を吐き、そして──跳んだ。
跳躍。完璧なタイミングで田中とキョウは互いの隙へと回り込む。
あの城と同じ構図だった。あの時はキョウの方が、確実に速かった。
絡み合う二人の視線。
雨の音を置き去りにして、二人の剣は交錯した。
「あれ?」
キョウの声が漏れた。
そうして次の瞬間には、がくり、と身体は落ちていた。
「キョウ!」とリューの声が響き渡る。
だがもう遅かった。
袈裟懸けに『エリス』を一閃され、その身体からは噴水のように血が飛び出ている。
……それは田中が言葉を受けいれたが故の決着だった。
8《アハト》がもたらした、すべてを殺してしまいたいという衝動を田中は否定しようとしていた。
その葛藤は、確実に彼の刃を遅くしていた。
けれど、もう彼にそのようなくびきはない。
ただ心のままに、彼はキョウを斬り捨てた。
そしてそのまま振り返らずに、田中はアマネへと向かっていった。
「…………」
やってきた田中に対し、アマネは無言で見下ろしていた。
その視線には一切の感情は込められてはいない。何も思わず、何も苦しまず、ただ奇蹟を見せ続けていた。
聖女は弥生が“転生”した姿だと、ユウカは言っていた。
ならば彼女も混ざりゆく自分が恐ろしかったに違いない。
8《アハト》の声におびえ、殺してほしい、と懇願し続けた彼にはわかる。
アマネの“理想”に込められた苦しみが。
ざざざ──と音がする。
この雨の中で、果たして彼女はどれほどの時を過ごし、どれほどの傷をなかったものとしてきたのだろう。
ほんの一瞬だけ、田中はそんなことを考えてしまった。
「────」
けれども、その共感はすぐに消えた。
だから彼は跳びあがる。
上空への一度きりの跳躍。降り注ぐ雨に逆らうようにして、彼はアマネへとその刃を向けた。
「無駄ですよ。私はいくら傷がつこうとも……」
その彼女の言葉を遮るようにして、田中はその手に持った傘を放り投げた。
装飾が施された上品な傘は、雨の中でその美しい模様を広げていった。
その瞬間、アマネは「え」と声を漏らしていた。
……それはこの街に来る前、アマネが渡そうとして、けれども結局適わなかった母への贈り物だった。
旅の中、最低限のものだけを持ち歩いてた彼女が、どうしてもそれだけは捨てることができなかったもの。
聖女でない、アマネという存在に深く根付いていたそれを見せつけられ、その一瞬だけ彼女は“理想”を忘れた。
『あの奇蹟は望めば拒絶することができる。
先ほど君たちがやってみせたように、対象者の精神が大きく影響する力だ』
あの時、カーバンクルはこう言っていた。
彼女が捨てきれなかった過去の象徴である、母へのプレゼント。
それが一瞬でも影響すればいい。
そして“浮かびあがってきた”彼女は、再び痛みを思い出した。
苦しみと喜びに彩られた仲間との日々を。
使命と慈しみと憎悪の間に生まれた葛藤を。
脳裏に焼き付いた、ふるさとでの黄金の過去を。
それを見た瞬間だけは、取り戻していた。
「おかあさ──」
そして、瞬間を狙って田中は『エリス』を突き立てていた。
『だから、一瞬だけ彼女を正気に戻してやればいいんだよ。
痛みを思い出し、ただの人間となった一瞬を狙って、殺す』
鋭い刃が碧の斥力を砕き、アマネの身体からは血が勢いよく零れ落ちる。
アマネは、苦痛に顔を歪めている。苦しみとともに。
その血は──真っ赤な雨となって、灰色の街に降り注いでいった。
◇
結局のところ、私は嫌いだったのでしょう、人が。
無能で、厚顔で、それでていて自分は善であるような顔をしている。
そんな人間が嫌いで、人を救うという使命そのものが、本当は厭だった。
なんて、邪悪な──
◇
アマネの身体は、灰色の街に消えようとしていた。
エリスと同じように、彼女もまた世界から弾かれるように、その身を霧散させていく。
「時にロイ田中君」
背中からかけられた声に、田中は無言で振り向いた。
「今度こそ君をこう呼んでもいいのかな? 8《アハト》と」
薄く笑みを浮かべるカーバンクルに対して、田中は表情を変えず、ただ首を振った。
「お好きなように呼んでくれ。
アンタらの仲間になるのを受け入れるさ」
「そうか、それはよかったわ。これで欠員も埋まる訳ね。
今日からこの地の秩序のため“教会”のため、頑張ってほしい」
「俺はただ聖女を殺したいだけだよ。それ以外はどうでもいい」
そう言うとカーバンクルは声を上げて笑って、
「なら君にとって異端審問官は天職だよ。なにせそれ以外にやることがないんだから」
最後にウインクを添えて、田中を歓迎してみせた。
当の田中は全く反応を示してはしなかったが。
……その日から別れの日まで、二人は共に生き続けることになる。




