26_母への手紙
この街の道の多くはまがりくねっていて、しかも同じような灰色の光景が続いている。
そしてそこにひとしく雨が降り注ぐのだから、ともすれば同じ場所を延々と歩いているかのような錯覚に陥ることがある。
雨と石と、灰色のレインコート。
それだけで構成されたこの街の片隅に、その部屋は存在した。
「聖女サマを迎え入れるというには、いささかみすぼらしいね」
細長い石造りの建物を田中とカーバンクルは昇っていく。
高めに造られたこの建物は、現実におけるアパートやマンションのような造りをしていると田中は感じていた。
「街が建設される最中で、最初の方に造られた仮設住宅なのかしら。
どうもこの街、行き当たりばったりじゃなく、綿密な計算とデザインをしたうえで造られているようだし。
まずはこうした場所から造って……とか」
カーバンクルは揚々と考えを述べる。
会った時から感じていたが、もしかするとカーバンクルはこうして何かを説明するのが好きなのかもしれなかった。
教師の真似事をしながら色々教えてくれた時のことを思い出し、今さらになって田中はそんな印象を抱いた。
例のごとく、この建物にも警備に当たるようなものは存在しなかった。
住んでいる人間もいるようだが、田中たちは特に警戒されることもなく、堂々と正面から入ることができた。
決して何も起こらない──いや、何があっても直ってしまうことを確信しているのだろう。
祈祷場での奇蹟の光景を思い出し、田中はこの静けさに納得していた。
「さて、この部屋ね」
最上階の奥の奥の扉を前にカーバンクルはそう言ってのけた。
ここがアマネが住んでいたという、一室。そう思うと、田中は手は緊張に汗ばんでいた。
放置されているとはいえ、灰色の引き戸には流石に鍵がかかっている。
さてどうするのか、と思った矢先、カーバンクルが剣を出現させ、瞬く間に一閃していた。
みしり、と音を立てて崩れる扉を前に、田中は息を呑む。
「さて、行きましょう」
「なんて、乱暴な……これじゃ強盗が入ったって思われるぞ」
「似たようなものじゃない。聖女様の秘密を暴こうっていうんだから。
それに大丈夫だわ──すぐに直るでしょう、どうせ」
見れば石造りの扉の破片は、もう既に洗い流され消えようとしている。
この前のような奇蹟が、モノにも作用するのだとすれば、確かに放っておいてもすぐになくなってしまうだろう。
カーバンクルは破壊した扉から躊躇なく中に入ろうとする。
田中はしばし逡巡していたが、
「ここまで来て迷うのかい? 目下、君の目的である弥生さんについて、この先でわかるかもしれないのに」
「…………」
その声に背中を押される形で、田中は打ち捨てられた部屋に足を踏み入れた。
中は田中たちが滞在している場所と何ら変わらない、灰色の部屋だった。
予想以上に何もない、殺風景な部屋であった。
身一つでこの街にやってきた田中と同じく、部屋には最低限の調度品しか存在せず、生活臭というものが致命的に欠けていた。
ただ一つ、部屋に隅に置かれた小さな鞄だけが、個人の痕跡というものをささやかに主張していた。
確かにもうアマネはこの部屋には戻ってきていないのかもしれなかった。
「さてさて」
カーバンクルは置いてあった鞄に一切ためらいなく手を伸ばしていた。
「おい」と思わず田中は声をあげるが、
「何よう。ここまで入った以上、調べない訳にはいかないじゃない。
それとも他に何を見るってのよ」
正論だった。田中は言葉に詰まり、黙ってしまう。
やはり他人のものを勝手に漁ることには抵抗を覚えるが、しかしそれを言っている場合でもなかった。
弥生の顔を思い浮かべる。この虚構の世界に落とされたことに、聖女の存在が大きく関わっている可能性は非常に高かった。
そうこうしているうちにカーバンクルは鞄を開け、中にあるものを漁り出していた。
「おや、まぁ。この中にも大してものがないとはね」
見てみるとそこあったのは、いくつかの衣装や革袋・鍋・水筒など旅の手荷物といった風情のものだ。
どれも少し汚れいたりへこんでいたりと、しっかりと使い込まれているの見て取れた。
そういったものを脇に避けつつ探っていくと、不意にカーバンクルは「お」と声を漏らした。
それは手紙であった。
当然、カーバンクルはそれを躊躇いなく広げて読み出し「なるほど」と声を漏らしていた。
「結構面白いことが書いてあるよ、ロイ君」
薄い笑みを浮かべ、彼女はロイへと手紙を突き出してきた。
ロイは一瞬目を泳がせたのち「申し訳ない」と一声謝りを入れて手紙を受け取った。
“拝啓、お母様”
そんな文言から始まる手紙であり、内容としては旅先からふるさとに向けて送るものであったようだ。
ただ紙は随分と古びたものであり、書かれたのはかなり昔であることが窺えた。
「どうやら聖女様はこの街に来る前、旅をしていたようだね。
仲間を連れて奇蹟を配り歩く一行様さ、人気が出そうだ」
その言葉を受け、田中は何か釈然としないものを胸に抱いていた。
これを書いたのがアマネだとするにはあまりにも──
「ほら、まだあった」
カーバンクルは鞄の奥に入っていた手紙をいくつか取り出し、片っ端から開けて見だした。
田中も逡巡しつつも、そうして出てきた手紙に目を通す。
基本的にはどれも“拝啓、お母様”から始まる故郷への手紙だった。
旅先での出来事や仲間との語らいが記されており、そのどれも暖かかつ情緒的な文体で書かれていた。
いくつか、最近が手紙がなかなか出せなくてつらい、との記述もあった。
どうやらこの手紙を書いたは良いが、届ける方法に苦労していたらしい。
それは良い。良いのだが──
「さて、不思議だね、ロイ君。
この手紙、おそらく聖女アマネ様が書いたものなのだろうけど、
私たちが会った聖女様はこんな人だったかな?」
カーバンクルが、田中の中の違和感をピタリと言い当てた。
田中の知る聖女アマネは、いかなるときも感情を見せず、聖女のあり方に徹していた。
祈祷場で祈りを捧げている彼女と、手紙の主がどうにも結び付かない。
「そして、だ。
聖女様は手紙の中では仲間と旅をしている訳だが、
さてさて、彼らは一体どこにいったのかしら?」
田中は何も言えなかった。
だが同時に気づいていた。この手紙の中に、不自然に登場していない名前があることに。
「おお、これは」
手紙を読んでいるさなか、カーバンクルが声を上げた。
今度はなんだ、と思うと「田中君」と彼女が呼びかけてきた。
「もしかすると、目当てのものはこれかもよ」
そうして突き出された手紙を田中は受け取る。
そこには“田中君へ”と記されていた。




