25_蜘蛛の糸
それからまた、あの雨の日々が戻ってきた。
降りしきる雨の中で、田中とキョウは客人として過ごす。
タイボが子供たちを取りまとめる形で世話をしてくれる。
子供たちは数日前に一度死んだのだということを既に忘れているかのように振舞っていた。
灰色と雨の日々は一見して元の姿に戻っていた。
ただ一点、ほんの少しだけ変わってしまったことがあった。
「……失望されたかな」
田中は、一人部屋で呟いた。
無論誰もそれに返答することはない。終わらない雨の中、この部屋だけはひどく乾いてしまっているように感じられた。
あの日の戦い以来、キョウはもう、田中の部屋には来なくなっていた。
結局悟ったのだろう。キョウも、田中自身も、彼の奥に根付いた強固な殺意は容易に拭い去れないものであると。
だからあの時、自分は嬉々として敵に切りかかった。
それどころか止めようとしたキョウにすら、本気で斬りかかっていた。
自らの手を見つめる。確かにあの偽剣使いたちは許せなかった。
それは本当に思っていた。
キョウは彼らすら殺すべきでないといったが、なんとしても殺戮を止めるべきだというのが間違っていたとは思わない。
だがそれとはまた違う問題だった。田中はあの時、義憤でなく愉しむために剣を向けていたのだから。
「こんな場所に何日も閉じこもって飽きないものね」
不意に、声がした。
顔を上げるとそこには見知った顔がいる。
短く切りそろえられた髪を撫でながら、彼女はどこからか田中の部屋に忍び込んでいた。
「何を言いに来たんだ」
「あら、今日は怒ってないのね、私のこと」
茶化すようにカーバンクルは笑った。
田中は戸惑い視線を揺らしつつも、
「少し考えたくなった。アマネのこと、あの力のことを……」
「それに、弥生さんのことも?」
はっ、として田中は身を乗り出していた。
弥生。その名を、何故カーバンクルが知っているのか。
「ふふ、だって貴方、色んな人に聞いて回っているじゃない。
ヤヨイサンを知りませんかって──あの第六聖女にも聞いていたわね」
カーバンクルは懐から何かを取り出し、田中へと放り投げた。
反射的に受け取ってしまった田中は、それが何かに気づいて言葉を喪った。
「覚えてるでしょ? あのさかしまの城で虚構に耽っていた聖女エリスのことを」
それは他でもないエリスの手帳だった。
彼女が肌身離さず身に着けていた、彼女の創り上げた記憶そのものだ。
「それを読ませてもらったわ。色々貴方のことも書いてあったよ、ロイ君」
震える手でそれを握りしめた。
脳裏に、エリスを手にかけたときの感触がよみがえり、こらえきれない吐き気が腹の奥から湧いてきた。
「聖女が死んだとき、こんな形で言語を残すなんて聞いたことがない。
これが偶然でないとすれば、もしかすると──君は本当に特別なのかもね、聖女からすると」
「……そんな訳、ないさ」
田中は顔を俯かせる。
少なくともアマネは田中のことを何ら気にしていないようだった。
「いや、それはどうだろうね。あの聖女アマネは、どこか変だよ。狂った聖女の中にあってもね」
カーバンクルは田中に近づき、囁くように言った。
「一緒に探ろうとは思わないかい? あの聖女のことを」
「何を?」と思わず声がこぼれるが、彼女の嘯きはなおも続いていて、
「この石造りの街の中に、聖女アマネの部屋というものがあるんだ」
「それが……どうしたというんだ」
「あの聖女様はね、ずっと雨の中をさまよっている。
聖女は人間じゃない。だから食事も睡眠ももはや必要としないし、だから彼女はずっとそこに戻ってはいない」
街をさまようアマネが思い浮かぶ。
彼女は何時だってこの雨と共にあった。
「だがそんな彼女も、最初は普通に暮らしていたらしいんだ。この街が出きた当初ではね。
つまり聖女アマネのルーツがそこにまだ眠っている」
カーバンクルはそこで誘うようにウインクをして見せた。
「行ってみたいと思わないかい? 田中君」
タナカと強調するように彼女は言う。
聖女のルーツ。それはもしかすると桜見弥生との──
◇
田中がカーバンクルと出会っているのと、ほぼ同じ頃。
キョウもまた奇妙な来客を迎えていた。
「ええと、貴方は……」
街に出ていたキョウの前に、彼女は不意に現れた。
彼女のことを知るがゆえに最初は身構えもした。しかし、どうやら今度はなんの敵意もないようだ。
「キョウ、この少女は」
「わかっていますよ、リュー。
あの時の偽剣使いの……」
肩に止まる霊鳥に返事をして、キョウは目の前にたたずむ少女に視線を向けた。
切りそろえられた前髪の向こうから、澄んだ瞳がキョウを見つめていた。
その顔にも、キョウは見覚えがあった。
「私はフュリア。
二度も交戦した貴方にこんなことを言うのはどうかと自分でも思うけど、でも聞いてほしい。
──父上を、助けてほしいの」
そう懇願して、フュリアは大きく頭を下げた。
意外な事態に、キョウとリューは思わず互いに顔を見合わせていた。




