10_世界観説明(それなりに)
拝啓、お母様。
以前、お手紙を出したときからどれほど時間が経ったでしょうか?
思えば、旅に出てからもう随分と長い時間が経った気がします。
目をつむれば、今でもふるさとの光景が脳裏に過ります。
風になびき黄金に輝く藁しべ草、耳朶を打つ河の心地よいせせらぎ、咲き誇る薄紅花の淡い香り……
こうして旅を続けてきたからこそ、わかります。
お母様の下で過ごした私の少女時代は、それこそ奇蹟的な、楽園での日々に等しいものでした。
ですが、それを知ることができたのも、ひとえに外に出ることを選んだとも思うのです。
外の世界は今荒れ果て、多くの血が流れています。
そんな時代にあってお母様の下に産まれ、健やかに育つことができた私が、どれほど幸福だったかを、私は時おり噛みしめております。
けれども、私はこうして外に出てよかったのだと、今では声を大にして言うことができます。
胸に湧き出る暖かな望郷も、身に宿した奇蹟の重みも、お母様の本当の想いの価値も、外に出たからこそ知ることができたものだからです。
だからあの時、私を見送ってくれた母の想いは、大切に心の中にしまっておきます。
私は聖女として、仲間と共に旅を続けます。
アミナはおっちょこちょいだし、アレックスは目を離すと喧嘩売り出すし、シュトラウトは天然だし、私がいないとダメなんですよ。
だから、帰るのはまだまだ先になりそうですが──ふるさとの晴れ渡る空が、今も私の心の支えになっています。
かしこ。
追伸
ああ、そうそう。
帰った時のためのおみやげも用意しているんですよ。
(雨、邪悪なる理想の聖女)
◇
さかしまの大地が砕け散り、空に朝陽が上り始めていた。
聖女エリスが討たれ、虚構が取り払われた今、その城はただの朽ちた廃墟に過ぎない。
「ねえ、知っているか? あの太陽はね、一年、360日と八分の一周期で全く別の物に変性する。
それが何なのかというと、実は月なんだ。
そして月の寿命は二年。朽ちた月は青い幻想となって砕け散る。
毎年太陽が死に、世界には二つの月が宙を浮かび続ける。この世界の夜空はそういう風にできている」
その城の一室にて、異端審問官の1《アイン》、カーバンクルと名乗った彼女は語っている。
すらすらと淀みなく語られるその言葉は、教師が生徒へ講釈を垂れる際のものに似ていた。
「それでもって太陽がどこから出てくるかというとだが、これは諸説あるが“果て”からだと言われている。
“春”“夏”“秋”“冬”。世界を引きあう四極からネイコス相の幻想が吹き出し――」
「…………」
「全くもう」
得意げに語っていた彼女だが、相手から一切反応がなかったことに不満に思ったのか、ふと不満げに口を尖らせた。
カーバンクルの話し相手(といっても一方的に語りかけていただけだが)は部屋の隅に顔を撃つ向かせて縮こまっていた。
血に汚れたカソックを身にまとい、その手には巨大な剣が握られていた。
彼は名をロイ田中と言った。
昨夜、この城で起きたことはあまりにも鮮烈だった。
突然の転移、幼馴染によく似た少女、聖女と異端審問官、確かに読んだ覚えのあるこの世界。
そして――彼は少女を殺した。
聖女エリスと名乗っていたあの少女を、ただ胸から湧き出る殺意に促されるままに斬り殺した。
あの血の匂いはまだ取れない。
あのときの肉の柔らかな感触は手に残っている。
少女の笑っているような、泣いているような歪んだ顔は脳裏に焼き付いて離れない。
何故こんなことになってしまったのか。
田中自身わからず、ただ目の前の現実を拒否しようとした。
「不貞腐れるなよ、君は生きてるんだぜ」
そんな彼に対し、カーバンクルはふざけた口調で言ったのち「あははっ」と声を上げて笑った。
「ただせっかく生き残ったんだ喜べ、とは言えないね。
だって正確には元の君は死んでいる。今の君は混ざりものだもの。
8《アハト》はほとほと人が殺したかったと見える。なんともなんとも」
「貴方は……なんなんだ」
そこで田中はやっと顔を上げた。
するとカーバンクルは「お」と声を漏らし、
「よかった。元気になったみたいだ」
「……カーバンクルさん、と言ったな」
「そうよ、アカ・カーバンクルアイ。異端審問官の1《アイン》」
「貴方は俺を殺そうとしていた」
「ん?」
カーバンクルはそこで首を振り、
「君を殺そうとした覚えはないな。たまたま君が討伐対象、第六聖女と一緒にいたから殺しそうになっただけ」
「……なんでもいい」
田中はかすれた声を必死に喉から絞り出した。
「俺を殺してくれ」
そう懇願するも、カーバンクルは頭を振って、
「私にメリットがないからダメ」
そこで彼女はニッコリと満面の笑みを浮かべた。
それを見た田中は失意に項垂れうめきを上げた。
「……自分じゃ死ねないんだ、怖くて」
これは夢かもしれない、なんて思うことはできなかった。
いや思いはした。叫びをあげたくもなった。狂乱のまま、目覚めてしまいたかった。
だが一・二時間もすれば落ち着いてしまう。
すると今度は奇妙なほど静かに頭が回った。そうして理性的に考えた結果「自分は死ぬしかない」という結論に至った。
「そんなものだろうね。私だって死ぬのは、たぶんだけど怖い」
「…………」
「別に人を殺したからって気に病むことはない。
聖女エリスが創り出していた虚構は、仮にあのまま広がり続けた場合、現実すべてを呑み込んでしまう可能性すらあった。
そういう意味では、君は世界を救ったとさえ言えるんだぜ」
「……うるさい」
田中の悪態を無視して、それに、とカーバンクルは切り出した。
「仮に君が自殺しようとしたところで私はそれを止めるよ」
「……カーバンクルさんは、そう優しい人には見えないが」
「ひどいことを言うけど、合ってはいる」
彼女はそこで苦笑を浮かべた。
「逆に君はそれなりに優しい人だったようだね、ロイ田中くん」
「名前――」
どこで聞いたのか、と尋ねようとした田中を制し、カーバンクルは口を開いた。
「それではもう一度自己紹介といこう。私はアカ・カーバンクルアイ。
異端審問官の1《アイン》だ。まぁ一応、序列的には一番上の、代表だと思ってくれていい」
そう言ってカーバンクルは不敵な笑みを浮かべてみせた。
そのすらりとした伸びた背の高さに、男言葉交じりの奇妙な口調が相まって、田中は捉えどころのない印象を受けていた。
「……なんなんだ、アンタたちは」
「まぁ、落ち着きなさい、ロイ君。
君がおとぎ話の国からやってきたってのは信じてあげるから、とりあえず現実について説明してあげましょう」
どっちがおとぎ話の国だ、と田中は吐き捨てる。
田中が知る限り――この世界こそが虚構なのだから。
「世界の成り立ち、とかから話すと超長くなるから簡潔に言うわ。
まずこの人間時代12世紀、法も国も神様もいないの。
クーゼル王朝――百年ほど前までは割と由緒ある統一国家があったんだけど、諸々の事情で崩壊・分裂した結果が今の惨状って訳」
教師の真似事でもしているつもりか、カーバンクルは教鞭でも振るうかのように手首を、くいくい、と動かかした。
「そこからまた地獄のような時代が続いてねぇ……特にこの“冬”の土地ではなまじクーゼルの影響が強かっただけあって、
我こそは王朝の正統なる後継者、とかのたまう輩が跋扈したり、辺境伯が勝手に軍事力とか持ち始めたりでしっちゃかめっちゃか」
「…………」
「そしてそんな荒れ果てた世の中を救おうとしているのが、我らが“教会”って訳よ。
我らがが騎士、エル・エリオスタ様と四季姫率いる新興勢力が、クーゼルに代わって“冬”を収めようという訳。
“教会”はこのぐちゃぐちゃの世界において、百年かけて着実に勢力を伸ばし、この土地に再びちゃんとした秩序を取り戻そうとしている」
田中にとっては覚えのある話だった。
やはり弥生の小説において語られていた設定と覚えている限り矛盾がない。
「でもね、邪魔な存在がいた。それこそが――」
――聖女。
田中はその単語を聞いた途端、思わず身を固くしていた。
それまで忘れていた喉の渇きが浮かび上がり、額に玉のような汗が滲む。
「聖女、それは神話時代の言語を受信し、発狂した少女たち」
田中の様子をどこか愉しそうに見下ろしながら、カーバンクルは言葉を続けた。
「百年ほど前から、ある日突然妙な力に目覚めた少女たちが現れたの。
君も見たでしょう? あの第六聖女の奇蹟としか言いようがない力と、トチ狂った願いの果てを」
さかしまの城に住んでいたエリス。
あらゆるものを無から創り出すことができた彼女の力は、確かに奇蹟と呼ぶに相応しかった。
「その発生の原因は諸説あるけど“教会”として頭を悩ませているのは、その影響力だった。
聖女はだいたい全員がおかしな、気が触れたとしか言いようがない言動をするが、しかしその力は本物だ。
そしてこの時代、力がある以上はそれに群がる奴らが出てくる。
ここにいた第六聖女みたいな、一人で閉じこもるタイプは例外なのさ」
そこでカーバンクルはニィ、と歯を見せた。
あの8《アハト》と呼ばれた男と同じ、獰猛で暴力的な笑い方だった。
「だから邪魔なのよ、聖女って奴が。
“教会”が新たな秩序を造るには、狂った聖女たちは影響力が大きすぎる。
交渉するにも、言葉が通じるような奴らじゃない」
「……だから」
「ん?」
田中は絞り出すように言った。
「だから――殺すのか。聖女を」
糾弾するように声を上げた彼に対し、カーバンクルは、
「正解。皆殺しだ」
そう、ウインクして言ってのけた。
「私たちは異端審問官“十一席”。
“教会”において、聖女狩りを専門に行っている鼻つまみ者でね。
秩序を乱す聖女を殺して回っている組織という訳だ」
さて、とカーバンクルは前置きをして、
「ここからが本題だ、ロイ君。私たち異端審問官は、聖女エリスを見事討伐してみせた訳だが、同時に欠員も出てしまった」
そんな田中の視線をさらりと受け止め、カーバンクルは語りだした。
「死んだ8《アハト》は、良い奴だったかというと、まぁ、少し言葉を濁さざるを得ないが、それでも私は好きだった。
だからまずはアイツの死を悲しんでやりたい。でも私は1《アイン》として、その後のことも考えないといけない」
やれやれ、と彼女は息を吐いた。
「なので欠員補充として新メンバーを探しているのよ、私」
「……勝手にすればいい」
「察しが悪いね。だから貴方を異端審問官“十一席”の8《アハト》として迎え入れたいのよ。
なんたって君は、8《アハト》の正統なる後継者といえる存在だからね」
「厭だ、もう俺は」
田中の脳裏には、昨夜のぶったカーバンクルたちの姿が過っていた。
仮面を被る異端審問官。彼らはエリスのような聖女と呼ばれる者を殺して回っているらしい。
そんなものに何故自分が与しなくてはいけないのか。
「俺はもう人を殺したくない」
そう告げた。かすれる声で、彼は己の意思を告げた。
そうして目をつむる。そうするとまずエリスの快活な顔が浮かんできて、次にそれは弥生の顔に変わり、とてつもない不快感が身を貫いた。
吐き気がして、目を見開いた。ぜえぜえと息が切れる。この世の何もかもが恨めしく思えた。
「くっ、くっ、くっ」
そんなロイの態度に対して、カーバンクルは何を思ったのか、口を押えて笑っている。
田中はいら立ちを覚えながら「何がおかしい」と声を上げた。
「いやね。よりにもよって……奴が一番言いそうにないことを言ったからさ」
その言葉を田中は理解できない。
だがそぞろな不安を覚えた彼は近くの剣の刀身に映る自らの顔を見た。
当然だが、そこには、自分の知るロイ田中の顔が映っていた。そいつは、ひどく生気のない表情を浮かべていて、それも彼の想像通りだった。
「さぁ、いつまでもここにいる訳にはいかないでしょう?
とりあえず、落ち着ける場所までいこう」
ひとしきり笑い終えたカーバンクルは、そういってこちらに手を差し伸べてきた。
だが田中はそれを振り払った。もうどこにもいくものか。そんな気持ちだった。
「ここで野垂れ時ぬ気?」
「それができるなら本望だ」
「あらそう」
そう言って、カーバンクルは差し出した手を下ろした。
代わりにカソックの袖をめくり、手首に巻いた腕輪をさすって見せた。
「じゃあもうすぐできるかもね。
君が、現実の東京生まれのロイ田中君のままだったら」
そういうと同時に、カーバンクルの手に巨大な剣が表れていた。
田中は息を呑み、反射的に恐怖が胸に渦巻いた。
艶のない漆黒の刀身。彼女の背丈ほどもあるだろうその刃には、小さな文字でびっしりと何かが刻まれている。
細かな内容までは読めないが、どうやらそれは日本語で刻まれているようだった。
「偽剣『リヘリオン』。それなりに高性能なモデルなのよ、実は」
「それで俺を――殺してくれるのか?」
田中はしばし逡巡したのち、そう尋ねた。
「そんなことするわけないわ、話の流れを掴んでないの?」
「だったら何故そんなものを」
「決まってるでしょ? 敵がやってきたからよ」
その言葉と同時に、轟音が走った。
視界が揺れる。何かがこの城に叩きつけられたかのような、異様な衝撃だった。
そんな中、カーバンクルは涼しい顔で歩き出す。
「聖女の残滓に寄せられて賊がやってきたって訳。
たぶん盗る・殺る・犯す全部好きな連中ねえ」
剣を背負いながら彼女は部屋を出ていこうとする。
思わず田中は彼女に声をかけようとするが、それを阻むように、
「よかったじゃない。何もしなければ、君も殺してもらえる。
そりゃもうひどい、人としての尊厳を蹂躙されるような殺され方かもしれないが、こんな世で生きていくよりはいいだろう?」
そう嘲笑するように言って、カーバンクルは仮面を被って見せる。
そして「じゃあね」と漏らして部屋を後にする。田中は呆然と彼女が出ていった後を眺めていた。
「……またか」
またしても血の臭いが近づいている。
賊だと彼女らは言った。誰かがこの城を襲撃に来るらしい。
きっとカーバンクルは彼らと戦い、また血を流すのだろう。
そう思うと、田中は自分の中に奇妙な感覚が渦巻いていることに気づいた。
カチャリ、とその手に持った剣が音を立てる。
8《アハト》と呼ばれた男が持っていたこの剣を、何故か田中は手放せなかった。
失意に沈む中、これだけはずっと持っていた。まるで寄りかかるように。
二度とあの血の臭いをかぎたくはなかった。
何も見ず、何も考えずに、静かに舞台から去ってしまいたかった。
それが、ロイ田中としての偽りざる本心の筈だった。
にも関わらず、刀身に映る男の顔は、嗤っているのだ。
これから始まる狂乱に対して、隠しようのない期待と昂ぶりを見せている。
“死すら生ぬるい最悪の邪法だが、しかし拙者はお前の中で聖女を×すことができる”
……耳元で、あの男の声が聞こえた気がした。




