6 花火
花火というのは美しい。爆発の瞬間の派手さではなく、最後に消えていく光の残滓にはなにか思うところがある。もう消えてしまいたい、なんて感情。
……ばかげた考えだ。
見ているだけで暑苦しくなりそうな人の群れと騒がしい屋台。まさにお祭り騒ぎ。そこは突っ込めば花火の音が聞こえなくなりそうなほどうるさくて、正直離れたい。
「さ、いこ!」
しかし、勇猛果敢な彼女はためらいなくその中に突っ込んでいった。僕は人の群れに突っ込むのをやや躊躇したが、ここではぐれては不味いため、意を決して後を追った。
しかし、それにしても彼女の進むスピードは速い。あまり人混みに突っ込まない僕に比べてきっとこういうことは慣れているのだろう。
なんとか追い付き、肩に手を置いて捕まえる。
「ひゃっ、な、なに?」
「暑い、もう少し人が少ないところにいこう」
「二人きりになろうって?」
ニヤニヤする彼女に手を払う動作をして一蹴。この人混みの中でふざけるぐらいならあとでやってほしいものだ。
「そういうのいいから。あんまり人混みは得意じゃないんだよ」
「もー、仕方ないなー。金魚すくいで私に勝てたらいいよ。三回やってその合計ね」
「僕が勝ったら何か奢ってもらうよ」
「欲張りだね~、自分の意見を聞かせるだけじゃなくて賞品まで望むなんて。でもいいよ」
僕の要望を人質に、金魚すくいをやることになった。
まあ、きっと僕が負けても結局は彼女はちゃんと人混みから離れてくれるだろう。
ようは金魚すくいをやりたいだけなのだ。
近くにあった屋台で、金魚すくいの中年の男にお金を払って道具を受けとる。
「へい、兄ちゃん! 彼女連れかい?」
「兄妹です」
「えー、じゃあ私お姉ちゃん役ね」
「それにしちゃ似てない兄弟だな!」
金魚の中年男は愉快そうに笑うと道具を僕らに差し出した。
金魚すくいというのは中々に難しかった。最初に普通にすくおうとすると輪に紙が張り付いた道具であるポイが一発で破けた。彼女は一本のポイで二匹取っていた。「まあまあかな」と気取った様子でこちらをちらりと見てくるところが腹立たしい。
二本目は一匹だけとれた。全ての紙の部分を濡らさないことがコツだとわかり、一匹とれたが彼女は五匹取った。「えっへん」と声に出す様がまた腹立たしい。
三回目は四匹も取ったのだがこの時点で僕の負けだ。彼女は集中して金魚すくいを続けているので僕は暇になった。
「いっぱい取れたよー!」
嬉しげにそういう彼女。「そう」と僕は答える。
やることがない。どうするか。名案を思い付く。折角なので実行してみることにした。
椀の端を水が中に入ってしまうほどに水面に近付け、ポイの端で無理矢理中に入れる。これなら紙の部分が全く残ってなくても金魚をすくえる。
それが意外と上手くいき、どんどん金魚をすくえるので楽しくなり、集中してしまった。
しばらくし、ポンポンと肩を叩かれる。振り向くとでかい声で言われた。
「それは流石に反則!」
「そんなルールは書いてなかったよ」
「不文律っていうのがあるでしょ!おじさーん、おじさーん」
彼女は仲間を呼んだ。卑怯だ。
結果、金魚の中年男はゴツい顔で僕に反則の判決を下した。納得がいかない。
ブツブツと不満をいう僕を見て彼女はニヤリと笑った。腹立たしい。
その後、僕たちは正規の方法でとった金魚を賞品として受け取り、屋台から出た。
「あんな手まで使ってどんだけ人混み苦手なの~。ま、私が勝ったからお祭りをもう少し楽しんでいこうか!」
「暑い……苦しい……」
「リアルな拒絶だね。仕方ないなー。食べ物だけ買ったら風の通る場所に行こうか」
なるほど。僕が負けたら人混みの中に時間延長と言うわけだ。彼女は最終的には僕の要望を聞いてくれるという予想は、一応当たったが、これなら勝ちたかった。
それから僕は彼女に縦横無尽、というほどに振り回された。
主に目的は食べ物だ。
「お祭りなら焼きそばは食べないと」
「お祭りなら綿菓子は食べないと」
「お祭りならたこ焼きは食べないと」
「お祭りといえば林檎飴でしょ」
どうやら頭の中は食べ物でいっぱいらしい。とても幸せそうなことだ。
「どれだけ食べる気?」とつっこむと、「ここで食べなきゃ女がすたる!」とのこと。彼女の中の女の定義はひどくあいまいだと思った。
そんな頭の中が食べ物でいっぱいな彼女とともに屋台を回る。
これだけの食べ物の種類だ。結構時間がかかる。
途中で、金魚のためを思って涼しいところに行こう、と発言したら「私だって死にそうなんだから金魚だって大丈夫だよ」と謎理論で返された。僕はなにも言い返せなかった。
僕は夕飯がわりということで、焼きそばだけ彼女と一緒に買い、ようやく人混みの空間から解放された。精神的にとても疲れた。
いままでに比べると段違いに爽やかな風が吹く。
僕らは川の近くの涼しい場所に陣取っていた。当然、同じことを考える人間は多いもので、近くに何人もの人間がいた。
ただ場所が広いため人口密度は高くない。くつろげる空間だ。
といっても、隣に騒がしい食いしん坊がいるため、くつろげるというのも半々なのだが。
「おいしいおいしい」
「もっと静かに食べれないの?」
「えー、お祭りの日ってさ。テンション上がるじゃん。ほら、君ももっとテンションあげなよ。私だけテンション高いとか恥ずかしいじゃん」
「いつものことだと思う」
「そんな風に思ってたの⁉」
そんな彼女の様子を見て、少しだけ笑ってしまう。
そしてはっ、とした。彼女がにやにやと笑っている。
「……なに」
「ぺっつに~」
そう言って彼女は手元のものを食べ始めた。
この前よりもかなり食べ方が汚い。
その女子力の高さを示すようにハンカチとディッシュは常備しているようで、一口食べるごとにベタベタになる口元を何度も拭っていた。
だが頬っぺたについている食べ物のカスはいっこうにとれない。紳士的な行動として、本来ならその事を教えてやるべきなのだが面白いので黙っておいた。
本来ならその事を教えてやるべきなのだが面白いので黙っておいた。
「なんでニヤケてるの?」
「いや? 別に?」
「ふーん、楽しいならいいんだけどさ。そう言えば君、目標とかあるの? 死ぬまでにやりたいこととか」
「特にないかな。別に進路を決めろったって大学に入ってから決めればいい」
「ふふふ、いいなあ」
「あ……ごめん」
「いやいいって! 気にしないで! で、話、続行ー、そう言えば君、頭どれぐらい良いんだって?」
「だいたい上位十番には入る程度だよ」
「うわぁ……」
「君が頭悪いからって僕の頭の良さを引くのはおかしいと思うよ」
「失礼な! 順位は半分よりも常に上ですぅー。……そう言えば私、君のことなんにも知らないんだね」
「そりゃそうだろうね。知る必要のないことだ」
「そうじゃなくて私は知りたいの!話戻すけど死ぬまでにやっときたいこととかないの?進路じゃなくてキャビアをお腹一杯食べたいとかそういうやつ」
「僕は特にないよ。いや……そうだな……強いていうなら、大人になったら一人になりたい。人間のいない世界で生きていきたい」
「全人類を倒して世界征服?」
「別に。こんな願望叶える気はさらさらないし、人間がいなきゃどうせ僕は生きてけないんだ。人間撲滅ボタンがあっても僕はそれを押さないよ」
「そりゃよかった。ついでに一人になりたいっていってたけど」
そこで一度言葉が切れ、食べ物を口へと運ぶ箸も静止した。
「私は君の一人の世界に入れる?」
「……大丈夫だよ。あくまで夢や希望、未来のことを指すんだから、その頃には君は死んでる」
「そう、だね」
クスリとわざとらしく笑うと静止していた箸を再び稼働させた。
先程のように頬一杯に詰め込むガツガツとした食べ方ではなく、ファーストフードに行った時のような食べ方だ。所謂、普通に戻った、という感じだろうか。
「ふふ」と彼女は笑う。
「ご存じの通り私はもう死ぬからね。やりたいことはある程度リストアップしてるんだ」
いかにも内容を聞いてほしそうな言い方だ。だからその要望を答えるべく、満腹で気分のいい僕は口を開く。
「ふーん。どんなこと?」
僕は焼きそばを食べ終えた。その間に彼女は焼きそばとたこ焼きを食べ終えていた。
彼女は残った林檎飴と綿菓子を両方掴み、交互に食べる。綿菓子はフワッと食べ、林檎飴は見せつけるように舌を絡ませて艶かしく舐めていた。
別にそんな美味しそうに食べていたって、微塵も林檎飴を欲しいなどと思わない。
「世界一周旅行はやってるうちに死にそうだから諦めて、ヒッチハイクでぶらり旅も死にそうだから諦めて、美味しいものを食べるのはもうだいたい達成したしなー。あ、キャビア食べたことある?」
「ないよ」
「ふっふっふ。だよねー。ついでに全然美味しくなかったよキャビア。庶民舌なんだろうね。そこらへんのハンバーグの方がよっぽど美味しかった」
「ふーん。食べ物といえば金魚いらないから君にあげるよ」
「なにそれ。発想が恐い。そして要らないんですけど」
「僕が金魚を持って帰れば焼いて食べることになるんだけど」
「余りにも惨い」
こうして、食べ物の話題から急転換して金魚を押し付けることに成功した。
「もー、なに脱線してくれてんのー。やりたいことやりたいこと……」
バン! と花火の音。
一瞬で咲き、散り、儚く消えていく光。星が降ってくるかのようだった。きらきらと輝き、くっきりと網膜に残る光の残滓。
あまりにも目標がないから花火師にでもなってやろうか、と思う。
いろいろ難しいらしいがある程度なら僕はなんでもできる。ただ大きな努力は出来た試しがない。運動だって大概普通の人よりも出来た、小学生とはいえサッカーでもクラブチームに入ってもそこそこ活躍するぐらいには運動神経は良かった。だが僕にはスポコンで必要とされる熱意が圧倒的になかった。努力し、僕よりも上手くなっていく周りを見て、そのうち気づいた。僕はきっと何をやっても一生懸命に、命を懸けて行動をすることはできない。なにか夢があって必ず途中で底が見えてしまうだろう。
それが虚しく、どうしても自分が浅ましく見える。
だからというか、僕は普通の人間よりもはひねくれている自信はあるが、努力する人間のことは決して笑わない。まあ、表だって応援するわけではないが、尊敬はする。僕が持たないものを持つ人間のことを。
僕は灰色の景色を見る。
でも、本当に? 本当に世界や人間、そして僕自身は、救いようがないのだろうか?
「綺麗だね」と彼女が言う。
「たしかに」と僕は答えた。
色づいた空を眺めていた。その存在を掛けて輝く花の火は、無意味なんかじゃないって、まるでそう言っているかのようで。
「私の病気、現実迫観念症。これ、実はいいこともあるんだよね。感受性がより豊かになって、景色を綺麗に感じられるようになるの。こういうものを見るとニキビができにくくなる効果もあったり、肌が綺麗になるの。でも、なんで神様はこんな病気に救いを与えたんだろうね? 人を殺す病気なら、害だけを与えていればいいのに」
景色が鮮やかすぎる、と彼女はいった。現実迫観念症は深く考えたことや思想が、現実的である自分の体に影響を及ぼす病気だ。それは花火に深い感銘を感じてしまっている証拠。たぶん、自分を苦しめる病気が自分を喜ばせているという事実は、彼女にとって苦痛だった。
僕らはそれぞれ物思いに耽る。そうしてしばらく時間がたったあと、そろそろと言わんばかりに彼女が復活し、またハイテンションで喋り始めた。
「あ、そうだ。一番やりたいことは私も女の子だしどうせなら燃えるような恋がしたいな。いい関係になりそうだった人はいたけどまだ付き合ったことないんだよね、私」
「君でも女の子らしいことを言うんだね」
「え? 私めっちゃ女の子じゃん。ほら、リンゴ飴だよ? 綿菓子だよ? 二刀流だよ? 萌えるでしょー」
「燃えてしまえ」
「えへへへ」
そうやって僕の気のきいた冗談に彼女はニコニコと笑った。
「今の私は気分いいから、綿菓子か林檎飴あげようか? 間接キスできるよ?」
「いらない、お腹一杯だから」
彼女の企みはきっと純情な青少年を弄ぶことなのだろう。普通の人間なら効くだろうが僕には無駄だ。恥ずかしさも怒りもなく淡々と受け流せる。
「ねぇねぇ、ねぇねぇ。君さ、好きな人とかいないの」
涼しげな風が彼女の黒い髪をたなびかせ、僕の鼻をくすぐる。
僕はそれがうっとうしくて払った。
「嫌いな人ならいるね」
「私はどうなの?」
「不思議」
「予想の斜め上だよー」
嫌いな人間。認められないこと。根源の感情。
原因があった。
僕は人間が嫌いだ。自分も含めて、なにもかも救いがない、そういう生物が。
でも、本当は――。
「僕はさ」
「うん」
「……ごめん、なんでもない」
「……うん」
なにかを言おうとして、吐き出そうとしてやめる。そんなことは意味のないことなのだ。僕がなにかを想って、なにかを願って、なにかを祈って……。それに意味なんかない。僕がなにをしようがなにかが変わることがない。そういうものだと、知っている。
でも、僕は、この考えが否定されて欲しいのだ。
「あのさ、昔、僕の父が――」
「ん? あれ? よ、吉野さん⁉ 奇遇だねーー。どうしてここにいるのー?」
と、僕が喋っている途中、乱入者が現れた。
ぎょっとする。振り向けば遠くに知った顔がある。
服部という男だ。他人に興味がなくても知ってしまうほどに目立つ、クラスの人気者。
幸い距離はまだあった。
上手くいけば彼女と一緒にいるのが僕だとばれないかもしれない。服部という人間は見るからに口が軽そうで頭が悪そうな人間という印象、目立つ彼女と根暗な僕が一緒にいたと言いふらされるのはごめんだった。
「帰る」
瞬時に行動を決め、立ち上がる。
駆け出し、暑苦しそうな人混みの中に突っ込もうと足に力を込める。
「あ、待ってよ」
彼女は手を伸ばし、僕の腕を掴もうとしたがそれを僕は振り払った。
今後の展開で僕の名前がでることが無いように願いつつ、残った二人の状況を見ぬままに、夢中で駆けた。服部と関わるのは、ごめんだ。
走る途中、僕が言おうとしたことを考える。
ガキだった。感情のままに、なにかを喋ろうとしてしまった。もう二度と、失敗はしない。
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