39 μ
「わたしは大崩壊前に19体いた、“アンドロイド”のひとりで、正式な呼称は12番目を意味するミューって言うんだって。“セレス”はわたしを直してくれた博士のひとりの、大崩壊で連絡の取れなくなった、遠い故郷にいた娘さんの名前なんだって」
その声はどこか遠く、記憶の底をなぞるような響きだった。
セレスは正面、窓の外へと体の向きを変えた。
時折、風が分厚い雲の層を揺らすように流れていた。
彼女は両手を静かに前で組み、わずかに伏せた瞳で、言葉を続けた。
「博士たちはわたしの焼き切れた量子記憶領域を旧型のコンピュータのパーツで補完してくれたの」
「それで……セレスは目を覚ましたんだね?」
ハルトの声には、驚きというよりも、理解しようとする静かな意思が宿っていた。
セレスはゆっくりと頷いて続ける。
「……そう。記憶のないわたしに、博士たちはいろいろなことを教えてくれたの」
「本当に……沢山のことを教えてもらった……」
その言葉に続く沈黙は、言い尽くせなかったものの存在を物語っていた。
セレスは視線をそっと下げた。白い睫毛がうっすらと震える。
その仕草に、言葉以上の悲しみを、ハルトは感じ取っていた。
心がないなんて、ハルトにはもう思えなかった。
「そして、博士たちは、後世に、再び人類が栄光を手にするその日のために、この塔の管理を、わたしに託したの」
「……以来128年間、この塔を維持してきた」
「128年間……」
「……本当は、もっと博士たちに聞きたかったことが、たくさんあったのに──もう、それも遠い過去」
そこまで話すと、セレスはまた、ハルトの方に体を向けて、いつものように困ったように八の字に眉を曲げて、少し首を傾げる。
「……ハルト。あなたと会話するのは、楽しかった。でも、もう来ない方がいい」
そう言って儚げに苦笑いをするセレス。
なぜだか彼女も、ハルトと同じように心に傷を負っているような、そんな気がして、ハルトは言った。
「セレス……また、来るよ。今度は僕に、君が質問してよ。僕に教えられることなら、なんでも教えてあげるから」
セレスは少しだけ目を見開いた。
けれど、微笑むわけでもなく、首を振るでもなく、ただハルトの目を静かに見つめていた。
そして、二人はどちらが先というわけではなく、無言でエレベーターに乗り込んだ。
扉が静かに閉まり、内側の照明が柔らかく二人の輪郭を浮かび上がらせる。
わずかに振動を残して、エレベーターは下降を始める。
セレスは何も言わず、扉の上に並ぶ光る数字をじっと見つめていた。
数字は右から左へ、ひとつずつ数を減らしていく。
彼女の銀の瞳は、どこか遠くを見つめているようで、ハルトは声をかけることができなかった。
機械仕掛けの移動する空間に満ちた沈黙は、二人の距離を、まるで時間ごと包み込むように静かに満たしていった。
そしてその沈黙は、セレスが背負ってきた128年の静寂と、少しだけ溶け合っていた。




