表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/65

39 μ

「わたしは大崩壊前に19体いた、“アンドロイド”のひとりで、正式な呼称は12番目を意味するミューって言うんだって。“セレス”はわたしを直してくれた博士のひとりの、大崩壊で連絡の取れなくなった、遠い故郷にいた娘さんの名前なんだって」


 その声はどこか遠く、記憶の底をなぞるような響きだった。

 セレスは正面、窓の外へと体の向きを変えた。

 時折、風が分厚い雲の層を揺らすように流れていた。

 彼女は両手を静かに前で組み、わずかに伏せた瞳で、言葉を続けた。


「博士たちはわたしの焼き切れた量子記憶領域を旧型のコンピュータのパーツで補完してくれたの」

「それで……セレスは目を覚ましたんだね?」


 ハルトの声には、驚きというよりも、理解しようとする静かな意思が宿っていた。

 セレスはゆっくりと頷いて続ける。


「……そう。記憶のないわたしに、博士たちはいろいろなことを教えてくれたの」

「本当に……沢山のことを教えてもらった……」


 その言葉に続く沈黙は、言い尽くせなかったものの存在を物語っていた。

 セレスは視線をそっと下げた。白い睫毛がうっすらと震える。

 その仕草に、言葉以上の悲しみを、ハルトは感じ取っていた。

 心がないなんて、ハルトにはもう思えなかった。


「そして、博士たちは、後世に、再び人類が栄光を手にするその日のために、この塔の管理を、わたしに託したの」

「……以来128年間、この塔を維持してきた」

「128年間……」

「……本当は、もっと博士たちに聞きたかったことが、たくさんあったのに──もう、それも遠い過去」


 そこまで話すと、セレスはまた、ハルトの方に体を向けて、いつものように困ったように八の字に眉を曲げて、少し首を傾げる。


「……ハルト。あなたと会話するのは、楽しかった。でも、もう来ない方がいい」


 そう言って儚げに苦笑いをするセレス。

 なぜだか彼女も、ハルトと同じように心に傷を負っているような、そんな気がして、ハルトは言った。


「セレス……また、来るよ。今度は僕に、君が質問してよ。僕に教えられることなら、なんでも教えてあげるから」


 セレスは少しだけ目を見開いた。

 けれど、微笑むわけでもなく、首を振るでもなく、ただハルトの目を静かに見つめていた。

 そして、二人はどちらが先というわけではなく、無言でエレベーターに乗り込んだ。

 扉が静かに閉まり、内側の照明が柔らかく二人の輪郭を浮かび上がらせる。

 わずかに振動を残して、エレベーターは下降を始める。

 セレスは何も言わず、扉の上に並ぶ光る数字をじっと見つめていた。

 数字は右から左へ、ひとつずつ数を減らしていく。

 彼女の銀の瞳は、どこか遠くを見つめているようで、ハルトは声をかけることができなかった。


 機械仕掛けの移動する空間に満ちた沈黙は、二人の距離を、まるで時間ごと包み込むように静かに満たしていった。

 そしてその沈黙は、セレスが背負ってきた128年の静寂と、少しだけ溶け合っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ