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囚われの魔女とベネディクトイズム  作者: 空色ねずみ
後日談(ジャーナリズム)
65/88

「私だ」(1/2)


 彼はいたって気軽に、民家の戸を叩いた。


 地平線の向こうまで広がっている麦畑の中に、ぽつんぽつんと建っている小さな家の一つ。いかにも田舎の農家といった感じのこじんまりとした家は、かなり古そうではあるが家人の手が行き届いているようで、こぎれいな印象を受けた。ベネディクトはもう一度、戸を叩いたが、中からは何の反応も無かった。彼は少しだけ首をかしげる。


「不在かな」


 彼はそういったが、そんな問題ではないと私は思う。

 遠くでまたたく星の灯り以外には、使用人の持っているランプの明かりしかない闇夜。彼はいったい、今を何時だと思っているのだろう。私は時計など持っていないが、家主がとっくに就寝している時間だということだけは分かる。家の中からは物音一つ聞こえてこないし、周囲を見回しても明かりの点いている家など無い。

 ざあざあと草木を揺らす風の音だけで満ちた平穏な夜の世界を、ベネディクトはいとも簡単に破った。


 今度はこんこんなんて可愛らしい音ではない。がんがんがんがんがんである。


 寝ていた家のものたちは、夜中にいったい何事かと思ったことだろう。実際、中からはすぐにあわただしい音が聞こえてきた。飛び起きたときに何か物でも倒したのだろうか、何かが割れる音がして、かすかに悲鳴のようなものまで聞こえる。私は不運な家人たちに心の中でおおいに同情した。戸を叩くことで彼らを文字通り叩き起こしたベネディクトはというと、私を振り返って口を尖らせる。手が痛いと文句を言ったが、そんなもの、どうやって同情しろというのだ。

 やがて、戸の向こうに人が集まる気配がした。


「誰だ」


 男性の低い声がした。口調に怒りが感じられるのは、決して気のせいではないだろう。こんな夜中にたたき起こされて、普通の人ならば平然としていられない。他にも夜中に何事だと慌てた年老いた男性の声や、不安を口にする女性の声も聞こえてくる。ベネディクトは薄い戸を挟んだ彼らに、短く答えた。


「私だ」


 ――なにが「わたしだ」だ。

 私の心の中の言葉とほとんど同じタイミングで、中から声がした。


「……わたし?」


 それはそうだろう、と思う。

 彼がこの家を訪れるのは初めてだし、当然、全く面識も無い。


 次の瞬間、勢いよく扉が開けられた。中から顔を覗かせたのは、びっくりするくらい大きな男だった。背の高さはベネディクトだって負けてはいないが、何せ横幅が二倍くらいある。腕の太さも三倍くらいある。ついでに言えばランプの明かりに照らされた顔には傷がある。すっごく怖い。ベネディクトも、何もこんな男のいる家に押しかけなくても良いのに。そう、私は心の中で文句を言って、少しベネディクトの背中に隠れる。


「誰だか知らないがこんな夜中に――」


 怒鳴るようにあげられた声は、途中でしぼんだ。

 男はぽかんと口をあけて立ち尽くす。彼の後ろの婦人と老夫婦も、同じような顔をしていた。彼らの視線は一様にベネディクトに向けられていた。それはまるで、見たことの無い生物を見る視線である。


 なにせベネディクトという男は、あからさまにこの地から浮いている。

 王宮の舞踏会にでも出席するのかと思うような、立派な黒のタキシード。ぴっかぴかに磨かれた黒い革靴。輝きを抑えた金のボタンに、ランプの灯に照らされてきらっきらに輝く金髪。透き通るような白い肌に、端整としかいいようのない顔立ち。どうしてそんなモノが、こんな小麦畑の真ん中に立っているのか。しかもこんな夜中に。


「だ……ど、どちらさまですか」


 誰だ、と言いたかったのだろうが、男はいきなり敬語になった。どこぞの領主かお貴族様、ひょっとしたらどこかの国の王族のお忍びかと思ったのかもしれない。


「アルフレド・ベネディクト・ベラスコ」


 ベネディクトはそう即答したが、彼は別に名前が聞きたかったわけではあるまい。素性を問うたのだ。さらにぽかんとした顔をした彼に、ベネディクトは言葉を続ける。


「ところで私は今、無性に温かいスープが飲みたい」

「はあ?」


 家人は言ったが、私も言いたい。はあ?

 

「この地方の家庭で飲まれているスープは美味しいと聞くからな。作りおきがあれば温めてくれ。なければ、多少時間がかかっても構わない、今から作ってくれないか」


 よくもまあ、そんなに図々しいことを真顔で言えるものである。

 しかも相手は、怒らせたら怖そうな、自分の二倍くらいある男なのだ。今はぽかんとしているが、いつ本当にキレるか分からない。少しは怖がったり遠慮しても良いはずだと思うのだが――だからといってベネディクトが誰かに遠慮する図など想像も出来なかった。実際、ベネディクトは顔色一つ変えずに要求を付け加えた。


「ついでに泊めてもらいたい。もちろん、礼くらいはしよう」

「泊まる……ここに?」

「ここじゃなければ、君と話をする意味はないと思うが」


 むしろ怪訝そうな顔をして言ったベネディクトに、今度こそ男は怒りだすのではないかと思い、私は身構えた。――が、彼は意外なことに、ベネディクトの要求を全て受け入れたのだ。少しだけ家族で顔を見合わせたが、「汚いところですが、それでもよろしければ」なんて言った。

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