#52
そして、処遇に関する処理が終わったということは、もはやこの場所でやり残したことは何もない。
最初にこの場所を旅立ったのは、意外にも名誉騎士位をもらったばかりのグローリアだった。
なんでも、本物の騎士ともなればいろいろと必要なものが出てくるとかで、まずはそれらを買い揃える旅に出るという。既に教皇庁からは今回の報酬が届いているそうで、資金面では十分に足りそうとのことだ。
朝早くに出発しようとするグローリアの背中に向かって、俺は声をかけた。
「他の二人に挨拶はいいのか?」
「いいんだよ。リュネットとの喧嘩……じゃなかった、別れは昨日のうちに済ませておいたし。ああいう頭の回る奴と喧嘩すると疲れるんだよ」
疲れると言っている割にはやたら楽しそうだった気がするがそこには突っ込まず、代わりにもう一つ訊ねる。
「ディーノはいいのか? 憧れのあんたが黙って出て行ったって知ったら、あいつきっと泣くぞ」
「憧れねぇ……いや、最初はそうだったのは知ってるよ。でも何日も一緒に旅をして、あいつもわかってるはずだ。あたしとは住む場所が違うんだ、ってね」
「住む場所……?」
「あいつ、あたしに本気で怒ったりしたことあっただろ? 魔境の露天風呂でリュネットを前にして笑った時とかな。あいつはあたしにのぼせ上がってるように見えて、こっちの状況や行動に応じてちゃんと判断して言うことは言える奴なんだよ。あたしみたいに、ブチ切れたらどこまでも突っ走って、誰かに止められないと止まらないような馬鹿とは違うんだ」
言われてみれば確かにあの時ディーノは怒っていたが、あれは単にグローリアの意図を誤解していただけの話だし――まああれは普通だったら誰だって誤解するだろうが――それであいつが醒めたりするとも思えない。
「それにあいつ……教皇候補の一人なんだろ?」
突然のグローリアの言葉に、俺の心臓は止まるかと思った。おそらくそれは教皇庁の最大機密事項で――と言っても、俺も薄々気づいていたくらいだから、教会の仕事を多く請けているグローリアが察していたとしても不思議はない。
そもそも今回の仕事みたいなケースで、異端審問官と准司祭が組になって動くということ自体、慣例からすると異例中の異例と言える。おそらく将来の教皇候補であるディーノに対し、様々な場所に様々な状況で派遣することにより、自ら世界を見聞きし、かけがえのない経験を積ませるため、教皇庁はあえてこのような措置を取っているのではないか、と俺は想像している。一等官や特等官ではなく、あえて立場の近い三等官である俺と組ませたのも、そう考えれば理解できる。
「そんな偉大な聖職者サマと、ろくな教養も品性も無いにわか騎士とじゃ、何一つとして釣り合うわけがないんだよ。あたしにすらわかるんだ、あいつが気付いていないわけがないし、それにあいつはそういう判断に基づいてちゃんと理性的に行動できる奴だ。今更顔を合わせても――」
グローリアがそう言いかけたところで、ドアが大きく音を立てて開かれた。
見ると、そこには肩で息をするディーノの姿があった。
「グ、グローリアさんっ! もう、行ってしまうんですか……?」
その形相にたじろぎながらも、グローリアは頷く。
「で、でしたら、でしたらっ!」
そう言いながらディーノはグローリアの目の前まで駆け寄り、頭半分ほどの高低差があるグローリアの顔を見上げて、涙混じりの声で告げた。
「また、またお会いできますよね! そ、その、連絡先……連絡先だけでも教えて下さいっ!」
「え、えっと……」
あらかさまにたじろぐグローリアに対して、俺は意地悪な一言を告げてやる。
「誰がどういう判断で理性的に行動できるって?」
「むぐぐ……」
グローリアはしばらく呻いていたが、やがて意を決したのか、鞄からペンと一枚の紙片を取り出すと、そこにさらさらと文字を書き、ディーノに手渡した。
「一応、そこが今のあたしのねぐらだ。ほとんど荷物置き場代わりで、週に一度くらいしか戻らないけど、そこに届いた手紙には一応目を通してる。気が向いたら何か送って来てもいいよ」
「は……はいっ!」
「じゃあね。キミたちも気を付けて帰るんだよ。家に帰るまでがお仕事だからね」
そう告げると、グローリアは名誉騎士称号のおまけとして王国より与えられた軍馬にまたがり、颯爽とその場を後にしていった。
そしてその翌日、ついに俺とディーノが教皇庁に戻る日がやって来た。
家に帰るまでがお仕事、とグローリアは言っていたが、俺の場合は少し違う。教皇庁に戻ってから、最後の大仕事が待ち受けているのだ。
それは、この件に関する膨大な量の報告書を書き上げることだ。
俺を含めた全ての異端審問官には、神聖術による一種の行動制約がかかっており、報告書に嘘を書くことや、重大な事実をあえて記載しないことができないようになっている。これはあのドラゴンにかかっていた呪縛ほど強力なものではなく、その気になれば俺自身でも外してしまえる程度のものではあるが、外せば当然かけた側に気付かれてしまうので全く意味が無い。
ちなみにこれは書き忘れや書き間違いに対しても反応し、しかも何を忘れたり間違えたりしているのかもある程度気付けるようになっているので、ある意味便利でもある――そもそも認識自体が間違っていた場合にはさすがに効果は無いが。
一体どうやって書くべきか、と今から頭を悩ませているところに、すっかり旅支度を終えた、フード付きローブを被った姿のリュネットがやってきた。
「ピエトロも今日帰るのですか? 私も今から学院に戻ります」
見ると、リュネットの背後には学院の紋章が入った黒塗りの馬車が止まっている。
「そうか……ええっと、なんだ……」
しかし、こういう場面で何と言うべきか、なかなかいい言葉が見つからない。
そこで、俺は大事なことを思い出した。これを解決せずに教皇庁に戻れば、俺は間違いなく悶々とした日々を過ごすことになるだろう――下手をすれば年単位で、だ。それは何としても避けなければならない。
「えっと、最後に訊きたいんだけど」
「何でしょう?」
俺は一度大きく息を吸ってから、リュネットに訊ねる。
「あの宝玉を発動させる時、リュネットは言ったよな。俺を利用するためだけに、わざと俺に気を持たせるような行動を取ってたって。あれって本当なのか?」
違うんです本当はあなたのことが好きなんです、などという回答を期待していたわけではない。期待していなかったですとも。期待していなかったに決まっている。
しかし、ここではっきりと肯定してもらえれば、まだしも諦めがつくというものだ。有耶無耶にしたまま別れてしまうのが、俺にとっては一番きつい。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、リュネットの回答は非常に微妙なものだった。
「本当かどうか、と言われると……そうですね、利用するつもりがあったのも、気を持たせるつもりがあったのも事実です。正直、自分でも下手くそだとわかっていただけに、何故あなたが釣られたのかいまいち理解ができませんでした」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
「私が今更何かを言ったところで、あなたは全面的に信じられるのですか? それにこの件について、言葉で正確に説明しようとすると非常に難しいということに気が付きました。ですから……」
そう言うと、リュネットは俺の方に向かってつかつかと歩み寄ってきた。
そして、両手を俺の両肩にそれぞれ置くと背伸びをして顔を上げ、同時にフードがめくれて――
……。
……!?
……ぷはっ。
「それではごきげんよう、ピエトロ。またいずれお会いしましょう。ディーノさんもお元気で」
放心状態の俺を置いて、リュネットは馬車の直前で振り返って優雅に一礼し、そのまま馬車に乗り込んで行った。
去って行く馬車を棒立ちのまま見送りながら、俺は必死に考えていた。
今のは間違いなく『重大な事実』だ。つまり報告書に書かないことは許されない。しかし一体どう書けばいいというのだ。こんなことを報告書を書いて出すくらいなら、いっそ制約を解いて異端審問を受けて破門される方がマシかもしれない。
「……まったく、さ、最後の最後に、と、とんでもないことをしてくれやがって……!」
この事実を、一体どのように記述すれば制約を逃れつつかつ具体的な部分が判別不能な形で書き記すことができるか。
そんな思考と、唇に残った感触と、結局リュネットの真意が理解できたのに素直に喜べない悶々とした気持ちに脳内をぐるぐるとかき混ぜられながら――
俺は教皇庁からの迎えの馬車が到着するまで、その場にひたすら立ち尽くしていた。
-完-




