近縁種
それはもう俺達の直ぐ目の前まで来ていて、殺す気が有るなら今すぐにでも出来る距離だ。
「どうする?」
密々(ひそひそ)声で健十郎が問いかけてくる。
「全部聞こえてるから、小声で話さなくても大丈夫だよ?」
だろうな。狼なんだから。俺にさえでかでかと聞こえるくらいだ。
「逃げるべきだろ」
健十郎が俺を引っ張っている。正直俺は迷っている。
対岸に居る狼は追ってくるわ攻撃してくるわで散々だ。
だが、前の村の狼は攻撃をしてこないだけでなく追いかけても来なかった。
「哲さんは?」
「話だけでも聞いてみよう」
そう言えば、村に来た時はまだ精神が分離していたんだっけ。
もしかしたら何か見ているのかもしれない。
「分かったよ」
警戒を解くつもりはないが、知的に話しかけている感じからは話し合いの余地はあると思う。
口調も敵意がありそうに感じない。しかし、演技という可能性も考慮しなければいけないだろうか?
「はあ!? 正気か!?」
鼻をヒクヒクさせながら、周囲の匂いを探っている。最近こういう行動が多々見られる気がする。
「1つだけ教えておくよ。ポクについてきても、このまま灯台に行っても、どこに行ってもこの島には逃げ道はないよ」
「ほらやっぱり! 付いて行く方が危険だって」
「キミは冷静じゃないんだね」
「当たり前だろが!」
狼とは言ってもこれだけ流暢に話してくると、恐怖より怒りの方が勝ってしまうのだろうか。
「何でそんなに匂いを嗅いでいるのかな?」
狼には表情筋が少ないせいか、表情が殆ど識別できない。
「そりゃあ、お前らが近くにいるかを調べるために決まってるだろが」
「えっ?」
匂いで狼を調べるとか、人間業じゃないが……。
「やっぱりね」
「何か知ってるの?」
気になっていた事への核心に触れられそうな予感がする。
「灯台には近づくな、キミたちは5感が活性化する、ポクは狼。頭が“まだ良い”キミたちにはすぐに分かるよね?」
「俺達も何れは狼になるという事?」
「ご明察」
「そんなことあるわけ……」
健十郎は否定したくて仕方ないようだ。
「取り敢えずすぐ来て欲しいかな。あれに食べられたくはないよね?」
川の合った方向を指差してくる。
「あの狼とは仲間じゃないのか?」
「違うよ。でも……。それも後で話さないかい?」
「そう、だね」
腹拵え、雨宿り、暖を取る。これらが急務だ。
健十郎も哲さんも元気そうに見えるが、唇が少し青みがかっていたりと至る所からメッセージを発信している。
「蜜を垂らして、俺らを家畜にするのかもしれねー」
それは……。可能性は無くはない。俺達も実際に一度されたからな。しかも同族に。
「もう1つだけ聞いても良い?」
鋭い爪の生えた右手を差し出し、どうぞと言っているようだ。
「何故俺達を助けるの?」
「簡単さ。困っている同胞のため、だからね」
そうか。その話が本当なら、彼等も元は人間という事に。
「健十郎はどうする?」
「俺は嫌だ。絶対に、だ」
早く此処から移動したい。でも話が気になりすぎて俺は付いて行きたい。
「ポクは強いから、あの狼ならポクだけで簡単に倒せるよ」
本当かもしれないと思わせるには順分すぎる筋肉量が体毛の下からでも感じられる。
「信じられないならポクを殺してくれて構わないよ」
膝をつき、俺達に喉元と胸を差し出す。
警戒心が強く、直ぐに暴走する健十郎なら殺ってしまうかもと思っていた。
「お前も、うんざりしてるのか?」
意外にも、冷静に問いかけを始める。
「そうかもしれないね。でも悲観はしてないよ?」
口元が緩み、悪辣な含み笑いが目に入る。
狼が笑えはすべてがそう見えるのかもしれない。音声にも態度にも悪意は感じられない。
「ポクが死んでもキミたちが3人も助かるなら寧ろ喜ぶべき事だよね」
俺達より幼そうなこの狼は、心が成熟しすぎている気もする。
「それに、キミたちが狼になってしまったら、それはそれでいいかもしれないよ?
この最後の楽園で、人という柵から開放されるんだから」
健十郎が何を思っているのか知らないが、考え始めている。
長過ぎる。
「健十郎、決めるなら早くしてよ」
「……分かった。俺も付いて行くよ」
「じゃあこっちだよ。急いで」
健十郎の怪我があるので走れはしない。それでもできるかぎり早足で進む。
「ところでキミたちは、文字は読めるの?」
「当たり前だろ」
教科書を読む程度には読めるのは間違いない。
「どの言語かによるけど、ね」
「言葉なんて1つしかないだろ?」
教育の賜物で、単一言語説が浸透しているんだった。
「あー、それはまた後で話そうよ」
「そうしてもらえると助かるよ」
「何でそんな事を聞くの?」
「簡単さ。ポク達に読めない石碑に、もしかしたら何か手がかりがあるかもしれないからね」
主目的はそれか。ギブアンドテイクの関係がある以上、取り敢えずの信用はできそうだな。
狼が俺を……、もとい隣りにいる健十郎を横目で見ている。
「その脚、重症なのかい?」
「骨折してるだけだ」
骨折を“だけだ”と言い張るとは、虚勢は十分なご様子。
「じゃあキミの腕もだね?」
同じく当て木を付けているから直ぐに分かるだろうな。
「うん」
「そっちの巨体のキミは?」
狼は猫背のような姿勢なので、哲さんは巨体に見えるようだ。
「俺のは噛まれただけだ。折れてはないからすぐに治る」
心配するなと言いたげだが、狼は哲さんの方を危惧している。足を止めて奇声を上げたのだから。
突然の事で健十郎も身構えた。勝手に動かれると俺が苦しいよ……。
「そっか……。巨体のキミとは後で2人きりで話がしたいな。いいかな?」
「おい。そんな事言って、1人ずつ殺す気じゃねーだろうな?」
「違うよ。でも2人きりで話がしたいね。耳を塞いでいてもらえるなら一緒にいても構わないよ?
あくまで巨体くんへの配慮だよ」
深刻な病気にでもかかるのだろうか?
「いや、多分大丈夫だろうから俺達2人は離れておくよ」
だが俺は聞き耳を立てるつもりだ。この島に来てから良くなった耳で。
「俺は構わない」
哲さんが同意してしまったため、健十郎は苦虫を潰したような顔をする。




