曇天
Ⅰ
俺達の世界は、壊れていた。
見上げた空に太陽はなく、いつも曇天が広がっている。その下には、見渡す限りの瓦礫の山が軒を連ね、荒れ果てた大地は痩せ、水は常に泥に塗れていた。俺達の世界は、俺達が生まれ落ちた時点で、すでに壊れてしまっていた。
なぜ、俺達は此処にいる? なぜ、俺達はこの世界に生まれ落ちた? 延々と繰り返す自問に、自答をしたことは未だにない。
「レイン。また考えごと?」
「あぁ、すこしな」
「空を見上げている時は何時もそう、泣きそうな顔してる」
「そうか? ミシェルは周りがよく見えているな」
「へへー、そうでしょー!」
ミシェルは本当によく笑う。日の光が射さない薄暗いこの世界を明るく照らすように。それはまるで太陽のようで、皆の心を暖かくしてくれる。この笑顔に、俺達は何度救われたことだろうか。
「そろそろ時間か?」
「ううん。まだ大丈夫だよ。そんなに余裕がある訳じゃないけど」
隣に来て、ミシェルは崩れた瓦礫のイスに腰を掛ける。
「不安?」
「そうだな、不安だ。ミシェルだってそうだろ? なんてったって、自分が生まれた世界を捨てようとしているんだからな」
「うん……そうだね」
此処を去るときは、すぐ近くにまで迫っている。もう後戻りは出来ない。世界はそこまで壊れてしまった。ここで生活することは、もう出来ないだろう。生きていくには、此処は少々荒れすぎた。
「だんだんと、少なくなって行ったよね。魔物も、人も、ストレージも」
「あぁ、だから行くんだろ? 俺達も、そこへ」
「この先に、何が待っているのかな?」
「さぁな。豊かな所かも知れないし、此処よりもっと酷い環境にある所かも知れない。でも、大丈夫だ。きっと何とかなる。俺達ファミリーがいれば、どんな所でだって生きて行けるさ」
自分が酷く、矛盾していることは分かっていた。今まさに住めなくなった世界から脱しようと言うのに、逃げようとしているのに、どんな所でも生きて行けるなどと、そんな虚勢を張っている。
「……優しいね、レインは」
「ミシェルほどじゃないさ」
時計の針は、残酷に時を刻む。その時は、ついに来た。
「みんな、聞いてくれ」
遠く遠く、悠久の大地を越えて鳴り響く、崩壊の音。何かが、総てが崩れていく音を耳にしながら、尚もそれを掻き消すように、俺は生き残った仲間達に言葉を投げ掛ける。
「俺達は今日ここで、この世界と決別する。この先にある世界に、どんな者が居て、どんな物が有るのかは分からない。だが、それでも俺達なら生きて行ける。このファミリーなら、この仲間達なら、どんな所でも生きて行けると確信している」
崩壊は、振動を伴って迫り来る。
「この先の世界には、住める所がちゃんとあるのかい?」
「あぁ、もう雨漏りに悩まされることはない」
「酒と食い物は?」
「もちろん、大量にあるに決まってる」
「お洋服!」
「きっと色んな種類が沢山ある。毎日、新しい服に着替えられるさ」
みんなの瞳に宿るのは、期待と不安だ。
そして俺の役目は、その不安を取り除くこと。
「だから、みんなで行こう。この先へ。新たな空で、新たな大地で、新たな毎日を、共に生き抜こう!」
崩壊の音は間近にまで迫り、俺達の足下でも産声を上げ始める。
音が大きくなるごとに、空が割れ、地が崩れ、水が落ちていく。曇天からこぼれ落ちるそれは、滅び行く世界の悲痛を体現しているようで見ていられない。ゆえに空を見上げることはせず、ひたすら仲間達を見つめていた。
この世界から脱し、この先へと共に進む家族達を。
Ⅱ
「そう言えば先輩方、知ってるっスか? 殺人集団の話」
放課後、何時ものように部室で寛いでいると、風上がそう俺達に問いかけた。
「あぁ、少し前に攻略サイトで話題になってたアレか」
「たしかプレイヤーキラーの集まり、だったかしら」
「そうっス」
俗にPKと言われる、プレイヤー殺しのプレイヤー。攻撃対象をモンスターではなく、キャラ操作をするプレイヤーに定める意図的な暴力、妨害行為。明確な悪意をもって行われるそれは、この現実世界でも実際に起こっていた。
「連中、街から街へ、県から県へとPKを繰り返しながら移動しているみたいなんスけど。ついこの間、隣町にとうとう現れたらしいっスよ。そして、奴等の進路から見て、次の標的はこの街っス」
「イカレたサイコパス集団が大挙として御来店か。モスキート音でも流しておくか? 追っ払えるかも」
「それだと私達にもダメージが来るわよ」
コンビニに屯する不良を追い払う良い方法なんだが、それが通用するほど甘くはないか。第一、そのPK集団が青年だけとは限らないしな。年季の入ったおっさんのサイコパスなんて、想像したくはないけれど。
「しばらくキャラクター化は控えたほうが良いかも知れないっスよ。目を付けられたら一大事っス。連中、かなりしつこいみたいですからね。一度噛み付いたら食い殺すまで離さないって奴です」
「その人達、被害者がキャラクター化を解いても、同じように生身になって襲ってくるらしいわね」
「本当にイカレてやがるな。暴力も殺人もゲーム感覚か。現代が生んだ闇の集合体って感じだ」
一歩でも間違えれば俺達もそうなっていたかも知れない。そう考えると、ぞっとしない。風上後輩は知らないが、俺も怪姫月もそれに近い状態だった。
現実と虚構の混同視。この異常事態を、モンスターとの戦闘を、ゲームと捉えすぎて思考を縛られていた状態。それに気付かず、癌細胞のように水面下で思考が増殖していたら。もしかしたら、俺達もPK集団と同じようなことになっていたかも知れない。
飽くまで可能性の話だけれど、絶対に有り得ないとは言い切れない。
「その連中がこの街に来る前に、一稼ぎして置かないとな」
「迅? あなた、もうお金を使い切ったの? あの時、手に入った金額は、普通に生活していれば簡単に使い切れる額ではない筈なのだけれど」
「ん。まぁ、な」
怪姫月が言うあの時とは、ヴァンパイア・オリジンを倒した時のことだろう。
たしかにアレで大金が手に入ったが、今はもう手元にない。ほとんど残っておらず、現段階の所持金は雀の涙ほどだ。一度ファミレスで食事をすれば、驚くほど財布が軽くなるくらい。
「なんスか? 大上先輩って金食い虫なんスか?」
「違う。まぁ、多少は金遣いが荒い自覚はあるけれども。こう見えて稼いだ金の何割かは、きちんと貯金しているんだ。そう言うのもあって、人より金の減りが早いんだよ。俺は」
「……ふーん」
そう説明したものの、怪姫月は納得していないようだった。追究こそしなかったが、明らかに金の消費先を訝しんでいた。別に、大したことには使っていないから、どう思われようと構わないけれど。
「まぁ、なんでもいいっス。とにかく、嵐がくる前に蓄えを作りましょう。蟻とキリギリスっス。最後に笑うのは家でぬくぬくと冬を越す蟻さんなのです」
こうして意見が纏まり、俺達三人は今夜にもモンスター狩りを決行することにした。
嵐がくる前に蓄えを作り、過ぎ去るのをじっと待ち続ける。活発な働き者にとっては辛いことだろうが、面倒臭がり屋な俺にとっては楽なことだ。待ち続けている間は、ゆっくりと座していられる。むしろ、望むところだ。
こう言っては不謹慎だけれど。この気持ちは、台風で学校が休校になった時と感覚が似ていた。




