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73.二人

先日、前話を修正した際、前書きに書きました。

「次話は美雪の視点で」


でも、やはり順番的にはこちらが先かな、と舌の根も乾かぬうちに恋歌視点を投稿します。

ころころ変わって、すみません。

 不意に廊下を吹き抜けた風の音に、恋歌は膝の上で合わせた手を思わず強く握りしめた。

 きっちり閉めたはずの障子の隙間から吹き込んだ風が、行灯の火を揺らす。畳に落ちた恋歌の影が微かに揺らめく。

 影の肩が震えているように見えるのは、きっとそのせいだ。恋歌はそう思うことにした。

 けれど息は詰まり、平静でいようとしても吐息が震えるのは、ごまかしようがなかった。


 まいった。

 どんな顔をすればいいんだろ。


 高村晋輔と二人の部屋の空気が重い。

 高村晋輔は酒を飲まなかった。

 彼が何に備えているのかを考えれば、それは納得がゆく。逆に、だからこそ酒でも飲んで気分を高揚させるという考えもアリだとは思うが、高村晋輔に戦意高揚の必要はないのだろう。

 だから、恋歌は「今さら」とは思ったが、綾羽に茶の湯の準備をさせた。

 善次郎も籐衛門も望まなかったため活かす機会はなかったが、太夫になるものとして、簡単な作法はしつけられている。

 俯いて茶筅を振るいながら、こっそり高村晋輔の顔を覗き込みる。

 いつ吸血鬼が来るかわからないことを考えれば、彼には裸になって女を抱いている余裕なんてないはずだ。けれど、恋歌を抱こうが抱くまいが、明日になれば彼は金を取られる。彼には、払う金の分だけ遊ぶ権利があるはずだった。

 自分から誘うつもりはなかった。良かれ悪しかれ、彼女は高村晋輔を客とは見てこなかったのだ。それでも、彼が恋歌を抱きたいと望めば、恋歌は首を横には振れない。すべては目の前の小柄な侍次第だ。

 高村晋輔はどういうつもりでいるんだろう。

恋歌は悩み、茶碗を高村晋輔の方へと送りながら、彼の顔を見た。

小柄な侍は、恋歌がたてた茶の入った椀を手にとり、恋歌が習ってきた作法をすべて無視して口へともってゆく。水でも飲むように一気に飲み干し、苦みに顔を顰める。

緊張感のかけらもない。

 恋歌は口にはできなかったため息を、胸の中にそっと落とした。

 彼は何も言わない。

お茶の苦みが口中から消えるのを待って、高村晋輔は傍らに置いてあった太刀を手に取った。

 おい。

 心の中で突っ込みはするが、今さら恋歌も、それを表情には出さなかった。

 廓の中では刀は持ち込み禁止だったが、恋歌が廓の若衆に強引に認めさせたのだ。いや、強引にというほどでもない。恋歌は彼らにただ一つ、質問をしただけだ。

「もし、何か出てきたら、あんたたちが守ってくれる?」

駆け引きは嫌いじゃない。

 強気でいけるのならもちろん、なおのことだ。

 肉欲を隠そうともせずに目をぎらぎらさせながら近寄ってくる男は嫌だったが、ちやほやされるのは悪い気分ではなかった。丸山一番の美貌を誇る太夫に嫌われたい奴なんているはずがない。恋歌がカムロでいる間から、男も女も恋歌には一目置いていた。実のところ、まだ本当に男に口説かれたことはなかったが、一人前の遊女になったら、美貌と洗練された会話を餌に男を手玉にとってやる、と恋歌は考えていた。

 そういうのは嫌いじゃない。

 無視されるのは嫌いだ。

 高村晋輔に対する心象は減点されていた。

 自分の興味あること以外には関心のあるフリさえしない。絶世の美女を抱けるというのにだ。まっとうな男なら、なんとか恋歌の歓心を買おうとするはずなのに。なんとか話をもりあげ、おべっかを使い、多少の贈り物でもして恋歌の機嫌をとるべきじゃない、と恋歌は晋輔を睨み付ける。

 高村晋輔は恋歌の視線に気付き、不思議そうな顔をして恋歌を見た。

 罵りそうになって、やめた。自分に興味を持たないから怒るなんて、変な誤解でもされたのではたまらない。

 いや、誤解だろうか。

 正直、それは自分でもわからない。自分の中での彼に対する気持ちは、不快なものではない。それは、それだけは自覚している。

 けれど、だからといって……

考えてみると、今まで自分を抱こうとした男たちで、恋歌の歓心を買おうとしたやつなんていなかった。

 こんなにいい女なのに、何故?

 恋歌は自らの不遇を嘆き、ため息をついた。

 高村晋輔はというと、太刀を手に取ると、まず鞘を紐できつく縛った。それからその紐を更に刀の鍔の穴へ通して縛る。つまり刀を鞘から抜けないようにしたわけだ。

「?」

 説明してもらえるとも思わなかったから、恋歌は彼がやることをぼんやりと眺め続けた。晋輔は懐から布の玉を取り出した。前は何に使っていた布なのかやたらと汚れた布を、鞘を固定した太刀にぐるぐると巻き付けてゆく。

「何をしているの?」

「敵討ちの準備」

「それはわかるけど……その布で相手を絞め殺す……のは無理だし、刀に巻く意味もないよね」

「ないな」

「教えてあげようという気にはならないわけね」

「見ていればわかる」

「ふうん」

 わからないから、訊いているのだけど。

 そうは思ったが、恋歌はそれ以上の追求はしなかった。

 その代わり呟くように言った。

「でも、意外だったよ」

「そうか」

 高村晋輔は納得したように頷いた。

 恐らくは意味もわからずに。

 だから、恋歌は眉をひそめ、高村晋輔を睨みつけた。

「普通は『何が?』って訊くものよ。『何が意外なんだい?』って」

「何が?何が意外なんだ?」

「………」

「…………」

「…………」

 晋輔が目を上げる。不思議そうな顔をして、答えなかった恋歌を見る。

「普通はそこで答えないものなのか?」

 揚げ足を取る程度の知恵はもってるのね。

 それとも、最近学習したのかも。

 でも、誰から?

 あんたしかいないでしょ、と美雪がいたら突っ込まれているところだ。

「……意外だったのは、あなたがお金持ちだってこと。敵討ちなんて無収入・浪費、つまり貧乏の旅なんだと思ってた。まさかあんなに持ってるなんて……」

「あんなにって?」

「さっき財布を落としたでしょう?中身のぎっしりはいってるやつ。楼主、驚いてたわよ」

「これのことか?」

 高村晋輔はまた不思議そうな顔をして、懐に手を入れた。財布をとりだして、畳の上に放り出す。紐に巻かれた財布は、再び重そうな音をたてた。

「そうに決まってるでしょ?何を不思議そうな顔をしてるんだか」

 恋歌はその財布を手に取った。本気で重い。巻き付けた紐の端を摘んでから、財布を放る。くるくると回りながら畳の上に落ちた財布には、まだ紐が残っている。

「…………」

 恋歌は嫌な予感を感じながら、その紐を引っ張った。財布は畳の上でくるくると転がり、踊る。長い。財布を閉じるための紐にしては長すぎた。

「何をしているんだ?」

 晋輔が訊いたとき、ようやくその紐は完全に恋歌の手に巻き取られた。

 そして財布の中身は、まだ出てこなかった。

 縫い込んである?

 晋輔は、呆気にとられた恋歌の手から紐を取り上げると、それを更に引き上げた。ぶらん、とぶらさがった財布には取り出すところがなかった。中にどれ程の小判が入っていようと、どこかに穴をあけなければ取り出すことはできなかった。

 高村晋輔は特に表情も変えることなく、その紐を握って財布をぶんぶんと振り回してみせた。

「武器になるかと思って、石を入れておいたんだが、それがどうしたのだ?」

 と、文無しの若侍は不思議そうに言った。

 呻くように恋歌は呟いた。

「…………悪気がなくたって罪は罪だ、とあたしは思う」

恋歌の言う意味を全く理解していない様子で、晋輔は再び財布型の武器を巻き取り始める。

今から楼主に言ったら、許してくれるだろうか。

 恋歌は少し考え、やめておこう、と結論をだした。

 どうせ今から言ったってしようがないし、吸血鬼が来れば女を抱くどころじゃなくなる。手をつけられないまま朝を迎えるのなら、昨日や一昨日と変わりない。

 あたしの評判はどこまで落ちるんだろう、という危惧はあったが、恋歌はとりあえず目をつぶることにした。

 なんにしても、と恋歌は、高村晋輔を見つめながらひとりごちた。

 あたしがあんたに抱かれる理由はなくなった。

「言わなきゃバレなかったのに」

「なにが?」

 恋歌は答えなかった。

 楼主の勘違いにつけこめば、晋輔はこのまま恋歌を抱けたはずだ。

 もちろん、明朝になってから文無しであることがわかれば、袋叩きにされるだろうし、高村晋輔はきっとその罰に逆らわず、容赦のない暴力を従容として受けるのだろう。

 それでも、これだけの美人を抱けるのだ。そのくらいの罰は食らってみてもいいはずだ、と恋歌は思う。その辺の価値観を聞いたら、美雪あたりは呆れるのだろうが、恋歌は自分を抱く(かもしれない)男には、そのくらいの意気込みを望みたい。


 だが。

 意気込みも何も、本人が望んでいなければ、袋叩きになんてされたい奴はいない。

 高村晋輔が自分のことをどう思っているのか。

 自分に何か、望むことはあるのか。

 高村晋輔の泰然とした態度は、その答えが否であることを如実に示していた。


 高村晋輔は、恋歌を望まない。

 この若侍は、他の男たちが目の色を変えてまで欲する恋歌の初夜に興味を持たない。


 それは屈辱だった。

 郭で数年を過ごし、郭の価値観を身に着けた恋歌にとって、男に一顧だにされないということは、これ以上ない屈辱だった。

 同時に。

 それは言いようのない敗北感と失意を伴っていた。


 その意味を恋歌は感じていた。

 その心が意味するものを、恋歌は知っていた。

 自分は高村晋輔を嫌っていない。

 そして、自分は郭の女で、いずれ多くの男たちに抱かれることになっている。

 その最初の男になる権利を高村晋輔は、欲しがらない。

 善次郎に抱かれたくなかった。羽村屋籐衛門にも抱かれたくはなかった。出島のスヴェンを悪い奴だとは思わなかったが、それでも彼に抱かれることを、恋歌は遂に忌避したのだ。

 高村晋輔に抱かれる。

 そんなことはついさっきまで、想像していなかった。

 敵討ちという難しい使命を抱えた彼。成功すれば江戸での生活が待つ彼と結ばれることはありえない。


 だが、ただ一度の夜なら。


 これから先、どれほど気の会う男が現れても。


 将来、どれほどの大尽が彼女を高く買い取っても。


 今後、どれほどの変態が彼女を汚しても。


 決して失われることのないただ一度の思い出。

 これから彼女の体を通り過ぎてゆく無数の男たちの一番最初。


 郭でも恋はある。

 それは多くの場合、多くの男たちに抱かれた後、気の会う男と巡り合うことを意味する。最初の男が「望んだ相手」であるなんて、郭の女にとっては奇跡のような巡り会わせだ。

 だが。

 高村晋輔はそれを望まない。

 恋歌は高村晋輔に望まれていない。

 自分はこの若侍に嫌われていない、と思っていたのに。もしかしたら、ほんの少し自分は望まれているのかもしれない、とさえ自惚れていたのに。


 その意味を恋歌はわかっている。

 自分の心が味わっている苦しさを、恋歌は知っている。

 その失意が世間で何と呼ばれているか、それを知る恋歌は、それでもその感情に名前を付けることを拒否した。


 だから。 


 残念でした。

 と、心の中で言ってやる。

 高村晋輔に対して。

 本当に残念でした。あたしはあんたのものにはならない。

 今晩、鬼を退治したら、明日には安心した客があたしを抱きに来る。この貧乏侍には到底出せないような金を積んで。

 そうなればもうあんたの出る幕はないよ。

 あんたは、私が他の男に抱かれるのをただ黙って見ているだけ。

 残念でした。

「何を睨んでるんだ」

 不思議そうに高村晋輔が恋歌の顔を見る。

「何か怒らせるような事でもしたか」

「睨んでなんかないわよ」

 あんたが可哀想なだけ。

 そうとも。

 ゛あんたが゛可哀想なだけ。

「残念でした」

「何が」

「別に」

 本当に残念でした。


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