54.階段にて
前話の投稿から、ひと月近く経ちました。
そのわりに、あまり書けていなかったり。
まだ、ゆっくりペースの更新をお許しください。
無理な姿勢で、ひどく首が痛む。恋歌は、その痛みで目を覚ました。
恋歌、美雪、高村晋輔。
三人は地上階への階段に腰掛け、身を寄せあって眠った。
もちろん、陰気な地階で眠ることを、恋歌たちが望んだわけではない。色々な意味で疲れていた。できることなら、畳の上で布団を敷いて寝たかった。こんな閉ざされた地下で、ではなく。
だから、春風や善次郎が消えた後、恋歌たちは当然、地上へ上がろうとした。だが、階段は一階で塞がれていた。地上からは狭い階段を板で塞ぎ、あろうことか、その上に重い荷を乗せて開けなくしていたのだ。
もちろん、それは春風が勧めたことだったという。 地階に下りた恋歌と高村晋輔が逃げられないように、とは流石に言わなかったらしいが、彼らを目当てに現れた鬼が地上に上がってこないように、という理由で、春風は楼主に言ったらしい。
階段は封鎖すべきだ、と。
その後、地階に下りようとした美雪は、その物々しさに抗議し、そこを開けさせて下りてきたのだという。
だが、彼女が下りた後、再び階段は閉ざされたらしい。
「……春風姉さん、あたしたちが絶対に逃げられないようにしたってことよだよね」
恋歌は言い、美雪は無言で頷いた。
「どうしても、わしらを殺す算段をつけ、善次郎の歓心を買いたかったのだろう」 晋輔も、沈痛な声で言いながら頷く。
恋歌は、その生真面目な顔に向かって、しかし、軽い口調で尋ねた。
「で、どうするの?」
「ん?」
恋歌は半分笑うように尋ねる。軽く。
自分でも気まぐれだと思う。
昨夜の高村晋輔に対する強烈な想いは、今ではすっかり醒めている。死に瀕する危険な状況を潜り抜け、外に出ようとしたら、出口が閉ざされていて、外の人間には見捨てられたことが発覚。失意と憤りを感じながら、第三者も含めて狭い場所に蹲っているうちに、だんだん頭が冷めてきた。美雪の前で一人で盛り上がったことがひどく恥ずかしく思えた。
なにより高村晋輔のくそ真面目な顔をみているうちに、すべてが馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。
もちろん、気持ちは消えていない。まだ、自分の中には、彼への好意はある。だが、夜に意識した想いの強さは、どこか遠くに感じられていた。
つまり、朝になって目が覚めた、ということなのだろう。気まぐれな性格に、自分で苦笑いする。
「善次郎、明日も来るよ。っていうか、もう今夜、だね」
「うむ……来るだろうな。だが、今のわしらは、奴らが火に弱いことがわかっている。今までと同じではない」
「まあ、そうだね」
「それに、今日は出島に行くのだろう?」
「うん。鬼を倒す方法を訊いてみる」
「そうか。なら、大丈夫だな」
晋輔は頷き、決意を感じさせる低い声で言った。
「次に奴が出てきたときを最後にしてやる」
「……それなんだけど」 と、美雪が躊躇いがちに口を開く。
「鬼の倒し方を訊くって言うけど、聞くべき相手は出島にいんだよね」
「恋歌なら出島に入れるのだろう?」
美雪の問いかけに、高村晋輔は確認するように尋ねる。
出島に入れるなら問題は何もない、と思っているのだろう。
だが、美雪はもう少し現実的に物事を考えているのだろう。納得せずに、更に恋歌に問いかけた。
「そうだけど。……相手はオランダ人だよね」
「うん」
「……あんた、オランダ語なんてわからないんじゃない?」
「わからないね」
恋歌は頷く。
オランダ行になったからといって、郭がオランダ語を教えてくれるわけではないし、教えてもらえたところで、異国の言葉など、素人が簡単に覚えられるものでもないだろう。美雪の懸念は当然のものだった。
「で?」
「……考えはあるんだ。オランダ語を話せる子に通詞を頼むんだよ」
「ふむ。まあ、それしかないだろうな」
晋輔は特に驚くこともなく頷く。
実際、それしかない。
なんといっても、奉行所が派遣する日本人通詞に頼むわけにはいかないのだ。
「でも、簡単に言うけど、当てはあるの?」
美雪は当然の質問をする。
「小百合がいいかな、と思ってる」
「……小百合、か」
美雪は、恋歌の出した名前に頷いて見せた。
小百合は、丸山でも有名な少女だった。 非常にオランダ語に堪能なカムロ。
そして、出島専門の「雇いカムロ」だ。
出島や唐人屋敷に入れる女性は、予め登録された遊女とそれに付き従うカムロだけだ。だが、多くの遊女にとっては、異国の男に抱かれることは恐ろしく、避けたいことだった。なんといってもこの国は百年以上鎖国を重ね、異国の人間を見る機会などほとんどなかったのだ。そんな得体のしれない異性に抱かれたい、と願う女性はほとんどいない。
そこで丸山遊郭は、異国の男に抱かれる遊女を確保するため、外国人居留地専門の「素人」遊女を抱えることにした。
本来、遊女というのは、遊女屋に買われ、そこで生活する女たちだ。丸山は他の遊郭と比べて遊女の外出には緩やかではあったが、それでも郭に買われた女たちが郭に生活の場を縛られていたことに変わりはない。
それに対して、普段は町中で普通の女として暮らしながら、郭から望まれたときだけ外国人居留地に入る女たちがいる。
これら名のみを郭に置く女たちを「名付け遊女」と言い、同様に名のみを郭に置くカムロを「雇いカムロ」と呼ぶ。
彼女たちにしてみれば、日本人を相手にしていて、下手に知り合いにでも出会って居心地の悪い思いをするより、知り合いのいない外国人居留地に入る方が、市井に暮らす上で都合が良かった。
また、実際に相対してみれば、日本の男より異国の男たちの方が女に対して優しい、と喜ぶ女も少なくなかった。
もちろん、奉行所は外国人居留地への出入りを管理する都合上、これら「素人遊女」を嫌った。
それでも、需要がある以上、名付け遊女や雇いカムロを根絶することはできなかった。
そして、そんな雇いカムロのひとりが小百合だった。
オランダ行になったからといって、オランダ語が話せるようになるわけではない。
実際、阿蘭陀行の遊女のほとんどは、片言しか彼らの言葉を知らなかった。それでも相手の求めるものが初めからわかっている関係ならば、身振り手振りで簡単な会話はできる。相手の望むのが会話ではないのなら、そして求められる行為に言葉が必要ないのなら、更に問題は簡単になる。
着ているものを脱がせるのも、床にいれさせるのも、簡単な身振りで通じる。
そのことだけに限定すれば、言葉など要らないかもしれない。
そうは言っても、やはり床を共にする男女が互いの話す言葉もわからないというのは味気ない。男の方は、単に女を抱くだけでなく、女との会話ややり取りを楽しみたいと考えている。そんな中、通訳ができるカムロというのは、非常に重宝された。
噂では、小百合は出島へ出入りを繰り返すうちに、オランダ人だけでなく、その奴隷の言葉をも理解しているとのことだった。
「そりゃ、小百合のオランダ語なら十分だろうけど、あの子がこんなことに協力してくれるとは思えないけど」
「頼んでみないとわからないよ」
澄まして答える恋歌の顔を、美雪はじっと見つめていった。
「当てがあるのね?」
「そんなたいしたもんじゃないけど」
「ふうん。なんだか、悪そうな顔してるけど」
「失礼しちゃうわ」
恋歌は頬を膨らませて見せたが、実際には美雪の言う「悪そうな」ことに心当たりがあった。
それも、かなり。
その後ろめたさを振り払うように首を振ってから、恋歌は地上への階段を塞ぐ板を拳で叩いた。
「ここ、開けてよ。誰か、いない?」
「あ、お目覚めですか?いますよ」
返事はすぐにあった。板のすぐ外で若衆の声が答えた。
聞けば、外ではすでに日が昇り、昼間の仕事をする者は動き始めている、という。返事をした若衆は、ちょうどここを通りかかったらしい。
「ああ、よかった。じゃ、ここ、開けてよ」
簡単に頼む恋歌に、しかし、簡単には返事は返ってこなかった。
「……春風さんが良しというまで開けてはいけない、と言われています」
短い沈黙の後、板の外の若衆は、言いにくそうに答え、逆に聞き返してきた。
「で、春風さんは?」
「……それは…」
善次郎に噛まれて鬼になった。襲ってきたので炎で滅ぼしたら、跡形もなく消えた。
そう返事をしたのは、少し経ってからだ。
返事はなかった。
もしかして、こちらの返事を待てなくて板の前を離れてしまったのか、と思ったとき、困惑した声が聞こえた。
「……他の者を呼んできます」
「春風を殺したのか」
そう訊いてきたのは、まず楼主だった。
板が外され、外の光が見えるのと同時に目に入った厳つい顔。
それはただ怒っているだけの表情ではなかった。
鬼により人が殺される、という信じがたい事情を主張する美貌の遊女。
嘘だと笑い飛ばしてしまえば、楽な話ではある。
だが、その新人遊女の言葉通り、確かに彼女の周りで死が渦を巻いているのだ。不用意に近づけば本当に殺されてしまう。
そのことを、楼主は初めて、金銭勘定抜きで理解したのだ。
怒りはある。
だが、手元の遊女ひとりを潰され、彼はおびえてもいた。
今、恋歌に向けられているのは、疫病神を見る目なのだった。




