52.消失
3/31、前話「鬼たちの夜12」に加筆訂正しました。
大筋では変わっていませんが、御再読いただけると嬉しいです。
4/1 投稿直後ですが、52「消失」で訂正。
数行追加しました。(投稿時、コピペを失敗してました。何故だ)
2013/4/16 誤字等訂正
春風の最後の欠片が赤い光とともに燃え散ったとき、後には何も残らなかった。
そこに春風という遊女がいたことを示すものは、何もなかった。
気がつくと、既に善次郎もいない。
ここにいた二体の鬼は、完全に消えてしまっていた。
その意味は異なるにせよ、跡形もなく消えた、という意味では、彼らには同じ一夜の終わり方だった。
恋歌がそう思ったとき、ふと白く光る物が目に付いた。
むしろ、何故すぐに気づかなかったのだろう。春風の燃える光に、目がくらんでいたのかもしれない。
恋歌は腰をかがめ、それを拾った。
簪だ。
たぶん、安くはない。
それは銀の簪だった。
「春風の?」
美雪が聞いてくる。
「うん」
恋歌は答え、それを美雪に差し出した。
「たぶん、春風は、私には持っていて欲しくないんじゃないかな」
「別に、私に持っていて欲しいと思ってもいないとおもうけど」
「それでも、私が持っているよりは、ましだよ」
美雪は、春風の恋歌に対する気持ちを、もちろん知っていたのだろう。それ以上反論することなく、彼女はそれを受け取った。
そのことに、恋歌は小さく安堵する。
「美雪は、たぶん、春風に感謝されていたと思う。絶対に嫌われてなかったと思う」
「……うん」
「だから、美雪が持ってて」
「……はい」
美雪は小さく頷いた。
朝になれば、誰か降りてくるだろう。
春風がいなくなったことをどうやって説明しよう。
火をつけたら、跡形もなく消えてしまったなんて、きっと誰も信じない。
もっとも、誰も信じなくても、春風が地下に下りてきたのは、遣り手のサキも知っている。地上に出ていないのだから、探していなければ、春風が消えたことは認めざるを得ない。その意味では、最初の夜と同じた。
それをどう解釈するかは、恋歌たちが決めることではない。
そう考えれば、恋歌たちが悩む必要はないのかもしれない。
むしろ、春風の異形の死体が残っているより、恋歌たちには楽な状況だとさえ言えるかもしれない。
そんな風にも、考えることは出来る。
だが。
ふと、恋歌は考える。
待て。
春風の体は消えた。
鬼。
血を吸う鬼。
いうなれば吸血鬼と化した春風の体は、炎に包まれ、本当にわずかな灰さえも残さず消えてしまった。
もはや春風がここにいたということを示すものはない。
高村晋輔が春風という吸血鬼を倒したことを証明することは出来ない。
それはいい。
鬼とはいえ、一人の女を殺したという証拠など、恋歌も美雪も高村晋輔も望んではいない。
だが、証明しなければならないこともあるのだ。
恋歌は、高村晋輔を振り返った。
彼は静かに、春風が消えた場所を見つめていた。
わかっているのだろうか?
恋歌は春風の死に感じた衝撃を抑え込み、高村晋輔に呼びかけた。
「ねえ」
「……すまない」
高村晋輔は、恋歌の呼びかけに対する答えとしてではなく、恋歌に頭を下げた。
「え?」
恋歌は晋輔の言葉の意味がすぐにはわからなかった。
謝罪。
だが、何故?
恋歌を救って太刀を振るった高村晋輔か、恋歌に何を謝罪するのだろう。その答えを晋輔の言葉の続きは教えた。
「すまなかった。わしは、春風殿を救えなかった」
「……」
そんなことはどうでもいい、とは言えない。
春風を救えなかった苦しさは、恋歌自身の中にもある。
むしろ、恋歌に対する悪感情が春風の中で鬼への傾斜を助長していたのだとしたら、その責任は晋輔よりも恋歌の方が重いとも言える。心が抱えるべき重みも。
それでも。
それだからこそ。
恋歌は顎を引いた。
顎を引き、揺れそうになる視線を鉄棒のようにまっすぐに高村晋輔に向ける。
「あんたのせいじゃない。責任を感じるのは私であるべきだと思う」
美雪が見ている。
その視線を感じながら、恋歌はもう一度繰り返した。
「春風を救えなかったのは、私のせいです」
「しかし……」
「でも」
高村晋輔と美雪が同時に異論を挟もうとするのを、恋歌は強い口調で止めた。
「私のせいです」
「あんたは……」
美雪が呆れたように言う。
「お前は……」
高村晋輔の口調も同じだった。
「あんたたちは、責任を感じないで。そもそも、美雪は巻き込まれただけなんだから。晋輔にしても春風を切ったのは、私を助けるためでしょ?」
「それはそうだが……」
「そんなことより」
恋歌は二人を遮るように言葉を被せた。
そんなこと、ではない。
仲が良かったとは言えなかったが、それでも同じ遊女屋で暮す「仲間」であったはずだ。彼女の苦悩を知っているからこそ、彼女には救われてほしかった。
彼女の無残な死を「そんなこと」と感じることはできない。
それでも、恋歌は心に重くのしかかるそれを強引に脇に追いやって、言葉を続けた。
「春風、消えちゃったよ」
「ああ」
穏やかな口調。
高村晋輔の口元には、むしろ小さな微笑さえ浮かべている。
小さな、苦笑。
その笑みの意味するものを、恋歌は察した。
まさか。
わかってる?
だが、それを認められなくて、彼女は言葉を重ねた。
「春風、消えちゃったよ」
「……そうだな。まあ、いいさ」
少し困ったような、だが、それほど大きな問題とは感じていないような苦笑。
そんなはずはない。
高村晋輔にとって、それは看過できる問題であるはずかないのだ。
だから、恋歌の声には苛立ちが募る。
「そうだな、じゃないよ。わかってる?晋輔、ちゃんとわかってる?」
「わかってるさ」
「わかってないっ」
恋歌は怒鳴った。
彼はわかっていない。
わかっているはずが、ない。
わかっていてこんなに穏やかでいられるはずが、ない。
「あんた、絶対わかってないよ。春風は消えちゃったんだよ」
「ああ」
「鬼を倒したら、成仏した幽霊みたいに消えるかもしれないんだよ」
「……そうかもな」
「だったら……」
「だったら、善次郎を倒しても同じかもしれない」
晋輔は穏やかに恋歌の言葉の先を継いだ。
「あ」
その意味するところを、美雪も悟ったのだろう。
呆けたように口を開き、動きを止めた。
高村晋輔に驚いた様子はなかった。彼はすべてを理解していて、すべてを受け入れていて、そして穏やかに笑っていた。
「いいんだ」
高村晋輔は繰り返した。
その笑顔には苛立ちも悔しさも混じってはおらず、恋歌にはまるで透き通っているようにさえ見えた。
鬼を殺せば、その死体は消えてしまう。跡は残らない。鬼になる前の人の姿も残らない。
そもそも、人目のある所では現れない鬼である以上、目撃証人は望めない。
つまり、もし、首尾よく善次郎を滅ぼすことが出来たとしても、その死体が春風のように消えてしまうのだとしたら、高村晋輔が父親の敵を討ったのだという証拠は何一つ残らないのだ。
もちろん、恋歌は証言する。
奉行所でもどこででも自分の見たすべてを証言するだろう。
だが、仇が鬼になり、殺したら消えてしまったなどと、役人に話したところで、それを認めてもらえる可能性はきわめて少ない。
きっと美雪も証言してくれるだろう。
だが、彼女には弱みがある。
その意味では、恋歌も美雪に関する部分ではすべてを話すことは出来ない。鬼を退けた彼女の信仰を話せない以上、美雪や恋歌の証言にも穴が出来る。弱さができる。
そして、おそらく高村晋輔も美雪の信仰については言おうとしないだろう。
恋歌はそれを確信していた。彼はそういう男だ。彼のそういう点を、恋歌は高く評価しているし、そんな彼に対する自分の好意も、恋歌は否定しない。
だが、それでは、彼は帰参できない。
仇の死体は残らず、目撃者はほとんどおらず、遊女の証言にも陰りがある。
それでは、役人は、敵討ちの成就を認めようとはしないだろう。
それでは、彼は帰参できない。
高村晋輔は、自分の家に戻ることもできず、野垂れ死ぬしかない。
それがわかっていて、彼の微笑には打算や損得勘定で損をする翳りは見えない。
「いいんだ」
もう一度、高村晋輔は頷いた。
「どうせ、誰も待っていない」
それは穏やかで、優しく、儚げな微笑だった。




