37.拉致4
2013/4/22 誤字訂正
「終わりだ」
高村晋輔は用心棒に告げた。
用心棒の大刀は、地面に突き刺さっている。
高村晋輔は地面に刺した太刀で、用心棒の大刀を受けた。用心棒の大刀は、晋輔が踏み込んだ足で支えたその太刀を滑り、簡単には引き抜けないほど深く刺さっていた。
用心棒が絶句する。
恋歌も言葉を失っていた。
そして、高村晋輔は、最初から必要以上の言葉を用いるつもりがない。
短い静寂が舞い降りた。
短い。あくまで短い沈黙だった。唖然としていた用心棒が、我にかえる。
「このっ」
大男は唸り声をあげた。
若侍に馬鹿にされた怒りをもって、自慢の膂力を取り戻す。地面に突き刺さった自分の大刀を引き抜こうとして、……しかし、そこで戸惑った。
抜けない。
それはそうだろう。
高村晋輔がいつの間にか自分の太刀を引き抜き、その代わりに今まで自分の太刀に乗せていた足を用心棒の大刀に足を乗せ、踏みつけていたのだ。
言葉数は多くないが、晋輔も必要なことは告げる。
表情のない声で、低く呟くように。
「殺すな、と言われた。だから、お前は動くな」
「小僧っ」
用心棒が目の色を変える。
そして、今度こそ、怒号をあげながら、渾身の力で大刀を引き抜いた。
その瞬間。
いや。
正確には、そのほんの一瞬前。
高村晋輔は、大男の大刀に乗せていた足を外した。
渾身の力を込めた用心棒が、勢い余って体勢を崩す。
不意に大刀から抜けた力に、たたらを踏む。
一方の高村晋輔は、もちろん体勢を崩さなかった。
慌てた相手の懐に、躊躇なく一歩踏み込む。
太刀を自分の体に引きつけ、それから小さな型で小さく振る。
二度。
刃は返していた。つまり「峰打ち」というやつだ。大して力も込めてはいないだろう。
それでも悲鳴があがった。
二度の峰打ちは、大男の左右の二の腕を叩き、そして砕いたのだ。
用心棒が大刀を手放していた。恐らく重みのある落下音があったはずだが、用心棒の悲鳴で恋歌には聞こえなかった。
「あああああああああ」
悲鳴は止まらない。
大男は両の手首を交差させるように重ね、しかし、落ちた大刀に手を伸ばすこともできずに吼えている。
今まで何度か、こいつが酔っ払いを打ちのめすのを見た。相手も碌なものではなかったが、それでもこいつが笑いながら震え上がる男たちを痛めつけていた姿は忘れられない。
だが、もう終わりだった。
当分、自分では食事も出来ないし、下の世話も誰かに頼む必要があるかもしれない。
もちろん、どちらの世話も恋歌はごめんだった。
用心棒にとっては大きな屈辱に満ちた敗北だろうが、こんな怪我は、彼が相手に与えようとした痛手に比べれば軽症に過ぎないはずだ。なんと言っても、彼は高村晋輔を殺そうとしていたのだから。
「これでいいのだろう」
高村晋輔は、恋歌を見て、確認するように問うた。
恋歌はそれには答えず、先ほどからの驚きを口にした。
「すごい。意外だよ。強いじゃない、晋輔」
破顔する恋歌に、高村晋輔は眉をひそめた。
「確かに強いが……何故、意外なんだ」
ひどく心外そうな顔をしている。
どうも、侍としての矜持が傷ついたようだった。
だが、恋歌の笑みは消せない。むしろ、恋歌は声を上げて笑ってしまった。
「そんなこと言ったって、まだ、あんたのいいとこ、見せてもらってないよ」
恋歌は笑って、彼に指摘した。
初日、高村晋輔は、恋歌を抱こうとした善次郎に敵討ちの名乗りを上げておきながら、突き飛ばされた恋歌を受け止め、善次郎を逃した。しかも、結局、自分の仇を得体の知れない鬼に殺されてしまったのだ。
その鬼を殺そうとしたが、相手は消え、晋輔の太刀は空振り。
二日目は、善次郎に再戦を挑むが、鬼になった善次郎に鎧袖一触とでもいうあしらわれ方だった。恋歌ともども彼の命が助かったのは、大きな声ではいえないが、美雪の信仰のおかげだ。
つまり、高村晋輔はまだ、自分の刀では何も解決していないのだ。
言われてみれば、自分でも納得するところはあったのだろう。
悔しそうに、しかし、苦笑いを浮かべながら、晋輔は頷いた。
「確かに、そうかもしれん」
「でも、強いんだね?」
「うむ」
それなら、と恋歌は別の問題を提示する。
「あいつらは、どうするの?」
太刀を鞘におさめる。その鞘ごとだらりと下げ、高村晋輔は、恋歌が促したとおりに視線を大男から外す。そこには他の男たちの姿があった。嫁御盗みを装って恋歌を捕え、ここまで連れてきた男たちだ。
彼らはゆっくりと歩いてくる。
寝惚けているように茫洋とした表情。
気だるげでゆっくりとした動作。
「殺しては?」
「ダメ。できれば……できれば、殺さないで」
あまり無理は言えない。高村晋輔がもう少し弱かったら、先ほどの用心棒に彼は殺されていたかもしれないのだ。
高村晋輔が、残った男たちに負けるとは思えない。それでも、恋歌は彼らに捕えられ、拘束されたのだ。彼らが本当に寝惚けているのではないことは間違いない。
「殺すな、ということだ。だから、お前たちはこのまま引き返せ」
高村晋輔は、馬鹿正直にそう告げる。
もちろん、そんな言葉で帰ってくれるような輩はいない。
むしろ、殺すぞ、と脅かすのが相手を引きさがらせる有効な方法なのだろう。もっとも、晋輔が何といったにせよ、寝惚けた様子の彼らの耳に届いたかどうかはわからない。
「お前たちの親分はもう役に立たない。何故、こいつに従うのかはわからないが、どうせなんの利益もないぞ」
確かにそうだ、と恋歌は首を捻る。
あの用心棒が、本当に春風の青餅だとしても。この男たちは何故、今回の凶行に加わったのだろう。
膝をつき、交差させた両手首を見て嗚咽を漏らし続ける用心棒。
それに視線をやりながら、高村晋輔は彼らを諭す。
だが、誰ひとり、彼の言葉に耳を貸すことはなかった。
高村晋輔は、その様子を見て眉をひそめ、それから太刀を鞘におさめたまま、男たちに向かって走りだした。
茫洋とした表情。
だが、決して寝惚けていたわけではないらしい。
機敏とはいえない動作だったが、それでも自分たちに向かってくる若侍を迎えるべく、彼らは左右に展開した。
晋輔はその最右翼の男へと近づいた。
恋歌は息を飲み、その姿を見た。
恋歌にはすべてがゆっくり推移したように感じられた。
長い時間だった。恋歌にはそう感じられた。
だから、高村晋輔が一瞬でその男の足を鞘で払い、そのまま二番目の男の肩を叩き、三番目の男の鳩尾を突いたのも長い時間だと思えた。それぞれの男たちが食らった一撃で体勢を崩し、悲鳴を上げ、うずくまるのも、短い時間だとは思わなかった。
動揺する四人目の男が怯み、五人目の男がその脇をすり抜けながら、刀を振り上げる。
なんだ、あれ。
恋歌がその刀の異常さに違和感を感じるのと同時に、高村晋輔は、体を低くしてそいつの懐に飛び込んだ。
五人目の男の刀が空を切り、高村晋輔の脇を掠める。
だが、その刀はそのまま振り抜かれなかった。
大柄な用心棒が膂力でそうしたように、刀の軌道が不意に曲がる。
すり抜けようとする高村晋輔を追うように、軌道が急角度で曲がり、晋輔の背を掠める。
高村晋輔がその際どい斬撃を背後に感じることができたのか、恋歌にはわからなかった。 少なくとも、彼は表情にも仕草にも危機感を表わさなかった。
五人目の男をすり抜けると同時に、怯んだままの四人目の男に鞘を抜かぬまま太刀を旋回させ、動かぬ体を強打。相手の腕をへし折るほどの打撃を与え、その反動で鞘に覆われた太刀を返す。自分の体を捻る勢いを乗せて振り回した。
その段階で、今しがたすり抜けたばかりの五人目の男は、高村晋輔に向き直りつつあった。
用心棒が使っていたものと同じくらい長い刃だった。
だが、あの大男のものとは違う。確かにその刃はやはり長かったが、この男の刀はその柄もまた長かったのだ。
長巻、だ。
長い刃を自在に振り回すために、柄もまた長く伸ばしてある。だから、両手で取り回しやすいのだ。
だから、急にその軌道が変わる。
長い刃が自在に敵を追う。
用心棒ほど大柄ではないにせよ、そいつもまた長身で手足も長かった。小柄な高村晋輔が間合いの外で待っていてはこちらの攻撃は届かない。
だから、晋輔は相手の懐に飛び込むしかない。
高村晋輔の持ち味は「速さ」だった。前から来る刃の脇をすり抜け、長身の男の懐に入ろうとする。
正面から撃ち込まれる刃を左にやり過ごし、更に踏み込む。
どれほどの膂力があるにせよ、太刀を振り回すには全身の、少なくとも腕の運動が必要になる。
だが、長巻を使う両手は船の櫂のように旋回した。
腕は下に降りている。
体勢も前傾し、男の重心は前に移動している。
だが、その体勢から男は両の手首を交差させるように取り回す。船の櫂でも漕ぐように、長巻の刃を急旋回させた。
通常の刀ではありえない角度で。
男の腕は前に出ている。それなのに男自身の右肩付近を長巻の刃は薙いだ。
なんだ、あれ。
あんな動きに、ついていけるわけがない。
言葉にするよりも早く、恋歌の脳裏で、その奇妙な刀の動きへの抗議が発せられる。
高村晋輔の顔色が変わる。
素早く身を引く。
流石に鞘付きの太刀を振り回すゆとりはなかった。
ただ、逃げた身体についていかない鞘の先端が、長巻の切っ先の前に残った。
長巻の旋回は止まらない。使い手自身を掠めるように。
その軌道上に、高村晋輔の太刀の鞘が残っていた。
自分を掠めるように戻る長巻の先端に、晋輔の鞘が弾かれた。
「あ」
自らに向かう軌道に巻き込まれた晋輔の鞘は、狙いすましたように男の顎を強打した。
「……がっ」
意味のない発声と共に、男の顎が急角度で回った。
直後、糸が切れたように、男の体が崩れ落ちる。
それで終わりだった。
今度こそ、終わりだった。
男の長巻の軌道の狙いすましたような位置に、晋輔の太刀の鞘が置いてあった。
それだけのことだった。
そして、その配置が本当に狙いすましたものであったことを、恋歌は疑わない。
とはいえ、息を詰めていた恋歌には長い時間だった。実際には、十を数えるにも満たない時間だったとしても。
*
「あれ……」
気がつくと、春風の姿がなかった。
縛られた恋歌はひとりで放置されていた。
「逃げたか」
高村晋輔が低く呟く。
その声に苛立ちや怒りはなかった。
むしろ、女を斬らずに済んだことに対する安堵が感じられた。
その気持ちは、恋歌にもわかった。
それは、恋歌も感じていたことだからだ。
「敵」としての立ち位置を明確にし、殺意さえ見せた遊女仲間。
彼女はこれから、鬼として生きるつもりなのか。
だが、それなら人としては生きられない。
人でない者に、人の世での居場所はない。
少なくとも、廓に戻ることはできないだろう。
「春風……」
呟いた恋歌の声に、助かった喜びはなかった。
安堵があったとしても、自分の敵として立つ者が廓から消えることに喜びはなかった。
春風はこれからどうするのだろう。
春風に、これから何ができるだろう。
おそらく、恋歌はもう、春風に会うことはないだろう。
そう思った恋歌は、少し安堵し、同時に強い寂しさを感じた。
久しぶりのアクションでした。
描写、わかりにくかったかな。
コメント等いただけたら嬉しい、です。




