36.拉致3
投稿直後ですが、12/12/03誤字など、一部訂正しました。
13/02/09ふたたび誤字など訂正。
大きい。
そいつの姿を一言で形容すれば、そういうことになる。
恋歌には知った顔だった。
高村晋輔より頭二つ分は大きい。
持っている得物は、「刀」というよりは「鉄の棍棒」に近い。
やたら厚みがあり、刃は殆どつぶれている。
高級な布の裁断には向かないだろう。切断面が汚すぎる。切るというよりは引きちぎるようになってしまうはずだ。だが、人体を破壊するのには十分すぎるほどの重量を備えていた。
「誰だ、こいつは」
素早く太刀を構えながら、晋輔は恋歌に声をかける。
恋歌には知った顔だった。だからこそ、恋歌は戸惑った。こんなところに出てくるはずのない男なのだ。
困惑した恋歌が答えるよりも早く、春風が笑い声を向けた。
「桜泉の用心棒よ」
「用心棒?」
晋輔は困惑した様子で恋歌を見る。
恋歌は仕方なく頷いた。
確かに、そいつは桜泉の用心棒だった。
行くあてもなくうろついていたところを、その体格と暴力性を見込んで楼主が雇いいれた男だ。
といっても、剣客としてどの程度強いのかは、恋歌は知らない。
郭に来る厄介ごとなど、酔客が暴れる程度でしかない。
とはいえ、なかには泥酔して刀を振り回すような輩もいる。
もちろん、桜泉楼でも刀は入り口で預かるようにはしている。
だが、中には暴れる前に入り口に掛けられた刀を取りに行く輩がいるのだ。
それを許してしまうという点で、桜泉の管理は甘いのだろう。
だが、その甘さの理由のひとつには、この粗暴な用心棒の存在もあるのかもしれない。仮に酔客が刀を振り回しても、この用心棒が必ず制圧してくれるという安心感が客の刀への管理を甘くしている側面がある。
そもそも、そこまで泥酔しているようなら、逆に太刀筋も定まらない。恋歌が幾度か見た「刀を持つ酔っ払い」は、この大男に苦もなく叩き伏せられている。
実のところ、廓の「用心棒」の第一義は、荒れた客への威圧であるといえる。相手は基本的に素人であり、仮に多少腕に覚えがあるような者でも郭で暴れるときには泥酔状態であることがほとんどだ。 大抵の客は、相手が太刀を抜くだけで酒の酔いなど一瞬で醒め、自分の酔態を振り返って青ざめ、震えながら詫びを入れる。
それを見て、喜色を浮かべるこの用心棒は、刀を鞘に戻してから、鞘ごと相手を殴り、袋叩きにする。
地下にあるいくつかの部屋は、本来、そういう客を一晩閉じ込めるために使われるのだ。
地響きのような足音にも意味がある。
少し大きな音をたてて歩み寄り、大柄な体躯から見下ろして、凄みのきいた声で怒鳴りつけてやれば、ほとんどの男は酔いなど醒めて自分のしでかしたことを理解して青ざめる。開き直って刀を振り回すような輩がいたとしても、足下も覚束ない酔っ払いの剣など、これだけは本物である膂力で簡単に叩き伏せることができた。
本気で命を奪おうとする者などほとんどいないし、研ぎ澄ませた殺意を鍛え上げた剣筋に乗せてくる者など絶無なのだ。
高村晋輔が鬼どもを相手に見せた滑るような摺り足など、ハナから用心棒には求められてはいない。
それでも、その乱れた足音が聞こえてからほとんど間をおかずにその姿が飛び込んできたのは、彼もまた、用心棒としての日々をそれなりに真面目に過ごしてきた成果なのだった。
晋輔に比べれば遥かに上下動の激しい足運びで体を崩しながら、刃を故意に潰したナマクラを旋回させる。
萎縮した相手が慌てて剣を受け止めようとしたところで、この勢いを止めることはできない。
立てた剣は圧され、負けた剣ごと相手の顔を打撃する。
恋歌は瞬間的に、意識することさえなく、一瞬後の高村晋輔の未来をそう予測して身を竦ませる。
実際、高村晋輔は剣を立てて「用心棒」の斬撃を受けた。そして実際、高村晋輔の剣は相手の膂力に負けて倒れた。
いや。
違う。
高村晋輔の太刀は「倒れた」のではない。彼は、太刀を「倒した」のだ。
晋輔が寝かせた刃の上を、「用心棒」が叩きつけた大刀が、小さく火花を散らしながら滑る。
そして、晋輔は刃で作った間隙に自らの体を滑り込ませた。
全力で鉄の棒を振り切っている「用心棒」には、その下をかいくぐる俊敏な若侍に対応できなかった。
高村晋輔が体を起こして向き直る間、「用心棒」は自分の動作を急には制止できずに、無防備な背をさらし続けている。
晋輔がゆとりを持って姿勢を立て直す。太刀を立てる。振り上げる。
自分に刃を向けた男を見る晋輔の目には躊躇がなかった。
瞬間、恋歌は思い出した。思えばこの若侍は、「人を殺すために」江戸から長崎にやってきたのだ。
「敵」として認識した相手に対する彼の視線の冷たさに、思わず恋歌は叫んだ。
「だめっ」
高村晋輔には、確かにゆとりがあったのだろう。一度は振り上げ、更に振り下ろす動作に入った姿勢から、素早く身を引いて距離をとる。
止まらなかったのは、「用心棒」の方だった。
全力で振り切った腕を返し、逆手で高村晋輔を薙ぎ払おうとする。
無防備だった自分の背に相手の若侍が斬りかからなかったことなど、彼には借りにも負い目にも思わないようだった。
「用心棒」にしてみれば、隙を突かない理由など、怯懦以外の何物でもないのだ。
大きく振り回される鉄棒から、高村晋輔が飛んで下がる。彼は、ちらりと恋歌を見ながら訊いてきた。
「殺すな、というのか」
「……殺せば人殺しよ」
もちろん、恋歌だってわかっている。相手が先に刀を抜いた。侍を相手に刀を振り回せば、殺されても文句は言えない。
それでも、余裕のある高村晋輔に、鬼ならともかく、人を殺して欲しいとは思わなかった。
春風が笑う。
「ダメよ、殺しちゃ。私の青餅なんだから」
「春風の?」
あんたの青餅は善次郎じゃなかったのか。
「この尻軽女」
恋歌が低く毒づいたのを聞いて、春風は楽しそうに笑った。
大刀が旋回する。
子供のころ聞かされた話に出てくる鬼が持つ、金棒のような刀。
潰れた刃に乗った紛れもない凶暴な悪意。
圧倒的で躊躇のない殺意が旋回する。
刀を振り回す男が簡単に諦めるとは思わなかったのだろう。背後をとったにも関わらず攻撃しなかった高村晋輔は、相手の躊躇いのない攻撃にも動じることなく、すばやく後退する。
そして、そいつにとっても、晋輔が避けることは折り込み済みだったようだ。振り抜いた刀を返し、そのまま逆手で刀を振り回す。
全力で。
更に足を踏み出しながら。
一歩。
二歩。
高村晋輔はかわす。
後ろへ。
あるいは腰を屈めて刃の下へ。
余裕は、ある。
時に相手の背後をとる。
そして、刀を相手の背に当てる。
斬りはしない。
ただ、諦めろ、と警告するために刃を用心棒につきつける。決して斬らずに、ただ、押し当てる。
だが、用心棒は殺す気のない刀を怖れてはくれなかった。彼は、自分に押し当てられた刃を手で振り払った。そして、遠慮なく斬撃を打ち込む。それでも、高村晋輔は、それをひらりとかわす。
晋輔に、余裕はある。
力量差は誰にとっても明白だと思われたが、「用心棒」にだけはそれが見えないらしい。
一歩。
二歩。
晋輔は下がる。
腰をかがめ、刃の下をかいくぐる。
時に相手の背後をとり、
諦めろ、と脅かすために刃を押し当てる。
その度に蠅を追い払うように腕を払われ、遠慮なく大刀を振るわれる。
大男は、逡巡なく、容赦なく、そして飽くことなく、金棒を振り続ける。
とはいえ、これは高村晋輔にしてみれば、型を繰り返すようなものだったかもしれない。
少なくとも、恋歌にはそう見えた。
自分の置かれた状況への危機感はともかく、ひらりひらりと大刀をかわす高村晋輔の身のこなしに、恋歌は安心感さえ感じた。
ある意味、淡々とこなしているだけで。
高村晋輔は軽々とかわす。
旋回軌道が低ければ、後方へ。
逆手に振るうときにやや上向きに軌道が振り上がればその下に入り込み、用心棒の背後に回り込む。
今もまた、逆手に振るった大刀が上向きの軌道を描く。
その下に晋輔は潜り込み、
その頭上で、
大刀が、
不意に角度を変えた。
「……っ」
恋歌は声を上げなかった。声を上げる時間さえなかった。
切れ味はともかく、重みだけは半端でない鉄の塊が角ばった軌道で落ちる。常人ならその勢いに振り回される重量を、用心棒は木の枝でも振るうように角度を変えたのだ。
掛け声ひとつあげず、鼻息ひとつ荒らげず。
腰を落とし、刀を掻い潜ろうとした高村晋輔を狙う。
ダメだと言ったのは恋歌だ。殺してはいけない、と命じたのは恋歌だ。高村晋輔に手を抜かせ、用心棒に反撃の機会を与えたのは恋歌だ。
刀を抜いた侍たちの戦いに、遊女風情が口を挟んだ結果。
その意味するところを理解し、後悔し、恋歌は目の前に展開される一瞬後の惨劇に身を竦ませた。
高村晋輔は。
避けられるわけがなかった。
彼は重心を落とし、小柄な体を更に縮めようとしていたのだ。急に角度を変えた金棒を避けられるはずがなかった。
それなのに、高村晋輔はそれに反応した。
一歩。
いや、半歩、体を横にずらす。同時に、背負おうとしていた太刀を下に落とす。
太刀を、下げる。
その一瞬の間を、半歩の移動が稼いだ。
用心棒が大刀を振るう時間をほんの僅か先に延ばし、ほんの僅か身を逸らす。
その一瞬は、高村晋輔の身を完全に逃す時間ではなかった。
ただ、晋輔は切っ先を地面に向ける。そして逃げた重心を再び元に戻す。
迫り来る大刀に対し、刃を向ける。
切っ先を地面に差し込み、更に太刀を倒す。
その刃に大刀がぶつかった。
そして。
火花が散った。
大きな金属音に、恋歌だけでなく、春風までが身を竦ませる。
それは用心棒の大刀を高村晋輔が止めた音だった。
「なっ……」
高村晋輔が倒した刃の背に、自分の足を乗せていた。
そして、晋輔の刃に沿って、大刀は流れ、力を殺すことなく、地面に突き刺さっていた。




