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32.手立て

11/25 後書き追加。

   時代考証の過ちについて。

 春風の部屋を出て、地上に上がる。

 正直、それだけでほっとする。

 外の光。

 元気な人たちの喧騒。

 自分の健康に感謝する気持ちと春風に対する僅かな後ろめたさ。

 恋歌は重荷になる少しの気分を振り払うように首を振り、日射しの中で背筋を伸ばした。

 そういえば、と思いだす。

 高村晋輔はまだ来ていない。

 どこで道草を食っているのだろう。

 勝手に動くにはあまり時間もない。

 あとは高村晋輔が答えを見つけてきてからだ。そして彼女に頭を下げてからだ。

 くすり、とひとり笑う。あの頭の固い侍に頭を下げさせるという想像は、恋歌の溜飲を少しならず下げた。

 まあ、そのうち帰ってくるだろう。それまで恋歌は休ませてもらってもいいかもしれない。

 恋歌はきびすを返し、屋内に入ろうとした。

 そのとき、ふと考えた。

 高村晋輔を郭に呼んだのは間違いだったかもしれない、と。

 彼が桜泉楼にあがり込み、止めようとする若衆を振り切って、恋歌に叫ぶ光景が目に浮かんだ。

「わかったぞ。おまえなら、出島で切支丹の話ができるんだな」

 ……冗談じゃない。

 そう思い、恋歌は廓の外で高村晋輔を待つことにした。

 実際、視界のやたら狭いあの若侍ならそのくらいやりかねない、と恋歌は思った。

 そんな身の毛もよだつ想像をしていると、すぐに高村晋輔が走ってくるのが見えた。

 走ってきたからだろう。高村晋輔はひどく高揚しているようにも見えた。だが、笑ってはいない。

 そして恋歌の顔を見ると、はっきりと表情を引き締めた。少なくとも「お前なら出島で切支丹と……」と叫ぼうとするつもりには見えなかった。

 だから、少し安堵して、恋歌は訊いた。

「高札見てきた?」

「うむ。見た」

 高村晋輔は意外に落ち着いた声で答えた。

「で、意味はわかった?」

「わかった」

 晋輔が沈痛な表情を浮かべる。恋歌はくすりと笑った。

「……もっと大騒ぎするかと思った」

「そこまで馬鹿じゃない」

「みたいだね」

 笑う恋歌に、晋輔は言いにくそうに尋ねてきた。

「他に方法はないのか」

 恋歌は曖昧に頷く。

「まあ、多分」

 出島の監視は厳しい。

 それでも、ただ入るだけなら、あるいは絶対不可能というものでもないはずだ。

 腕に自信があるなら入り口の番士を何人か倒していけばいいだけだし、そこまでしなくても、塀を乗り越えることは不可能ではないだろう。

 実際、かつて出島の塀を乗り越えて外へ出たオランダ人がいたらしい。

 丸山遊女に袖にされたその男は、世を儚み、遺書を机に置いて失踪した。その遺書が見つかって出島内が捜索されたが、男は見つからなかった。彼は出島の塀を乗り越え、海中から傍に停泊していた唐船の影に隠れていたのだ。結局、男は死ぬこともできず、意中の遊女にもう一目会うことを諦めることもできず、空腹に耐えかねているところを出島の商館員に見つかったのだという。

 そして、昨年には、唐人屋敷から塀を乗り越えて町に出た唐人がいた。

 抜け荷(密輸)に荷担した唐人が約束の取り分を貰えず、困窮して追い詰められ、日本人の共犯者の家にまで押し掛けたのだという。

 その男は、共犯者の家に行き、そして誰にも見咎められずに戻った。

 つまり、その男は唐人屋敷から抜け出し、そして戻ったのだ。

 もちろん、陸地にあり、街の一区画というべき規模をもつ唐人屋敷と、海中にあり唯一の出口を監視されている出島とでは出入りの難易度は全く違う。

 それにしたって、出島の中から塀を越えることができたのだ。外からだけ絶対に不可能だとは言い切れないだろう。

 だが、それは「侵入だけなら可能か」という問題にすぎない。

 中で唐紅毛人に会い、役人に会わずに目的の人物と話を付け、聞きたいことを聞いて、無事に出てこれるか、といえば、やはり答えは懐疑的にならざるを得ない。

 だからこそ、大手を振って蘭館に入り、オランダ人と二人きりになれる丸山遊女は抜け荷を目論む者には垂涎の的になるのだ。

 状況を思い出すと、恋歌の中の意地の悪さが行儀のよくない頭をもたげてくる。

「じゃあ、お侍さん。遊女風情に頭を下げてみようか」

「……」

 高村晋輔は、すぐには答えなかった。

 まさか、遊女に頭を下げるのが嫌だからそんな憂鬱な顔をしているんじゃあるないでしょうね。

 そんな疑念が湧き、恋歌は眉間に皺を刻む。

 恋歌に睨みつけられ、高村晋輔は言いにくそうに言葉を紡ぎ出した。

「わしは……」

「なによ」

「そんなことを頼まねばならんのか」

「そんなこと?」

 これには、恋歌はカチンときた。

 そんなこと?

 それこそが恋歌たちの仕事なのだ。

 嫌な客に媚びへつらい、小さな願いを聞いてもらい、少し余計に金を落としてもらう。小さな無心を繰り返す。それが恋歌の仕事なのだ。

 それを。

 人様の努力を言うに事欠いて「そんなこと」だって?

 だが、それに続いた晋輔の言葉は、怒りに口を開きかけた恋歌の予想を裏切った。

「……危険なことなのだろう?」

「え?」

「美雪殿と同じ境遇になるということは、非常に危険なことなのだろう?」

「……」

 これは。

 意外だった。

 頬が緩む。

「へえ」

「ん?」

「いや。なんでもないよ」

 高村晋輔は、恋歌を心配していた。

 彼は恋歌に危険を冒させることを躊躇っていたのだ。

 それは、恋歌の気に入った。

「一緒じゃないよ」

「……」

「美雪とは違う。私は切支丹ではないし、ただ出島に行って、話を聞いてくるだけ」

「それにしたって……」

「ありがと」

 自然に膨らむ笑みを抑えずに、恋歌は高村晋輔に笑顔を向けた。

 晋輔が言葉を失う。

「いや……わしは……別に……」

 彼はひどく困惑した様子で、視線を逸らす。逸らした先の地面に言葉が書いてあるかのように探している。だが、高村真輔が自分の望む言葉を見つけられた様子はなかった。

 彼が失った言葉。

 恐らくそれは、恋歌の笑みが奪ったのだろう。

 丸山一番と評される美貌の太夫の掛け値なしの笑顔。

 目の前の若侍から言葉を奪った自覚はあったが、恋歌はもう一度、高村晋輔に礼を言った。

「ありがとう、晋輔。心配してくれてたんだね」

 もう一度笑顔を奮発して。

 桜泉楼の元・日本行太夫恋歌の笑みだ。

 大奮発だぞ、と心の中で思いながら。

 そして。

 これ、ちょっといい雰囲気だよね。

 そんな風に思う。

 自分でも意外なことに、それは必ずしも不快な気分ではなかった。

 もっとも、その直後に、不快な気分に落としてくれる人物が近づいていた。


   *

 

「おう、恋歌」

 不意に声をかけられ、恋歌は振り返った。

 振り返ると、相手の顔を見つめる。

 もちろん、それは楼主の顔だった。

 楼主の顔を見ると、反射的に顔色を伺ってしまう。いくら郭で持て囃されている太夫とはいえ、その点では他の遊女と変わらない。

「なに?」

「出島に入るために誓詞血判をする必要がある。乙名のところへ行って来い」

「……明日、で、いいよね?」

「今からだ。今日行く、と話はつけてある」

 そんな。

 と、恋歌は思わず抗議した。

「いやよ。私は狙われているのよ?」

「……」

 これには楼主も口を閉ざす。

 二日連続で彼女に関わる者が殺されている。

 鬼が出てきて、そいつらを殺したのだという。

 そして、恋歌はそいつに狙われているのだという。

 どこまで信じるべきなのか。

 何を疑うべきなのか。

 さすがに楼主にも決めかねたのだろう。

 彼が遊女相手に口ごもるのを、恋歌は初めて見た。

「そんなこと言って、出島行きを伸ばそうとしてるんじゃないのかい」

 躊躇する楼主の背中を押すようなことを、脇から言ってきたのは、もちろん遣り手のサキだった。

「そんなんじゃないよ」

「どうだかねぇ」

 嘲るようにサキは笑う。

 笑った後にちらりと楼主を見る。

 その視線に後押しされたように、彼は恋歌を見た。

「行け」

「え?でも……」

「いいから行け」

 と、楼主は、今度は恋歌の命などどうでもいいことのように言葉を放り投げた。

「そんな……」

「そんなに時間はかからないはずだ。さっさと行って。さっさと帰ってこい。そして明日からは、きちんと出島に行くんだぞ」

 楼主そうは結論を下した。

 楼主の結論だ。

 恋歌には逆らいようがなかった。

「それができなきゃ、太夫も並女郎もただの無駄飯喰らいだ」

 楼主がそう続けた言葉が、恋歌の中にあった言葉を唇に乗る前に消し去った。

 サキの唇で笑みが広がった。


物語に間違いがあります。(またかよ)

唐人屋敷から抜け荷に関わった男が抜け出した件、ですが。

実際には、この段階では発覚していません。


「犯科帳」によると6月の入牢になっていますので、恋歌たちの物語のしばらく後にこの事件は発覚するのです。

でも。

この事件はこの物語のもう少し後に、もう少し関わりますので、「間違い」を「嘘」とします。

つまり訂正しません。

本当は違うやり方(「公には発覚はしてないけど、知ってる」みたいな)もあるのですが、ここでは堂々と「嘘」にします。

他の文献等で「間違っている」と思われるかもしれませんが、すみません

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