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27.切支丹

 豊臣秀吉が禁制を出して以来、耶蘇教(キリスト教)はこの国から目の敵にされてきた。

 切支丹(キリシタン。キリスト教徒のこと)とわかれば捕らえられ、信仰を捨てるように迫られる。それを拒めは拷問にかけられ、それでも転向を拒めば容赦なく処刑された。密告が奨励され、指導階級はたちまち狩られ、殺された。もっとも弾圧が厳しかったのは将軍が家光の時代で、それから既に百年が経過している。激しい弾圧はもう行われなくなったが、それは支配者が異国の宗教に寛容になったからではなく、狩れる切支丹はすべて狩り尽くしてしまったからにすぎない。

 それでも、今でも依然として隠れ切支丹の探索は続けられている。「宗門改め」によって、あらゆる者の宗教的背景は調べられ、かならずいずれかの寺社に所属することになっている。

 それでも宗門を偽り、隠れて耶蘇教を信仰する者をいぶりだすために、「絵踏み」がある。板に描いた耶蘇教の信仰の対象であるゼズス(イエス)やマリアの絵を一人一人に踏ませるのだ。

それほどに徹底した禁教の嵐の中で、それでも密かに信仰を捨てることなく生きてきた者がいる。隠れ切支丹と呼ばれる人々だ。彼らは表向きは神仏に祈りながら、仏壇の奥や畳の下にマリアやゼズスの像を隠し、祈祷を口伝して信仰を守っているのだという。

 もちろん、恋歌は彼らに会ったことはない。そう思ってきた。すべて他人事なのだと。

 毎年正月に丸山では、遊女は勿論、旅人にいたるまですベての者が「絵」を踏まされている。

 特に遊女たちは「絵踏み」に際しては着飾って臨む。

 裾から覗く遊女の白い足が「絵」を踏む姿を、男たちは色っぽい姿と喜んでいる。今では長埼の風物詩にさえなっていた。当然、恋歌も踏んだ。多少奇妙だとは思ったが、悪いことだとはまったく思わなかった。美雪も踏んだはずなのだ。

「踏んだよね」

「踏んだわ」

美雪は頷いた。

「生きるためには踏まなければならない。それに対してのお祈りがある。絵踏みを無効にするオラショがある」

「オラショ?」

「お祈りよ」

「でも、恐ろしい教えよ」

「そんなことはないわ」

「あたし聞いたことある。神様の血を飲んだり、肉を食ベたりするんだよ。それに切支丹は人を傑にして楽しむんだよ」

 誰から聞いたんだろう。例の蕎麦屋の常連から聞いた話だったろうか。

 いや、あのオヤジと話していた誰かだった。

 美雪は声を殺して笑いだした。泣きたがっているような笑い方だった。

「それは違うわ。象徴なの。実際に飲むのは酒。食ベるのもお米よ。何よりイエスが傑になったのは人を救うためなの」

「なんのことかわからない。とにかく見つかったら折檻されるのよ」

「折檻じゃない。拷問よ」

 美雪はまた笑った。今はひどく穏やかな微笑だった。

「恋歌、そういう話なら小さい頃から何回も聞かされたわ。

 雲仙の話。長埼の話。

 竹を人の体に突き刺すの。深く深く突き刺して、肉のなかでヘし折る。それとも目中を裂いて肉の間に熱湯を流す。何なら逆さ吊りにしてもいい。汚物を入れ、炎天下にその中ヘ入れる。穴の周囲で大声で喚き、音を立てる。これはつらい。でも、これだとそのうち拷問を受けている人が意識を失ってしまう。だから、その苦痛を長持ちさせたいと思うなら、耳朶に穴を開けておくといい。そうすると頭に登った血が耳の六から血が流れて、長く意識を保たせることができる。それだけ苦痛を長引かせることができる」

 美雪は滑々と淀みなく拷問の方法を並ベ立てた。その間、温和な微笑は一度も消えなかった。

「死ぬことは怖くない。でも、拷問は怖いの。拷問されてすベてを話してしまいそうで怖い。長く続く拷問を耐えきることは難しい。ひとりが転ベば、組織が破壊される。

 皆、片っ端から狩られてしまう。だから決して信仰を明らかにしてはいけないと言われてきた。何があってもシラをきれ。何があってもオラショ……お祈りを声にするなって」

「だが、今は特別だ」

 高村晋輔は、落ち着いた口調で美雪に言った。

「奴を放っておけば、そのうち君も殺される。俺は誰にも言わない。密告なんて絶対にしない。君の仲間だって、そんなにひどい人には見えない」

 そんなに?

 どの程度にはひどい人に見えるの?

 思わず口をつきそうになった言葉を、今だけはと我慢して恋歌は飲み込んだ。

「あの鬼は人間の血を啜っていたみたいだ。啜られた善次郎は次の日には鬼になってやってきた。もし善次郎にかまれた奴がまた鬼になり、どんどん増えてゆくんだとしたら、長崎の夜は、人間のものではなくなる」

 高村晋輔の表情には何の感情も表れない。

「あたしは何も知らない」

 美雪は気負った様子もなく、静かに宣言した。

「美雪?」

「嘘じゃないのよ、恋歌。あたしたちは鬼や妖怪の研究をしてきたわけじゃない。だからあれが何か、あたしは知らない。もしかしたら悪魔の使いかもしれない。それならゼズスさまの力は彼らを打ち負かすでしょう。実際、あの鬼はオラショを怖れたわ。だからお侍様がオラショを憶えたいというのなら、教えてもいい。でも、信じてもいないお祈りを口にして、鬼が怖れてくれるとは思えない。誰にでもできる鬼や悪魔の倒し方、ということなら、あたしは全く知らないわ」

「知っていそうな人は?」

「人の血を吸う鬼の倒し方を知っている人?切支丹をなんだと思っているの?」

「なにも知らないのか」

「ごめんなさい。知らないわ」

 美雪は首を振って、否定した。

 しかし、それから不意に何かを思いついたように動きを止めた。晋輔が美雪の顔を覗き込む。

「なにか?」

「いえっ」

 美雪は強く首を振る。

 その寸前に恋歌と目が合った。美雪が恋歌を見た。

 だから、恋歌には美雪が何を考えたのかがわかった。

 何故、それを口にしなかったのかも。

 だから、恋歌の口元は微かに緩んだ。

 だから、恋歌が言った。

「あたし、他の切支丹を知ってるよ」

「他の切支丹?」

「そう」

 恋歌は頷く。

 高村晋輔の向こうで美雪が驚いているのを見ながら。

「美雪たちのように隠れて信仰しているのではなく、堂々と切支丹だと名乗っている人たち」

「恋歌、でも、それは……」

 美雪は青ざめている。

 しかし、高村晋輔は美雪の気分になどおかまいなしで、恋歌の言葉に珍しく驚きを隠せない様子だった。

「そんな奴らがいるのか?」

「います。でも、簡単には会えない」

「会えない?」

「そう。会えないのよ」

「会ってみせるさ」

「無理だよ」

 恋歌は笑う。

 嘲笑う、とでも形容していい笑い方だった。

 自分でそれがわかった。

 自分は高村晋輔を挑発している。そして、高村真輔はその挑発に簡単に乗った。

「無理でも会う。もし鬼の倒し方を知っているのなら、刀を突きつけて脅してでも聞き出す」

 高村晋輔は本当に珍しく意気込んでいる。

 好きな女の裸でも覗いたみたいだ、と昔聞いた誰かの台詞を恋歌は思い出し、ついでに、高村晋輔はもしかしたら自分の裸身をただで見たかもしれないことを思い出した。

 もっとも、あのとき高村晋輔はこんなに興奮していなかったが。

「どんなことをしてでも会い、知っているのなら聞き出してやる」

 高村晋輔が宣言する。

 恋歌は、口元に浮かぶ笑みが更に意地の悪い感じになってゆくのを自覚しながら言った。

「そう?じゃあ、頑張って。でもね。相手は出島にいるんだよ」

 それは勿論、オランダ人のことだった。

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