第六話:契約のガントレット
「簡単だ。そいつを、はめてみろ」
老人の言葉が、埃っぽい店内に静かに響いた。
健志郎は、テーブルの上に置かれた黒いガントレットと、ロッキングチェアで不敵に笑う老人とを、交互に見つめた。
はめてみろ、と簡単に言うが、これはただの手袋ではない。『影喰らい』。持ち主の魂と一体化し、その可能性を喰らって成長する、呪いであり祝福でもある武具。
ただのメタボ予備軍のおっさんが、手を出していい代物では断じてない。
(やめろ。関わるな)
頭の中で、常識的な自分が警鐘を鳴らす。
(これはお前の手に余る。さっさと警察に届けて、忘れてしまえ)
しかし、心の奥底で、もう一人の自分が囁いていた。
(本当にそれでいいのか?お前は、このまま何も変わらない、ダサい親父のままでいいのか?)
脳裏に、娘・凛の顔が浮かぶ。ぶっきらぼうな優しさで手渡してくれた、水筒のぬくもり。妻・友里の、呆れながらも嬉しそうな笑顔。
俺はこの日常の中で、もっと頼りがいのある、父であり夫であり、誇れる自分でいたい。
健志郎は、ゆっくりと息を吐き、覚悟を決めた。
震える右手で、黒いガントレットを掴み上げた。ずしりとした重みが、彼の決意の重さと重なるようだ。
そして、自分の左手へと、ゆっくりと近づけていく。
ひんやりとした金属の感触が、指先から伝わる。
健志郎は意を決し、ガントレットに左手を滑り込ませた。
その瞬間だった。
「―――ッ!」
まるで自分の手ではないかのように、ガントレットが自ら意思を持って指を包み込んでいく感覚。カシャン、カシャン、と小さな金属音が連続して鳴り、健志郎の手と腕の形にぴったりとフィットしていく。まるで、オーダーメイドのスーツのように、寸分の狂いもない。
そして、脳内に、膨大な情報が濁流のように流れ込んできた。
それは、言葉ではない。イメージでもない。もっと根源的な、「理解」とでも言うべき感覚だった。このガントレットの成り立ち、その目的、そして、渇望。
『契約ガ完了。主、二条健志郎ヲ認証スル』
頭の中に、直接声が響いたような気がした。
健志郎がはっと自分の左手を見ると、黒いガントレットは腕の一部と化していた。手の甲の紋様が、ほのかに、そして不気味に、黒い光を放っている。
「ほう……」
老人が、感心したように声を漏らした。
「よほどお前さんの『可能性』とやらが、お気に召したとみえる。普通は、適合するまでに数日、拒絶反応で寝込んだりするもんだがな」
「え、寝込むだって? そういう事は先に言ってくれないと……しかし、これ、は……」
健志郎は、自分の左手を握ったり、開いたりしてみる。重さは感じるが、不思議と動きにくい感じはしない。それどころか、力がみなぎってくるような感覚すらあった。
「お前さんの新しい力、感じるだろう。『影喰らい』と繋がった今のお前さんなら、能力の一端が、感覚的に理解できるはずだ」
老人の言う通り健志郎の脳裏には、ガントレットの基本的な機能が、説明書のように浮かび上がっていた。
【影喰らい(シャドウイーター)】
能力1:影の吸収
倒したモンスターや、破壊した物体の「影(概念や本質)」を吸収し、糧とする
能力2:影の具現化
吸収した「影」を元に、新たなスキルやアイテムを創り出す。創り出せるものは、マスターの理解度と発想力に依存する。
「影を……喰らう……?」
「そうだ。そいつは腹ペコなんだよ。ありとあらゆる『影』を喰らいたがっている。モンスターの力、鉱石の硬さ、植物の生命力……森羅万象すべてが、そいつのエサになる。そして、喰らったエサをどう調理して、どんな料理にするかは、料理人であるお前さん次第だ」
健志郎は、ゴクリと唾を飲んだ。
つまり、スライムを倒せば、そのぷるぷるした特性を吸収し、何かを創り出せる……? ゴブリンを倒せば、その腕力や、棍棒の硬さを……?
「どうだ?少しはワクワクしてきたか? おっさん」
老人は、楽しそうに笑っている。
「ただし、忠告しておく。そいつは、お前さんの生命力も常に少しずつ喰らっている。エサを与え続けなければ、いずれお前さん自身が喰われることになるぞ」
その言葉に、健志郎の背筋が凍った。やはり、これは呪いの装備なのだ。
「さあ、話は終わりだ。とっとと行け」
老人は、まるで興味を失ったかのように、再びロッキングチェアに腰掛け、古書に目を落とした。
「次に来る時は、何か面白い『影』でも見せてみろ。そうでなきゃ、店の敷居は跨がせん」
健志郎は、老人に深々と頭を下げると、固い決意を胸に、店を後にした。
外に出ると、西日が長く影を伸ばしていた。健志郎は、ジャージの袖を伸ばし、左手の黒いガントレットを隠す。金属の冷たさと、そこから伝わる微かな脈動が、やけに生々しい。
もう、後戻りはできない。
健志郎は、自分の左手を見つめた。
それは、家族に内緒の、秘密の象徴。
そして、平凡な中年サラリーマンであるおっさんが、非凡な何かへと変わる鍵。
(試してみるしか、ない)
健志郎の足は、自然と、あの場所へと向かっていた。
彼が唯一知る、モンスターがいて、誰にも邪魔されずにこの力を試せる場所。
桜ヶ丘ダンジョン――
冒険が始まった、あの場所へ。
今度は逃げるためじゃなく。喰らうために。




