第五話:錆びた天秤と眠そうな店主
カラン、コロン――
健志郎が古い木製のドアを開けると、乾いたベルの音が鳴り響いた。店の中は、外のうだるような暑さが嘘のようにひんやりとしており、埃と、古い紙、そして正体不明の甘い香りが混じり合った独特の匂いがした。
店内は薄暗く、所狭しとガラクタ……いや、アンティークが積み上げられている。天井からは用途不明のランプがぶら下がり、壁には色褪せた絵画や錆びた武具が掛けられていた。足の踏み場もほとんどない。健志郎は、まるで巨大な生物の体内に迷い込んだかのような、奇妙な感覚に襲われた。
「……ごめんください」
恐る恐る声をかけた。しかし、返事はない。店の奥は、ビーズの暖簾で仕切られており、その向こうは全く見えなかった。
(留守か……? いや、それなら鍵がかかっているはずだ)
もう一度声をかけようとした、その時だった。
「なんの用だ」
店の最も暗い隅、山と積まれた古書の影から、不意に声がした。健志郎は心臓が跳ね上がるほど驚き、声のした方へ視線を向ける。
そこにいたのは、一人の老人だった。
ロッキングチェアに深く腰掛け、分厚い本を膝に乗せている。年は七十代だろうか。無精髭を生やし、度の強そうな丸眼鏡の奥の目は、眠たそうに細められていた。着ているヨレヨレのセーターは、季節感を完全に無視している。
およそ、ブログに書かれていた「本物の職人」というイメージとは、かけ離れた姿だった。
「あ、あの……こちらで、物の鑑定をしてもらえると聞いて……」
健志郎がしどろもどろに言うと、老人は本から目を離さないまま、面倒くさそうに答えた。
「うちはガラクタ屋だ。鑑定屋じゃない。帰った、帰った」
その態度は、〝けんもほろろ〟という言葉がぴったりだった。
健志郎は、一瞬ひるむ。しかし、娘が持たせてくれた水筒の重みを思い出し、ここで引き下がるわけにはいかないと、もう一度勇気を奮い起こした。
「これを、見ていただきたいんです」
健志郎は、バッグからタオルに包まれたガントレットを取り出し、カウンター代わりの、埃をかぶったテーブルの上に、そっと置いた。
老人は、ちらり、とテーブルに一瞥をくれただけだった。
「なんだそりゃ。ただの鉄クズか? そんなもんは、そこらのスクラップ屋にでも持って行け」
「お願いします!どうしても、これが何なのか知りたいんです!」
健志郎は、思わず頭を下げていた。サラリーマン生活で染みついた、得意の「お願い営業」だ。
その必死な様子に何かを感じたのか、老人は、はぁ、と大きな溜息を一つ吐くと、重たい腰を上げて、ようやく立ち上がった。そして、テーブルの前に立つと、健志郎が広げたタオルの中身を、眠たそうな目でじっと見つめた。
数秒の沈黙。
店の外を走る車の音だけが、やけに大きく聞こえる。
やがて、老人の目が、初めて興味の色を帯びて、カッと見開かれた。
それまでの眠そうな表情は消え失せ、丸眼鏡の奥から、まるで獲物を見定める鷹のような、鋭い光が放たれる。老人は、震える指先で、そっとガントレットに触れた。
「……小僧。いや、おっさんか。お前さん、これをどこで手に入れた?」
声のトーンが、明らかに変わっていた。
「さ、桜ヶ丘ダンジョンで……拾いました」
「桜ヶ丘だと……? あの初心者向けの、スライムしか出ないような遊び場で、こんなものが……?」
老人は信じられないといった様子で呟くと、今度は引き出しから、宝石商が使うような単眼鏡を取り出し、ガントレットの表面に刻まれた紋様を、食い入るように観察し始めた。
健志郎は、固唾を飲んでその様子を見守る。
老人の額に、じわりと汗が滲んだ。
「この紋様……間違いない。古代ドワーフ族の失われた鍛冶技術、『魂縛の刻印』だ……」
「こんぱくの、こくいん……?」
健志郎が聞き返すと、老人は単眼鏡を外し、興奮を抑えるようにゆっくりと息を吐いた。
「ああ。装備品に、持ち主の魂の一部を縛り付け、共に成長させるという伝説の魔法だ。持ち主が強くなれば装備も強くなり、装備が成長すれば持ち主の力も引き上げる。まさに、一心同体の武具……」
老人は、健志郎の顔をじっと見つめた。
「おっさん、お前さん、探索者か?」
「い、いえ!ただのサラリーマンです!健康のために、ちょっとダンジョンを歩いていただけの……」
「サラリーマンが、ジャージ姿でこんな代物を拾ってくるだと……?」
老人は、呆れたように、しかしどこか面白そうに、口の端を歪めた。
「まあ、いい。鑑定結果を教えてやろう」
老人は、咳払いを一つした。
「そのガントレットの名は、『影喰らい』。ランクは……不明だ。いや、最初は最低ランクの鉄クズ同然だったはずだ。だが、お前さんが拾ったことで、魂縛の刻印が起動しちまったらしい」
「起動……?」
「ああ。このガントレットは、持ち主の『可能性』を喰らって成長する。お前さんが、ただのメタボ親父じゃなく、何か途方もない可能性を秘めていたから、こいつは目覚めたのさ」
健志郎は、理解が追いつかず、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「鑑定料は、お前さんが今持っている『スライムコア』全部だ。それと、その腰にぶら下げてる水筒の中身も半分よこせ」
老人は、健志郎のポケットと、凛が持たせてくれた水筒を指差した。
健志郎は、言われるがままにポケットからスライムコアを取り出し、水筒のスポーツドリンクをビーカーに注いで渡した。老人は、それを実に美味そうに飲み干した。
「さて、どうする? おっさん」
老人は、ロッキングチェアに再び腰掛け、言った。
「そいつは、もうお前さんのものだ。他の誰にも装備はできない。そして、手放すこともできん。無理に外そうとすれば、お前さんの魂の一部も一緒に引き剥がされることになるだろうな」
「そ、そんな……!」
「呪いの装備、と言ってもいいかもしれんな。だが、呪いと祝福は、いつだって表裏一体だ。そいつを使いこなせば、お前さんは想像もつかない力を手に入れることになるだろう。もっとも、その力を制御できなければ、逆に喰われることになるかもしれんがな」
健志郎は、テーブルの上の黒いガントレットを見つめた。
それはもはや、ただの厄介な拾い物以上のものだった。自分の運命と、分かちがたく結びついてしまった、呪いであり、祝福。
「どうすれば、これを……使いこなせるんですか?」
健志郎は、震える声で尋ねた。
老人は、ニヤリと笑うと、一言だけ、こう告げた。
「簡単だ。そいつを、はめてみろ」