第三十四話:監視下の戦場
ギルドの装甲車が到着した羽衣ダンジョンの周辺は、まさに地獄の戦場と化していた。
大地は、モンスターの血と、探索者たちの汗でぬかるんでいる。怒号と悲鳴、そして剣戟の音が、絶え間なく空気を震わせていた。
前線では、AランクやBランクの高ランク探索者たちが、ゲートから溢れ出るモンスターの津波を、必死に食い止めている。
「さて、二条さん。あなたの持ち場はあちらです」
桐生は装甲車を降りると、前線の喧騒から少し離れた後方支援エリアを指差した。そこは負傷した探索者の治療を行うメディカルテントや、補給物資が積まれた場所。しかし、前線を突破した一部のモンスターが、そのエリアにまで潜り込み、混乱を引き起こしていた。
(早く片付けて、家に戻りたいものだ……)
「あなたには、後方エリアに侵入した、これらの雑魚モンスターを掃討していただきます。いわゆる、後方撹乱の防止ですね」
桐生は健志郎に、ギルド支給の標準的なロングソードと、革製の胸当てを手渡した。どちらも、新品ではあるが、お世辞にも高性能とは言えない、低ランク探索者向けの装備だ。
そして最後に、カメラと通信機が内蔵された、フルフェイスのヘルメットを差し出した。
「これを装着してください。あなたの全ての行動とバイタルデータを、リアルタイムでこちらに転送します。あなたの『特異性』を観測するための、重要なデータとなりますので」
桐生のその目は、笑っていなかった。
監視されている。
健志郎は、その事実を痛いほど理解しながら、黙って装備を身に着けた。ヘルメットを被ると、視界の隅に、自分の心拍数や、活動時間を示すデジタル表示が浮かび上がる。
桐生の真の目的は、この混乱した実戦状況で、健志郎が隠している「力の底」を、無理やりにでも引きずり出すことなのだろう。
健志郎は、あくまで「火事場の馬鹿力を発揮する、運動不足の中年」を演じ続けることを決意した。
支給された剣を、おぼつかない足取りで構えると、後方エリアへと向かった。その背中を、桐生がデータパッドを片手に、冷徹な目で見つめている。
最初の敵は、三体のゴブリンだった。
彼らは、補給物資の木箱を漁っていたが、健志郎の姿を認めると、キーッと甲高い声を上げて襲いかかってきた。
「うわあああっ!」
健志郎は、わざと大げさな悲鳴を上げ、支給された剣を、めちゃくちゃに振り回した。その動きは、剣道経験のない素人が、ただ棒を振り回しているだけにしか見えない。
しかし、その全ての動きは、彼の完璧な計算の下にあった。
彼は、誰にも気づかれずに『影の仕事着』の身体能力強化を使い、ゴブリンたちの動きを正確に予測する。そして、一歩、足を滑らせて転ぶふりをした。
ドスッ――
転んだ健志郎が、偶然突き出した剣の切っ先が、突進してきたゴブリンの一体の、喉元を正確に貫いていた。
「グェッ…」
ゴブリンは、健志郎を見下ろし、そのまま黒い塵と化した。
「な、なんだ……?」
健志郎は、自分の幸運に驚いた、という演技をする。
残る二体のゴブリンが、左右から同時に襲いかかってくる。健志郎は慌てふためきながら、再び剣をデタラメに振り回した。
その剣が、近くにあった木箱の角に当たり、軌道が大きく逸れる。しかし、その逸れた剣の切っ先が、吸い寄せられるように、左のゴブリンの眉間へと突き刺さった。
さらに、勢い余って振り抜かれた剣の柄が、右のゴブリンの側頭部にクリーンヒットし、その意識を刈り取った。
偶然と、まぐれ。
あまりにも出来すぎた偶然だった。
「ふむ……。心拍数、急上昇。発汗量、基準値の三倍。動きは素人そのものだが、結果だけ見れば、極めて効率的だ……」
装甲車のモニターで、その一部始終を見ていた桐生は、興味深そうに呟いた。
この男の強さと、ぎこちなさ。そのアンバランスな戦闘データが、桐生の探究心を、さらに掻き立てていた。
その時だった。
前線から、ひときわ大きな地響きと、探索者たちの絶叫が聞こえてきた。
「前線が崩れるぞ!」
「防衛ラインを突破された!」
「クソッ、あれは止められん!」
桐生がモニターを切り替えると、そこには、絶望的な光景が映し出されていた。
一体の、巨大なモンスターが、高ランク探索者たちの防衛ラインを、いとも簡単に突き破ったのだ。
牛の頭を持つ、屈強な巨人。その手には、巨大な戦斧が握られている。
ミノタウロス。Bランクダンジョンのボスに匹敵する、強力なモンスター。
ミノタウロスは、前線の探索者たちには目もくれず、一直線に、後方エリアへと突進してくる。その目的地は、負傷した探索者たちが集まる、メディカルテントだった。
「グルオオオオオオッ!」
ミノタウロスの咆哮が、戦場に響き渡る。
後方エリアにいた低ランク探索者たちは、その圧倒的な威圧感の前に、恐怖で足がすくみ立ち尽くしていた。
桐生の顔から、初めて血の気が引いた。
「まずい……! あれを止められる者は、ここにはいない……!」
そのミノタウロスの進路上に、一人の男がいた。
健志郎だ。
彼は、究極の選択を迫られていた。
このまま、凡人のふりを続け、目の前で繰り広げられるであろう惨劇を、ただ見過ごすのか。
それとも、桐生という監視者の前で、自らの本当の力の一端を解放し、人々を救うのか。




