第三十話:漆黒のヒーロー
鼓膜を突き破るような爆音と、すべてを白く染め上げる閃光。
周囲はパニックに陥った生徒や来場者たちの悲鳴と、泣き声、そして怒号で満ちていた。楽しかったはずの祭りの風景は、見る影もなく破壊され、絶望的な空気が漂う。
健志郎の頭を支配していたのは、ただ一つ。
(凛……! 凛は、どこだ!?)
彼は、瓦礫の中から身を起こすと、その惨状を見渡した。
体育館の中心部が巨大な口のように、禍々しい紫色の光を放つ空間――「ゲート」へと変貌している。その亀裂から、ゴブリンや、屈強なホブゴブリン、さらにはこれまで見たこともない、猪のような獣型モンスターや、空を舞う翼を持つ小型の魔物たちが、津波のように溢れ出てきていた。
もはや、躊躇している時間はない。
健志郎は逃げ惑う人々のパニックを隠れ蓑に、瞬時に力を解放した。
(装着、『影の仕事着』!)
彼の体を漆黒の影が包み込む。平凡なおっさんサラリーマンの姿は、一瞬にして、光を吸い込むようなマットブラックの戦闘服をまとった、漆黒の戦士へと変貌を遂げた。顔を覆うマスクが、彼の表情と、そして父親としての素顔を完全に隠す。
健志郎とモンスターの戦いが始まった。
もはやいままでの隠密行動ではない。愛する娘がいるこの地獄の中で、被害を食い止め一人でも多くの命を救うための、全面戦争だ。
彼は、ホブゴブリンの『影』から得た、より強力な戦闘能力と、スーツの全機能を解放した。
「グギャアアア!」
一人の女子生徒に襲いかかろうとしていたゴブリンの群れに、健志郎は黒い疾風となって突っ込む。
腕から、影で創り出された鋭い刃――『影の刃』が伸び、ゴブリンたちを薙ぎ払った。
逃げ惑う生徒たちの前に、巨大な獣型モンスターが立ちはだかるが、健志郎はその前に割り込むと、左腕から瞬時に『影の盾』を展開し、その突進を正面から受け止めた。
「逃げろ! 早く!」
マスク越しだが、低くよく通る声。生徒たちは校舎へと逃げ込んでいく。
その時、健志郎の強化された視力が、校舎の屋上からこの惨状を満足げに見下ろす、数人の人影を捉えた。
ローブをまとった姿。あれが『預言者』たちのメンバーだろう。奴らがこの巨大ゲート召喚の実行犯なのだと確信すると、ふつふつと沸く怒りで、奥歯を強く噛みしめた。
さらに、健志郎の視力が、校庭の隅に起こっている信じられない光景を捉えた。
凛。そして、その友人たちが、一体の巨大なオーガに追い詰められ、逃げ場を失っていた。オーガは、身長三メートルはあろうかという巨体で、その手には、巨大な金棒が握られている。絶体絶命の窮地だ。
(凛……!)
健志郎の心臓を、氷の槍が貫いたかのような衝撃が走った。そして、それは次の瞬間、すべてを焼き尽くすほどの、怒りへと変わった。
彼は、これまでで最大級の『シャドウ・クラフト』を発動する。
(喰らい、そして従え……! 俺の兵となれ!)
健志郎はホブゴブリンから得た『統率力』の『影』を中核に、自らがこれまで吸収してきた、ゴブリン、野犬、クモ、ありとあらゆるモンスターの『影』を融合させた。
健志郎の背後から、彼の影そのものが、まるで意思を持ったかのように、ゆらりと立ち上る。そして、その影が、人の形を成していく。
一体、二体、三体……
それは、健志郎の分身とも言える、漆黒の鎧をまとった「影の兵士」だった。
「行け」
健志郎の短い命令に、影の兵士たちは、一斉に雑魚モンスターの群れへと襲いかかった。彼らが時間を稼いでいる間に、健志郎本人は、ただ一つの目標へと地面を蹴った。
巨大なオーガに脅かされている娘の所へ。
「グオオオオ!」
オーガは、自分に向かってくる小さな黒い影を認めると、巨大な金棒を振りかぶった。
風を切り、地面を抉るほどの、圧倒的な一撃。
健志郎は、それをスーツの俊敏性を最大限に活かして、紙一重で回避する。そして、オーガの足元に滑り込むと、両腕から『影の刃』を伸ばし、そのアキレス腱を、深く、鋭く切り裂いた。
巨体が、バランスを崩してよろめく。
その隙を健志郎は見逃さない。壁を蹴って高く跳躍すると、オーガの無防備な背中に飛び乗り、首筋に、影で創り出した無数の杭を、容赦なく叩き込んだ。
オーガは最期の断末魔を上げ、その巨体を、ゆっくりと地面に沈めていった。
静寂が、一瞬だけ訪れる。
凛は、その一部始終を、ただ呆然と見つめていた。
絶望した瞬間。突如として現れた、漆黒の謎のヒーロー。
圧倒的な力で、絶望の淵から救ってくれた。少しお腹が出たヒーローを。
しかし、安堵する暇はなかった。
オーガを倒した健志郎の前に、体育館のゲートから、これまでの敵とは比較にならないほどの絶望的なプレッシャーを放つ、巨大な影がゆっくりとその姿を現したのだ。
それは、禍々しい装飾が施された全身鎧をまとい、その背には、ボロボロのマントを靡かせた、巨大な「将軍」級のモンスターだった。その目は、知性と、そして冷酷なまでの威厳に満ちていた。
遠くから、ようやく、ギルドの到着を告げる、甲高いサイレンの音が聞こえ始めていた。
しかし、それが果たして間に合うのか。
健志郎は、新たな絶望を前に、影の刃を構え直した。




