第二十一話:百腕の影
静寂は、獣の咆哮によって破られた。
フォージ・グレムリンの親玉が甲高い号令を発する。それを合図に、数十体のフォージ・グレムリンたちが、手に持ったばかりの粗悪な武具を握りしめ、一斉に健志郎へと襲いかかった。
地を揺るがすような無数の足音。剥き出しの殺意。統率の取れた、死をも恐れぬ兵隊の波だった。
しかし、今の健志郎は廃工場で野犬の群れに怯えていた、おっさんではない。
全身を包む『影の仕事着』が、彼の恐怖を闘争心へと変換する。
「来い……!」
健志郎は低く呟くと、迫りくる第一波を迎え撃った。
先頭のグレムリンが振り下ろした錆びた剣を、左腕で弾き返す。
ガキン――と甲高い音を立てて、剣はあっさりと折れ曲がった。スーツに組み込まれた『鋼の耐久性』は、粗悪な武器など意にも介さない。
健志郎は、返す刀でがら空きになったグレムリンの胴体に、影で強化された拳を叩き込む。一体が、悲鳴を上げる間もなく黒い塵と化した。
だが、敵の数は圧倒的。
一体倒してもその隙間を埋めるように、次なる二体が左右から襲いかかる。
槍が突き出され、斧が振り下ろされる。
健志郎は野犬から得た『獣の俊敏性』を最大限に発揮し、その猛攻を紙一重でかわし続けた。
スーツの関節部分に仕込まれたスライムの『弾力性』が、音もなく滑らかな動きを可能にする。
しかし、それは消耗戦の始まりに過ぎない。
(まずい……このままではジリ貧だ……!)
健志郎は迫りくる刃をいなしながら、冷静に戦況を分析していた。
一体一体は弱くとも、数が多すぎる。
この波状攻撃を捌き続けるには、体力も、そしてガントレットに蓄えた『影』のエネルギーも、いずれ底をつくだろう。
サラリーマンとしての彼の本能が、この戦い方を「コストパフォーマンスが悪い」と判断した。
必要なのは、一対多の状況を根本から覆す、抜本的な業務改善だ。
(どうする……どうすれば、この量に対応できる……?)
健志郎の脳が、猛烈な速度で回転する。
これまでに吸収した全ての『影』のライブラリを検索した。
ゴブリンの『筋力』、ネズミの『俊敏性』、クモの『潜伏能力』……。
そして、彼の思考は、ある一つの概念にたどり着いた。
廃工場で戦った、あの野犬の群れ。彼らの強さの本質は、個々の力ではない。『群れの連携』そのものだった。
(そうだ……俺が、「群れ」になればいい……!)
一対多が不利ならば、一対一の状況を、無数に創り出せばいい。
この戦況を打開するための、最大級の『シャドウ・クラフト』を発動する。
まず、中核となるのは、野犬の群れから得た『群れの連携』の概念。
次に、スライムの『粘着性』を、敵の武器を絡め取り、動きを封じるための捕縛機能として。
そして、廃工場の金属スクラップから吸収した、無数の『鋭利な刃』の概念を確実な攻撃手段として。
これら全てを、彼のスーツから、直接具現化させるのだ。
「おおおおおっ!」
健志郎は、雄叫びを上げた。
彼の背中から、まるで黒い噴火のように、膨大な数の『影』が噴き出した。
影は意思を持ったかのように、数十本の触手となって広がり、その一本一本が、独立した腕へと変貌していく。ある腕の先には、粘着質の球体が。ある腕の先には、鋭い刃が。またある腕は、強靭な盾の形を成していた。
『影の百腕』。
健志郎が、土壇場で創り出した、攻防一体の決戦兵器だった。
戦局は、その瞬間で一変した。
グレムリンたちが振り下ろす剣を、影の盾が防ぎ、粘着質の腕がその武器を絡め取って奪い去る。
ガラ空きになった体へ、影の刃が的確に、そして無慈悲に突き刺さった。
健志郎は、その場から一歩も動いていない。しかし、彼の周囲では黒い腕の嵐が吹き荒れ、グレムリンたちを次々と無力化していく。
それは、もはや戦闘ではなく一方的な蹂躙だった。
「ギギ……ギィィィィッ!!」
その光景を見ていたフォージ・グレムリンの親玉の目が見開かれ、怒りに染まっていく。
自らが育て上げた兵隊たちが、得体の知れない人間によって、紙くずのように薙ぎ払われていく。
親玉は、ついに自ら動くことを決意したとみえる。
フォージ・グレムリンの親玉は、背後にあった巨大な武器庫の扉を蹴破ると、中から自身の体ほどもある、巨大なウォーハンマーを担ぎ出してきた。
鍛え上げられた、恐ろしく高密度な金属の塊。
そのウォーハンマーを軽々と振り回すと、大地を揺るがすほどの雄叫びを上げ、健志郎へと一直線に突進してきた。
健志郎は、その圧倒的なプレッシャーを肌で感じた。
(まずい……!あれは、小手先の技じゃ防げない……!)
百腕の影では、あの質量と破壊力は受け止めきれない。
健志郎は展開していた全ての影の腕を、一気に背中へと吸収させた。そして、その莫大な『影』のエネルギーを、全て、左腕のガントレットへと集中させる。
(一点集中……全防御!)
健志郎の左腕が、黒い光の奔流に包まれた。
廃工場で創り出した『影の盾』が、何倍もの大きさと厚みを持って、彼の体の前に具現化する。それは、もはや盾ではなく、絶望的な攻撃を防ぐためだけに創られた、漆黒の「壁」だった。
敵の規格外の一撃が、振り下ろされる。
健志郎は、歯を食いしばり、その漆黒の壁を構え、真正面から迎え撃った。
地下空洞に、地球が砕けるかのような凄まじい衝撃音と閃光が迸った。




