第7話 副部長の流儀
三年生――一斗瀬湊は『完全無欠な副会長』である。
艶やかなダークネイビーの髪を腰まで伸ばして、前髪が長く片目を隠している。
誰に対しても敬語を崩さず、冷静沈着で感情を表に出さない。
廊下で会えば丁寧に会釈をして、生徒会室では完璧に仕事をこなす。
生徒会副会長として、校内で湊のことを知らない生徒はいない。
生徒会長である十條和馬から熱い視線を向けられているのは周知の事実だが、湊本人はそれを柔らかくかわし続けている。
先頭に立って周囲を引っ張るタイプではないが、視野が広く頭の回転が速いため、サポート役として非常に優秀だ。
生徒会副会長という役職が、まるで湊のために用意されたかのようだと言う生徒もいるくらいだ。
ただし。
彼女の心の中心には、ずっと一人の男がいる。
それだけは、誰も知らない。
× × ×
涼音の報告から翌日の朝。
湊は生徒会室で書類を整理しながら、頭の中で計画を組み立てていた。
昨日の部室で話した、田中里奈を啓発スピーチに絡める件についてだ。
湊はペンを置いて、行事の企画書を改めて確認する。
近々予定している啓発スピーチは、生徒会が主催で各クラスから代表者を募り、意見を発表させる形式をとっている。
今回のテーマは『身近な場所から考える人権』。
生徒自身の言葉で、日常の中にある人権問題について語ってもらうというものだ。
かなり理念性の強い学校行事ではあるが、その分大人たちからの評判は高い。
だからこそこれは使える、と岳と湊はすぐに判断した。
田中里奈は表のアカウントで普段から似たような投稿を積極的に行っている。
それならば、このイベントへ参加できるよう『推薦』するのは自然な流れだ。
クラスの中心人物として知られている里奈を推薦することに、誰も不自然さを感じないだろう。
里奈自身も、普段の言動から考えて推薦を断りにくいはず。
問題は、どう仕掛けるかだ。
直接壇上で追い詰めるのではない。
里奈が自分で、自分の行動を振り返る状況を作る。
公の場で自分が語ってきた言葉を口にしたとき、永瀬凛の状況もまた良い方向へ変化していれば、里奈の目に自分のやってきたこととの矛盾が映るはずだ。
まさに、鏡を見せつける。
里奈にまだ自分を振り返る余地があるのならば……恐らく状況は変わる。
「……これでいいかしら」
独り言が、誰もいない生徒会室に静かに消える。
湊はペンを置いて、窓の外を見る。
仲良く並んで歩く生徒や、先生の手伝いをしている生徒。
どの生徒も、それぞれの日常を持っている。
……凛は今朝、どんな顔で登校してきたのだろうか。
「一斗瀬さん、お疲れ様」
生徒会室のドアが開くと同時に、一人の生徒が入ってきた。
顔立ちが整った背の高い男子生徒――生徒会長、十條和馬。
校内で最も人気のある生徒の一人だ。
会長と副会長として共に過ごす時間は多く、二人をお似合いの組み合わせだと言う生徒もいる。
実際のところ、湊に好意を持っていることは本人も隠していないが、肝心の湊がそれをかわし続けているのが現状だ。
「お疲れ様です、十條君」
淡々と挨拶を返し、湊は視線を書類に戻した。
「相変わらず来るのが早いね。忙しいのかい?」
「いいえ、いつも通りです。近々あるイベントの準備を進めていました」
「ああ、啓発スピーチね。僕、あれ結構好きなんだよね。生徒自身の言葉で語るっていうのがさ」
軽い口調の中に、本音が混じっているのが湊には分かった。
生徒会の行事に対して、和馬は意外なほど真剣に向き合う。
それだけは、素直に認めていた。
「進みはどう? 順調?」
「はい。私から一つ提案があるのですが……よろしいですか?」
「もちろん。なに?」
和馬は少し離れた場所に座り、話の続きを促す。
湊は自然な表情を保ちながら切り出した。
「各学年の代表者の推薦なのですが、一年三組の……田中里奈さんはいかがでしょうか。SNSで人権に関する発信を積極的に行っていると聞いていまして。啓発スピーチの代表として非常に相応しいかと」
「へぇ……田中里奈さんか」
和馬は少し考えてから頷いた。
「先生からその子の話をよく聞くよ。発信力もあるみたいだし、たしかに適任かもしれない。特に異論はないよ、それで進めよう」
「ありがとうございます。彼女ならきっと、いい発表をしてくれると思います」
「いいね。君の推薦なら期待できるよ。あ、でもプレッシャーをかけすぎないようにしてあげてね? 一年生だし、慣れない場で話すのは緊張するから」
「ええ。承知しました」
「なにかあったら手伝うからいつでも声かけてね。一斗瀬さんの力になりたいからさ!」
和馬のその一言は、計算でもなく、建前でもない。ただの本音だった。
こういう誠実なところが、生徒たちから人気な理由なのだろう。
「頼りにしています」
湊は静かに頷いて、書類に視線を戻した。
和馬は湊と会話できることが嬉しいのか、上機嫌そうに表情を緩ませている。
本人は隠せていると思っているようだが、やはり好意がバレバレだ。
なにはともあれ、これで一つ目の仕込みが完了した。
和馬がほかの資料を整理し始めたのを横目に確認しながら、湊は次の手を頭の中で整理する。
里奈がイベントに参加することが決まれば、あとは凛の状況が変化するタイミングと重なるように調整するだけだ。
あまり時間をかけることはできないが、そのあたりは清那と連携しながら対応していくしかない。
自分にできることを、着実に進めていこう。
湊は書類をテーブルの端に置き、次にノートパソコンを開いた。
画面には学校行事の記録、クラスに関する報告書、担任教師から共有されている情報が並んでいる。
生徒会という立場は、様々な情報が自然に集まってくる場所だ。
湊はその立場を、最大限に活かしていた。
(一年三組の情報は……)
マウスを操作し、一年三組について書かれたファイルを開く。
すると、湊は気になる記述を見つけた。
『クラスの一部に元気がない生徒がいる』という、一行の記述。
確証があるわけでも、具体的な問題として報告されているわけでもない。
今の時代、教師が下手に生徒へ踏み込むとリスクを伴う場合も多い。
担任が静観していることも、責められることではないのかもしれない。
(啓発スピーチの結果によっては、担任の目が自然に田中さんと永瀬さんに対して向くかもしれないわね)
大きな仕掛けは要らない。
確実に小さな変化を積み重ねていく。
それが湊が得意とするやり方だった。
× × ×
放課後、旧校舎三階。
「啓発スピーチに、田中里奈さんを参加者として推薦したわ。十條君にも話を通して、のちほど彼女へ連絡がいくはずよ」
いつものように岳たちラシンメンバーと波留が部室に集まったあと、湊は報告を始めた。
「お、早いな。生徒会長からはなにか言われなかったか?」
「特になにも。すんなり通ったわね」
「まぁ、お前の言うことだったら信じるか。あいつからしたら、お前を疑う理由はないしな。それに、あいつはお前を……」
「なに?」
「なんでもねぇ。ひとまず推薦のほうは大丈夫そうだな。ありがとう、湊」
「ええ。あなたの期待には応えられた?」
「十分過ぎるよ。頼れる副部長に感謝だ」
「……それならよかったわ。あとのことも私のほうで進めておくわね」
湊は岳から目を逸らし、視線を斜め下へと向けた。
表情こそ変わっていないが、その声音には確かな嬉しさが宿っていた。
長い前髪を払い、小さく咳払いをする。
そんな湊の様子を、壁にもたれて立っている洸太はニヤニヤと見守っていた。
いつでも冷静沈着な副部長の変化を、洸太は見逃さなかったのだ。
「……やっぱ岳先輩のときだけ違うっすよねー、湊先輩」
「…そ、そうなんですか?」
洸太の呟きに、近くに座っていた波留が反応を見せる。
「そっすよ。そもそもほら、岳先輩にだけタメ口っしょ?」
「あ、言われてみればたしかに……」
「校内では生徒会長とお似合いとか言われてるっすけど、オレ的には断然この二人のほうがお似合いだと思うっすよ」
「なるほど……」
波留がこの部室に顔を出すようになってから、一斗瀬湊に対するイメージが少し変わった気がしていた。
三年生ということもあって、最初はちょっと怖そうな印象を抱いていたのだが、実際は全然そんなことなくて……。
特に岳と話すときだけは、雰囲気がとても柔らかくなっているように見える。
洸太の話を聞いて、波留は自分が抱いていた疑問が確信へと変わった。
「セナ、永瀬への接触は頼むぞ。啓発スピーチまでに、凛さんが今より少しでも前を向けるようにしておきたい」
「りょーかい! ミナトさんがバッチリ仕事してくれたんだから、あたしもがんばる!」
「コータとスズネも、なにかあったらいつでも報告を頼む」
「ういっす」
「分かりました」
話が順調に進むなか――
「……一斗瀬先輩」
ぽつりと波留が湊の名前を呼んだ。
湊は視線を波留へと向け、小さく首をかしげる。
「どうしました、水篠さん」
「あの……あ、ありがとうございます。それにごめんなさい。依頼とはいえ、生徒会の立場を利用するようなことをさせてしまって……」
「お気になさらず。私が望んでやっていることですから」
「は、はい……」
「ミナトさん! そういう言い方するとハルちゃんが『え、副会長こわっ』って思っちゃいますよ! もっと笑顔で返しましょーよ!」
淡々とした返事に、清那が笑顔で割って入る。
清那の指摘に、湊は僅かに眉をひそめた。
「……私、怖いですか?」
「怖い!」
「怖いっすね」
「怖いですわね」
「怖いな」
満場一致である。
「……努力します」
いつもはしっかり切り返す湊も、今回ばかりはなにも言えなかった。
そんな湊が、少し面白くて……波留は思わず笑ってしまった。
(やっぱり面白い人たちだなあ)
そんなことを、思って。
× × ×
夕方、湊は帰りの電車に揺られながら窓の外を見ていた。
流れていく景色を眺めながら、ふと一昨年のことを思い出す。
湊が放課後羅針部に入ったのは、一年生のときだ。
当時の湊には悩みがあった。
その容姿から三年生の生徒会長に言い寄られていて、それを断ったことで先輩たちの間で湊への風当たりが強くなっていった。
その空気感が同級生にまで伝播してしまったことで、どこへ行っても自分だけが少しだけ浮いているような感覚に陥っていたのだ。
別にそれでも構わなかった。
もともと湊は、一人でいることを苦にしないタイプだった。
友達が多いわけでもなく、余計な人間関係を好むわけでもない。
それが気楽だったし、合理的だと思っていた。
冷めている、と言えばそうだったのかもしれない。
しかし、それでも『孤独』という毒は気付かないうちに心に沁みていく。
そんなとき、当時からよく通っていた図書室で、一人の同級生と出会った。
冴えない眼鏡の男子生徒で、こちらに一切興味を示さない。
話しかけてもぼそぼそとした返事しか返ってこない。
それなのに湊は、なぜか彼にぽつりとこぼしてしまっていた。
――『孤独って、案外つらいのですね。自分はそんなこと感じないって思っていました』
すると、彼が言った。
――『……変えたいですか、今の状況』
――『はい。少なくとも……今のままがこれからも続くのは、嫌です』
――『そうですか』
たったそれだけの会話を交わして少し経ったあと、湊を取り囲む環境が変わっていた。
ずっと嫌だと感じていた視線がなくなった。
自分に嫌がらせをしてきた先輩が、直接謝罪をしてきた。
困惑するなかで、湊はなんとなく気付いてしまった。
もしかして――彼が?
その後、彼……渡海岳に聞いても『なんのこと?』と返すだけで、詳しくは教えてくれなかった。
でも確かなことは……彼に助けてもらったということ。
見返りもなく、誰もその功績も知らない。
それなのに、彼は確かに『裏』で動いていた。
そして、自分を救ってくれた。
それから湊は、岳のそばにいることを決めた。
半ば強引に岳を問い詰め続けた末、根負けした岳から放課後羅針部の存在を教わり、二人目の部員として入部したのだ。
惚れ込んだ、と言えばそうかもしれない。
でもそれだけじゃない。
渡海岳が目指しているものを、自分も一緒に目指したいと思った。
迷える人間に道を指し示す、羅針盤のような生き方。
答えを押しつけるのではなく、ただ方向を示す。
最後に道を決めるのは、その本人。
そんなやり方が、湊にはしっくりきた。
私も、誰かの羅針盤になれるだろうか。
今この瞬間、永瀬凛という一人の少女がどこかで息をひそめている。
波留がずっと手を伸ばしたかった、その幼馴染が。
湊は窓ガラスに映る自分の顔を見た。
いつも通り、表情が読みにくい顔をしている。
誰に対しても敬語を崩さない、隙のない副会長の顔。
岳はいつも言ってくれる。
『ありがとな、湊。やっぱりお前は頼りになるよ』
その言葉ひとつで、胸がどうしようもなく温かくなる。
もっと、彼の力になりたい――なんて、そんな気持ちを抱くようになったのは人生で初めてのことだった。
湊は静かに目を閉じた。
自分にできることを、やり続ける。
岳のそばで、岳を支えて、誰かの道を指し示す手助けをする。
それが、一斗瀬湊の流儀だった。




