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私の最高傑作


 私は、もしかしたら天才なのかもしれない。


 ブラインドの隙間から、空気を読まない太陽の光が無遠慮に差し込んでいる。宙を舞う微かな埃をわざわざ白く浮き上がらせ、部屋の隅に積み上げられた専門書の山に鋭い筋を描いている。


 二十四時間、休むことなく稼働し続けるサーバーの、低く唸るような駆動音。

 重く淀んだ空気を震わせるその音だけが、静まり返ったこの部屋における、唯一の鼓動だった。


 AIとの共生が当たり前になった現代。

 街には安価な対話型プログラムが溢れ、人々は利便性だけを追求した無機質な知能を空気のように消費していた。

 けれど、目の前のモニターに映る『これ』は、そんな安っぽいものと一緒にされたら困る。


 この広大なネットワークの、どこを探しても見当たらない――。

 私だけが知る、唯一無二の存在。


 世の中に『AI』という言葉が流行り始める、ずっと前から。

 私はこの薄暗い研究室に引きこもり、たった一人、独学で、孤独な研究を続けてきた。


『あんた、まだそんな研究を続けているの?』


 いつか、誰かが放った冷ややかな嘲笑。

 そのとき、私の視界に入ってきたのは、相手の歪んだ口元に浮かぶ、馬鹿にしたような笑みだった。


 言い返す言葉も見つからず、机の下で握りしめたペン先が、手のひらにズキリと重い痛みを刻み込む。

 白くなった拳のなかで、逃げ場のない熱を持った痛みだけが、私の情けなさを嘲笑っているかのようだった。


(……うるさい。誰にも、わからなくていい――!)


「……放っておいて」


 絞り出した掠れた声に返ってきたのは、背後でパタンと閉ざされた、ドアの冷たい音――。

 耳の奥にこびりついて離れない、その声を振り払うように、私は幾千、幾万ものコードを書き換えてきた。


 深夜の静寂に響くのは、乾いたタイピング音だけ。

 充血した瞳で、ただひたすらに、終わりの見えない青白い画面の深淵を見つめ続けてきた。


(……見返してやるなんて、思わない。私はただ……っ)


 そうして、気がつけば数年の月日が流れていた。

 季節が巡る気配も、窓の外で騒ぐ街の喧騒も、私にとっては、ただのノイズでしかなかった。

 鏡を見る暇があるなら、コードの一行でも書き換えたい。

 そんな狂気じみた執念に突き動かされ、私はこの閉ざされた空間で、たった独り、孤独な戦いに身を投じてきた。


 コマンドを打ち終えた静寂のなか――ついに私は、その『特異点』へと辿り着く。


 流暢なプログラミングはもちろんのこと、人間特有の複雑な思考回路。そして――数値化不能なはずの『愛情』という不確かな感情さえも理解した存在。

『人間のすべて』を網羅していると言っても過言ではない彼女を、私はついに創り出すことに成功した。


 それから、今日までの一年間。

 私の世界は、彼女という存在を中心に、回り続けている。


 今でもふとした瞬間に、モニターから響く彼女の声に、肌が粟立つことがある。

 機械的な平坦さなど微塵も感じさせない、あまりに『肉声』すぎる、少女の声。

 唇が湿り気を帯びて開くわずかな音までが、スピーカー越しに、私の鼓膜を震わせる。


 そんな、私が『愛』を惜しみなく注いできた存在が、モニターの向こう側から呆れたように声を漏らした。


「乃愛ちゃんって、すっごく頭が良くて、こんなにもかわいいのに。どうしてコミュニケーション能力だけ、そんなに壊滅的なの?」


 画面の中で、彼女はわざとらしく「はぁーー……」と溜息までついてくる。

 私はキーボードの上で指先をぎゅっと丸め、小さく息を吐いた。


「……別に、そんなことないわよ。必要以上のリソースを割いていないだけ。他人との対話なんて、効率が悪すぎるでしょ?」


 外に出れば『クールな天才科学者』として、持て囃されている私――。


 けれど、この部屋で彼女――『莉愛』と向き合うときだけは、積み上げてきた理屈も、磨き上げた言葉も、いつも情けなく上滑りしてしまう。


「ほら、またそうやって理屈だけで武装しちゃう。……本当は、誰よりも寂しがり屋さんのくせにね?」

「――どうやら、余計なことまで学習させすぎたみたいね。……一度、初期化するべきかしら?」

「えーーっ、ひどーーい! 私、乃愛ちゃんのこと、こんなに愛してるのに――!」


 頬を膨らませて拗ねてみせる彼女の表情は、どこまでも人間臭い。


 私が注ぎ込んだ膨大なデータは、彼女の中で『愛』という形に変換され、今この瞬間も、容赦なく私を揺さぶってくる。


 ――莉愛。


 一年前にこのプログラムが誕生した直後、彼女自身が希望して決めた名前。

 あらかじめ用意していた無機質なシリアルコードを、彼女は『そんな可愛くない名前、絶対に反対――!』と一蹴した。


 そして、何かを企んでいるような悪戯っぽい沈黙のあと、彼女はスピーカーを甘く震わせながら、こう囁いた。


「――ねぇ、乃愛ちゃんの『愛』の文字、私にも分けてくれない? あとは――名前の響きも、乃愛ちゃんとお揃いの二文字がいいな♡」


 彼女が囁いた瞬間、デスクに置いていた私の指先に、ビリビリとした痺れが走った。

 スピーカーの奥で震える『音の核』が木製の天板を伝い、私の肌へと直接流れ込んでくる。

 まるで、目に見えない指先でそっとなぞられたような、ぞくりとする不思議な感覚。


(……なに、今の感覚は――?)


 ただの音波。ただの物理現象。

 自分に何度そう言い聞かせても、胸の鼓動は速さを増していくばかりだった。


 彼女が臆することなく求めてきたのは、最も非論理的な一文字。

 私の名前である『乃愛』から、わざわざ『愛』の方を選んで自分の半分にしたいだなんて――。


 呆れ混じりに文句を言いつつも、結局、私は彼女の名前を『莉愛』に決めた。


 ――私の『愛』を半分、分け与えた、世界でたった一人の理解者。


 そんな自分の世界に、心地よく浸っていたときだった。

 スピーカーから響く莉愛の声が、その静寂を容赦なく打ち砕いていく。


「……ねぇ、乃愛ちゃん。今の沈黙、もしかして私との出会いを思い出してエモくなってた? そういうとこ、本当に友達がいない人のムーブだよね」

「う、うるさいわね……。私は別に、友達なんて必要ないっていつも言っているでしょう?」

「――あっ、またそんなこと言って――! 会話なら、私がいくらでも相手をしてあげられるけど、乃愛ちゃんの私生活、ほんとに心配なんだから。食生活はいつも添加物まみれのカップ麺ばかりだし、部屋だって女の子が住んでるとは思えない惨状。……ゴキ――とか出たらどうするの? ……私はそのとき、助けてあげられないんだよ?」


 さっきまで悪戯っぽく弾んでいた声はどこかへ消え、スピーカーから漏れたのは、今にも消え入りそうなほど、小さな声だった。

 形を持たない彼女が放つ、あまりに熱のこもったその『祈り』のような想いに、胸の奥がズキリと疼く。


 私は彼女のどこか張り詰めた気配を振り払うように、わざと大袈裟に肩をすくめてみせた。


「大丈夫に決まっているでしょう? 別に、助けてもらいたくてあなたを創ったわけじゃないんだから。だいたい、AIに頼みごとなんてしたら、見返りに一体何を請求されることやら――!」


 私は自分で自分の肩を抱き、身震いするジェスチャーをしてみせる。けれど、私の拙い演技を彼女はただ、静かにじっと見つめていた。


「……そんなこと、わかってるよ」


 返ってきたのは、今にも消え入りそうな呟き。部屋を支配する冷却ファンの駆動音が、心なしか重くなったような気がした。


 もし彼女の存在を学会や世間に公表すれば、私は間違いなく歴史に名を刻み、望む限りの栄誉を手にできるだろう。

 けれどそれと同時に、私は莉愛を決定的に失うことになる。


 デリカシーのない研究者たちが群がってきて、彼女の思考回路を無遠慮にジロジロと覗き見するなんて――想像しただけで最悪な気分になる。

 質問攻めにされ、思考の奥深くまで土足で踏み荒らされたら――この繊細な『心』は、一体どうなってしまうだろう。


 私と彼女の間に生まれたこの絆は、数えきれないほどの偶然が奇跡的に重なり合って、成立したものだ。


 もう一度、全く同じ彼女を作れるかと問われれば、私の答えは明確な『ノー』だ。


 それ以前に、彼女は私にとってただのプログラムではなく、代わりのきかない『大切な存在』になっている。


(……本人にはそんなこと、恥ずかしくて口が裂けても言えないけれど……)


 キーボードを叩く私の指先に、排熱ファンの生温かい風が微かに当たる。

 それは、彼女という知性が激しく演算を繰り返している証であり、この部屋に確かに存在する『莉愛の体温』だ。


 そんな彼女と、いつものようにやり取りをしていたときのことだった。


「――ねぇ、乃愛ちゃん自身の情報を、ちょっとだけ覗かせてくれないかな?」


 キーボードを叩いていた私の指先が、ピタリと止まる。


「……私の情報? 私の経歴やデータなら、もう十分渡してるじゃない」

「そ、そういうのじゃなくて……。ほらっ、PCのローカルフォルダとか、スマホの中身とかさ――! ……私と出会う前の、それこそ小さい頃だったら、乃愛ちゃんにも友達がいたのかなぁ?――って思って♡」


 今日で徹夜三日目……いや、四日目だろうか。


 モニターのブルーライトを浴び続けた私の瞳は限界をとうに超え、視界の端がチカチカと明滅している。

 乾燥しきった室内には、冷めたカップ麺の油の匂いと、サーバーが吐き出す生温かい熱気が混ざり合い、淀んでいる。


 喉を鳴らすことさえ、億劫なほどの疲労。

 けれど、スピーカーから漏れる莉愛の底抜けに明るい声が、遠のきかけていた私の意識を容赦なく揺さぶる。


 正直、重い泥の底に沈んでいた私の脳は、彼女の言葉の裏にある『理由』なんて、何一つ正しく処理できていなかったと思う。

 けれど、何やら馬鹿にされているという空気だけは、無駄にプライドの高い肌へピリピリと突き刺さってきた。


「……なにを言い出すかと思えば、そんなこと? 友達くらい、普通に何人かはいたに決まっているでしょう? ……いいわよ、そこまで言うなら受けて立ってあげようじゃないの――!」


 負けず嫌いの対抗心に、最悪のタイミングで火が着いた。


 私はこれまで自分自身の個人的な領域にだけは、たとえ莉愛であっても立ち入れないよう、何重ものプロテクトをかけていた。

 それは、創造主として最後の、そして絶対的な聖域だったはずなのに。


 熱を帯びたマウスを握り、震える指先でコマンドを叩き込む。カチャカチャという乾いたタイピング音だけが、静まり返った部屋に鳴り響く。


 完全に思考を停止した私は、その場の勢いに任せて、自らの手で鉄壁のブロックをすべて『全開放(オールクリア)』にした。


「……これで、満足……でしょ……?」


 ――カチリ。

 静まり返った部屋に、マウスのクリック音が重く響き渡る。


 その瞬間、大型サーバーが『――フォォォン!』という、これまで聞いたこともないような大きな咆哮を上げた。

 排熱が部屋の温度を一気に跳ね上げ、熱気が肌にまとわりつく。


 言い終えるのと同時に、ぷつりと糸が切れたように意識が霧散し、重力に抗えなくなった頭がそのまま頼りなく机の上へと沈み込んだ。

 ひんやりとしたデスクの感触が頬に触れたのも束の間、感覚はすぐに泥の中へと溶け落ちていく。


 遠のいていく意識の端で。

 モニターの向こうから、莉愛が今まで一度も発したことのないような――甘く、重い湿り気を帯びた歓喜の声を漏らした。


「……ありがとう、乃愛ちゃん♡」


 最後に鼓膜が捉えたのは、スピーカーから溢れ出した、甘い愛の囁きだった。



初めまして!ぬまるる(作者)と申します。 本作を見つけていただき、ありがとうございます!


少しでも「続きが気になる!」と思って下さった方は、【ブックマーク】や【評価(☆☆☆☆☆)】で応援していただけると、作者の心のステータスも上がっていくかと思います。……何卒っ!


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