第九章 幕間
「幕間」と書いて「まくあい」と読む。「まくま」ではない。芝居と芝居のあいだの、休憩時間のことである。
客席の側から見れば、幕間というのは何も起こらない時間だ。伸びをして、ちょっとトイレに行って、あとはモギリのお姉ちゃんに手渡されたフライヤーやら公演パンフやらの適当な刷り物など見返しているうちに終わる。
だが演じる側は大違い。役者は衣装を着替え、大道具はセットを入れ替え、書き割りを引き、がらりと舞台転換をして次の幕の仕込みに大忙し、客に何も見せないよう静かに引かれている幕の裏で実はてんやわんや、スタッフ達の脳内BGMはエンドレスで「盆回り」、幕間とはそういう時間だ。
そしてここからは第二部のエピローグ。
つまりそういう章である。読者のみなさまは客席にて、どうかお気楽に。
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夜の商店街。
振り返った澄の前で、庄三郎は少し息を切らして立ち止まった。
「・・・なに?」
「いや」
そう言って、庄三郎は息を整える。
「・・・夜道だし。送ってく」
「・・・あんたの帰る方向、反対でしょ?」
「知ってる」
澄は街灯の下で数秒、庄三郎を眺めていたが、やがてくるりと前を向いた。
「じゃ、大学通りまで」
歩き出す。庄三郎が隣に並ぶ。
シャッターの下り始めた店先と、自動販売機の灯り。夏のぬるい夜風。
「お爺様のこと」
庄三郎に顔を向けず、前を向いたまま澄が続ける。
「藤堂さんに、知られちゃったわね」
「まあなあ」
「バレてよかったの?」
「うんまあ、別に隠してたってわけじゃないからな。自分から言うことでもなかっただけで」
「これから来るわよ。絶対」
「ん? 何が?」
「『撮ってくれないか?』よ。あの人、このまま何もしないと思う?」
「・・・まあ、思わない・・・よな」
しばらく足音だけが続く。
また澄が続けた。
「ねえ。あの最後の場面の真奈」
「おう」
「あれ、あんたが撮った顔だった?」
庄三郎はつと立ち止まった。澄もつられて足を止める。
庄三郎はそのまま、斜め上に視線を上げて眼をわずかに細め、記憶の中のカメラロールを検め直しているようだった。そして、
「いや、あの顔は、俺は撮ってない」
そうはっきり言って、再び歩き始めた。
「ファインダー越しにも、一度も見たことはない。あの顔は真奈ちゃんがあの舞台の上で、自分で見つけたんだ」
開演前の客席、真奈のお守りのノートを最後までめくったことを、澄はあらためて思い出した。めくって、めくって、めくって。そこにあの顔はなかったことを。
「そもそも俺の撮った顔は、引き出しの取っ手になるだけ、そのはずだ。・・・だから俺はあの顔を見て、少しほっとした」
「なにそれ」
「なんだろうな」
庄三郎は頭を掻く。どうしてほっとしたのか、それはうまく言えないらしい。
「明日の千秋楽、行くのか」
今度は庄三郎が聞いた。
「・・・どうしようかな」
「俺は行く」
「・・・なんで?」
「千秋楽ってのはほら、写真で言えば、最後にプリントして壁に貼って飾るようなもんじゃないか。そういうのは見届けなきゃ」
「・・・ふうん」
「真奈ちゃんも、来いって言ってたし」
「・・・考えとく」
夏の夜風が、また二人の間を通り抜けた。
澄の帰り道は大学の脇に出る。
ちょうど中ホールのある北棟の裏、公演の終了からずいぶん時間が経っているのに、ホールの通用口にはまだ明かりが点いている。後始末か片付けか、それとも明日の準備をするスタッフが残っているのか。
「じゃあ、ここで・・・」
澄が足をとめてそう言い出そうとした時、通用口から人影。
「すみません山岸さん! 楽屋の鍵、一本足りないみたいなんです!」
通用口の奥の廊下から、スタッフTシャツの学生と、職員の名札を下げた女性があらわれた。
女性が、書類と鍵の束とを受け取り、一枚ずつ確認している。
「鍵の番号、確認した? 四番はもともとないけど」
「それは判ってます。すみません、もういっぺん探してきます」
ばたばたと駆けていく学生、残された女性に向かって
「光葉さん」
つい声を出してしまった、そんな風に庄三郎が声をかけた。
・
職員の名札を下げた、事務服姿の女性が顔を上げる。
「庄三郎くん」
「光葉さん、ホールスタッフ、やらされてるの?」
「そんなところ、新人はいろいろ雑用ふられちゃうの」
「それにしても、こんな時間まで」
「実は自分でやりたいって言ったからなんだけどね」
「なんでまた」
「コレ見ちゃったから」
彼女は、抱えていた書類の束から公演パンフレットを抜き出す。
それから、こともなげに続けた。
「このパンフの美影役の子の写真、庄三郎くんでしょう」
「・・・なんでわかるんですか」
「わからないわけないでしょ。あの子、すごくよかったね」
「光葉さんも舞台、見てたんだ」
「受付が済んだら、後ろで立ち見できるの。役得」
庄三郎は「そっか」とうなずき、それから何かを決めるように一度頭を掻く。
「あのさ、光葉さん」
「うん?」
「光葉さんに言われた通りに、あんまり人は撮ってなかったんだけど」
事情のまったく分からない顔で庄三郎の隣にいた澄が、はっと庄三郎の横顔を見た。
「今日の舞台に出てた、その美影役の真奈ちゃんは、たくさん撮っちまった。・・・ごめん、光葉さん」
光葉の目が、わずかに見開かれた。
すぐにその目が伏せられる。
「・・・やっぱり」
小さな声だった。
「やっぱり、わたしがあんなこと口走ったから、庄三郎くん、人を撮らなくなってたのね」
光葉は書類の束を胸に抱き直した。そして庄三郎に向かって頭を下げる。
「本当にごめんなさい」
「え、いや、光葉さん、俺は」
「山岸さーん、鍵ありましたー!」
廊下の奥から、スタッフTシャツの学生が声を上げた。
光葉がそちらを振り返る。
「わかったわ。鍵の番号、確認しておいて」
よく通る仕事の声で返してから、光葉は庄三郎と澄、二人へ向き直った。
「ごめんね。仕事中だから」
「あ、うん」
光葉は小さく頭を下げ、廊下の奥へ速足で歩き去る。
庄三郎は、その背中をじっと見送っていた。
庄三郎の隣に立ち止まったまま、その場から去るタイミングを無くしていた澄は、黙ってその様子を見ながら思う。
真奈の呼ぶ「庄三郎くん」と、同じ五文字。
けれど、今しがたあの女性から聞いたその五文字、その音色は、真奈のものとはまるで違っていた。ずっと「こなれた」声に聞こえた。
今、澄の胸の警戒機は、ぴ、では済まない音を立てている。
「そろそろ、帰るか」
「そ・・・そう、そうね。じゃあここで」
澄は歩き出す。そして一度だけ、まだ明かりが消えない通用口を振り返った。
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幕間とは、芝居と芝居のあいだにある休憩時間のことである。
観客は席を立ち、飲み物を買い、化粧室へ走る。ひとつ前の幕について語り、次の幕が上がるのを待つ。
そして舞台の裏では、役者が衣装を替え、大道具が動き、次の登場人物が出番を待っている。
――― 第二部 「ブロマイド」 完




