42. 第九迷宮の轟き
「うう……もう嫌なのだ」
「頑張って、リリカ……っ」
「ヒャハハハハハハハァッ!」
ルルカとリリカの涙声が響き渡る。ルザの哄笑が広がっていく。
第九迷宮《冥府》、七十八階層――しどけない衣装の王女姉妹を前に、ルザは上機嫌だった。
「見ろこのそそられるルルカの顔! リリカの涙! 俺は今、最っ高の瞬間を目にしているぅぅ!」
玉座のルザの機嫌は、まさに絶頂である。
それはそうだろう。美しいエルフの姫二人を侍らせ、いいようにし、あまつさえ七十人の踊り子たちの舞に囲まれている。
眼前には、親衛隊が鞭で叩かれる姿。
ロブ、ネイラ、カルキノス――その姿は、まさに満身創痍であった。
柱に繋がれたその体は、顔も、腕も、血まみれで、所々にあるのは火傷痕。ルザを取り巻く手下によって、ぼろぼろにされた服の隙間から、幾筋もの血が垂れ、地面に赤い池を作り出していた。
ルザの左右で、半裸のルルカとリリカが怒りと羞恥に震える。
それを見て、ルザは昂ぶり、指を芋虫のように王女の珠肌に這い回らせ、所狭しと撫でていった。
「や、やめてっ」「その汚らわしい手で、触れないでっ」
「ひひ、素晴らしい光景ですね」「さすがルザさん、奴隷の扱いが上手い」
「今日はエルフの嬌声でも奏でてもらいましょうや」「それがいい!」
部下の下卑た言葉に、気を良くして笑うルザ。
「ひゃはははは!」
「どうして……っ、どうしてあなたはこんな、酷い事ができるの?」
「あ? ――それはなぁ、俺がこの世界の支配者だからだよ」
ルルカの怒気を抑えた問いに、ルザは黄金の盃で酒を煽る。
「グプッ。神は何をしても良い。美女を侍らせ、奴隷を痛めつけ、女と酒の悦楽に浸る。――お前は天に座す太陽に、『何故昇るのか?』などと問うつもりか? それは愚かな行為だろ? 俺は神だ。支配者だ。全てを統べる超越者が、当然の事をして何が悪い?」
「……この、汚らわしい男!」
「お前なんか、天罰をくらうのだ!」
王女二人に罵られると、いよいよルザは上機嫌となる。
「ヒヒ。その怒りは俺にとって美酒なんだよォ。嫌がる王女を弄び、虐げ、思う様鑑賞する。これ以上の快楽があるか? いや、無い。俺はまさに至上の悦楽者。神の娯楽なんだよ! さあ、愉しみはまだまだ続くぜ、クックック、ひゃーっはっはっはっ!」
ルザが新しい遊びを思いつき、指をパチンッと打ち鳴らした。
すると奥の間から運ばれてきたのは、ルルカとリリカの大切な人だ。
「父上ぇ!」
「お父様……っ!」
ルザの配下によって縄に繋がれたイルサールが、豚のように地面に這いつくばされた。
ルザが立ち上がり、配下から鋼の鞭を受け取ると、ビシッ、バシっと難度も叩く。
「うっ、ぐあっ!」
「ハッハーッ! 王と言ってもこうなると惨めなものだな!」
ビシイッ、バシイッ、と背中の皮がめくれ血が吹き出してもその狂騒は止まらない。
すでに何回か繰り返されたイルサールの体は、紅く染まり傷ついている。
その顔には苦悶の色。しかし懸命に抗おうとする意志があった。
「……こんな事をして、ただで済むと思わないことだね。エルフの誇りは気高く、尊い。いくら私を痛めつけようと、私達の気概はいや増し、君を、そしてその部下を、打ちのめすだろう」
「ははっ、この状況でどうやって? 誇大妄想もほどほどにしろよエルフの王。豚のように這いつくばるてめえに何ができる? 俺を打ちのめすだと? 弄ばれるの間違いだろ? ほら、見ろよイルサール。あんたの大事な娘のルルカとリリカ王女は、薄い布切れに包まれて、哀れ俺の奴隷だ。あの肌、あの声、あの美しき顔! 全てが俺の欲を満たす道具なんだよ。くだらない夢はいい加減捨てるんだな。全て諦め、忠誠を従え。な?」
「断る。君に言いなりになる気などない。愚かな君は何も得られない」
「ひゃっはっは! エルフの王族は言う事が違うねぇ! 夢と現実の区別もつかない阿呆ときた! 有りもしない希望に何故すがっていられる? 奇跡でも起こると信じているのか? そんな夢見がちなイルサール陛下には、特大の悪夢を見せよう!」
にたにたと、いやらしい笑みをルザは王女たちに向ける。
「……何をする気だ。ルザ」
「クク、花は見て楽しむのもいい。だが触って愛でるのはもっと楽しい。てめえの大事な大事な娘たちが、俺に弄ばれる様を見て、まだそんな事が言えるかな?」
「――まさか、やめろ、ルザ!」
「はっはぁ!」
イルサールの怒気の声もどこ吹く風。ルザはルルカとリリカの眼前に立つと、怯える王女たちの前でぺろりと唇を舐めた。
「エルフの体は男を極限の快楽に導くという。どんな人間の女も叶わない快楽が、どれほどのものか、俺様が確かめてやるよ」
「こ、来ないでっ!」
「それ以上寄ったら噛み付いてやるのだ!」
「ひひ、威勢が良い。楽しみだ。――おい、奥の倉庫から適当な玩具を持ってこい!」
ルザが配下の何人かに命令を下すと、配下の者達が紐、筒状の金属、縄、粘液物、薬剤など、悦楽具を運び込んでくる。
傍目にも何が行われるかを予期し、王女達が、イルサールが、親衛隊の三人が一斉に騒ぎ出す。
「ルザ貴っ様ぁ! 姫様を傷つけてみろ! ぶち殺すぞ!」
「毒薬を呑ませてもまだ足りない。卑劣! 愚劣!」
「逃げてください姫様ぁ! あのような者に、辱めを受けるなど!」
「ヒャハハハハハァ!」
ルザが至上の悲鳴を得たとばかりに笑い、欲望にぎらついた眼を、王女の、その見事な珠肌に向ける。
「さあ、どちらから楽しむかな? まぁ両方いっぺんに、というのもオツだろう。てめえたちは俺を愉しませる艶姫。悦ばせる各種玩具を、やっぷり用意してあるぜ? 楽しみだな。てめえらは俺の前で弄ばれ、泣き叫び、美しく乱れて、俺を楽しませる! クークックック!」
「やめて! それ以上来ないで!」
「嫌なのだっ、ち、父上――っ」
「ルルカッ、リリカぁ!」
「「「姫様っ!」」」
怯えて顔をそむけようとするルルカとリリカを、無理やりルザは組み伏せる。
その細い体、腕、あちこちにルザの汚らわしい手が撫で回される。
配下の者どもが総出で王女たちを押し付け、ルザが邪悪に口元を歪める。
リリカがぽろぽろと涙を出した。止まらないルルカの罵倒と嫌悪の言葉。
王女達は懸命に逃れようとするが、叶わない。
手首につながれた鎖は『減霊凰鎖』と呼ばれる弱体化を促す魔術具であり、彼女らに逃走を許さない。
「さあ美しいお姫さま。可憐に乱れろ! 俺と出会った幸運を喜べ! 蔑んで、恨んで、どんどん悪口を言うがいい! お前たちが拒絶すればするほどに、俺は昂ぶるからよォ! 最高のひと時を愉しんでくれや! ヒャハハッ! ヒャーハッハッハッハ!」
「誰か、誰か助けて!」
「いや、嫌なのだぁっ!」
ルザの手がルルカとリリカの薄布を破いていく。王女らの瞳に涙が溢れる。下卑たルザの笑い。叫ぶイルサール。憤る親衛隊の三人。拘束のために王女らの手足を押さえ、ニタニタと笑う配下たち。
もう駄目か、駄目なのか。故郷を遠く離れ異国の地にて降り掛かった末路がこれか。
悲願を達せられず、道半ばにも至らず、哀れにも、欲望の愚者に組み敷かれ、弄ばれる運命。
誰か。
誰でもいい。
この悪夢を散らしてほしい。
このどうしようもなく愚劣で、卑劣極まるな輩たちを、こらしめてほしい。
簒奪者に鉄槌を。
ルザに懸命なる誅罰を。
けれど、王女達の願いは虚しく、時間ばかりが過ぎ――。
「……おい。なんだ?」
王女達を組み敷いていたルザが、不機嫌な声で立ち上がった。
「魔物がやかましいぞ! 気が散って愉しむどころじゃねえだろうが!」
罵声に倍する規模で、広場の外から大音響が届いてくる。
スケルトン、グール、腐ったドラゴン……数多の金属をすり合わせたような不快な音が響き、地響きと爆裂音が絶え間なく木霊する。
まるで、何かと何かが争うような。
凄絶にして苛烈な衝撃音。
「せっかく気分が最高潮だったのに、ざけんなっ! ――おい、行って黙らせてこい」
「はっ!」
「ルザ様はどうか、おくつろぎ下さい」
複数の配下が外へ走っていく。
けれど一分待ち二分待ち、三分経ったところで、配下の誰も戻らない。
痺れを切らしたルザが、再び配下に指示を下す。
「今度はてめえらが行け。さっきの奴らには、仕置き確定だと通告しろ」
「へい」「うすっ」「――了解です」
荒くれ五人が、勇み足で奥へと向かう。
先に倍する増援――けれど、それでもなお、変化は訪れない。
外からは鎮静どころか、ますます激しい衝撃音がはびこるばかりだった。
明らかに異常な事態である。自分たちのいる地面すら揺れ動く、何者かの戦闘音。
おかしい。
何か変だ。
何だ? 何が起きている? このままでいいのか? 様子を見るべきか? いったい、何が起こっている――?
瞬間。
バギンッ、バギキンッ、と。
怒号と剣戟と共に、配下たちの、悲鳴が聞こえてきた。
「うあああっ!」「ぐあっ」「てめえ、何してっ」
「た、助け、ルザ様……ぐあああっ!」
「――全員、武器を取れ!」
ルザの号令に、配下たちが一斉に総毛立ち武具を取り出す。剣、鉈、鎖鎌、戦斧、鋭き殺害の道具を構える。
広間の外からは破砕音と爆裂音が響き渡る。合間合間に混じる、ルザの配下の断末魔。重く硬い音が響き、荒々しい打撃音がいくつも轟く。
ルザが服装を整え、光り輝く紋章剣を手に取った。
「侵入者だ! 逃すなてめえらぁ!」
「りょ、了解っ!」
斥候として命じられた三人が、狼のごとく走っていく。
その間にもルザの配下と何者かとの戦闘音が響く。剣が折れ破砕音が舞う音、調度品が砕ける音が続き、断末魔に次ぐ断末魔が奏でられる。
ルザの回りの配下たちが、統制の取れた動きで陣を成した。
中央の玉座のルザを中心に三重円形陣。総勢五十名の大防御網である。
躍っていた踊り子たちが一斉に壁際に逃げていく。
他にも、召使いだけのためにさらってきた娘、老人、ルルカたちの屋敷にいた子供らがあとに続く。
残るのはルザと配下の者たち。それとエルフ王族と親衛隊三人。
ルルカとリリカがぶるぶる震え、イルサールとロブ、ネイラ、カルキノスが胡乱な目つきで襲撃の方を見やった。
そして――。
「お、音が」
「――止んだ?」
完全に沈黙に満ちた外の空間。
一秒一秒が、まるで一時間にも感じられる程の静寂。
誰かの唾を飲む音が聴こえる。
滴り落ちる、天井の鍾乳石の雫の落ちる音。
その直後――。
「だ、誰か来たぞ」
奥からぼろぼろの、ルザの配下が、一人歩いてきた。
ふらふらの様子である。剣も折れ服も破れ、その様子はまるでゾンビのよう。青白い顔には生気がなく、体には幾本もの血痕。千鳥足そのものの足取りで戻ってくる。
「な、なんだゴドーかっ」「おどかすな」「大丈夫か、今手当てして――」
しかし、生還した彼は跳躍するや――いきなり獣のように斬りかかってきた。
「うわぁあああああっ!?」
たちまち混乱に満ちるルザの配下たち。
ゴドーの長剣に浅黒い肌の男性と山吹色の髪の女が斬り伏せられる。配下達は反撃できない。無理もないだろう。何しろ重症の仲間がいきなり刃を向け襲ってきたのだ。冷静さを保ち、迎撃するなど不可能だろう。
次々仲間を切り刻んでいくゴドー。
振りかぶった剣が仲間の顔に突き刺さる。割れた爪で目潰しする。後先を考えない突撃に配下たちは悲鳴の嵐だ。混乱が混乱を呼び、陣形は瞬く間に半壊状態だ。
「臆すなぁ! 敵は一人! 殺せ! 殺せおらぁ!」
ルザの命令に配下の何人かが、ゴドーへ一斉に武器を突き刺す。
剣、短槍、長槍、弓矢、吹き矢、魔術の杭――全身を突き刺され、血みどろとなったゴドーの口から、ごほっと血の塊がこぼれる。
しかし歓声が湧く事はなかった。視えない『煙』が飛び出るや、今度は別の戦斧使いが、ケラケラと笑い、仲間を襲い始めたのだ。
「な、なんだぁ!?」「やめろ馬鹿っ」「同士討ち――ぐぇ」
突然の奇行に次々と斬り伏せられる仲間たち。
血飛沫が舞い、砕けた武器が弾け、斬られた腕が宙を飛ぶ。
返り血もそのままに、凄絶な斬撃を繰り返す戦斧使い。
ルザの配下の少女、ペールが氷の魔術を放った。
菱形に空中に十数本も生み出され雨のように打ち出された氷の杭。幾条もの軌跡が、戦斧使いの胸を、首を、手足を貫いていく。
血まみれの体に、とうとう命の灯火を失い、倒れる戦斧使い。
しかし倒した戦斧使いの隣にいた、ピアスの鉈男が、いきなりペールに襲い掛かった。
肩口を斬り裂かれた少女が倒れ、さらに別の配下の痩身男までも撫で斬りにされる。
「何なんだよ次々とっ!」
「ルザ様ぁ! 一旦お退きを! あぐっ!」
「散開しろ! 敵は催眠か錯乱の魔術を使う! 散開して戦え!」
襲撃者はこちらの意識を操ると看破したルザが、怒号と共に命じる。
だが、その命令は数の利という武器を捨てさせるに等しかった。
彼らは数を生かして陽動、防御、しんがりなどを駆使し、撤退すべきだったのだ。一度混乱し、大きく陣を乱された集団ほど脆いものはない。
困惑しつつも下がった曲刀使いの男が、短弓使いの女が、雷撃使いの魔術師が、次々奇声を上げては仲間を屠っていく。
「う、嘘だろ……!?」「何で同士討ちしてんだよ!」「やめ、俺は味方――ぐあああっ!」
バラバラになって戦うルザの配下は、まさに動くだけの的だ。
陣形もなく冷静さもなく戦意もなく、同士討ちをする仲間に数を減らされるのみ。
彼らは知らない。
姿なき《憑依》の襲撃者がいるなど。
夢にも思うまい。
無知という当たり前の不利な状況が、彼らに全滅を促していく。
「クソ、クソがっ! どうなってやがる! ロットーっ! 周囲へ毒の風を吹きかけろ! ココット! 襲撃者を暴き出せ!」
「り、了解!」
取り巻きの中でも優秀な魔術師の少年と小柄な女性が祝詞を唱えた。
紅く妖しく光る血のような炎と凄まじい紫の毒の風が吹きすさぶ。
「う、ああ……」「ルザ様ぁ、慈悲を……っ」「ぐうう、おああっ」
たちまち毒の風に悶える配下たち。
これでしばらくは持つだろう。襲撃者が何であれ猛毒の苦しみからは逃れられないはず。
その間に《探知》の魔術である血色の炎が、襲撃者の魂を検知し、そこへ一斉攻撃をかければ――。
そう思っていたルザの背筋が、寒気に総毛立つ。
「きゃははは!」
倒れていたペールが狂人的な笑みと共に、ルザに襲い掛かったのだ。
「な、に!?」
「きゃははははっ! 死んじゃえーっ!」
氷の魔術師であるペールが接近戦を行う事態に、ルザが驚愕する。
氷の刃の魔術に、頬を浅く裂かれた。額にさらに浅く傷を受けるも、紋様剣でルザはペールを袈裟懸けに斬り捨てる。体を無残に斬り裂かれた少女が、どさりと倒れた。
「どういうことだおいいぃぃ! 死に損ないの動きじゃねえぞこれはっ!」
異常なのは操られた仲間の動きだった。
致命傷に近い傷を与えたにも関わらず、まるで屍兵のごとく襲いかかる。
ペール、戦斧使い、ピアスの鉈使いだけではない。今また、チェーンウォーリアの大男や炎の魔術師の入れ墨女が、仲間を皆殺しにしていく。
まるで糸で操られた人形のよう。死を超越した不死身兵。肉体の傷も何もかも無視して、ゾンビの如く、亡者の如く、躍りかかるその悪夢。
「馬鹿な……あり得ねえあり得ねえあり得ねえ……クソぉぉぉっ!」
恐怖と焦燥が、ルザの中を這い回る。
「だ、駄目だ、撤退だ! 逃げろ、走れ、走れぇ!」
慌てふためいてルザは叫ぶ。無様に転び、泥まみれになって、恐怖のまま奥へと走るしかない。
――ちくしょう、いったいどうなってやがる!
――これはまるで夢の中のフォードと同じ……っ!
ルザは残った配下八名と共に駆ける・
傷ついた配下は全て見捨て、奥の階層――第七十九階層へと逃げていったのだった。




