35. あなたに会えて良かった
――結局、一同を助けたのは店員の「クジで決定を」の一言だった。
鶴の一声とはこの事。彼女が作った即席のクジを引き、見事当たりを引いたルルカ。
いつもは凛とした表情だが、可憐な花のようにほころぶ。
「ふふ。これも日頃の行いだわ」
「む~。なあフォード。リリカ、カーバンクルの魔石がいいのだ!」
そう言って、可愛くしなを作ってリリカが擦り寄ってくる。
「リリカ王女、ここは聞き分けてください。ラミアの魔石も十分強力ですよ」
「むむむ~。リリカも綺麗な方がいいのだ!」
純真な天使のような眼をしてしがみついてくるリリカ。
顔は天使だがその体は悪魔のように凶悪だ。柔らかくて大きなものがぽよんぽよんと押し込まれるし、凄い弾力。むちむちして張りのあるそれが、フォードの煩悩を刺激する。
しかし清廉な護衛としてフォードは言わねばならない。
「駄目です、リリカ王女。それ以上我儘をおっしゃるなら、僕はラミアの魔石もはめてあげませんよ」
ガーンッ、と衝撃音が聞こえそうな程リリカが固まった。
目元に涙が溜まっているのは可愛いが、それでも駄目なものは駄目である。
「むうう~」と悔し声を吐くリリカを無視し、「フォード~」と甘い声を出すリリカを無視し、「フォードを、信じてる」とキラキラした目を向けるリリカを、尽く無視する。
そのうち諦めて「しくしく」と泣く真似のリリカであった。
「……リリカは悲しいのだ……ぐすっ」
「姫様。大丈夫。私がついてる」
いつの間にか戻ってきたネイラが慰める。
「おお、ネイラ、そなたは優しいのだ! ……でも逃げたから罰なのだよ!」
「ぐあ~」
エイラの頭を杖でポカポカ叩くリリカを尻目に、フォードは店員へ話を進める。
「ではオーダー通りにお願いします」
「ふふ、承りました」
最終的に、ルルカはカーバンクルの魔石を武器にはめ込み、『クイックムーブ』を。
リリカはラミアの魔石により、『チャームヴェーゼ』を習得したのだった。
「あっはっはっ!」
「笑い事ではないですよ、イルサール王」
ルルカ王女とリリカ王女の板挟みに遭ったと話をすると、イルサールは腹を抱えて笑った。
屋敷に戻っての報告である。じつに爽やかな王の笑みだったが、フォードとしては面白くない。
「……はは、すまないね。でも嬉しいよ。娘たちと良くしてくれているみたいだね。ありがとう、フォード君」
「いえ……護衛ですから。それに、僕個人としても王女達を慕っています。迷惑と思うような事ではないです」
「どさくさに紛れて破廉恥なことはしてないだろうね?」
「それはもちろん。健全で清い探索を続けています」
「君からルルカとリリカの香りが漂っているのも気のせいなのだよね」
「迷宮でそばに寄り添う事もあるので、そのせいでは」
フォードがしれっと言うと、イルサールもにこやかに微笑んだ。
嘘は言っていない。リリカが感極まるばかり抱きつく事はしょっちゅうあるが。
実際、真面目に探索に望む王女姉妹は、まさに尊敬すべき対象だ。
可憐で美しく、また勤勉でもある。新しく覚えたクイックムーブやチャームヴェーゼの練習のため、今も庭に出ている。
自分を慕ってくれるのもあって、嫌に思うはずがない。彼女たちといるだけで、自然と心が安らいでいく。
「冗談はさておき……でもねフォード君。無理だけはしないでくれたまえ。あの娘たちは未熟だ。彼女らのため必要以上に君が危険を侵す必要はない。今日はたまたま成果が出たのものの、一歩間違えれば棺の仲間だ。それは、私としても承服できない」
ルザとの勝負のことだ。当然だが、《憑依》の存在など知らないイルサールは心配をしてくれている。
その心根はありがたいし、素直に受け取るべきなのだが、フォードは言う。
「はい。もちろん自分の命は大事ですが、出来ることはして差し上げたいです。僕は元々、父にも母にも愛されなかった身。ですからイルサール王のことは、その、父のように思っておりますし、ルルカ王女やリリカ王女も妹のように思っています」
美しく優しいエルフの王女姉妹。
自分を慕ってくれるその様子はひどく嬉しい。
信頼と親しみのこもった瞳。
柔らかな言葉。
家族以上にも思える暖かさを感じられるからこそ、フォードも無茶ができる。
《憑依》はフォードに絶大な力を与えたが、彼女たちと出会わなければ、フォードは空虚な人間だったかもしれない。エリゼーラは気さくな悪霊だが、やはり人間と絆を交わしてこその人生だ。《憑依》を使って、悪行を繰り返した可能性もなくはない。
人は、人の温もりなしには優しいままでいられないのだ。
優しさを失った人間は、魔物同然となる。
だからフォードにとってエルフの王族は、守るべき対象であり、帰るべき家の住人なのだ。
「嬉しいよ、フォード君」
イルサールは少年のことを、まるで自分の息子を見つめるように微笑んだ。
「僕は誇りに思う。君との邂逅を。そして君の存在を。これからも末永く付き合っていきたいね」
「僕もです。僕は、自分の力が及ぶ限り、尽したいと思います」
フォードは深々と頭を下げた。それが、イルサールへの信頼の証であり、自分を受け入れてくれたエルフ王族への、感謝だったから。
† †
〈運命とは、じつに面白いものよな、我が契約者よ〉
自室に戻り、フォードが剣鞘を降ろしていると、エリゼーラが語りかける。
〈彼らはぬしと出会わねければ不幸のどん底であった。今もルザの暴力に屈し、地獄を見たであろう。しかし運命の悪戯が、彼らとぬしと引き合わせた〉
「そうですね、その通りです」
実際、フォードと出会わなければ、王女らは苦難の道のりだっただろう。
ルザに囚われ、いいようにされた挙句、悲しみを帯びていたはずだ。
ロブとカルキノスは殺され、ネイラは嬲られ、イルサールは拷問を受け晒し首にされたかもしれない。
あるかもしれなかった、不幸な未来。
それを変えられた事を、フォードは誇りに思うし、これからも彼らの笑顔を守っていきたいとも思える。
幸せは金で買える。しかし永遠ではない。心の底から満たされるためには、誰かの温もりが必要なのだから。
「――フォードさん? 少し、いいかしら?」
などと、思索に耽りかけた時だった。扉の外から、少女の声が聴こえた。
ルルカだ。彼女は艶やかな金髪を揺らしながら、部屋に入ってくる。
「どうしました? ルルカ王女?」
すでに時刻は夜中近く、平時なら図書館にこもる時間帯である。
それなのに、何の用でしょう?
そう思った瞬間、ルルカがフォードの体にしがみついてきた。
「え、ルルカ王女?」
「ありがとう、フォードさん」
抱きしめながら、そっとささやく王女。
その言葉は、哀切に満ちていて、フォードは何も声を返せなくなる。
「今日、ルザたちに勝ってくれて……たくさんの成果も手に入れて……思ったの。良かった、これでわたしたちの悲願も夢ではない。そう思えたの」
背中にまで回される腕に、力がこもる。
「今までわたしたちは、絶望の縁にいたわ。どこにあるとも知れない《アトラシアの神玉》の探索。砂漠の中の針を探すような行為。正直――無理だと思っていたわ。口には出さないけれど、リリカや親衛隊のみんなも。でも――」
顔を上げた王女の瞳には、たくさんの希望が込められて。
思わずフォードの胸の奥に、守りたいという感情が湧き上がる。
「フォードさんの戦いを見て、その強さをありありと知って思ったの。フォードさんがいるなら見つけられる。きっと《アトラシアの神玉》も探し当てられる。そう思えたの」
「……光栄です」
ルルカははにかみながら、フォードを見上げた。とても綺麗だった。
「わたしね。ずっと不安だった。王女たるもの、威厳は崩せないし、リリカにも強い人間であると見せなければならない。だから誰にも胸の内をさらけ出せなくて……」
母親である妃をなくし、秘宝も奪われ、失意に沈み込んだルルカたち。
しかし悲しみに暮れる暇などなかった。世界は《アトラシアの神玉》によって災厄の危機にあり、感情を押し殺し、ひたすら、ひたすら迷宮深くへ潜る必要があった。
けれど数多の魔物は道を遮り、刻一刻と破滅の時間は忍び寄ってくる。
フォードと出会う前、ルルカ達は笑顔も浮かべられない苦境だったのだ。
「でも、今は違う。フォードさんがいてくれる。わたしたちに力を貸してくれる。それがどうしようもなく……嬉しくて……嬉しくて……ぐすっ」
あ、とルルカは思わず涙ぐんでしまったことを恥じる。
人前で涙を見せることに慣れていない王女は、恥ずかしそうに顔を伏せ、
けれど――そんな彼女の目元を、フォードは優しくぬぐう。
が、溢れる雫はとどまることを知らず、その美しい顔から、まるで宝石のように、ぽろぽろと、綺麗な雫が流れる。
「あら……? ぐす、なぜ……? 泣いてはいけないのに。うっ……フォードさんにこんな、みっともないのに……ぐすっ……なぜ……?」
言いながらも、ぽとり、ぽとりと落ちていく透明な雫。
戸惑う王女の意志に反し、また一つ、また一つと、彼女の涙は落ちていく。
フォードは、胸の奥が温かくなった。
「……それはたぶん、ルルカ王女が安心しているからです」
「安心?」
「ええ。僕のことを、心から頼りにしてくれる証。だから僕に素直な自分を見せられるのです」
優しく、慈しむようにフォードは少女の目をぬぐう。
たくさんの、不安を彼女は抱えてきたのだろう。
故郷が危機に瀕して。
王女として。
人の上に立つ者として。
心を、硬い氷のように守り、それでも苦難に晒され、危急に瀕した。
その背中に背負った物は余りに重く――。
常人なら、投げ出したくなるほどの試練だったろう。
けれども彼女は出会った。
フォードに。
希望の未来に。
これまで背負った重圧と不安は終わり――。後は自分に任せればいいと、フォードは厳かに告げる。
「あなた方はもう、何も心配することはありません。僕は雷迅皇子。ルルカ王女たちに希望を呼ぶ存在です。どのような試練であれ、敵であれ、必ず打破する事を、約束します」
「フォードさん……」
「だから、今は泣いてもいいのです。あなた方はもう、幸福をもらう事ができるのですから」
「でも……わたし、心配だわ。そう言ってくれるのは嬉しい。でも今日みたいに、危険なことばかりさせて……」
ルザとの諍い。危険な魔物との戦闘。
彼女が心配する光景はいくつもあった。
不安の光を瞳に宿した王女に、けれどフォードはふっと笑ってみせる。
「いいえ、ルルカ王女。それでもいいのです。僕は今まで、独りでした。誰にも求められず、認められず――けれど、大切な人と出会えました。それはあなた方です。ルルカ王女、リリカ王女、イルサール陛下、親衛隊。あなたたちは僕に、輝かしい未来をくれた。――だから、その恩のために、僕は戦うのです」
「フォードさん……っ」
感極まったルルカは、フォードを強く抱きしめる。
少女はもう、それ以上言葉を出せない。
素晴らしい彼の力が頼もしくて。幸せと言ってくれる事が嬉しくて。
麗しき王女は――喜びをいっぱい、その抱擁に込めた。
「フォードさん、フォードさん……っ、ぐす……ああ……うぁぁ……っ」
王女の溢れるような嗚咽。
フォードはルルカにすがりつかれるまま、優しく背中を撫でていった。
しばらくして――。
「――ありがとう、フォードさん。あなたと会えて良かった。わたし、胸がいっぱいよ」
「僕もです。ルルカ王女たちと出会えたのは、一番の幸運です」
「うふふっ」
涼やかな微笑をもらして、ルルカが少年の胸の中で笑った。
安心と、信頼と、ほのかな好意を寄せて――。
王女は頼れる少年に、身を委ねていったのだった。




