23. フォード対カルキノス、リリカ
宵闇が落ち、梟の鳴き声が森を震わせる。
静かな風の寄るだった。午後九時。月明かりが燦然と星空に舞う中、屋敷の広い裏庭――鍛錬場にてフォードとカルキノス、リリカが対峙する。
「――ふん。よくぞ逃げずに来たものだな」
カルキノスが腕を組み居丈高に言う。フォードも肩をすくめ平然と言い返す。
「喧嘩は買うのが流儀でして。たとえ相手が等級十八のひよっこでも僕は戦います」
「――はっ。最強の護衛殿は口上もご立派だ。その整った顔、屈辱にまみれるのが楽しみだな」
「さて。屈辱に歪むのはどちらでしょう。負けても泣かないでくださいね。男の泣き顔はみっともないですから」
「ぐぎぎ……」
「ふふふ……」
カルキノスとフォードは売り言葉に買い言葉。傍らでリリカがあわあわと狼狽えている。
リリカは、戦闘用の装飾ドレス。ピンクに彩られた華やかな戦衣装に、美麗な杖を持つ姿は優美だが困り顔。
五百メートル四方の鍛錬場の脇では、観衆が見守っている。
私闘を聞いて見物に来たルルカ王女、召使い、料理人など各種使用人の姿。「がんばれカルキノスーっ」「フォードさん、負けるなー」「リリカ様可愛いー」と、甲高い声で応援するのは、兵見習いの子供たちだ。
「さってとー、カルキノス、勝てよ」
「負けても骨は拾ってあげる」
「……やかましい。黙って見ていろ」
外野、カルキノスの同僚である親衛隊の青年と女性が声をかけた。
暖かい声援を受けてカルキノスは鼻白み、藍色の杖をくるりと回してみせた。
「――さて、いいかな。不肖ながらも私、イルサールが審判を勤めさせてもらうよ。双方、尋常なる勝負をし、雌雄を決する事を望む」
やや苦笑しながらも審判の位置に佇むのはイルサール王だ。
夜風に金髪をなびかせながら、鍛錬場の端、フォードとカルキノス陣営を見守る位置から声をかける。
「勝利条件は事前の打ち合わせの通り。相手側を戦闘不能にさせるか投降させるのみ。……フォード君は武器の使用は不可。左手、右脚、左脚、その他魔術の使用も一切禁ずる。……今さらだけれど、本当にこれでいいのかい? フォード君?」
「像が蟻と戦うのに全力では格好付かないでしょう。多少なりとも対等の勝算が出るのは、これでも甘いくらいです」
挑発も兼ねていたのでカルキノスがこめかみに青筋を立てる。
今にも飛びかからんとする熊か虎の形相である。
「カルキノス、落ち着くのだ。冷静さを失えば負けなのだよ」
リリカがぽんと、カルキノスの肩に手を添える。
いきり立っていたカルキノスだが、敬愛すべき姫のその行動に、落ち着きを取り戻す。
「――ではカルキノス、リリカ。くれぐれも無茶はしないようにね」
「危ないと思ったらすぐに降参して。リリカ、お願いよ」
ルルカも心配そうにそう言うと、姉妹の王女は意気込んで、はにかんでみせる。
「大丈夫なのだ。……むしろカルキノスが無茶しないか不安なのだ」
「フォードぶっ潰すフォードぶっ潰すフォードぶっ潰すうおおフォード突っ潰すフォードぶっ潰……」
落ち着いたと思ったが、呪詛のように延々と呟くカルキノスはなかなか怖い。
イルサールが肩をすくめ親衛隊の残る二人が笑い、子供たちが固唾を呑んで見守っていた。
「では、そろそろ始めよう――試合、開始!」
「燃え散るがいい! フォードぉ! [栄え猛火の使徒! 邪悪を滅し、炙る豪熱を呼べ! ――『サラマンダー』]!」
先手を打って杖を振りかぶったのは、カルキノスだ。
紅蓮をまといし火蜥蜴が口腔から猛火がフォードへ襲い掛かる。
あわや火炎の餌食か――観衆の皆が一瞬思う寸前、唯一使える右腕を無造作に振り払い、フォードは手刀で――炎を切り裂いた。
「な……っ」
「嘘……」「素手で炎を切った……?」「す、すごい!」
驚愕に色めき立つ観衆。赤々と燃える火炎の残滓がフォードの手刀の風圧に負け、夜風に消える。
フォードは当然の顔をして泰然とした様子を崩さない。火炎を切り裂いた手刀を一度、二度、振り回し、こんなもののは児戯のレベル、たかが火蜥蜴の息吹でやられるほど自分は脆くないとばかりに、悠然と佇んでみせる。
カルキノスはさらに、立て続けに祝詞の詠唱。
[水殿の彼方より流麗の貴婦人よ来たれ。魔を清浄せし水流を! 『ウンディーネ』!]
[大地の化身たる偉人を我は臨む。いでよ豪腕の偉丈夫、破邪の拳を! 『ノーム』!]
流麗な蒼のヴェールに覆われた水の精霊と、小人の土精霊が、水鞭と土のハンマーを繰り出す。
当たれば岩石も砕ける一撃である。常人が受けて耐えられるものではない。しかもウンディーネの水鞭は音に迫るほど高速で、土精霊のハンマーにおいてもフォードの死角からの攻撃である。
かわせない、否、防御すらできない。
鋭い軌跡の水鞭と土のハンマーが、フォードの顔面に直撃すると皆が思いかけ――
しかしあっさりウンディーネの水鞭はフォードの肘で弾かれ、ノームの土ハンマーも手刀で真っ二つに切り裂かれた。
驚愕にウンディーネとノームが息を呑む刹那、フォードは瞬速の動きでノームの腹を掌打、さらにその衝撃波を利用しノームをウンディーネへぶつけ彼方へ弾き飛ばす。
五百メートル四方もある鍛錬場から、二体の精霊が簡単に吹き飛ばされた。
許容ダメージを越えて、精霊たちが無念のまま虚空に消えていく。
「二体の精霊を、数秒とかからずに……!?」
「おいおい……やべーって、カルキノス!」
思わず身を乗り出して驚愕する観衆の子供たちや親衛隊たち。
カルキノスも瞠目したのも束の間、続けてサラマンダー、ノーム、ウンディーネを矢継ぎ早に召喚し攻撃する。
火、水、土、三種類の猛威、火炎のブレスと水の投げ槍と土の斧がそれぞれフォードに殺到する。
「戦術が単調ですよ」
一刀両断。フォードが横真一文字に手刀を振るうと、それだけで土の斧も投げ槍も火炎のブレスも千切れ、吹き飛び、夜風に消えた。
「小手調べはいいです。カルキノス、早く本気を出してください」
「ちっ……」
愕然とするのは観衆の全員である。
フォードの手刀はそれだけでも鋼の剣の切れ味、初級探索者から中級探索者の武器に匹敵する威力なのだ。
それだけでもまさに強力な彼の手刀だが、恐ろしいのは一度目より二度目、二度目より三度目と、手刀を振るうごとに明らかに速度が増していることだった。
カルキノスが再度ウンディーネを喚び出すが通じない。四本の水の鞭、圧縮した水の弾、大きく振りかぶった水の鎚と矢継ぎ早で襲わせるが、フォードの手刀で簡単に切り裂かれた。
「手刀で戦うのは二年ぶりです。早く僕を倒さないと、ますます勘を取り戻しますよ」
挑発なのか、事実なのか、すました顔のフォードの余裕に皆がぶるりと震える。
「す、すごいフォードさん……」
「なんて強さだ……」「やべー、全然視えなかったぞ手刀!」
観衆の驚きを払拭するように、カルキノスが声に力をこめて叫ぶ。
[怒れ大地よ! 居丈高な小童に鉄槌よ打ち給えっ! ――『ノーム』!]
同じ召喚魔術でも、祝詞が違えば喚ばれる精霊も当然違う。
先ほどは武器を用いた近接戦が得意なノームだったが、今度は体が二回りも大きく、ノーム自体も強大な力を持つ個体が現れる。
峻険な印象を抱かせるノームの両腕が輝き地面に叩きつけられる。
直後、ゴゴゴゴと地面が鳴動し、フォードの足元が崩壊、鋭利な土の棘が彼を襲う。
「――悪くない攻撃です。しかし」
それすらもフォードは手刀で全て切断し破壊する。
細かな土の破片が舞う。余裕でフォードが着地。カルキノスが決然とサラマンダーを召喚。燃える体を翻し、火炎の蜥蜴が猛然とフォードへ突進するが、フォードは素手でサラマンダーの顔をむんずと掴むと、地面に叩きつけた。
「な、に……!?」
猛火も、激突の衝撃もものともしない叩きつけである。
轟音の後、土砂が吹き上がり、地面に叩きつけられた火蜥蜴がたちまち消滅する。
カルキノスの額に珠のような汗がにじみ出る。
「ちいっ、ならば……っ」
カルキノスは戦術を変える。物量では倒しきれない。フォードの前にもう一度サラマンダーを突撃させるや、高々と杖を掲げ、力の限り詠唱。
[天空の風の申し子よ! あまねく暴風の使徒よ顕現せよ! 『シルフ』!]
背中に薄い翅を生やした、少女精霊が、フォードに突風を吹きかける。
鉄をもへこませる猛烈な風である。加えてサラマンダーが消滅した直後のため火炎がフォードの顔へ体へと降りかかり、紅の小竜巻を現出する。しかしそれでもフォードは泰然と揺るがない。
軽く手刀で火炎を振り払い、まるでそよ風を受けたかのように涼しげのフォード。
「――ふん、掛かったな」
しかし、直後にフォードへ異変が襲いかかる。
悠然と立っていた彼だが、表情がわずかに歪む。続いて唇が震え、顔の表情がこわばり、喉の辺りを押さえると、前かがみになり始めたではないか。
それはまるで、足りないものを求めるかのような動きだった。
喉の中に、大切なものが行き着いていないかのような――。
「これは……」
「ふん。気づいたようだな。そうだ、火と風。これをもってすれば貴様の周囲の大気を操ることなど容易い。火は呼吸の源たる空気を燃焼させる。風の精霊は空気の流れを誘導できる。――さて、もはや貴様のまわりに大気はない。真空状態になった貴様は、いつまでそうしていられるかな?」
「……」
さすがに、どんな戦士でも呼吸なしに活動はできないだろう。
カルキノスは己の炎の蜥蜴と風の少女を使い、フォードの周囲の空気を奪う事で活動停止を狙ったのだ。
力には力ではなく、技をもって対応する。
フォードの体が小刻みに震え始める。口は勝手に開き、空気を求めるかのように何度も開閉され、上体がゆらりと傾き目は虚ろになりかける。
――ふん、勝ったな。カルキノスはほくそ笑む。
右腕のみで戦うと行った貴様は、もう何もできまい。
約束を反故にして魔術を使えば反則負け。
足を使ってカルキノスに近接しても反則負け。
カルキノスはもちろん、観衆の皆もまさかの状況の移り変わりに驚愕しかけ――
「……甘いですね」
カルキノスの横を、鋭い軌跡で『何か』が貫いた。
「な、に……?」
爆圧と震動でカルキノスがよろめく。隣でリリカが驚きで転倒しかける。
その隙を縫うように、反撃の狼煙というように、フォードのもとから、小さな『何か』が飛来し、カルキノスへ直撃する。
「くっ、なんだ? ぐあああ!?」
轟音と震動が飛び交い、カルキノスが一気に百メートルも吹き飛ぶ。何度もバウンドし、弾かれ、ようやく止まったカルキノスの体を、舞い上がった土砂が降り注ぎ叩きつける。少なくない量の土砂を受け、彼の体力が奪われていく。
「ヒール!」
傍ら、リリカが駆け寄って治療の魔術をかける。
カルキノスの体の火傷が消え、熱と打撲痕が消えていく。
治療師のクラスであるリリカの助力がなければ、これで終わっていたかもしれない。
「あ、ありがとうございます、リリカ様」
「礼はいいのだ。それよりカルキノス、早く体勢の立て直しを」
「いったい何でしょうあれは、フォードはいったい何を――!?」
言葉を切り裂くように、フォードの方から再び『何か』が、流星めいた勢いで投げられる。
カルキノスとリリカがとっさに左右に避けるが、投げられた『何か』は地面を穿ち、地面を爆散させた。
いったい何がと着弾点を見てみれば、カルキノスたちは驚愕に凍りつく。
――『石』だ。
カルキノス達へ投げられたのは、何の変哲もない石ころである。
フォードはその辺に落ちている石を拾い上げ、振りかぶると、カルキノス達へと放ったのだ。
「馬鹿な、ただの石でこれほどの威力だと!?」
「ま、また来たのだ、カルキノス! ひゃあっ」
驚愕しているカルキノス達のもとへ、再び『石』が投擲される。
ただし、それは子供の遊びのような緩い軌跡ではなく、矢のように、大砲のように、猛然と襲い来る礫である。
カルキノス達がかわした直後、地面は爆音と共に揺れ、土が弾け飛び、土砂が辺りに飛び散乱していく。
これはもはや石投げではなくほとんど攻城攻撃だろう。魔術で固められた鍛錬場の地面は、容易に粉砕され、またたく間に穴だらけになっていく。
『投擲術』――フォードが所持する技能により、投擲されたものは凄まじい勢いで飛来するという猛威である。
「くっ、サラマンダー、奴の石を撃ち落とせ!」
再度、火炎の蜥蜴を喚び、猛火のブレスで壁を作るが――
それも容易く貫通され、火蜥蜴は虚空へ消えてしまう。カルキノスは気迫を込めウンディーネ、ノームを喚び、水と土の壁を立て続けに作らせるが、一撃で壁は撃ち抜かれ、防御どころか、時間稼ぎにもならない。
「ぐはっ」
砕けた土の壁が散乱し、カルキノスの全身を打ち付ける。
「ヒール!」
リリカの治療の魔術が施されるが、ほとんど意味はないだろう。
フォードには攻撃が通じないが、カルキノス達は防戦一方だ。治療できるといっても、このままではリリカの魔力が尽きれば終わりである。
敗北は必須。実力差は明白。万に一つもカルキノス達に勝ち目はない。
「くっ、おのれ……っ」
言葉を切り裂くように、休む暇など与えないというように、フォードの方から、『石』の礫が次々投げられる。
かろうじてカルキノスはシルフを喚び、ランダムに風を吹かせることで自分とリリカの移動速度上昇、及び軌道の幻惑に成功するが、それだけだ。
反撃に喚んだウンディーネの水の鞭、ノームの土のハンマー、サラマンダーのブレスが、尽くが手刀と石礫に討たれ、消えていく。
これでも、フォードは本来の強さからは程遠い。
何しろ彼は、右手一本しか使っていないのだ。
冥王臓剣もリバースソード改も不使用。魔術も何一つ使っていない。加えて両足を固定して、開始から一歩も自分で動いてすらいない。
全力の何分の一――それでも、カルキノス達はまったく及ばない。
――なんという力の差だ。
――これが同じ人間か。
カルキノスの中に、焦燥が増していく。
「くっ、俺は、負けるわけにはいかんのだ! 我が力は姫様のためにあり! どこの馬の骨とも知れぬ輩に、遅れを取るわけにはいかぬ!」
「ご立派な決意です。しかし僕だって負ける気はありません。相手が誰であろうとも、全力をぶつけるのみ」
「貴様などに姫様は任せられん! 俺が! 我ら親衛隊が! 必ずや姫様をお守りするのだ!」
「それならば、なおさら僕を倒す以外にないでしょう。もっとも、あなたに僕を倒す手段があればの話ですが」
フォードの『石投げ』が激しさを増す。
正確に、カルキノスの方へ着弾する礫の猛威。
カルキノスは耐えた。リリカの回復を得つつ、精霊を喚び出し反撃し、起死回生の一撃を、一縷の望みだけを信じてウンディーネを、ノームを、シルフを、サラマンダーを召喚し、フォードの猛攻に耐え続ける。
そしてそれを何度繰り返したか。状況が変わる。
「おや……?」
石が、尽きたのだ。
すでにフォードの足元には一つの石ころもない。これで遠距離攻撃はなくなった。
――今が最大の好機だ!
カルキノスは残る気力を振り絞り、四属性全ての精霊を召喚して攻撃する。
火炎の息吹、水の鞭、鎚のハンマーに風の弾丸――今できる彼の最大の反撃を撃つ。
しかし、それでも、フォードには遠く及ばない。
爆音が弾けサラマンダーが、ノームが、吹き飛ばされた。残るシルフもウンディーネも、たちまち『何か』に貫かれ、虚空へ消滅する。
「な、いったい何が――っ」
カルキノスは、今度こそ心から戦慄した。
石が尽きたはずのフォードの右手。
そこには――『土』の塊が、握られているではないか。
「馬鹿な……」
あり得えない。石ならまだ分かる。硬いから。強いから。攻撃手段になるのは理解できる。
だが土は無理だろう? 無理だ。無理のはずだ。
あんな、
拾い上げた足元の土を腕力だけで固めて、
大砲のように放つなんて、できるわけが……。
「カルキノス、よ、避けるのだ!」
「くっ」
あとはもう、フォードの独壇場である。拾い上げた『土』を固め投擲する彼にカルキノスもリリカも何も叶わない。
サラマンダーの火やシルフの風で防御するも、無駄。火炎の息吹も、風の壁も、容易く突き破るフォードの土礫。
着弾した土礫の破片が、見る間にカルキノスたちの体力を奪っていく。
リリカが懸命にヒールをかけるが、焼け石に水といった感は否めない。
フォードは好機と見るや、途中からリリカばかりを狙い、回復役を先に倒す方法へも踏み切ってくる。
冷徹にして的確。片腕のみで無双のフォード。
「うひゃあ~~~~~っ」
頭を抱え、何とかフォードの土礫の射線から逃れようと走るリリカ。
彼女を守るべく、カルキノスがノームを盾代わりにするも、それでさらに消耗してしまう。
「くそ……っ」
「カルキノス……反撃、あうっ」
リリカの目の前に着弾した土礫が、彼女を吹き飛ばした。
直撃ではないのでまだ動けるが、足をくじいたのか、もう走れない。
ヒールする魔力も尽きた。カルキノスも魔力切れである。
「く……」
「――そろそろ、降参してください」
頃合いと思ったのだろう、フォードが試合開始と変わらぬ無傷のまま、そう語りかけてくる。
「まだだ、まだ俺は認めん! 貴様が姫様の護衛など! 絶対に! 俺は!」
口角泡を飛ばす勢いのカルキノスだが、対照的にフォードはどこまでも冷静だった。
顔をしかめて土礫を振り上げると、カルキノスの右足、左足に土礫を撃ち込み、動きを封じる。
「ぐおっ……まだ、まだこんなもので俺は諦めぬ! 貴様に降伏するくらいなら死んだ方がマシよ! 俺の中に降伏などという文字はない!」
「なぜそこまで意地を張るのですか。勝負はつきました。リリカ王女は魔力切れで、あなたも同様です。あと一発、あなたに礫を撃てば、僕の勝ちですよ」
「やれるものならばやってみるがいい! だがそれでも俺は諦めんぞ! 貴様に負けようと明日、貴様に試合を挑む! 明日が駄目ならばその翌日に! それも駄目ならばさらに翌日に俺は挑むだろう!」
「往生際が悪いにも程がありますよ。いったい何があなたをそこまで駆り立てるのですか」
「知れたこと! 貴様! 姫様を弄ぶ算段なのだろう!?」
「……なんですって?」
「戦力もない、援助もない、ないない尽くしの姫様に肩を入れるなどよほどのお人好しか愚か者。さもなければ簒奪者だ! 貴様は困窮する姫様に取り入り、その信頼を得て、いいように弄ぶが狙いだろう!?」
「言いがかりも甚だしいです。いったい何を根拠にそう言うのですか」
「判るさ! 当然だろう! これまで姫様やイルサール陛下が、いったい幾度煮え湯を飲まされたと思っている!? 助力を誓ったランク黄金の剣士は宝物庫から宝を奪った! 優しい風貌を装った商人親子は借金を押し付けた! 一生の騎士になると宣言したパラディンは姫様を汚そうとした! 甘い顔を見せて近づく者は全て敵だろう! ゆえに我らは姫様をお守りする! 貴様の手助けなど必要無し!」
「カルキノス……」
哀しそうに、リリカが杖を握りしめて呟く。
これまで、散々救いの手に裏切られたのだろう。助けると誓った偽の騎士たちは尽く悪辣で、リリカたちの窮状を弄ぶための偽善者だった。
リリカたちはそれでもフォードを信じる事に賭けたが、親衛隊であるはずのカルキノスは、無念と疑心から、全てを拒絶することにした。
どうせ、お前も裏切るのだろうと。
姫様の美貌にあてられ、近づく悪魔なのだろうと。
人は信じられない。エルフの王家を陥れるしか頭にない。
人は簡単に他者を陥れる。時に嫉妬で、時に愉悦で、時に身勝手な決めつけで。
フォードには、カルキノスの気持ちは痛いほどに分かる。
かつて自分も、親に捨てられ、冤罪に嵌められ、詐欺に遭い、苦渋を飲まされた。
不幸が訪れれば、人は守りに入ってしまうのもよく分かる。けれど、だからといって、全てを諦める良い理由にはならない。
「……僕も、これまで色々ありましたよ。しかしそれで得たものもある。何が悪で何かそうでないかは、ようやく判るようになりました。カルキノス、あなたとあなたの主はこれまで不運だったかもしれません。けれど全てを疑ってしまったら、訪れるはずの幸運も逃してしまうことになりませんか?」
「知らぬ! 貴様など不要。我らは我らだけで姫様を守護すべし!」
「力もないくせに偉そうな事を言わないでください。それは一流が口にしていい言葉ですよ。僕の石礫と手刀だけで敗北したあなたに、何ができると?」
「くっ……」
「この世界は残酷かつ厳しいです。地下には迷宮、魔物どもが住まう魑魅魍魎の世界。地上には人間の悪意。神算鬼謀の偽善者の世界。――けれど、それでもどこかで誰かを信じていかねば、やっていけないでしょう?」
「綺麗事を――」
「僕だって誰かを信じるのは怖いですよ。でも意固地になっても待っているのは破滅だと思います。そこに未来はない。希望はない。僕はそんなのは御免です。正直な話、王女様たちと初めて会ったとき、貧困を装った詐欺師かもと全く勘ぐらなかったわけではない。でも話してみて、接してみて、そんなものは杞憂だと、判ったのです」
「何を!」
「言葉だけでは信じられぬというのなら、僕の行動を思い返してみてください。僕の一挙一動、言葉から今の戦闘に至るまで、全てに偽りがあるかどうか、判定を」
「言葉で幻惑するか、貴様!」
「カルキノス――」
ルルカが、観衆の場からやって来て。そっとカルキノスの肩に手を乗せる。痛めた彼の体をさすりつつ、けなげに、懸命に、軽やかな笑みを浮かべてみせる。
「今の戦いを思い返して。フォードさんは何度か、カルキノスを仕留められる瞬間を逃していたわ」
「……?」
「気持ちだけは本気と言っておきながら、フォードは手加減に手加減を重ねてくれたわ。それは、なぜだと思う? 本当に悪人だったなら、早々に勝負をつければいいだけの話だわ。でも、フォードさんはそうしなかった。カルキノスの全力を見たかったから。たぶん、自分と重ね合わせていたのだと思うの。カルキノスが、フォードの鏡みたいだと」
「な……」
裏切りに裏切りを重ねられたカルキノスやリリカたちの過去。
災難に災難を重ねたフォードのこれまで。
鏡像のように映るカルキノスの様子を見て、フォードは他人事とは思えなかった。
カルキノスは疑心にまみれたフォードの姿のもしも姿、そのものだ。
もしもエリゼーラに出会わなければどうなっていたかの、未来の姿。
だからフォードは口ぶりとは裏腹に、カルキノスを倒せなかった。
リリカが、ひねった足を引きずってカルキノスに寄る。
「リリカも、フォードを信じてみる。だって、フォードの目は鏡に映るリリカやルルカの顔と、同じなのだ。辛さを抱えて、それでも前に進みたいと思う、そんな瞳なのだ」
「……姫様は……フォードを何故、そこまで信じられるのですか……?」
「気づかないのか? フォードは時々、迷った目をするぞ。リリカたちの元でやれるのか、好意は本物か、疑いつつも信じたい眼だ。それはリリカやルルカが鏡で見る顔と一緒なのだ。裏切られた人間が他人を裏切らないとは限らないけど、リリカはフォードの眼に希望を見た。だから――信じる」
「姫様……俺は……俺は……」
カルキノスは言葉に窮する。姫たちの信頼は正しいのか、そうでないのか、無力な彼に判断することは叶わない。けれどもう一度だけ、捨てる神があるならば拾う神があると言うように、フォードのことを、信じたいと欲求は沸き起こる。
「フォード……貴様を信じていいのか? 姫様を守ると。誓うか?」
「当然です。僕だって裏切られる怖さと痛みは知っているつもりです。共に戦いましょう、カルキノス。今は無理でも、いつか僕の行動で信用してくれる事を願います」
カルキノスは、目に涙を溜めて震える。
姫を守る事。それが自分たちだけで果たせぬと悟った彼。
他人を受け入れるのに要した気力はどれほどのもの。
裏切られた者が何かを信じるのは痛みを伴う。
けれど、それで止まっていては、いつまでも守るべき者は守れないから。
カルキノスは、敬愛すべき王女姉妹に支えられながら、涙を流した。
「わかりました。俺も信じましょう。――フォード! 貴様を護衛を認める! 業腹だがな! ただし姫様にもしもの事があれば、貴様を潰すぞ!」
「それでいいです。僕もあなたの期待に恥じないよう励みましょう。いつの日か『アトラシアの神玉』を手に入れるまで。よろしくお願いしますカルキノス」
フォードは弛緩した足取りで彼のもとへ歩み、手を差し出す。
カルキノスは握手に応じずそっぽを向いたままだったが、手が弾かれることはなかった。それが答えだろう。
「――リリカ王女、手荒な真似をして申し訳ありません。足、すぐに治療を」
「ううん、大丈夫なのだ。それよりフォード、ありがとう。ちゃんと戦ってくれて」
はにかむリリカだったが、フォードはばつが悪い顔だ。
「……ちゃんとではありません。言いつけを破り手心を加えてしまいました。すみません」
「そんなことはいいのだ。でもフォード、やっぱり強いな。これから皆と一緒に集団を率いて欲しい。一緒に、頑張ろう!」
「光栄に思います……うわ」
リリカがいきなり身を寄せてきた。足を痛めているので寄りかかる形である。
立派に育った果実が当たって少々気まずい。
むっつりとその様子を眺めていたカルキノスだったが、先程とは別の意味で、苦々しく顔が歪む。
「(……敗者が勝者に何か言う権利などない。しかし! 姫様の向けられる好意、それは俺にも向けられてほしかった!)」
――じつは彼は表立って名言はしていないが、ルルカとリリカに一目惚れして親衛隊に入った男である。
あまりに不順な動機のため誰にも公言するつもりもない。しかし物語の英雄のように王女達を颯爽と護る夢も捨てきれない。つまりは己のエゴと忠義心からきたわがままな私闘だったが、フォードに敗北して良かったと思っていた。
「(……敗北したからには貴様を勘定に入れ後は突き進むのみ。フォード、貴様の真意、それは《迷宮》で見せてもらうとしよう)」
ルルカが、カルキノスをねぎらうように声をかけてくれる。
「……カルキノス。あなたがそこまで思い詰めていたのに気づかなくてごめんなさい。でも、ありがとう。その忠誠心にそぐわないよう、わたしたちも頑張るわ」
「はっ! 姫様の安寧、必ずやこのカルキノス、守ってみせます!」
途端にカルキノスは敗北の屈辱はどこへやら、鼻息も荒く宣言してみせる。
そうだ、フォードに負けたのなど所詮些事。要は姫様を護りきれば良いのだ。フォードが詐欺師というなら搦め手奇策、何でも使って排除しよう。それこそ親衛隊の本懐よ!
とはいえ、やはり王女に慕われるフォードを見ていると悔しい。
というか、段々腹が立ってきた。
勝ったとはいえ少し役得過ぎではないか? な、なんということだ、リリカ様がフォードの手を握り特訓の話を持ちかけているではないか! と、特訓だと!? ばかな、個室で、二人っきりで、特訓に励む気か!? そ、そんな事をすれば麗しきリリカ様の美貌にあてられフォードは獣化、恐るべき狼となって飛びかかるに違いない! くっ、させんぞフォード、貴様の好きにはさせん、俺が貴様の、毒牙から姫様を守り通すうおぉおお! ――などと内心叫んでいるカルキノスは、ある意味で最も幸せ者かもしれない。
〈……くふ。まあ収まるべき所に収まったと言うべきかな〉
エリゼーラが、事の顛末を見届けて艶の笑みを浮かべる。
かくして、親衛隊カルキノスとの私闘を経て、いよいよフォードは、《迷宮》へと挑むことになる。




