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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第3章/魂たちの傷痕
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13.崩落〜Falling〜



とある事件が起きる前日、三寒四温の温の日。きっといつもと変わらない朝だと思っていたことだろう。あの噂が届くまでは。


それは唐突に、密かな調子で彼の長い耳の中へも流れてきたのだ。



ーーエニフとサルガスが行方不明らしいぜーー



二つの名がマラカイトの足を止めた。何か思うところでもあったのか彼はそのまま密やかな声の方へすすんでいく。ドアが半開きになったままの人気ひとけのない一室で床にしゃがみ込んでいる二人組を見つけて止まる。



あの…



小さく声を放つと室内の二人がぎくりとなって振り返る。何処か怯えているようにも見える強張った二つの顔。しかし見下ろすマラカイトは構わずに問いかける。


「それってもしかして…金髪の人と黒髪の人、ですか?」


問われた片方、男の方が意表を突かれたように目を見開く。隣の女の方も判で押したみたいに同じ顔をしている。


「…そうだけど」


やがて返ってきた答えにマラカイトの持つ黄の双眼も一瞬形を丸くした。それから二人に会釈をしてその場を立ち去った。遅れて始まったヒソヒソとこもった話し声などには気にも止めない様子で元の進路を辿っていった。


しかしその足取りはやがて曲線を描き始める。もつれた細長い両脚が廊下の壁際まで寄って、ついにはもたれるように身体の片側を着いてしまう。


自ら近付いた冷たい壁にまるで来るなとでもいうみたいに片手を置くマラカイトは、更にかぶりを振って何かを振り払わんとしている様子。陰る表情。すでに傍へ迫りつつある背後からの気配に気付かなかったのは払い切れない動揺の為か。



…マラカイト。



名を呼ばれた彼はつい先程の二人組と同様にぎくりと小さく跳ね上がった後、振り返った。背の高い自身を更に上から見下ろす威圧的な存在感に彼の表情は固まった。


「ミンタカ様…っ」


やっとのようにその名を呼ぶ。呼ばれた方は至って穏やかな面持ちで言う。


「休憩中に悪いね。ルシフェル様が君をお呼びなのだよ」


はっ!とすっかり身に染み付いた反応を示すマラカイト。迷いなど飛んでしまったみたいに真っ直ぐな目をして。


「すぐに向かいます!」


そう言って一礼する彼にミンタカは深い色の目を細めて満足気に頷く。そして先に去っていく。



遠ざかる足音。冷たいコンクリートの床…残されたマラカイトはしばらく立ち尽くしていた。迷いのないように見えた表情に再び陰が落ちたのは最上層からの呼び出しに緊張したせいなのか。それとも…



共にその場に残った、かすかな焦げ臭さのせいなのか。





それから数分後、締め切られたカーテンが陽を遮る鬱蒼うっそうとした部屋にマラカイトが訪れた。与えられたのは新たな任務。直立で向かい合うマラカイトはためらいがちに口を開く。


「ルシフェル様…俺は標的との接触にことごとく失敗しています。誠に面目ない話ですが、今回は俺なんかより…」


うつむき加減の彼へデスク越しに座ったルシフェルが首を横に振って続きを遮った。見上げるその表情は優しく穏やかなものだった。


「いいんだよ、マラカイト。例えすぐには成功しなくても結局君しかいないんだ。彼女の心を動かせるのは、ね」


「ルシフェル様、何故…」


マラカイトは困惑した顔で何か言いかけるがすぐに飲み込んでは黙ってしまう。そんな彼をルシフェルは表情一つ変えずに見ている。まるで何か見透かしているみたいに余裕を滲ませて更に言う。



「あの娘を大切に思っているんだろう?」


「……っ!」



それはきっと衝撃以外の何ものでもなかった。息を詰まらせ明らかに動揺した様子のマラカイト。返す言葉もないのかしきりに目を泳がせている彼にルシフェルはなだめすかすかの如く、いいよ、と呟いた。



「理由など今はわからなくてもいいんだ。君の中に芽生えた想いを信じなさい。守りたいものがあるなら誰かに奪われる前にその足で向かうべきだよ」



彼女を道に迷わせてはいけない。



「ルシフェル様…」



ぽつりと呟くマラカイトの表情に救いのようなものが現れた。とりわけ最後の一言のあたりで強い目の輝きまでをも取り戻していった。



ありがとうございます、頑張ります、と精一杯告げた彼が部屋から去った。パタン、と閉じるドアの音。訪れた静寂。その中でルシフェルが一つため息をこぼした。紫の瞳がちら、と横へ揺れた。



「…盗み聞きはお前の趣味なのか?シャウラ」



呆れ気味な問いの後、名を呼ばれた彼がやっと物陰からその姿を現した。それはちょうどルシフェルが見た方向。



「そうだと言ったら?」


「仕方がないと答えるよ。一個人の趣味にとやかく言うつもりはないからね」



憮然とした表情のシャウラはその場で止まって近付きもしないまま。ただ目つきだけを鋭く父に向けて尋ねる。



「…王宮に攻め込むとさっき言ったな?」



それからやっと歩き出す。ゆっくり、ゆっくり、デスク側へとにじり寄っていく。


そこに居るルシフェルは弱っているのかはぐらかそうとしているのか、苦笑を浮かべながら迫り来る息子を見上げる。それから言う。


「いつかはやらなければならないことだよ」


十分近くまで距離を縮めたシャウラの動きがすっ、と止まった。表情が見えないくらいにうつむいた彼の方からやがて、低い声が。



そう…


そう、だよね。



少しかすれたような笑ったような声色に締まりのないルシフェルの表情がそのままの形で静止した。シャウラが顔を上げた。目つきも波長も声質も、更に変わっていた。



「よくわかったよ。貴様に約束を守る気などさらさらないということが」



繊細な印象などもはや外見だけ。静かに見えて温度の高い紫の炎を思わせる目が容赦もなく睨みつける。普段からは想像もつかないような殺気をみなぎらせたシャウラは眼下のルシフェルへ更に言う。



「ミラに手出しはしないと言った…」



ダンッ!と破裂するような音が響いた。シャウラが身体を打ち付けるみたいにデスクに迫っていた。


「何故こうも簡単に約束を破るッ!?」


「…よほど大切なのだな、あの娘が」


ついさっきまでのものよりワントーン程落ちたルシフェルの声が返った。眉間に深いしわを二本くらい刻んだ息子に彼はあくまでも落ち着き払って言った。


「お前も聞いていただろう?守りたいものがあるなら自らの足で迎えに行きなさい。マラカイトの次にお前を呼び出す予定だった。重大な任務を与える為に、ね」


「任務…?」


シャウラは怪訝に眉をひそめる。すでに警戒している様子の彼にルシフェルが告げたもの。



「王宮にはすでにスパイを送り込んでいる。お前は今夜、その手助けをするのだよ」


「な……っ…」



食らい付く波長も殺気もさすがに保っていられなくなったシャウラの唇が空回る。文字通り青ざめた顔色へと一瞬で変わった彼がみっともないくらい上ずった声を張り上げる。



「馬鹿な…っ!王宮のセキュリティはそんなにヤワじゃないはずだ!」



瞬間、ルシフェルの眉がぴくりと跳ね上がった。そして反対に口角が下へ垂れていく。驚いたように見下ろすシャウラはまだ気付いていない様子だった。すぐ後のルシフェルの声を聞くまでは。




「ほぉ…随分と詳しいのだな?」



……っ!




やっと気付いたようだ。とんでもないことを口走ったと。シャウラの呼吸は浅く細くなっていく。ついには肩で息を切らせる。だけどもう遅い。見据えるルシフェルの目は彼の変化をしかと捉えていたのだから。



「それ程王宮に詳しいお前なら十分なサポートができるだろう。やはり私の人選は間違っていなかった。安心したよ」


「何を…させる気だ…!?」



シャウラは恐る恐る問う。すっかり優位に立ったルシフェルの口角が不気味に上がり始めた。彼は言った。



「…王女をここへ連れて来なさい。気付かれるのは時間の問題だからスピードが肝心だよ」



不意に椅子から立ち上がるルシフェル。高くなった目線から呆然と立ち尽くす息子を一度見下ろすと、窓の方を見つめて更に続けた。



「王女が連れ去られたことに気付いた連中がこちらへ向かう前に動きを封じる。それでもいくつかの邪魔は入るだろう。そう、お前もよく知る…稀少生物研究所、とかね」



レ…


レイ…



きっと意図せずこぼれたであろう響き。もはやすっかり追い詰められたシャウラへ、振り返ったルシフェルは静かな笑みを浮かべた。優しく。



「心配しなくてもお前の友人を傷付けるつもりはないよ。ただ、王宮と手を組んでいる彼らを足止めするだけだ」


「足止め…?」



シャウラがやっと蚊の鳴くような声で聞き返す。か弱い少年さえ彷彿とさせる姿の彼は、やがて父から告げられた。



「絶滅危惧種の生物の中には、とりわけ生き残ろうという強い潜在意識を秘めた種がいる。その力が惜しみなく発揮されるのは仲間を失くしたった一匹の生き残りとなった瞬間であると、実験ですでに証明されているのだ」




実験…



生き残り……





………っ!!




言葉の破片を組み立てるように呟いていたシャウラが、ある時点で息を飲んだ。未だ語り続けているルシフェルの声も聞こえないみたいに、一切の音が絶たれてしまったみたいに、虚ろな目を一点で止めたまま。




ーーアイスエレファントは大人しいはずなのに…ーー




…待てよ……




表情こそ虚ろなままだが確かにみなぎっていく。閉じ込め切れない淀んだ波長が彼の全身から。



「待てよッッ!!」



せきを切ったような叫びの後は、ただコォー…という暖房の音が残っただけ。静止したルシフェルは今度こそ口をつぐんでいる。



「それは…いつの話だ?」



光のない目を見開き顔を傾け問いかける息子をルシフェルは乱れのない視線で見つめ返す。怖いはずの表情を前に怖いくらいに落ち着いている。



…6年前、か?



低いシャウラの問いかけから一体どれくらい経った頃だろうか。やっとルシフェルが動いた。示した。




首で、肯定の姿勢を。





目にも止まらぬ動きは風さえも起こした。凄まじい破壊音が立て続けに響いた。デスクごと薙ぎ払ったシャウラがルシフェルの胸倉を掴んで窓枠に叩きつけていた。力を込めた手と額に血管まで浮き上がらせた彼が叫んだ。



「よくもミラの家族を…!!」



膨れ上がった感情に内側から揺さぶられるようにわなわなと震えている。怒りやら悲壮やら絶望やらがぐちゃぐちゃに渦巻いたままぶちまける。


「貴様がふざけた実験などしなければ、ミラは僕に関わらずに済んだんだ!きっとあの研究所で、幸せに…っ…」


そこまで言うと足元から力が抜けた。胸倉を掴み上げていたはずの彼の拳は、徐々にすがるような形へと角度を変えていく。


「…シャウラ」


顔を伏せてしがみつく彼の元に落ち着いた声色が届いた。ルシフェルが言った。



「それでもあの娘はお前を探し求めたはずだ」



どんな運命であろうと、な。



「何…だって…?」



シャウラはゆっくりと顔を上げた。声のする方、慈愛さえ滲ませた瞳の色に不思議そうに見入って。



貴様…



疑問を得た。彼は尋ねた。




「貴様は…誰だ?何を知っている?」




やがて緩んだ息子の手からするりと抜け出したルシフェルはまた窓の方を向いた。背中で言った。



「準備をしておきなさい、シャウラ。お前に迷っている暇などないはずだよ」




あっちで待っている未来ミライ氷の女優アイス・アクトレスと共に、やり遂げて見せなさい。





涙さえ出ないままのシャウラが立ち尽くしていた。受け止めているのかはおろか、聞こえているのかもわからないような、顔で。



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