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猟奇×哲学:ヴェリタスの最終定理6ヘレナ・ヴェリタス  作者: LIU
●第22章:私の罪と罰

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20/20

完結:帰還する魂!

イメージソング:my heart will go on

https://youtu.be/XWtfZC3Lwyg?si=cqMBbbHszyqn11mZ

まばゆい光がゆっくりと薄れると同時に、鼓膜を打つのは……空を焦がすような激しい蝉時雨と……遠くで鳴り響く魔導機関の重低音だった。


ヘレナ・ヴェリタスは、ゆっくりと重い瞼を開けた。

目に飛び込んできたのは、煉瓦と木材が入り交じった、木造建築の天井だった。

部屋の隅では扇風機がカタカタと異音を立てながら、ぬるい夏の風を運んでくる。


窓の外には、抜けるような青空。そして、絵の具で描いたような巨大な入道雲がそびえ立ち、合間を縫うように、地脈を用いた魔導通信網の無骨な黒いケーブルが張り巡らされていた。


ここは。


私は、一体。


体を起こそうとしたヘレナの鼻先に、ふわりと、淹れたての珈琲と、甘ったるい、砂糖をまぶしたドーナツの匂いが漂ってきた。


「……おかえりなさい、姉さん」


ヘレナの心臓が、大きく跳ねた。

傍らの豪奢な革張りのソファに深く腰掛け、細縁の黒眼鏡の奥で青い瞳を瞬かせている女性がいた。頭には立派な角、そして背後からは極太の尻尾が床に投げ出されている。ドーナツの食べ過ぎで少しだけふっくらとしたお腹周りを隠すこともなく、彼女は手元のスレート端末から視線を上げた。

かつて地獄のような闘争の中で、ただ一人、現実を見据え、そして……ヘレナが愛した義妹。竜人のアスナ・クライフォルトだった。


「……アスナ……?ここは……今は……」


ヘレナの声は、ひどく掠れていた。三十年間の狂気と殺戮、ドロドロの愛憎の果てに出した声とは思えないほど、それはか弱く、震えていた。


「私ですよ。アスナ。……まったく、あなたが突然倒れたせいで、今日の規制局の監査をすっぽかす羽目になったんですからね。私の昇進に響いたらどうしてくれるんですか。ただでさえ、仕事が終わらないというのに」


アスナは小言を言いながらも、その声には安堵の色が滲んでいた。カチャリと珈琲のカップをソーサーに置き、極太の尻尾をパタパタと揺らす。


「そしてここは、新暦108年。もちろん、王都。獣病院の二階。……我がヴェリタス探偵事務所ですよ。……ほら、冷たい麦茶でも飲んでください」


アスナが差し出したグラスを受け取りながら、ヘレナは息を呑んだ。

夢ではない。

あのバグだらけの概念の海で、最後にすべてをアスナに託し、消滅したはずの自分が、ここにいる。


アスナが、選んだのだ!


世界を見捨てるのではなく、この、いびつで醜い世界を、もう一度……やり直すことを!


「……あなたって子は。本当に、どこまでもお人好しね。私がどれだけ、人間を葬ってきたか、忘れたの?」


ヘレナは、コップを両手で包み込みながら、皮肉げに唇を歪めた。しかし、その目からは止めどなく涙が溢れ出していた。


「忘れるわけ、ないでしょう。ですが、あなたは、姉さんですから。私は姿形も、年齢も変わりました。それでも、あなたは私の姉さんです。それに、エラーラさんが悲しむ顔も、もう、見たくないんですよ」


アスナの不器用な優しさに、ヘレナは声を出さずに泣いた。長い長い、終わりのない地獄のような迷路を彷徨い続け、ようやく、本当にようやく、帰ってくることができたのだ。


「ちょっと!いつまでしんみりしてるのよ!」


バタバタとやかましい足音と共に、扉が勢いよく開け放たれた。

そこに立っていたのは、腕いっぱいに真っ白なシーツを抱えた、金色の毛並みを持つ狐獣人だった。極太の尻尾を不満げに逆立てている。


「え!?……ニーア……!?」


「む?ヘレナ、起きたのね。まったく!いつまで寝てるつもりだったのよ!今日の夕ご飯の買い出し、あんたの当番だったんだからね!私が一番乗りで心配してあげたんだから、感謝しなさいよね!」


ニーア・ヴェリタスはツンと顎を上げ、腰に手を当ててヘレナを見下ろした。

ヘレナは、呆気に取られてニーアを見つめた。


「ニーア……あなた、どうして……」


「どうしてって、なにさね。決まってるじゃない!私が、この世界で一番偉大な大探偵にして歴史作家、ニーア・ヴェリタスだからよ!それに……」


ニーアはチラリとアスナの方を見て、頬を真っ赤に染めながらそっぽを向いた。


「アスナがいなきゃ、私は生きていけないんだから!私は、あんたたちへの執着心というかなんというか……好きってこと!すーき!……あーも!」


「……相変わらずやかましい狐ね……」


ヘレナは涙を拭いながら、いつもの調子でツッコミを入れた。


「なっ……!私はただ、アスナの美しい魂を一番近くで観察したいだけなんだから!」


ニーアが騒ぎ立てるのを横目に、アスナは困ったように細縁眼鏡を押し上げ、やれやれとため息をついた。


誰も血を流さない。

ただ、夕飯の当番や洗濯物のことで文句を言い合う、当たり前の日常。

窓の外では、馬車と魔導車がすれ違っていく。そのいびつな光景すらも、今のヘレナにはたまらなく愛おしかった。


夕暮れ時。


夏の太陽が王都の煤けた街並みの向こうに沈みかけ、空を鮮やかな茜色に染めていた。


ヒグラシのカナカナという鳴き声。


遠くの工場から聞こえる終業の汽笛。


ヘレナは、事務所の裏手にある木造の縁側に腰掛け、不具合でチカチカと点滅する庭の魔導灯を見つめていた。


「やあやあ!隣、いいかな?ヘレナ君」


白衣の裾をなびかせ、ヘレナの隣にどさりと腰を下ろしたのは、彼女と瓜二つの外見を持つ天才、エラーラ・ヴェリタスだった。銀色のセミロングの髪を揺らし、少しぽっちゃりとしたお腹をさすりながら、彼女はハスキーな声で笑いかけた。

かつてヘレナが狂おしいほどに憎み、そして同じくらい愛されたいと願い続けた存在。


「……エラーラ。あなた、何かの端末を焦がしたでしょ。変な匂いがする。というか……あんたなんか、顔も見たくない」


ヘレナは冷たく言い放った。心の中にある深い愛情を、素直に出すことなど彼女には到底できなかった。


「ハハハ!いやはや、魔法システムを最適化しようとしたんだがね、これが見事に演算領域がパンクしてしまったのだよ!これが真理だ!…………」


「なにが真理よ……」


エラーラは両手を広げて大仰な身振りで笑ったが、その青い瞳の奥には、確かな後悔と戸惑いが揺れていた。

そして、エラーラの反対側には、アスナがそっと寄り添うように座り、エラーラのために新しい珈琲を淹れていた。


エラーラは急にシュンとして、ヘレナの方へ向き直った。


「……ヘレナ君」


エラーラの声から、いつもの芝居がかった響きが消えた。


「私は……ずっと、間違っていたのだよ。自分が正しいと信じて大局ばかりを見て……一番近くで、必死に私を呼んでいた、君の声に気づかなかった。いや……君がどれほど私を愛し、私に追いつこうと足掻いていたか、気づこうとしなかった」


エラーラは、膝の上でぎゅっと手を握りしめた。


「私は、君を救えなかった自分を認めるのが恐ろしくて、論理という鎧を着込んで、感情から逃げていた……。すまなかった、ヘレナ。本当に……すまない」


姉の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「私も、ごめんなさい。義姉さん」


アスナもまた、ヘレナの手をきゅっと握りしめた。


「私は、あなたが孤独の中にいるのをわかっていながら、エラーラさんのことばかり見ていました。あなたが、どれだけ深い愛情を、私に、いや、世界に向けてくれていたか……もっと早く、気づくべきだったんです」


二人の懺悔。


三十年間、ヘレナが心の底から渇望してやまなかった言葉。


ヘレナは、ゆっくりと目を閉じ、ヒグラシの声に耳を澄ませた。


胸の奥でずっと固まっていた冷たい氷の塊が、夏の夕暮れの中で、完全に溶けて、消えていくのを感じた。


「……本当に、馬鹿ね。エラーラ」


ヘレナは、目を開け、エラーラとアスナの頭を、そっと撫でた。


「今更謝られたって、そんな。許すわけないじゃない。大嫌いよ。……でも、あなたたちが私を認めてくれた。私がここにいるのを認めてくれた。それだけで……私の三十年は無駄じゃなかったって思えるわ。……エラーラ。アスナ。あなたたちは、本当に強い」


ヘレナは、アスナの頭を撫でながら、ふと意地悪く微笑んだ。


「ちょっとくすぐってあげましょうか。火を吐くところ、久しぶりに見たいわ」


「ひゃあっ!? や、やめてください義姉さん! ここで火を吐いたら事務所が全焼しちゃいますよ!」


アスナが極太の尻尾を振り回して慌てふためくのを見て、エラーラが涙を拭いながらハハハと笑った。


「まったく……ヘレナ君には敵わないな。私たちは、もう……家族だ。何があっても、もう二度と、君の手を離さないからね!」


茜色の空に、一番星が瞬き始めた。

夜の帳が下り、探偵事務所の庭では、ささやかな花火大会が始まった。


ただの花火ではない。


王都の職人が作った、魔力で色を変える特殊な手持ち花火だ。バグのせいで時折おかしな色に発光しているが、それもまた一興だった。

シュパパパ、と色鮮やかな火花を散らす花火を手に、ニーアがはしゃぎ回っている。

その様子を、少し離れた縁側から見つめている者たちがいた。


ナラティブと、アリシア。そして、グリッチだ。


「ふふん、ヘレナ。あんたもようやく自分の居場所を見つけたようね。あんたがエラーラを想うその執念だけは認めてあげるわ!」


ナラティブが、赤い瞳を細めて不敵に笑う。胸を張り、高笑いをする彼女の横で、アリシアが柔らかな微笑みを浮かべた。


「あらあら、ナラティブったら素直じゃありませんわね。ヘレナさん?わたくしたちはあなたのその深い愛に、心から感謝しておりますわ。あなたの強さがなければ、お母様が笑うこの平和な夏の夜は、決して訪れませんでしたもの」


「お姉ちゃんが笑ってるなら、私も嬉しい!ねえねえナラちゃん、アリシアお姉ちゃん!私の作った特製打ち上げ花火、ここで爆破させていい!?」


グリッチが狂気を孕んだ赤い瞳をキラキラと輝かせながら、危険極まりない筒状の魔導具を取り出した。


「こんなところで爆破させたら、あたしたちまで吹き飛ぶじゃない!」


ナラティブが優しく微笑んだ。


「おーい!みんな!線香花火、やるわよー!私が絶対に一番長持ちさせてみせるんだから!」


庭の真ん中で、ニーアが極太の尻尾を揺らしながら大きく手を振っている。エラーラとアスナが手招きしている。

ヘレナは立ち上がり、彼らの待つ庭へと歩き出した。


闇の中で、小さな火球から繊細な火花が散っている。

みんなで車座になり、息を殺して線香花火の光を見つめている。

誰の花火が一番長く持つか。そんな些細な競争で、エラーラが悔しがり、ニーアが勝ち誇り、アスナがドーナツをかじりながらクスクスと笑う。

ヘレナは、自分の手元でパチパチと弾ける小さな光を見つめながら、ふと、夜空を見上げた。

分厚い魔導スモッグの隙間から覗く、満天の星。

この星空の下には、もう、誰も苦しむ者はいない。

ヘレナの胸の中に、温かく、そして力強い感情が、じんわりと広がっていった。


私は、何度も死のうとした。


泥を啜り、他者を蹴落とし、手を血で染め、心を壊しながら生きてきた。


でも。


あの日、死を選ばなくてよかった。


生きていたからこそ、私は、最後に、アスナの愛に触れることができた。


ヘレナの線香花火の火球が、静かに地に落ちた。

だが、暗闇は訪れない。彼女の周りには、家族や仲間たちが灯す、無数の温かい光が満ちているからだ。


「あーあ、義姉さん、落ちちゃいましたね。どんまいですよ」


アスナが、自分の花火をそっとヘレナの方へ寄せてくれる。


「そうね。でも、いいの。私の分まで、あなたが光って、待っていてくれたから」


ヘレナは、夏の夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。

土の匂い、火薬の匂い、そして、隣で笑う家族の匂い。


心からの、真実の言葉。


それは、稀代の悪女と呼ばれたヘレナが、その生涯の果てにようやく見つけた、究極の救いだった。


終わらない夏休みの、優しい夜。


誰もが傷つき、誰もが罪を背負った長い長い物語は、一夏の眩しい光と、封印精霊の立てる微かな駆動音、そして少女たちの他愛のない笑い声の中に、静かに、そして美しく溶けていった。

ヘレナは、振り返った。

そうして、愛すべき姉に、妹に、そして、すべての人に向かって……そっと呟いた。


「ただいま」


【ヴェリタスの最終定理・完結】

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