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獣王の意気

 痛い。体中が。

 朝起きてからというもの体中の節々がぎりぎりと痛む。

 理由は明確だ。防衛軍での実戦演習である。昨日はほぼ一日中戦闘訓練をしていた。ひのきの棒で素振り千本とか屈強な男どもから逃げるとか。後ろから迫りくる本多忠勝という名の兵器を相手にひたすら逃げ続けるのは骨が折れた。

 今日は俺の上司であるゴリエル少佐の計らいで、訓練は特別に休みということになった。しかしこれから週六で訓練らしい。働きたくないでござる。

「ねえ新井、今日もテニスやろうよ!」

 部屋のベッドで泥のように寝そべる俺を見ながら、床に正座するマリエルは口を開いた。

「お前はドSか」

 動けずにぶっ倒れている人に何食わぬ顔でテニスさせるってどんな拷問だ。

「じゃあ、今日はずーっとお部屋にいるの?」

「ずーっと寝る」

 今なら休日のお父さんの気持ちがわかる気がする。

「……仕方ないなあ」

 マリエルは立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。ちょっと冷たくしすぎたか?

 一分もしないうちにまた部屋の扉が開き、マリエルが部屋に戻ってきた。

「湿布貼ったげるよ!」

 マリエルは赤い救急箱を抱えていた。

「もしかして天国の湿布で貼るとたちまち痛みが引く、みたいな……」

「いや、普通の湿布だけど」

「ですよね」

 最初から期待はしてませんでしたよ。

「まあいいから、気休めでも貼った方がいいよ。ほら、後ろ向いて」

「ああ、じゃあお願いします」

 俺はベッドで起き上がり、マリエルに背中を向けた。マリエルもベッドに上がってきた。

「あの、服を脱いでくれなきゃ貼れないんだけど」

「……服?」

「いや、だから脱がないと……ってな、何恥ずかしがってるのよ! 男の子でしょ!」

 マリエルは急に声を上ずらせた。

「だってお前! 脱ぐって、ストリップだぞストリップ!」

「何でそういう解釈になるのよ! 私だって恥ずかしくなってきちゃったじゃない!」

 マリエルは横を向いてしまった。

「だ、だいたい私は新井の下着だって何度も見てるんだから、今さらそんなことで恥ずかしがらないでよ!」

「なんで!?」

「だって、洗濯は私の仕事だし……」

 マリエルはごにょごにょとつぶやく。

「俺のパンツはマリエルに洗ってもらってたのか!?」

 なぜか毎日のように着替えが用意されてたのはそういうことだったのか!

「そ、そんな大声で言わないでよ! 私だって恥ずかしいんだから!」

「待て、この家、洗濯機とかなかった気がするんだけど!?」

「だから、て、手洗いで……」

「ぬおあああ!?」

 美幼女が! 美幼女が俺のパンツを手洗い!

「う、うるさい! いいからさっさと背中だせ!」

 そういうと、マリエルは俺のTシャツを勢いよくめくった。

「うえあ!?」

「こうしないと湿布貼れないでしょ!」

「も、もうお婿に行けない……」

「そ、それなら私が責任を……」

「え、それはどういう……」

「うるさい!」

 言いながら、マリエルは俺の背中を平手打ち。

「あがっ!」

 痛みとともに背中がじわじわと温かくなってきた。

「マリエルさん、背中じゃなくて腕と肩と足なんですよ……」

 俺は斜めに湿布が貼ってある背中をさすりながら言った。

「うるさい! 背中に貼ってあげただけでも感謝しなさい! 肩以外は自分で貼れるでしょ!」

 マリエルは湿布の入った箱を俺の背中に放り投げ、ベッドから降りてしまった。

「待てマリエル」

 俺は箱から数枚の湿布を取り出しながら、部屋から出ようとするマリエルを呼び止めた。

「な、何……?」

「テニス、するんだろ?」

「……やってくれるの?」

 マリエルは振り向いて尋ねてきた。

「ああ、いいよ。湿布も貼ってもらったし」

 平手打ちされるまでは痛くもかゆくもなかった背中にだが。

「そうか。そうだよね。湿布貼ってあげたもんね」

 マリエルは小さくうなずきながらつぶやいた。

「でも、なんだってまたテニスやろうなんて提案するんだ? 最初は嫌がってたのに」

「だって、新井と遊ぶの楽しかったし……」

 マリエルは俺の顔を見ずにうつむきながら言った。

「お、おう。そうか」

 俺もマリエルにつられてうつむいてしまった。あかん。真剣に恥ずかしい。

「しかし、またテニスというのもなんかあれだな」

 俺は恥ずかしさをごまかすために適当な話を切り出した。

「個人的には野球とかベースボールとかしたい」

「どっちもおんなじじゃない。まあ、新井らしいけど」

 マリエルは未だうつむきながらも、いつも通りツッコんできた。

「でも、前も言ったと思うけど人数が足りないからできないよ」

「つまり人数さえ集まればできるんだろ? それならそこらへん歩いてるおっさんとか誘えば何人か集まるんじゃないか?」

「そんなにうまく行くかなあ?」

「大丈夫、大丈夫。野球好きはだいたい見た目でわかるんだ。俺に任せとけ!」

 俺は着替えを済ませ、あまり乗り気ではないマリエルを連れて仲間集めの旅に繰り出した。



「ええと、なんでこの手の方々しか集まらなかったんだっけ?」

 俺は目の前に映る光景を眺めながら、隣に立つマリエルに尋ねた。

「新井が見た目だけで野球好きかを判断した結果だよ」

 マリエルはあきれたように答えた。

「まあ、確実に野球好きだろうが……」

 現在地はいろいろなスポーツが楽しめる総合娯楽施設の札幌ドームもどき前である。

「だーから、背番号6ゆうたら景浦やろ!」

「藤田や! アホか!」

「和田! 和田!」

「金本を忘れたらあかん!」

 猛虎魂を感じる。

 この黄色と黒のハッピを着た十五人の侍たちには猛々しい虎の血が流れているのだ。

 ちなみにここに来るまでの話の変遷は歴代四番打者から始まり、歴代エース、歴代助っ人外国人ときて、今は背番号6である。それぞれ生まれた時代が違うので意見がまとまらない。ジェネレーションギャップである。

「ところであの人たちは何を言ってるの?」

「宗教関連の話かな」

 違うが、近いものはあると思う。ただし背番号6は金本である。異論は認めない。

「とりあえずみなさん、中入りましょうか」

 俺は大声を張り上げ各々の持論を押し通そうとするハッピ集団に号令をかけた。

「おお、せやせや。野球するん忘れとったで」

 ひたすら金本を推していた男が笑いながら言った。本題を忘れるな。

「ほな入ろか。北の闘士に突撃や!」

「いや、北海道の球団のホーム球場じゃないですから」

 俺は野球ネタでボケてくるハッピ集団を引き連れて札幌ドームもどきの自動ドアを通り、中に入った。正面にはテニスのときと同じような受付があった。

「いらっしゃいませ。球場のレンタルですか?」

 受付のお姉さんはハッピ集団を見まわしながら尋ねてきた。顔には出さないがきっと『なんだこいつら』と思っているのだろう。

「はい。大丈夫ですか?」

「かしこまりました。何名様ですか?」

「十七人です」

「ではチーム名の登録をお願いします」

「チーム名……何かありますか?」

 俺は振り返り、ハッピ集団に意見を聞いてみた。

「巨人とか入るんはなしで」

「阪神タイガース。いや、大阪タイガースやな。デトロイトちゃうで」

「それやったら神戸が入らんやないか! 阪神は阪神や!」

「京都も入ってへんやんか! 京阪神タイガースやろ!」

「それはゴロが悪いから却下や!」

 ああ、ここでも不毛な争いが……。

「なんかもう決まりそうにないからマリエル、決めてくれ」

 俺の隣で聞きなれない関西弁をなんとか理解しようと難しい顔をしているマリエルに振った。

「へ? わ、私!? えーと、えーと……」

 マリエルは突然話を振られてテンパっている。

「『タマちゃんズ』、とか……」

「あ? なんやそれ」

 大阪タイガース派の男がマリエルをにらみつけた。パッと見やくざである。マリエルはとっさに俺の陰に隠れる。

「え、えと、とりあえずそんな威圧しないでやってください」

 怖いよ。マジで。

「あれ、質問しただけで怖がらせるつもりはなかったんやけど……」

 その聞き方がめちゃくちゃ怖かったのである。マリエルはまだ俺から離れようとしない。

「ちなみにマリエル、なんでその『タマちゃんズ』というかわいらしいチーム名が浮かんだんだ?」

「だって、虎は猫で、だから……」

 マリエルは今にも泣きだしそうになりながら説明した。とりあえず虎縛りではないのだが。

「なんやもうめんどくさいから『タマちゃんズ』でええんやないか?」

 マリエルの頭をなでながら慰めていると、後方から声が上がった。

「せやな。大事なのは名前やのーて中身や」

 さっきから大阪だの神戸だの京都だので争っていた連中が何を言っているのだろう。

「じゃあ、『タマちゃんズ』で」

 受付のお姉さんにそう告げた。お姉さんは苦笑いをしていた。そしてこのチーム名を言うのは結構こっぱずかしい。

「ユニフォームはございますか?」

「いえ」

 即興のチームなのであるわけがない。

「では貸し出しますので、こちらのカタログからお選びください」

 俺は差し出された冊子を受け取り、パラパラとめくった。

「うお、すげえ揃ってる」

 中にはメジャーリーグやプロ野球チームの歴代ユニフォームの写真がびっしりと並べられている。他にはイタリアンベースボールリーグとか台湾プロ野球のユニフォームとかも。有名な高校や大学のユニフォームまであるのはさすがとしか言いようがない。ファンならこれだけで楽しめそうだ。

「どれどれ、わいにも見せい」

 ハッピ集団が後ろから顔を覗き込ませてきた。マリエルは背が高くないのでぴょんぴょんとジャンプしている。飛ぶと翼が結構、邪魔になるのでそこらへんは配慮しているのだろう。

「おお! これなんかええやないか? 四九年のタイガース」

 一人の男が指で一枚の写真を指した。それほど前となると俺は話でしか聞いたことがない。

「四九年のタイガースって……。だ、ダイナマイトですか」

 男の指先に注目してみると、そこには当時まだ生まれてない俺でも知っている濃紺のユニフォームが写っていた。そう、あの超破壊力の最強打線、ダイナマイト打線のユニフォームである。

「野球は打撃やねん! 投手なんていらんかったんや!」

 投手が崩壊していたのでたぶん現実逃避である。しかし俺はこのユニフォームには反対だ。なぜなら考えてみてほしい。はたしてマリエルにこの男らしいユニフォームが似合うだろうか。いや、マリエルなら案外なんでも似合うかもしれんが、やっぱり女の子には赤とかピンクとかの方がいい。ぶっちゃけ俺はかわいいユニフォームを着たマリエルを拝みたい。それこそカープのユニフォームとか。なのでここはなんとしても他のユニフォームを推薦しなくては!

「た、たまには阪神以外のユニフォームなんてのもいいんじゃないですか? カープとか。赤くて」

「なしや! なんで鯉やねん! アホちゃうか!」

「いや、なんか、すんません……」

 阪神以外は却下らしい。しかしこうなると阪神でなるべくかわいいユニフォームを選ばなくてはならない。といってもタイガースはそんなにユニフォームデザインがあるわけではないので選択肢の幅は狭いのだが。

「とりあえず、他にもあるんで一通り見てみましょう」

 俺はもう一度カタログをめくり始めた。

「あ、これなんかどうっすか? 二〇〇五年タイガース」

 俺はカタログをめくる手を止めた。白地に黒い縦じまが入ったユニフォームである。特別かわいいデザインというわけでもないが、まあいいだろう。マリエルならきっとかわいらしく着こなしてくれる。

「なんや、強かったんか?」

「まあ、優勝してますし。JFKとかいましたし」

「JFK? タイガースにケネディーがおったんか?」

「なんでここでケネディーが出るんすか!?」

「JFKってジョン・F・ケネディーのことやないんか?」

「ああ、なるほど……」

 ここでもジェネレーションギャップである。タイガースの勝利の方程式を知らない世代にとってJFKといえば米大統領なのである。まあ、最近の世代でもタイガースファン以外にとっては駐日大使の親父か空港なのだろうが。

「簡単に説明すると、JFKってのは三人の最強リリーフ陣です。七回の時点でタイガースが勝ってると相手が逆転をあきらめるっていう」

「ようわからんなあ。リリーフって中継ぎやろ? 投手は先発完投するもんやん」

 何年前の基準だよ。

「たとえるなら江夏が三人って感じの……」

「江夏が三人やと!? 若い連中に聞いたが、たしか毎年二十勝は余裕って投手やろ? そいつが三人おったら六十勝は確定やん!」

 一人二十勝という何の根拠もない仮定は置いとくとして、とりあえず間違ったことは言ってないはずだ。俺が言ったのは南海ホークス以降、つまりノムさんの『革命を起こそうや』という名言で抑えに転向した江夏が三人である。

「そんな投手たちがおるんやな! よっしゃ、せやったらそのユニフォーム着てタイガースの必勝祈願のために試合やるで!」

「お、おう! やったるで!」

 二〇〇五年以前の世代の方々は満場一致の賛成。以降の方々も江夏が三人という俺のたとえには首をかしげながらも流れで賛成した。

「マリエルも二〇〇五年でいいか?」

 いつの間にかカタログを持って中身を見ているマリエルにも聞いてみた。

「私としてはこのピンク色のやつがかわいいなって……」

 マリエルが見せてきたページに写っていたのは、タイガースの応援用ユニフォームだった。たしかにこれはかわいい。これを着て一生懸命に野球をするマリエルを想像しただけで思わずにやけてしまいそうなほどだ。こんなものまで用意しているとはさすが天国である。しかしこのユニフォームを選ぶには少し問題がある。

「たしかにこのユニフォームはかわいいが、これを選んでしまうと俺までこのユニフォームを着なくてはならなくなってしまってだな……」

 そう、このかわいらしいユニフォームを俺が、正確には俺たちが着用しなくてはならないのだ。そうなってしまったらきっと後ろのハッピ集団からの批判が殺到するだろう。それに俺だってこれを着るのは恥ずかしい。プライドを犠牲にすればマリエルの素晴らしいユニフォーム姿を拝めるかもしれないわけだが、そこまで体を張るのはちょっと厳しい。

「まあ、たしかに新井には似合いそうにないもんね。というか後ろの人たちに怒られそうだね。さっきのでいいよ」

「わかってくれてありがとう。じゃあ、この二〇〇五年タイガースのホーム用で」

 俺は受付のお姉さんにカタログを見せながら言った。

「かしこまりました。二〇〇五年タイガース、ホーム用十七名様、お願いします」

 お姉さんが胸元についているピンマイクに向かって言った。するとお姉さんの後方から男女の声が聞こえた。

「ええと、二〇〇五年タイガース……これか! ってこれビジター用だ!」

「ちょっと、早くしなさい! お客さん待ってるんだよ! まったくどんくさいわね!」

「す、すいません! すぐ……ってうわ!」

「何転んでんのよ! バカじゃないの!」

 何か聞いてはいけないものを聞いてしまった気がする。

「ユニフォームの用意までに時間がありますので、対戦相手を決定いたします。ただいま、チーム『流星群』様が待機しておりますが」

 なんだか『タマちゃんズ』とは別の意味で恥ずかしいチーム名である。たぶん数年後に思い出して悶絶するタイプの。

「みなさん、どうですか?」

「どことでもええで! たとえプロが相手でも返り討ちにしたる!」

 その自信はどこから来ているのだろうか。

「じゃあそこでお願いします」

「かしこまりました。では、ユニフォームの用意ができましたのでお受け取りください。また、着替えは更衣室をご使用ください。こちらがロッカーのカギでございます」

 俺たちは一人ずつユニフォームとカギを受け取った。

「グローブやミットはロッカールームに用意してあるものをご自由にご使用ください。バットはベンチに五本用意してあります。それでは、いってらっしゃいませ」

 お姉さんはうやうやしく頭を下げ、俺たちが更衣室に向かうのを見送った。



 タイガース二〇〇五年ホーム用ユニフォームを身にまとった男性陣は、煌々と照明の灯ったドーム球場の一塁側ダグアウトに来ていた。やはりマリエル待ちである。

「ところで監督さん、オーダーはどうするんや?」

「誰ですか監督」

「にいちゃんやにいちゃん。言いだしっぺやん」

「まあ、何となくそうなるとは思ってましたが。オーダーは全員そろったときに適当にじゃんけんとかで決めればいいんじゃないですか?」

 だいたいこの素人の集まりみたいなのでオーダーも何もない。

「そんなことより、さっきから向こうのダグアウトにいる方々が『流星群』さんだったりするんですかね……?」

 俺は遠く離れた三塁側ダグアウトを眺めながら、若干震えた声で言った。視線の先には白き衣をまとう強靭な肉体の男どもが腕を組んで座っていた。

「まあそうやろな。たいしたことなさそうやん」

「いやいや、たいしたことあるでしょ。もう体格の時点で負けてますよ」

「あんなんプロに行ったらゴロゴロおるで」

「俺たち草野球でもかなり低いレベルのチームだと思いますけど……」

「きっと見かけ倒しの筋肉ダルマやで! 筋肉がつきすぎるといい球は投げられんのやで!」

 別にそんなことはない。ボディービルダー級にゴリゴリでなければ問題はない。ピッチャーは利き肩に重い荷物かけちゃいけないみたいな、昔はよく信じられていた迷信である。ダルビッシュとかに言ったらきっと鼻で笑われる。

「それにしても、監督さんの相方はずいぶんと遅いな」

 俺が野球知識のジェネレーションギャップに驚かされていると、隣の男がふと思いついたように言った。

「それもそうですね」

 たしかに遅い。女の子の着替えには男にはわからない何かがあるのかもしれないが。いくらなんでも遅すぎる。テニスのときはもう少し早かったはずだ。

「ちょっと俺見てきます」

 俺はベンチを離れ、更衣室につながる通路へ向かった。

「あ、新井!」

 通路をしばらく歩くと、横の方から俺を呼び止める声が聞こえた。声のした方向を見ると、白地に黒のストライプが入ったユニフォームを着用し、小脇に赤いグローブを挟んだマリエルが立っていた。やはり俺がにらんだ通りである。タイガースユニマリエルさんもちょっとボーイッシュなのが入って超かわいい。

「どうしたんだマリエル、やけに遅かったな?」

「いや、ユニフォーム着るのに手間取っちゃって……」

「そんな複雑な衣類じゃないだろ」

「ベルトするのとか慣れなくてね。実は今も着替えに手間取ってる最中なの」

「え、完璧じゃないか?」

 見た感じではしっかり着替えられている。しっかりかわいい。

「この謎の布をどうするかがわからないの」

 マリエルは黒い布を差し出してきた。

「ストッキング?」

 たしかにマリエルはストッキングを履かず、真っ白なソックスにそのままスパイクを履いている。

「これストッキングなの!? 全然形が違うんけど……」

「まあ野球のストッキングは特殊な形してるからな。というか一般的なストッキングとは別物だ。これをソックスの上に履くんだよ」

「野球ってよくわからないスポーツだね……」

「そうだな。どれだけ追い続けても完璧には理解しきれない、実に奥が深いスポーツだ」

「そういう意味で言ったんじゃないんだけど。いや、新井らしいけど。とりあえずこれを靴下の上から履けばいいんでしょ?」

 マリエルは近くにあったベンチに座り、スパイクを脱いでストッキングを履きだした。

「あれ、これって前とか後ろとかあるの?」

「ああ。足かけが短い方が前」

「足かけってどこ」

「ピョロっとしてる部分」

 マリエルは俺の手引きで足かけを発見した。しかしそれを凝視したまま固まってしまった。たぶん足かけが短いタイプのストッキングなのでどっちが短いか判断しかねているのだろう。

「えっと、こっちが前だな」

 俺はマリエルからストッキングを奪い取り、その場で膝間づいた。

「ほら、足出せ。履かしてやるから」

「うえ、あ、うん。って、こ、子供扱いするな!」

 マリエルは一瞬足を出しかけたが、顔を赤らめて足を引っ込めた。

「いや、早くしないと。関西弁の人たちも待ってるし」

「あ、そ、そっか。じゃあ、お願いします」

 マリエルは顔を赤らめたまま右足を差し出してきた。俺はその右足に片方のストッキングをかぶせ、すねの上あたりまでストッキングを履かせた。

「じゃ、次は左な」

「う、うん」

 遠慮がちに返事をすると、マリエルは左足を出してきた。俺は右足と同じようにもう一方のストッキングを左足にかぶせる。

 が、今になって気づく。なんだこの体勢。純白のソックスを履いた左足を投げだす幼女とその前で膝間づき足を取る男。なんなんだこの特殊な趣向を持つ方々が狂喜しそうな状況は。

 違う。俺は断じてそんな趣向の持ち主ではない。たしかに好きなゲームやアニメのジャンル、今までの言動を冷静に分析してみると俺はロリコンなんじゃないかって思うことはあるが、別に幼女に踏まれたいとかそんな特殊すぎる嗜好は持ち合わせていない。いやしかしこの白い布地の奥には小さなかわいらしい幼女の素足があるわけで……。

「ねえ新井、なんかこの体勢ちょっと恥ずかしいんだけど……」

「うお!? うえあ!?」

 なんだ!? 俺、今何考えてた!?

「何、どうしたの!?」

「あ、いや、なんでもない」

 なんか行ってはいけない世界に踏み込もうとしていた気がする。

「とにかく、その、履かせるなら早く履かせてほしい、です」

「お、おう」

 俺はマリエルの顔を見ずに、そしてできるだけ早く左足のストッキングを履かせた。

「お二人さんずいぶん遅かったやないか。何してたんや?」

 ダグアウトに帰って来た俺たちを関西弁は笑いながら迎えた。

「まあ、いろいろと……」

 すごく恥ずかしい思いをしてきました。

「まあなんでもええ。とにかく全員そろったしオーダー決めや! わいがピッチャーやるで!」

「なんでや! 勝手に決めるんやない! わいがピッチャーや!」

「ピッチャーで盛り上がってるうちに四番はいただくでー」

「待てい! 四番はわいって決まってるやろ!」

 関西弁たちは我先にとオーダー表に飛びついた。最初のじゃんけんで決めるという案はどうなったというのだ。

「監督さんはどうするんや?」

 関西弁の一人が喧騒の中から聞いてきた。

「どこでもいいですよ。あ、でもサードしかできないっす」

 まあ、スタメンが残っているとは思えないが。

「サードやな! 適当に書いとくわ」

 関西弁はまた無駄な争いの中に入っていった。健闘を祈ります。

 しばらくして、関西弁たちはひとまずおとなしくなった。オーダーが確定したらしい。関西弁たちに生傷とかはないが、かなりハードな論争になっていた。

 俺は最終決定したオーダー表を確認した。

 一番ライト 真弓

 二番センター 赤星

 三番ファースト バース

 四番レフト 金本

 五番セカンド 岡田

 六番ショート 藤田

 七番サード 新井

 八番キャッチャー 田淵

 九番ピッチャー 江夏

 控え 村山、ウィリアムス、藤川、久保田、景浦、藤村、掛布、マリエル

 タイガースオールスターである。一番の核弾頭から八番のアーチストまで打線が止まらない。先発ピッチャーでさえもノーヒットノーランを自分のサヨナラホームランで達成してしまう。本人であれば。ていうか偽名だろ。この明らかに東洋人ばっかの連中のどこにバースやウィリアムスがいるのだ。そして俺のスタメン空いてたんだな。掛布に反対されなかったのだろうか。すごいなあのおっさんの政治力。

「最強ラインナップやで!」

 名前だけな。

「じゃあオーダー表交換行ってきます」

 ツッコむとたぶん怒られるのでスルーすることにした。

 ホームプレートの後ろに立つ主審の下にオーダー表を持っていくと、向かい側のダグアウトからも一人の男が走ってきた。ムキムキの白人である。怖い。

「お願いします」

 審判を介してオーダー表を交換した。俺はすかさず『流星群』のオーダーを確認する。

 一番ショート 石井

 二番センター 波留

 三番レフト 鈴木

 四番セカンド ローズ

 五番ファースト 駒田

 六番ライト 佐伯

 七番キャッチャー 谷繁

 八番サード 進藤

 九番ピッチャー 野村

 控え 斉藤、三浦、五十嵐、佐々木、中根

「ま、マシンガン……」

 一九九八年、ベイスターズ栄光のマシンガン打線である。よく見るとたしかに目の前の白人は白地に細く青いラインが入った当時のベイスターズホーム用ユニフォームを着ている。

 俺は小走りで一塁ダグアウトに戻り、受け取ったオーダーをチームメイトたちに見せた。

「なんやこれ! ベイスのマシンガン打線やないか! あかん、負けてまう!」

「何を動揺しとるんや。ベイスってつまり元ホエールズやろ? 鯨さんにどうやったら負けるねん」

「いや、このときのベイスはホンマに恐怖なんや」

「ホエールズなんて敵やないで。せっかくの大洋銀行戦なんやから貯金増やしまくるでー」

 ここまで世代間で反応に差があるとは。さすがは三十八年に一回しか優勝できないチームである。

「ねえ新井。ベイスターズって強いチームなの?」

 関西弁たちの話についていけず孤立していたマリエルが話しかけてきた。

「そりゃプロの球団だしな。まああの人たちも本人じゃないだろうけど」

 第一マシンガン打線のメンバーは全員存命中である。

「ふーん。そういえばちょっと気になったんだけど、新井はどこのチームを応援してたの?」

「タイガース」

「え、あの人たちとおんなじ……」

 マリエルは少し低い声で言った。

「おい、何ちょっと引いてんだ。俺はあそこまで自己主張激しくねえ」

 タイガースファンと聞くとすぐ過激な連中だと思われるから困る。ちょっとだけ、ちょっとだけタイガースが優勝すると箍が外れちゃうだけである。

「監督さん、もう試合やで」

「え、あ、はい。そうですね」

 関西弁の言葉でグラウンドを見ると、『流星群』はすでに守備に着いてボール回しを始めていた。『タマちゃんズ』一番の真弓も木製バットを振り回している。

「よっしゃ、ここは史上最強の一番打者であるところのわいが、景気づけに一発打ったる!」

 たしかに真弓はタイガース史上最強の一番打者と言えるだろうがあなたは偽物です。

「プレイボォォォル!」

 甲高い主審の声を合図に試合が始まった。まず初球、『流星群』先発の野村はゆったりとした動きから勢いよく左腕をしならせた。そして直後に爆発にも似た音がグラウンド中に響き渡る。

「スタイィィィック!」

 主審の手が上がり、俺はようやく何が起きたのかを理解した。そう、彼は、野村はストレートを放ったのだ。キャッチャーのミットの位置から察するにおそらくど真ん中だろう。俺はとっさにバックスクリーンの球速表示を確認した。そこには一八〇キロと映し出されている。

「ほ、本家のスペック超えてやがる……」

 軟投派じゃなかったのか野村。お前はオリジナルのスプリットが得意な変化球ピッチャーじゃなかったのか。なんで初球から人類最速をたたき出しているのだ。いや、これは本人じゃないわけだが、それでもこの数字を人間が出せるはずがない。もはや人体改造の域である。

「な、なんや棒球やないか。ボールが止まって見えたで」

 真弓は震えた声で言った。虚勢である。たとえ本当にボールが止まって見えていたとしてもそれはきっと残像である。

 結局、真弓は三振。後続も何の見せ場もなく断たれ一回表の攻撃は終了。つい最近まで部活で野球をしていた元高校球児としてみっともない内野ゴロゲッツーだけは避けたいと思っていたが、その心配はないだろう。この試合、『タマちゃんズ』はランナーが一人も出ることなく終わる。俺も内野ゴロどころかバットにボールを当てることすらできないだろう。むしろ問題は攻撃の後の守備にある。強い打球が来やすいためホットコーナーと呼ばれるサード守備で、はたして俺の体は持つのだろうか。

「監督さん、守備つくで!」

「そうですね。でもこの試合は早々に放棄して次に切り替えた方がいい気がします」

「何をあきらめとるんや! 試合はまだ始まったばかりやで!」

 ピッチャー用のグラブを右手にはめたおっさんは左の親指を立てて笑った。あんたにこの筋肉マンどもを抑える自信があるのか偽江夏。

 攻守交代が終わり江夏はゆっくりとマウンドに登った。俺もサードで若干腰を引かせながらも前傾姿勢で構える。一番、石井という名の大男が左打席に入り、高らかにプレイボールが宣言された。一球目、江夏は大げさなワインドアップから小学生みたいに残念なフォームでスローボールを投げる。コースは真ん中低めストライクゾーン。石井はボールをぎりぎりまで引きつけ、紙を切るような静かな音でバットを振りぬいた。快音とともに打球は俺の視界から消え、後ろから響く鈍い音につられて振り返ると、白球がバックスクリーンから静かに落ちていくのが見えた。うん、これからもサードに打球は来ない。全部ホームランになると思う。

「すまんすまん、ちょっとボールがすっぽ抜けたわ。次は抑えるでー」

 江夏は左手を振ってアピールした。間違いなく実力の差ですよ。

 案の定、打球はすべてホームランになった。打者二巡して計十八本のホームラン。三巡目からホームラン競争に飽きたのか石井からの三人は見逃し三振でやっと一回裏終了である。むしろこれだけ打ち込まれても弱音を吐かずにストライクを投げ続けた江夏を評価したい。

「しかし、最近のプロ野球にはすごいのがおるんやな」

「そうですね。誰も本人じゃないですけどね」

 現在は三回裏が終了したところだ。俺はダグアウトで茫然とスコアを眺めている。ちなみに言っておくが俺の打撃成績はもちろん三振である。一三〇キロだって打席では見たこともないのにあんなん打てるわけがない。江夏は打たれ続けた結果、完全に燃え尽きてしまっている。江夏さん、マウンドを意地でも譲らなかったあんたは男だったぜ。

「久々に降りて野球観戦でもしよかな」

「そうですね。降り……降りる!?」

 俺は思わず聞き返してしまった。

「せや。現世に戻って神巨戦でも観戦しよかなって」

「いや、現世に戻るって、そんなことできるんすか!?」

「簡単にできるで。監督さん知らんのか?」

 関西弁は何を今さらといった感じで言った。

「マリエルさん、そんなこと聞いてないんですが?」

 今度は手持ち無沙汰にグローブをいじるマリエルに聞いた。

「あ、忘れてた」

「忘れるなよ。大事なことだろ。え、じゃあ何? 戻れんの?」

「神様の許可があればね。戻れるって言っても、霊体になって現世を見学するって感じだけど」

「なるほど」

「何か見たいものがあるの?」

「そりゃあまあ、いろいろな」

「ふーん。ちなみに女の人の着替えとかはのぞかせないから」

「そ、そんなん見るか! そんな考え脳みその片隅にもなかったわ!」

「どうだか。新井は変態だもん」

「変態じゃねえ!」

 たしかに変態的な発言は多いかもしれないがそんなのは軽いジョークじゃないか! 何でもかんでもセクハラに分類するんじゃねえ!

「二人で盛り上がってるとこ悪いんやけど、監督さんに話があるゆうて審判が来とるで」

 ベンチにふんぞり返って座っていた関西弁が話しかけてきた。ダグアウトの外を見ると、スポーツサングラスをかけた主審が立っていた。

「なんですか?」

「はい、もう次の回でコールドにしないかって向こうのチームから提案がありまして。そうしてくれると私たちとしても、ねえ……?」

「ああ、そうですね。俺もそろそろ頃合いだと思ってました」

 現在のスコアは0‐36。二回以降の『タマちゃんズ』の守備では9点ずつ取られた。もちろんすべてホームラン。審判たちもこんな試合はさっさと切り上げて帰りたいのだろう。むしろコールドの提案が遅いくらいである。

「なんでや! まだまだ逆転できるで!」

「どんな逆境ナインですか」

 これから逆転したらスポ根じゃなくてギャグ漫画である。

「そういうことで、こっちはコールドでいいですよ」

「わかりました。では伝えてきます」

 主審は会釈をして向かい側のダグアウトに走って行った。

「とりあえずこれが最終回なんで、こっから代打攻勢で行きます」

 つまり思い出代打である。

「最初のバッターは、そうだな。真弓に代えてマリエル」

「え、私!?」

 急に指名されたマリエルは目を丸くして驚いた。

「わ、私、打ち方なんて知らないよ?」

「じゃあ簡単に教えよう。手はどっち利きだ?」

「右」

「じゃあ右打席の方がいいかな。バット握ってみてくれ」

「えと、こんな感じ?」

 マリエルはバットラックから一本木製バットを取り出し両手で握った。

「手が逆だな。右手が上だ」

 マリエルは言われた通り手を入れ替えた。

「そっから足を広げて、膝を少し曲げて、そんでもって右肩よりにバットを立てて構えればだいたいそれっぽくなる」

「こう、かな?」

「ちょっとバットを引きすぎだな。こう、もうちょっと腕をたたむ感じで」

 俺はマリエルの手をつかみ、微調整をする。

「え、あう、うん……」

「あんまり恥ずかしがらないでくれ。こっちも恥ずかしくなる」

 後輩に指導するときは何も思わないのになんで女の子だとこんなに恥ずかしくなるんだ。

「まあ、こんなもんだろ。あとは適当に振ったらいいと思う」

 本当はインサイドアウトとかスイングの仕方を教えたかったが、これ以上は俺の心臓が持たない気がする。女の子の体はどこを触っても凶器です。

「じゃあ、行ってきます……」

 マリエルはヘルメットをかぶり、ゆっくりとダグアウトを出て右打席に入った。主審が試合再開を宣言した。マリエルはバッターボックスの少し後ろで俺の教えた通りに構えた。少し間を開けて相手の野村が投球モーションに入り、腕を勢いよく回した。マリエルは野村が投げるとほぼ同時にバットを振り始め、次の瞬間に乾いた音がドームにこだまする。

「……マジで?」

 マリエルは振り切った体勢を崩さずに無人のスタンドの方向を見ている。俺は打球の位置を確認しようとスタンドを見渡した。白球の位置をとらえたときにはライトスタンドからプラスチックのベンチにものが当たる音が聞こえた。

「一八〇キロを逆方向にホームランって……」

 落合もびっくりの流し打ちである。マリエルは主審に促されてダイヤモンドを一周して帰って来た。

「嬢ちゃんやるやないか! 見直したで!」

 マリエルはダグアウト前で関西弁にハイタッチで迎えられた。全員とハイタッチをすると、マリエルは俺の前に歩み出てきた。

「新井! やったよ!」

「ああ、おめでとう! すげえな!」

 というかすごすぎる。とんでもない壊れ性能である。

「えと、だから、ほめてくれると……いや、なんでもないです」

 マリエルは下を向いて小さな声で言った。ここで『え、なんだって?』とか聞き返せる俺ではない。

「う、うむ。よくやった」

 俺は横を向きながらマリエルの頭に手を乗せた。

「よっしゃ! 乗ってきたでー! まだまだこの試合、逆転あるで!」

 すっかり息を吹き返した『タマちゃんズ』であったが、代打の景浦、藤村、掛布が三者凡退に終わったのはその直後であった。



「いやー、今日は楽しかったで監督さん! ありがとう!」

 すっかり夕焼け色に包まれたドーム球場の前で関西弁のおっさんは言った。本当に面白かったですか、あの点差で?

「いえ、こちらこそ。急に誘ったのにありがとうございます」

「ええってええって! またなんかあったら誘ってや! ほなな!」

 ハッピ集団は手を振って帰っていった。

「それじゃ、俺たちも帰るか」

 俺は横で大きく手を振りかえしているマリエルに言った。おっさんたちとはホームラン以降仲良くなったらしい。

「うん!」

 マリエルは元気に返事した。

「おお、機嫌いいな。野球楽しかったか?」

「うん! 野球って楽しいね!」

「それはよかった。野球好きとしてもうれしい限りだ!」

「新井は全然活躍してないけどね」

 マリエルは勝ち誇ったように言ってきた。

「うっせえ! あんなん簡単に打てるような人間いるか!」

 プロ野球選手やメジャーリーガーでもそうそう打てるものではないだろう。

「でも私は打てたよ?」

「お前は人間じゃなくて天使だからだろ」

 天使なら打てるというのもよくわからない話ではあるが。

「あーあ、トスバッティングだったら活躍できたのになあ」

「トスバッティングって?」

「誰かにボールをトスしてもらって打つやつ。絶妙なバットコントロールで左右に打ち分けられるから後輩に『トスバッティングの隼人さん』なんて呼ばれてたんだぜ!」

「よくわからないけど、それたぶん貶されてるよ」

「そ、そんなわけあるか! 俺は後輩から慕われてたんだよ!」

 練習の合間には向こうから積極的に話してきてくれて焼きそばパンやらコーラやらを買いに行ってあげていたんだ! ……あれ、俺パシられてない?

「そういえば、新井は生前どんな人だったの?」

「どんな人って、こんな人だろ。生前から死後まで何一つ変わってない」

 健全な男子高校生である。

「まあ変態なのはだいたいわかるんだけど」

「だから変態じゃねえって言ってんだろ」

「野球してた、とか以外に新井のことあんまり知らないなあって」

 マリエルは俺の主張を華麗にスルーして話を続けた。

「そういわれると説明しづらいな。というか野球部員以外のアイデンティティが思いつかんぞ」

 予想以上に何もない人生である。これは審判のときに神様が言った『ほんとに何もない人生』というのはあながち間違っていないのかもしれない。

「あ、じゃあ新井がどんな人だったか、現世に降りて見てみようよ!」

「本人が死んだ後じゃ意味ないんじゃねえか?」

「大丈夫だよ! 新井がよっぽど外部とは関わらない生活をしてない限り、周りにはまだ影響が残ってるはずだからね!」

「それ残ってなかったら逆に悲しいな」

 俺はそんなに外との接触を拒んでいなかったはずである。

「まあそうだな。俺が死んだあとに周りがどうなったのかとかは気になるな」

「でしょ? だから今度行ってみようよ!」

「ああ。まあ、その前に防衛軍の訓練が週六であるんだけど……」

 さぼりたいところだが、そんなことをすればゴリエル少佐に殺されるよりひどい目にあわされそうである。

「私はいつまでだって待つよ。時間はいっぱいあるからね」

「そうだったな」

 俺は笑って答えた。そう、家康がムキムキの天使と四百年近く過ごしていると考えれば、二人でいる時間は無限にあるといっても過言ではない。

「じゃあ、そろそろ帰ろうぜ」

「うん」

 俺とマリエルは横一列になって、ゆっくりと歩き出した。

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