天国関ケ原
天国の長い樹海を抜けると、中世ヨーロッパであった。
いやまじで。
まさに海外旅行なんかのテレビ番組で特集されそうなレトロな街である。
時代錯誤だし地理錯誤だし。
俺の斜め前を歩くマリエルさんはお人形さんみたいな素晴らしいお顔立ちをしているのでこの風景とよく合うのだが、日本の男子校の学ランを着た生粋の日本人である俺は場違い感が半端じゃない。
「なあマリエル……」
「言いたいことはわかるけど気にしないで」
気になるよ……。
「まあ今さら風景がどうだろうと驚かないけどさ」
アパートの一室と樹海でもう十分おかしかったからな。今さら何が出ても驚かないさ。
「ところでどこ行くんだ?」
「一言で言うと総合娯楽施設かな?」
「何、ゲーセンでも行くの?」
「ゲームはない」
「総合娯楽施設のくせにないのかよ……」
「いいでしょ。引きこもってゲームしてるのは不健康だからって、外でゲームしてても不健康だもん。だからここは健康的にスポーツとかのがいいよ」
死んでるのに健康に気を使う必要があるのか? というのはこの際、置いといて。
「要は体動かせってことか。じゃあたとえば何ができるんだ?」
「新井は野球をやってたんだよね。野球もできるけど、あれは人数が必要だからなあ」
「つまり集団競技はできないと」
「まあ、テニスとかかな」
「ああ、テニス……」
「苦手?」
「いや、できるよ」
できないこともないが、野球部員の性なのだろう。体育の授業ではひたすらホームランしてた記憶しかない。
「あ、着いた着いた。ここだよ」
マリエルが突然立ち止まり、目の前を指さした。そこにはこのヨーロッパの雰囲気にはかなり場違いな近代的な建物の並ぶ広大な広場があった。中でも最も目立つのが遠くにあるはずなのにはっきりと形がわかるほど大きな銀色のドーム。ていうか札幌ドームである。
「時代と場所は統一しろよ……それかせめて森とか洞窟とかでエリアを区切れよ……」
ごちゃごちゃしすぎてクソゲーみたいだぞ。
「いろんな施設集めたら、こうなっちゃったらしいの」
「こうなる前にわかるだろ……」
「と、とにかく受付済ませちゃうよ!」
マリエルは早歩きで受付に向かった。俺はマリエルのあとを走って追いかけた。
受付は、ちょうど遊園地のチケットカウンターみたいな感じだった。一枚のガラスを隔て、マリエルと受付のお姉さんが話している。
「あの、テニスをしたいのですが……」
「テニスですね。シングルスかダブルスをお選びいただけますが」
「だって。どっちにする、新井?」
「シングルスだとあれか。マリエルと二人でカップルのごとき幸せな時間を送れるのか」
二人仲良くボールを打ち合う姿を想像してみる。うん、萌える。
「私やらないけど」
「なんで!?」
「だって私はあくまで新井の世話係であって遊びに付き合う必要はないし」
「冷てえ!」
「やるとしてもダブルスだね」
「なんでやねん!」
二人っきりの時間はどうした!
「だって二人っきりじゃ何するかわかんないでしょ!」
「どんだけ信用してねえんだよ!」
だから紳士だと言ってるのに! どうやら完全に警戒されているっぽい。マリエルは敵を威嚇する猫のようなまなざしで俺をにらみつけている。
「わかったわかった。ダブルスな」
仕方ない、ここは俺が折れよう。俺は寛容な人間なのだ。
「結局、私はやらなきゃいけないんだ」
「そんなにやりたくねえのかよ!」
なんだ!? 俺、嫌われてんのか!?
「わかったわよ。友達のいない新井のために仕方ないから付き合ってあげる」
「余計なお世話じゃ!」
「あ、じゃあ私はいいです」
「すいません! 友達のいない俺のために仕方なく付き合ってください!」
瞬間、俺をとてつもない後悔の念が襲う。うお、自分で言っててすげえ憐れだ。隣のマリエルも憐みのまなざしを向けている。そんな目で俺を見るな!
「えっと、ダブルスでよろしいですね? では着替えのレンタルとロッカーのカギをお渡ししますので、テニスコートに併設されている更衣室でお着替えください。ラケットは更衣室に置いてあるものからご自由にお選びください。対戦相手は現在、チーム『東西無双』様が待機されていますが、『東西無双』様でよろしいでしょうか?」
お姉さんは俺に憐みのまなざしを向けながら淡々と説明をする。だから俺をそんな目で見ないでください。もう心が折れそうです。
「あ、はい、お願いします」
マリエルは着替えとカギを二組受け取り、手続きを終わらせた。
「それでは行ってらっしゃいませー」
お姉さんは丁寧なお辞儀をして俺たちを見送った。
「まったく、ああいうこと人前で言うのやめてよね。恥ずかしいから」
「お前が素直にやると言ってくれていればあんなみじめな思いはしてない」
「とにかく、ああいう恥ずかしいことは今後言わないように」
「俺だって言いたかねえよ」
あんな空気は二度と御免である。
そうこうしているうちに、俺たちは更衣室の前に到着した。
「じゃあ、ここからは男子更衣室と女子更衣室で別れるから、またコートでね」
マリエルは俺に着替えとカギを渡し、女子更衣室に入っていった。
早々に着替えを済ませ、俺はテニスコートのベンチに座っていた。マリエル待ちである。テニスコートは屋外にあり、四面のコートが金網に囲まれている。着替えはポロシャツに短パンと野球帽だった。ラケットは更衣室にたくさん置いてあったが、違いが何一つわからなかったので適当に青いのを持ってきた。そして先ほどから相手側ベンチで何やら話しているのが『東西無双』だろう。小太りのおっさんとすらっとしたイケメンである。どこら辺が無双なのか一切わからん。
一分ほどして、マリエルが更衣室から出てきた。赤いラケットを両手に抱えて現れたその少女は恥ずかしそうに顔を背ける。
「テニスウェアじゃないですか!」
そう、テニスウェアである。テニスウェアマリエルさん。これどうやって羽通したんだ? とか多少気になるけど、そんなことよりテニスウェアマリエルさんである。かなり短いスカートをときどき片手で伸ばそうとしてるところがまた超かわいい。
「うるさい! こっち見るな!」
と、マリエルはラケットを振り回すが、その激しい動きで逆にスカートがめくれてさらに顔を赤らめる。もうこの娘ずっと観察してたい。
「これはこれは、元気なカップルがお相手ですな」
俺がマリエルさんで癒されていると、小太りの男がいきなり話しかけてきた。邪魔すんじゃねえおっさん!
「勝手にカップルにするな! なんで私がこいつと……!」
マリエルさん、そんな全力で否定しなくても……。
「すまんすまん、かわいらしい女の子と、えーと、面白そうな男の子がとても仲良く見えたものでな」
おっさんは快活に笑った。なんで俺のとこで口ごもった、じじい。
「おっさ、あなた方が『東西無双』さんですか?」
「おお、そういえば自己紹介をまだしていませんでしたな」
おっさんはベンチで本を読んでいたイケメンを手招きで呼び寄せると、自己紹介を始めた。
「いかにも、わしらが『東西無双』。わしの名は徳川家康と申す」
「石田三成だ」
「は?」
徳……は? あの徳川さんとこの、じゃなくて松平さんとこの元康くん? 同姓同名の別人?
「ん? 歴史の授業とかで聞いたことないかね。江戸幕府の初代将軍」
「いや、その徳川さんは知ってますけど……」
「それ、わしそれ」
「なんでこんなとこいるんですか!?」
徳川家康が天国でテニスやってるってどんな状況だよ! しかもテニスウェアだよ! 確かに狸っぽい外見だけどこの格好じゃそこら辺にいる普通のおっさんだよ!
「ていうか、なんで石田三成……さんと組んでるんですか? 関ヶ原で殺しあった仲じゃないですか」
なんで仲良くテニスなんてできんの? 死後の世界ってだいたいこんなもんなの?
「いやいや、わしらがいがみ合っていたのは関ヶ原まで。今ではすっかり仲良しじゃよ。な、三成殿!」
「まったく、よくしゃべる狸だ……」
三成はため息交じりにつぶやいた。
「三成殿? 今のは……」
「すまん、本音が出た」
「本音!? 本心からそう思っていたのか!?」
「冗談だ。貴様がなんだかんだでしょうもない死に方するよう密かに呪っていたことなどもう四百年も前のこと。今では裏でこそこそ動いてしか勝てない狸など眼中にない」
「そんなことまでしていたのか!? というか関ヶ原のことをまだ根に持っているのか!?」
仲良くはないらしい。そして三成、重い男だ。そりゃ福島正則も東軍につくわ。
「なあ、偉人ってもっといたりすんのか」
未だ口げんかをしている天下を分けたはずの一般人のような元戦国武将を横目に見ながら、その口げんかを苦笑いして見守っていたマリエルに問いかけてみる。
「うん。私が知ってる限りでは本多忠勝とかがいるよ。あと、カエサルとか」
「ああ、結構いるんだな」
心なしか戦人ばっかな気がするのは気にしないでおこう。
「貴様と話していてもつまらんな。さっさとテニスを始めるぞ、家康」
三成が口げんかを半ば強制的に止めた。
「ぐぬぬ、承知した。では関ケ原の決着はこのテニスで決めようぞ!」
「なんか知らんが巻き込まれた!?」
知らないうちにどんどんイベントが進行してやがる。選択肢を選ぶ時間すら与えてくれないんだけど。
「では始めるぞ家康! おい小僧、貴様らからサーブしろ」
三成がポケットから出したボールを俺に放り投げた。
「待て! なんであんたらの決戦なのにあんたら同じチームなんだ!?」
「貴様は馬鹿か! 俺と家康が分かれてはどちらがその天使を味方につけるかでまた別の争いになるだろうが!」
「そうだ! 少しは考えろ青年!」
「俺らの参加がいつの間にか確定してる上に俺はお荷物扱いかよ!」
こいつらわがままだし失礼すぎだろ。そして馬鹿はお前らだ。それじゃ決着つかねえだろ。
「仕方ない。やるぞマリエル!」
「え、ほんとにやるの!?」
「いや、なんか理屈とか通じそうにないし、もう今さら抜けられそうにない感じだし、抜けたらなぜか怒られそうだし……」
あの人たち同じチームなのに火花散ってんだけど。ここで『じゃあ俺たちはそろそろ……』とか言って帰ろうとしたら二人の罵詈雑言の嵐に見舞われ、なんだかんだで結局やるはめになるのは目に見えている。
「じゃあ、とりあえずサーブはマリエルに任せる」
「なんで!? 新井がやればいいじゃない!」
「俺がやってもいいが、なぜか柵越えの特大ホームランを打ってるかもしれんぞ」
なんでだろうね。野球の試合じゃ打てないのに。
「力を抑えればいいじゃない……」
「マリエルはやりたくないのか?」
「やりたくないっていうか……サーブってジャンプしたりするからスカートとか、その……」
「……任せたぞマリエル」
「な、なんでよ! さっきの聞いたでしょ!」
「むしろ聞いたからだ」
「変態宣言しちゃった!?」
中身というより恥ずかしがりながらサーブするマリエルが見たい! だから変態じゃない!
「ていうかさっさとしないと相手コートからラケットが飛んでくるぞ」
敵陣を見ると三成が今にもぶち切れそうな表情でこちらをにらんでいる。
「わ、わかったわよ! やりゃいいんでしょ!」
マリエルはぷりぷり怒りながらボールを受け取り、サーバーの立ち位置についた。レシーバーは家康だ。マリエルはボールを高々と投げあげ、スカートをひらひらさせながら素早くラケットで打ち込んだ。テニスはよく知らないが、なんか『上手い人』って感じのサーブである。ボールは敵陣でワンバウンドし、家康が打ち返す体勢に入った。
しかし次の瞬間、視界の端になぜか三成が飛び込んできた。そして三成はラケットをフルスイング。それも、家康のでかい尻に向けて。
「のあぁぁぁぁぁッ――――――――!」
広いテニスコートにこだまする悲痛なおっさんの叫び。今にも高笑いしそうなイケメン。サーブを打った状態から固まっている天使。その光景はシュールの一言に尽きる。
「すまん、ボールと間違えた」
三成は笑いをこらえながら言い訳した。三成、黒い男だ。そりゃ小早川秀秋も寝返るわ。
「ぐ、次はこうはいかんぞ、三成殿」
「なんのことだかさっぱりわからんな。それではまるで俺がわざとやったみたいではないか」
テニスとはまったく関係ないところでの戦いが始まっているらしい。
「新井……なんか……」
「ああ、たぶん俺たちがいる意味ないな。でも帰ったら怒られるんだろうな」
理不尽すぎる。
「はあ、やっぱり続けなきゃいけないのね……」
マリエルはため息を吐きながらまたサーブを打つ準備をした。三成と家康もそれぞれの定位置についているが、家康は三成をめちゃくちゃ警戒している。
マリエルがサーブを打つと、家康はそれを俺の前に綺麗に打ち返してきた。その間、三成に大した動きはなし。さすがに三成も同じ手で襲い掛かろうとはしない。というか今さらだが戦国武将の癖になんでこんなテニス上手いんだ?
まあとりあえず俺の前にボールが飛んできたので打ち返さなければならない。俺はラケット、いやバットを思いっきり後ろに引いた。そう、これが俺の、どこぞの王子様がやるような必殺技の準備なのだ。
「いくぜ! 一本足打法!」
一本足打法とは、世界のホームランキング、王貞治のバッティングフォームである。右足を大きく上げ、一気に踏み込むことで力を倍増させる恐るべき技なのだ! 俺は残念ながら右打者なので左足を上げるが。
「ふはは! これで終わりだ!」
俺は左足を地面にたたきつけ、ワンバウンドのテニスボールをジャストミートする。真芯で捉えた!
ボールは高く舞い上がり、美しいアーチを描きながら、柵を越えた。ホームランである。
「よっしゃ! ソロホームランで一点!」
「新井、ルールが違う……」
「はっ、いつの間にか野球になっていた!」
うお、気が付くとラケット投げてダイヤモンドを悠々とまわる体勢に入っている。
「ふざけるな小僧! これは俺と家康の真剣勝負なのだぞ!」
不意打ちして真剣とかいうなよ。というかもうあんたらのは勝負ですらないよ。小学生同士のけんかより低レベルだよ。
「まあいい、さっさと続けるぞ。次はふざけるなよ」
「いや、ふざけてるつもりはないんですがね……」
条件反射というかなんというか。
「まあ、次から気を付けます」
その後、俺たちの死闘は長い間続いた。家康、三成がお互いをだまし打ってはだまし打たれ、謀略の限りを尽くした絶望的なコンビネーションによって繰り出されるミスは俺たちに無条件でポイントを与えた。そして俺のツイスト打法や種田打法によるホームランもまた相手にポイントを与え、まともにテニスができるのはマリエルだけという不毛で泥沼な一進一退の攻防が無意味に繰り広げられたのだ。
「家康! 貴様が足を引っ張るから決着がつかないではないか!」
「なっ、足を引っ張っているのは三成殿ではないか!」
どっちもどっちである。
「というか、貴様がしっかりテニスをしないのが問題だ!」
三成は突然こちらを向き、俺を指さした。
「え、何その責任転嫁!?」
いや、確かにまともにテニスをした自信というのはこれぽっちもないけど。
「そうだ青年! 君が悪い!」
「そっちからも責められんの!?」
おいなんだこいつら。自分より何百歳も年下の学生に責任擦り付けてるぞ。
「これは正義の鉄槌を下さなければならないな! やるぞ家康!」
「待て待て待て、なんでそうなる! マリエル、こいつらに何とか言ってくれ!」
「まあ、何度注意してもホームランし続けた新井にも責任はあるよね」
「マリエルすら味方してくれねえのか!?」
これじゃ二対一じゃねえか! ああ、今なら関ヶ原で毛利秀元が出陣してくれると思っていたのに吉川広家のせいで結局傍観を決め込まれたときの三成の気持ちがわかる気がする。その三成と家康が今回なぜか共闘しちゃってるんだけど。
「……まあ、テニスに連れてきたのは私だし、新井のお世話が私の仕事だし、今回だけは味方してあげるけど」
「マジか! マジですかマリエルさん! 恩にきるっす!」
俺はうれし泣きしながらマリエルの腕に縋り付く。マリエルさんマジ天使!
「ふふふ、もっと私に感謝しなさいな」
マリエルは嬉しそうに胸を張った。
「ふ、小兵が何人いようが我らの敵ではない!」
三成はこれでもかと挑発してくる。お前なんで突然、家康と仲良くなってんだよ。
「三成殿と共闘とは久しぶりでござるな。確か小田原の山中城攻略が最後だったか」
「俺はそのとき忍城だ。というか小田原攻略を思い出させるとは、俺への嫌がらせか?」
「そう言えば三成殿の忍城水攻めは失敗でしたな、ははは」
「貴様、やはりわざとだろ……」
仲良くはなってないらしい。
「まあ家康が嫌味を言ってくることぐらいは想定済みだ。奴はあとで屠る」
「ははは三成殿、我らはもう死んでますぞ」
と、家康が馬鹿にしたように笑うが、三成は家康を無視して続ける。
「それより貴様ら、さっさと始めるぞ。サーブは俺からだ。小僧、貴様がレシーブしろ。一点先取の一球勝負だ!」
「おい、ずるいだろ! 俺がレシーブじゃサービスエース確定じゃねえか! あんたそれで勝ってうれしいのか!」
あはは、我ながらかなり虚しいこと言ってるぞ。
「戦にずるいも何もない。勝てばいいのだ!」
「戦じゃねえ!」
戦なら二人で勝手にやっていてほしい。なんかもうすげえめんどくさくなってきた。適当に終わらせて帰るか。
「なあマリエル、もうちゃっちゃと負けて帰らねえか?」
俺はマリエルに耳打ちした。しかしマリエルは険しい表情で俺に顔を向けた。
「何言ってるの新井! こんなに言われてすごすごと帰るわけにはいかないわ!」
「お前こそ何言ってんの!?」
序盤は帰りたがってたじゃん! なんでこんなタイミングで負けず嫌いが発動するんだ!? 小兵か? 小兵って言われたのが原因か!? 確かに全体的に小さいけどそこがいいんだろ!
「新井、絶対レシーブしてよね。そしたらあとは、私が決める」
マリエルは決め顔で言った。
「マリエルさん、さっきまでの俺のレシーブ、もといバッティングを見てからそれを要求してください」
「簡単だよ。ラケットの面を正面に向ければいいの。さっきまでの新井のレシーブを観察してたら、ラケットが異様に斜め上を向いてた」
「それじゃ弾道が下がるだろ!」
正面のライナーになっちゃうじゃないか! いや、まさか強襲のヒットにするのが狙いか?
「下げなよ! さっきまでのあれをバッティングだと自覚しているなら変えなよ!」
「うお、いつの間にかまた野球で考えていた!」
なんだ、ちょっと気を抜くと野球本位で物事を考えてしまうぞ!?
「貴様らの漫才に付き合っている暇はないのだよ! 早く位置につけ!」
三成の怒号に驚き、俺とマリエルはあたふたとそれぞれの定位置についた。
「ふはは、では俺の完璧なサーブに震えるがいい!」
三成は俺たちが構えるのを見ると、そう前置きして、叫んだ。
「この一球は絶対無二の一球なり!」
「どっかで聞いたことあるすごそうなテニスの名言を戦国武将が叫んでいる!?」
三成はそんな俺のツッコミを無視してボールを高く投げあげ、勢いよく叩きつけた。打球はすごい速さでこちらに向かってくる。俺は反射的に神主打法で反撃を試みる。
「新井! 面!」
インパクトの直前、マリエルの声が聞こえた。その瞬間、俺はとっさにラケットを握り直した。狙うはピッチャー返しである。
「消えろ家康!」
俺は思いっきりラケットを振りぬいた。ボールはネットのすぐ上を通り越し、家康の前でバウンドする。
「青年、やっと入ったか。だがしかし、その程度ではこの家康は止められんぞ!」
家康はいとも簡単に打ち返してみせた。しかも狙いは俺である。
「あんたらどっちもせけえ!」
確実にこのコンビの穴を狙ってきている。
「かかったわね!」
俺が振り子打法の構えを取った瞬間、マリエルが俺の前に走ってきた。
「あなたたちが新井を狙ってくるのはわかっていたわ! だから私はすぐに新井の前に入れるように準備していたのよ!」
言いながら、マリエルはラケットを大きく引いた。
「ば、馬鹿な! わしの狙いがばれていただとお!?」
家康の驚く声とともにマリエルはボールをインパクト。打球はコンビネーションがまったくダメダメな家康と三成の間を見事に抜け、勢いよく金網にぶち当たった。
「まさかわしらの策が見破られるとは……」
家康は金網で跳ね返り、転がってきたボールを眺めながらつぶやいた。
「新井を狙うのは当然よね。新井は初心者以下でどう考えても穴だもの。でもだからこそ、私は新井に何の期待もすることなくこの作戦を実行できたのよ!」
事実だけど辛辣すぎる。
「ははは、まさに、策士策に溺れる、ですな」
家康は自嘲気味に笑った。お前のは策じゃないけどな。ただ単にせこいだけだからな。それと言葉の使い方、若干間違ってるしな。裏の裏をかかれたんだよ。そもそもお前、裏かけてないけど。
「マリエル殿との戦い、楽しませてもらいましたぞ!」
家康は俺たちに近づくと、ネット越しに握手を求めてきた。礼に始まり礼に終わるのが日本人の精神である。礼に始まってなかった気がするけど。
「あ、ども」
俺は家康に近づき、握手を返そうと右手を出した。
「青年ではない! わしはマリエル殿に握手を求めたのだ!」
「日本人の精神は!?」
少なくとも礼で終われや。
「おぬしは結局役立たずではないか!」
「ストレートすぎる!」
「だいたいなんで青年の天使はこんなかわいいんだ! そっちこそずるいではないか!」
「んなこと知るか!」
「考えてもみよ! 四百年間、筋骨隆々の男天使に甲斐甲斐しく世話される状況を!」
「ああ、それはつらい……」
「もう生き地獄だぞ! いや、もう死んでいるが。天国なのに地獄にいる気分だぞ!」
家康は今までの鬱憤を晴らすかのように強い語気で叫んだ。ストレスたまってんだろうなあ。
「家康様、仕事の時間です」
小太りのおっさんによる演説がひと段落した直後、テニスコート内に低い男の声が響いた。声の主を見てみると、サングラスと黒いスーツを着用して背中に白い羽を生やした個性的な外見のでかい男が二人立っていた。
「資源対策会議がもうすぐ始まります」
「今はそれどころではない! わしはマリエル殿と話がしたい!」
「はいはい、さっさと行きますよ。資源問題は一刻を争うのです」
男は家康をずるずると引っ張っていった。三成もため息を吐いて男についていった。
「ああ、わしのマリエル殿ぉ!」
「あんたのじゃない」
俺の妹は絶対にやらん!
「というかこういう資源分配は三成殿が得意なんだから全部やってくだされ!」
「うるさい。面倒なのだよ。貴様も道連れだ」
なんだかんだでこいつら仲いいよな。
「ところでマリエルさん、相手がいなくなったわけですが」
家康と三成と男二人がコートを出ていくのを見送ってから切り出した。辺りはすでに夕焼け色。かなり遊んでいたらしい。まあ時間の無駄遣いでしかないデュース合戦もあったからな。
「この後どうするんだ?」
「うーん、結構動いて疲れちゃったからな」
「ああ、どっちかというと運動よりもあの二人の相手するのに疲れたんだけどな」
あの人たち自分勝手すぎて余計疲れた。マリエルも疲れて眠くなってしまったのか、まぶたを何度もこすっている。
「もう今日は休むか。マリエルも眠そうだし」
「別に眠くなんかない……子供扱いするな……」
むしろ妹扱いしたいぐらいなんですが。
「俺も眠いから休みたいんですよ」
これが数多のゲームや漫画で身に着けた大人ぶっている娘の扱い方である。実践するのは今回が初めてだが。
「まあ、新井が休みたいっていうなら仕方ないね」
成功である。マリエルが単純でよかった。
「じゃ、帰ろう」
俺たちはまた男子更衣室と女子更衣室に分かれ、帰り支度を始めた。
更衣室前で合流した俺たちは、受付に着替えとカギを返し帰路についていた。
「あれ、そういえばマリエルはどこで寝るんだ?」
また眠そうにまぶたをこすっているマリエルを眺めながら、ふと思ったことを聞いてみる。
「え、家だけど?」
「家ってどこの……?」
「ここに来る前にいたじゃない」
「……え、じゃあマリエルさんは俺と寝るんですか!?」
よっしゃマリエルさんと同じ部屋! マリエルさんと同じベッド!
「そう……じゃない! 違う! 違うくて!」
マリエルは慌てて否定する。まあ、どうせ違うんだろうなとは思ってたよ。
「家は一緒だけど部屋は別々で、だから一緒とかじゃなくて!」
「おお、ひとつ屋根の下じゃねえか!」
女性とひとつ屋根の下で眠るなんて自分の母親としかなかったので、それだけでも嬉しい。
「だ、だからってなんか変なことしたら、お、怒るからね! ていうか絶対私の部屋にはいれないからね!」
「いやいや、いきなり襲い掛かるなんてことはしないぞ……」
俺はいつからそんな変態になったんだ。
「信用できない」
「そろそろ信用してくれよ! なんだかんだ言って結局、何もやってないだろ!」
「そのなんだかんだ言うのが変態的な発言ばっかりだから信用できないんでしょ!」
納得の理由だ。
「とにかく、私が寝てる間に指一本でも触れたら大変なことになるからね」
「具体的に何するんだ?」
「や、矢で刺す」
「ああ、それはほんとに大変なことになる」
殺傷能力が高すぎる。刺す場所によっては死にかねない。いや、もう死んでるけど。
「もう、新井はほんと馬鹿なんだから。私、先に帰るよ」
するとマリエルは羽を広げ、スピードを上げて低空飛行を始めた。
「うおい、待てマリエル! 俺は帰り道わかんねえんだよ!」
「新井なんかずっと迷ってろ。私がいないと何にもできないんだから」
前を飛ぶマリエルを、俺は走って追いかけた。俺は道に迷うことなく、家にたどり着いた。