8 慰められて、絆されて
頼むから、違うと言ってほしい。
切にそう願っても、次の瞬間に期待はあっさりと裏切られる。
彗が恐る恐る訊ねたのに対し、ルチアは表情一つ変えずに平然と答えた。
「ああ、そうだ。国名であるエグザミィを名乗ったのだ、わかるだろう」
あまりに衝撃的すぎて絶句した彗に代わり、横に佇むアレイストが口を開く。
「わからないのかもよ。だってほら、いまにも窒息しそうな顔してるもの」
「そうなのか? まさか、我が国のことをなにも知らないのではあるまいな?」
ルチアが返答を求めて彗を見つめる。
彼女は黙っていた。答えようがなかったのだ。この世界については、ほぼなにも知らないに等しい。シュナイダーは、どういうわけか、喋りたがらなかったのだ。物心つく前は色々話してくれたらしいが、彗や勘解由が幼少期になり記憶力が向上し始めた頃には、シュナイダーは自分の生まれた世界について話そうとしなくなった。
なにを訊いても、はぐらかされる。答えてくれても、ぼかされる。
おそらく都合の悪いことがあるのだろうな、とは感じていた。シュナイダーは隠し事をするには向いていない性格なので、嘘をつこうとすると眼が泳ぎ口調もたどたどしくなり、すぐわかるのだ。
これまで幾度となく彗と勘解由で探りを入れ、この世界についての情報を少しでも引き出そうと尽力してきた。
その中で幾つか知り得たこともある。だが、裏付けがない。
だからルチアに対して、現状では明確に答えられなかった。
ただ、一点はっきりと言えることがある。
シュナイダーは『いずれは元の世界に帰らなければいけない』らしく、そのときは家族も一緒に行くという大前提があったため、コミュニケーションがとれるように、と言葉と文字は物心つく前から教え込まれてきた。
しかしこの件については、ルチアにもう伝えてある。
あとはいま彗が話せることはない。
彼女が険しい顔で口を噤んでいると、ルチアはそれを無言の肯定と判断したらしく、重々しい表情で溜め息を吐いた。
「叔父上が実の娘になにも話していないとはな……」
「そう意外でもないけどね」
アレイストがつまらなそうに言う。
「僕なら話さないな。せっかく別の世界で幸せ家族しているのに、元の世界のことを話す必要なんてないでしょ」
「必要はあるだろう。叔父上だって、遠からず呼び戻されることは承知のはずだ」
「話して、嫌がられたら?」
ルチアがグッと言葉に詰まる。
アレイストは飄々とした口調で続ける。
「常識が異なり、法律が違って、未知の生物がいて、どんな危険に脅かされるかわからないんだよ。おまけにシュナは自分の身上も伏せていたみたいだし。スイはどう? こんなこと打ち明けられて、この世界に来たいと思う?」
急に水を向けられた彗だったが、答えには迷わなかった。
「……思わない。できることなら、来たくなかったよ。でも」
家族がバラバラになることは考えられなかった。
だから、覚悟はしていた。いつか地球から離れる日が来るのだと。
とはいえ、その日が来なければいい――とも考えていた。
地球で、日本で、ささやかなりとも普通の生活で幸せだったから。
その幸せが一瞬で打ち砕かれたことを、今更ながら思い知る。
もう二度と、学校に通うことも、友達と会うこともできない。遠く、あまりにも遠く、かけ離れた異世界に来てしまったのだから。
日常が失われたことがひどく悲しくて、眼から涙が溢れた。彗は俯いて、手で顔を隠した。
アレイストが「泣かないで、スイ」と慰めの言葉をかけてくる。
「僕がいるよ」
アレイストは膝を折って地面に屈み、強引に下を向く彗の視界に割り込む。
「僕が、スイのためになんでもしてあげる」
彼のその声は、これまでと少し違っていた。からかうでもなく、面白がるふうでもない。不器用な労わりを感じさせる、優しい声だ。
彗は片腕だけ下ろして、アレイストの眼を見て訊いた。
「なんで……?」
すると彼は不思議そうに首を傾げた。
「うーん……なんでだろうね。僕にもよくわからないや。ただ、どうしてかな。君の涙を見ても、最初に会ったときほど面白くない。嬉しくないんだ。それより、泣き止んで、僕を名前で呼んで。また頭を撫でてほしい。そうしてくれたら、約束通り、この世界で過ごす時間が君にとって有意義なものになるように、僕は力を尽くすよ」
「……よくわからないのに、なんでもするなんて軽々しく言っちゃだめだと思う」
「でも他にどうすれば君の涙を止められるのか、僕にはわからないよ」
アレイストは本当に困り果てているようだった。器用に膝を抱え込んだ姿勢で彗を見上げる様子は、小さな子供みたいだ。
彗は手の甲で目元を擦り、涙を拭うと、手を伸ばして彼の頭を撫でた。すると彼は気持ちよさそうに金色の眼を細めて、されるがまま、おとなしい。
彼女は知っていた。触れられることを望むのは、寂しいからだと。
「アレイスト」
名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「もう一度呼んでよ」
「アレイスト」
「なあに?」
甘えた表情を浮かべる彼の頭から彗が手を退かすと、アレイストは途端に悲しそうな顔をした。
だが彼女が手を差し伸べると、彼は躊躇い、ややあっておずおずとその手を取って、引かれるまま立ち上がる。
彗はアレイストと手を繋いだまま、ニコリと笑って言った。
「慰めてくれてありがとう。その気持ちが嬉しかったよ」
「……笑った……」
「え?」
「すごい。スイが僕に笑いかけてくれた」
アレイストは感極まったようにそう呟いて、次の瞬間、彗を抱きしめた。
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