ヴァイス
翌朝、ヴァイスは現金箱の蓋を開き、昨夜数えた硬貨へ指を置いた。
薄い金属の縁は変わらず揃っていた。底の紙も濡れておらず、箱の留めに触れた時、ようやく肩の力が抜けた。打ちつけた肩はまだ重かったが、動かせば我慢できる程度だった。
戸が鳴ったので、蓋を閉めて鍵を回した。
「返事を預かってきました」
灰色の上着を着た荷受けの男が、封をした紙を差し出した。短く刈った顎髭の下に、夜道の土がついている。
ヴァイスは中を読み、相手を部屋へ入れた。三叉の担当へ照会した返事だった。使える倉と荷の置き場所に加え、人手を求める先からの条件が書かれていた。
「まとまった人数なら、向こうも受けると」
「職人もいる。家族ごと運べれば、逃げる理由も減る」
男が頷き、紙の余白を指した。
「商会の受入先と違いますが」
「現場で調整する。荷役の受領印と、こちらの指示書を揃えておいてくれ」
本人たちが何と言うかは、そこに書き込まなかった。仕事を求めて来た者なら、行き先で働けると聞けば納得する。そう考えかけ、ヴァイスは昨夜の荷夫の声を思い出した。
部隊の記号を覚えていると言っていた。
あの男がどこまで知っているかは分からない。自分の名を口にしたわけではなく、昔の荷の話をしただけだった。それでも、荷の印から倉へ、倉から部隊へと辿る者がいないとは言えなかった。
「名前はこちらで揃える。先に担当の印を頼む」
男を帰すと、ヴァイスは机の上の紙を順番どおりへ戻した。妻からの手紙は、荷の書類に触れない端へ置いた。
息子は自分で仕事を選ぶつもりだと書いてあった。妻の字には心配があり、その隅に添えられた短い文には、返事を待つという素直さが残っていた。
ヴァイスは頬を緩めた。幼い頃、息子が木の匙を握り、何を言っても放さなかったことを思い出す。指を痛めそうで、妻と交代して握りを緩めさせた。大きくなってからも、道具を持つ時に同じ力み方をする。
帰ったら、顔を見て話そうと思った。便りだけでは、反対の言葉ばかりが固く残る。
机の脇の現金箱へ目が移った。あの家へ金を送り続けられる限り、自分は家族の行く先を守れる。誰の署名も待たず、どこへ住み、誰に頼るかを決められる。
昔は、そのための金さえ自分で握れなかった。
戦争が始まった頃、ヴァイスは帝国のある部隊に所属していた。ある時期部隊へ食糧が届かない日が続いた。ヴァイスは命令書を持ち、村の穀物倉へ入った。戸口には小柄な農夫が立ち、帽子を胸へ当てて何度も頭を下げていた。
冬の種だと言われたが、命令書には供出と記されていた。受け取った袋の数を帳面へ書き、代金の代わりになる紙を渡した。農夫が紙を読めないと知っても、その場で支払える金は持っていなかった。
「軍の手続きだ。後で出せばいい」
そう言って戸口を空けさせた。自分が奪っているとは考えなかった。袋を運んでいたのも、書けと言われた数を書いたのも、自分の役目に過ぎないと思っていた。
戻った夜、集めた食糧が兵たちへ配られた。鼻の大きな古参兵が干し肉を持ち上げ、黙っていたヴァイスの器へ落とした。
「食えよ。持ってきた奴が食わずにどうする」
腹は空いていた。噛むと脂が舌へ広がり、翌朝まで残すつもりだったパンも、その場で食べてしまった。
頬に深い痘痕のある兵が、受け取らずに席を離れた。誰かが気取るなと言い、その兵の寝場所へ汚れた外套を投げた。ヴァイスは拾ってやらず、自分の器を脚の間へ寄せた。そこに座っていれば、次の分配から外されずに済んだ。
次に同じことが起きた時には、何を渡されるかを先に見ていた。
赤毛で前歯の欠けた兵が、妻のために布を残すと言った。ヴァイスも家へ送る分を分けた。きれいな布なら、どこで手に入れたかを家族へ説明する必要もなかった。
その兵は後に、街道の斜面で矢を受けた。笑う時に見えていた歯の隙間へ、土が詰まっていた。
運び戻すため肩を掴んだが、身体は力なく傾いた。他の部隊も襲撃を受けていた。そばの町が怪しいという報告が入り、特に確認するわけでもなく兵たちがそちらへ向かう。ヴァイスも剣を持って後を追った。
この町で襲撃者を匿っていると聞かされると、その家の中には食べ物があり、子供が眠る布があると考えると、こちらが泥の上で眠っている時に、と怒りが沸いた。見つからなければ、隠しているのだと思った。
町へ入る前、灰髪の混じる短髪を整えた上官であるハーゲンが、紙の上の道を指した。上官の濃茶の目は、並んだ兵ではなく、渡河点と倉の位置を見ていた。
「道を押さえ、抵抗を排除し、食料を獲得しろ」
ヴァイスは頷いた。実際に何を抵抗と呼ぶかは、道へ入った兵が決めた。
通りでは、すでに戸が破られていた。乾いた茶髪の兵が、ある家の入口で止まっていた。肩へ押された手を振り払い、敵ではないと言っていた。
「麦は貰っただろう」
誰かが言い、周囲から笑いが起きた。ヴァイスはその兵が、配られた食糧を受け取っていたのを覚えていた。いまさら降りようとする態度が、ひどく卑怯に見えた。
兵は動かなかった。殴られて壁へ当たり、それでも中へ入ろうとしない。ハーゲンは少し離れた所から見ていたが、止める命令を出さなかった。
そこで立ち止まることもできた。
ヴァイスは兵の脇を通り、家へ入った。栗色の髪の男が作業台の前へ立ち、手を広げていた。武器はなかったが、兵の肩を押し返したので、ヴァイスは殴った。
男が倒れると、青い袖紐をつけた女がそちらへ手を伸ばした。ヴァイスは靴でその手首を押さえた。離せという声が足元から上がり、奥で子供が泣いていた。
誰かが自分の名を呼び、火を持ってくるよう言った。ヴァイスは戸口へ戻った。通りへ出てしまうことも、別の家へ行くこともできたが、火を受け取って中へ戻った。
子供の声が大きくなり、兵が苛立ち、殴り床へ倒れ、更に大きな声になった。ヴァイスはそちらを見た後、うるさいなと思い手元の火を下ろした。女は半狂乱に騒ぎ出した。それを見た周りにいた誰かは笑っていた。女が何と言っていたかは覚えている。そしてその母親にその後何をしたかも。
後で、焼けた子供と一緒に男、女ともに道へ捨てたと聞いた。その町ではその日あちらこちらで略奪と虐殺が起きていたが、我々は誰も気に留めていなかった。ハーゲンへ報告する時、報告に書いていない品が懐にあり、ハーゲンも袋の膨らみを見たが、数を聞かずに署名した。ヴァイスは袋を返さず、その夜は布へ包んで枕の下へ置いた。報告には略奪と虐殺の事実は記載されず、抵抗の排除と、建物の焼失が記された。
なぜあんな恐ろしいことができたかは今では分からない。
宿の廊下で足音がして、ヴァイスは机から顔を上げた。
開いた手紙の端へ、指の跡がついていた。指を離し、紙を平らに戻す。窓の外では灰狼の若い剣士が、荷の縄を確かめていた。
頬に傷のある青年は仕事をよくする。余計な話をせず、頼めば荷を動かす。ヴァイスはその横顔から、昨日言葉を交わした荷夫へ視線を移した。
放っておいて、いいことはなかった。
家族を守るために作った商売だった。いまさら6年前の倉や、袋の印の話で崩されるわけにはいかない。移された者が遠くで働けば、何を話してもこの道へ戻るまでには時間がかかる。
ヴァイスは同行者の控えを引き寄せ、荷受けの指示を書く紙へ名前を写した。職人とその家族、荷夫を同じ組にする。受入先の印があれば、現場では仕事の配置が変わったと説明できる。
向こうで働けるなら、全くの嘘でもないと思った。本人たちに先に話すと、分からないまま怖がって逃げる者が出る。決まってから知らせる方が、むしろ余計な心配をさせずに済む。
書き終えると、署名の下へ自分の印を押した。商会の原本を書き換えたわけではなく、現地へ出す別の指示だった。
紙を封じ、昨夜からの担当へ託す包みに入れた。その後で妻の手紙を開き直し、新しい紙へ返事を書き始めた。
息子の進路のことは、家へ戻ってから話そうと書いた。反対するためではない。ただ、心配だから自分にも相談してほしい。
文字を見返すと、まだ言い足りない気がした。幼い頃に握っていた匙のことを書こうとして、ヴァイスは小さく笑い、筆を置いた。そんな話を持ち出せば、また子供扱いをするなと言われるだろう。
家族への紙と荷受けの指示を、それぞれ別の封へ入れた。どちらも濡れないよう鞄の内側へ収め、現金箱の鍵が懐にあることを確かめてから、彼は戸を開けた。




