味方に向ける剣
穀物を積んだ2台の荷車が、町へ向かう街道を進んでいた。
レインは後ろの車の脇を歩き、荷台を縛った縄へ目を配っていた。18歳の彼は、灰狼という傭兵団に所属している。団に寄せられる仕事には戦いもあったが、この日は近くの村からベルカという町へ、荷物と人を無事に送り届ける護衛を請けていた。
黒に近い栗髪が額へ落ちてきたので、レインは手の甲で払った。灰色がかった薄茶の目で道の先を確かめ、補修を重ねた革鎧の肩を直す。細身の身体に剣を帯び、左頬から顎、首筋には焼け痕が残っていた。
先頭を歩いていたセラが振り返った。鉄紺色の短い編み髪の上に、黒い角が2本突き出している。片方の先端が欠けた鬼人の女で、レインより背が高く、肩幅も広い。今日の護衛に出ている灰狼の4人をまとめるのは、彼女の役目だった。
「この先は狭い。車から離れるな」
レインは頷き、荷車との間を詰めた。
荷台には穀物袋と並んで、母親と息子が座っていた。母親は村で集めた穀物を町の倉庫へ届けるため、荷に付き添っている。髪を布でまとめ、出荷する袋の数を、折り畳んだ紙と見比べていた。その隣の少年は12歳ほどで、薄茶色の髪に藁くずをつけていた。
「町には、いつ着くの」
少年が尋ね、レインは空へ目を向けた。
「日が落ちる前には着く」
「降りたら、先に荷物を運ぶのよ」
母親が言い添えると、少年は分かっていると答えた。その頭へ伸びてきた手は、嫌そうに避ける。それでも母親はもう1度手を伸ばし、髪についた藁を取ってやった。
レインは2人から目を離し、荷台の縄を引いた。結び目は緩んでいなかった。
6年前、帝国に町を焼かれ故郷を失った彼を助けたのも、灰狼の傭兵たちだった。傷が癒えてから剣を教わり、少しずつ仕事を任されるようになった。今日の持ち場は後ろの車で、そこに乗る2人も守る相手に含まれている。
荷車が曲がり角へ差しかかり、先頭の車が速度を落とした。少年が母親の袖を引き、道の端を指す。レインは馬の脚へ目を向けていたが、その時、風を切る音がした。
矢が先頭の御者の肩を掠めて御者台に突き立ち、馬が前脚を跳ね上げた。
レインは後ろの荷車へ手を掛け、立ち上がりかけた少年の肩を押し下げた。母親が転がる穀物袋へ手を伸ばしている。
「荷はいい。頭を下げろ」
母親の手首を袋から離し、荷台の板より低い位置へ伏せさせると、前方からセラの声が届いた。
「車を寄せろ。馬を押さえろ」
セラは御者台の脇へ進みながら長剣を抜いた。大柄な背が、血の滲む肩を押さえた御者を隠す。御者はまだ若く、青ざめた顔に赤毛が張りついていた。
荷車は2台とも道の曲がり角で止まっていた。左側には低い石垣と雑木林が続き、右側は草に覆われた土手が迫っている。馬を返す余地はなく、レインの受け持つ後車が下がれば、先頭の車だけが取り残される。
「林に弩がいる」
ヴィーラが身を低くして通り過ぎた。短い黒紫の髪から丸い豹の耳が覗き、琥珀色の目が石垣の向こうを追っていた。革の胴衣から伸びる腕には斑模様があり、腰の長い尾は地面へつかない高さに上がっている。彼女は左手に短剣、右手に片手剣を握っていた。
レインは頷き、車輪の陰から林を見た。枝が揺れたが、射手の姿までは捉えられない。前では斧を持った禿頭の男が道へ出て、顎髭を生やした男が反対側から御者台へ迫っていた。
後方を守る灰狼の団員が、荷台の母子を内側へ寄せた。顎に古傷のあるその男へ視線で合図し、レインが剣を抜こうとした時、少年の短い悲鳴が聞こえた。
「お前、さっき合図しただろう」
片耳の端が欠けた護衛が、車の反対側から少年の襟を掴んでいた。日に焼けた太い腕に引かれ、少年の口元が荷台の縁へぶつかる。その右手には短剣があった。
荷主が村で雇い足した男だった。出発前、荷台に乗る者の名前を確認する時も、母子が帝国から来たと聞いて顔をしかめていた。
「離せ」
レインは車の後端を回り、男の横へ入った。
「林を指したのを見た。帝国から来た奴だぞ」
焼けた木の匂いが鼻の奥へ蘇った。実際に漂っているのは馬の汗と湿った土の匂いで、それは分かっている。それでも、剣の柄を握る指に力が入った。
母親が少年を取り戻そうと手を伸ばし、短剣を見て止まる。レインは男の右側へ足を置き、剣を抜いた。切先を、短剣を持つ腕のすぐ下へ向けた。
「だから、子供を刺すのか」
男の目が剣からレインの顔へ上がった。レインは目を逸らさず、切先も動かさなかった。食いしばった顎とともに、頬の焼け痕が引きつった。
「子を離せ。車を守れ」
前方で刃を受け止めながら、セラが命じた。
男の指が緩み、母親が少年を抱き戻した。レインは少年の襟から指が離れたのを見届けてから、剣先を下げた。男が何か言いかけたが、林で枝の折れる音がして、全員が頭を沈めた。次の矢が麻布の包みへ潜り、荷台が鈍く鳴った。
少年を車の内側へ押し込んだ団員が、レインへ短く頷いた。レインは車輪の脇へ戻り、剣を構え直した。
「石垣の切れ目に、薪を運ぶ道があります」
母親が荷台に伏せたまま言った。
「あの折れた木の先です。林の裏へ回れます」
セラが目を向け、ヴィーラへ顎を振った。
「射手を出せ。深く追うな」
ヴィーラが石垣に沿って走り、切れ目へ消えた。レインは彼女を目で追わず、前車と後車の間を見た。顎髭の男がセラの剣を避け、車の左脇へ踏み込んでくる。後車の白髭の御者が手綱を引こうとして、敵へ背中を晒した。
レインは車輪から離れ、御者と敵の間へ入った。
振り下ろされた刃を斜めに受け、身体の外へ滑らせる。男は止まらず、肩で押し込んできた。レインの左腕を刃先が擦り、革の隙間に熱い痛みが走ったが、足を引けば御者へ届く。右足を踏み替え、押してくる肩を左の前腕で受けながら、剣を腹へ突き入れた。
男の息が喉で詰まった。腕が下がりかけ、それでも剣を持ち上げようとする。レインは刃を引いて距離を取り、手元を斬った。剣が落ち、男が膝をついたところで、喉へ刃を通した。
倒れる身体を見続けず、レインは車の陰へ戻った。腕の痛みを確かめるのは後でよかった。
林の奥で罵声が上がり、緑の頭巾を被った射手が石垣へ飛び出した。弩を捨てて道を駆け下りる背へ、ヴィーラが数歩だけ追いすがる。
「そこまでだ」
セラが呼び止めた。斧の男も腕を押さえて逃げていき、彼女は長剣を下げずに林を見渡した。
「後ろを見ろ。車は動かすな」
顎に傷のある団員が道の後方へ移り、ヴィーラは射手の捨てた弩を足で遠ざけた。レインも敵が戻らないか林を見ながら、御者に荷台へ隠れるよう促した。馬が落ち着き、誰も新たに姿を見せなくなってから、ようやく剣についた血を拭った。
「腕、切れてるぞ」
ヴィーラが布を投げてよこした。レインは受け取ったが、先頭の御者の肩を見た。セラが傷口を確かめ、荷主へ手当ての道具を出させている。荷主は腹の出た小柄な男で、短い口髭を震わせながら鞄を探っていた。
レインが水袋を取って後車へ寄ると、少年が息を呑んだ。その目が彼の手から剣へ移り、母親の袖を掴む指が白くなる。
レインは足を止め、まだ刃の溝に残っていた血を拭き取った。剣を鞘に納めてから、水袋を母親へ差し出した。
「口が切れている。洗ってやってくれ」
母親は頷いたが、受け取る手は震えていた。少年に触れて確かめることはやめ、レインは車から離れた。
背を向けると、革鎧の下で汗が冷えた。少年の襟を掴んでいた手より、自分の剣の方が遠くからでも見える。そのことに今さら気づき、レインは鞘の口についた血も布で拭った。
セラが臨時護衛を呼び、短剣を出させていた。
「あの子が何をした」
「林を指してた。俺は見たんだ」
「車輪が沈みそうだったからです」
母親が答えた。声は細かったが、少年の肩を抱いたまま顔を上げている。
道の縁には、前車の車輪が刻んだ深い溝が残っていた。レインも、曲がり角へ入る前に少年が母の袖を引いたのを覚えていた。あの時は馬の歩みを見ていて、その先まで確かめていなかった。
「帝国の奴に見張りを任せて、隊を潰されたことがある」
護衛の男は、預けた短剣の柄を見ていた。
「あの時も、最初は子供を連れてた」
「それで、この子が手引きをしたことにはならない」
セラは短剣を自分の帯へ収め、荷主へ向き直った。
「帰ったら窓口へ報告する。この男を子に近づけるな。警戒の判断も任せない」
荷主は何度も頷き、男へ負傷した御者を運ぶよう言った。男はしばらく動かなかったが、やがて背を屈め、御者の腰へ腕を回した。先ほど少年を引きずった手が、今は傷のある肩を避けて支えていた。
「レイン」
セラに呼ばれ、彼は振り返った。
「止める判断はいい。だが、抜いた後も後車はお前の持ち場だ。誰に任せるか、声を出せ」
「分かった」
少年の襟が締まるのを見た時、そこまで考えていなかった。顎に傷のある団員へ目を向けると、相手は車の縄を結び直しながら、もういいとでもいうように手を振った。
レインは後車の外れかけた留め具を締め直した。18歳で個人の本登録を済ませても、報告に書き足すことは減らなかった。
顎に傷のある団員が反対側の縄を張り、レインは荷が傾かない高さで結び留めた。手を放す前に身体の重みを掛け、緩まないことを確かめると、団員も同じように縄を引いた。声を掛け損ねたことへの返事を探したが、結局、顔を見て頷くことしかできなかった。
ようやく車輪が動き出す頃、少年は母に抱かれたまま、レインの立つ側へ身体を寄せた。彼が荷台の縄へ手を伸ばすと、その目がまた剣へ落ちたので、レインは声を掛けずに結び目だけを確かめた。




