第九章:帰ろ!ちょっとその前に(3)
自分はいったいどうしてしまったんだろうと、答えの出ない自問自答を延々と繰り返しながら、若き呪術師は暗い廊下をトボトボと自室へ帰っていくのだった。
――時は流れ、深夜。
宿坊がしんと静まり返っている、誰もが寝静まっている時間のこと。
この静寂の闇の中、とある恐ろしい復讐に、密かに心を燃やす1人の小娘――いや、詩樹という、普段は明るく元気で、それはそれは可愛らしい女の子が1人、布団の中に潜んでおりました。
(ナレーション風の妄想を脳内で繰り広げながら、私は爆睡の海から這い上がってきた。)
「う、う~……。のど、乾いた……」
猛烈な喉の渇きを覚え、寝ぼけ眼のまま枕元へ手を伸ばす。
暗闇の中、指先がお膳の上にあった器に触れた。
中には並々と液体が入っている。
(あ、水を置いていってくれたんだ。小夜ちゃんマジ感謝……)
私はむくりと起き上がり、器を両手で掴むと、喉の渇きを潤すべく一気にグイッとあおった。
「ウッ!? ぐ、うぐっ……、ごふぉっ、げほっ、ごほんっ!!」
あまりの衝撃に、盛大にむせ返って激しく咳き込んだ。
鼻に抜ける、この世の終わりみたいな圧倒的な苦味と漢方臭。
「な、なんで水じゃないのよぉ……っ! この最悪に不味い味って言ったら……薬湯じゃん~っ!!」
暗闇の中で1人、涙目になってシクシクと口をゆすぎたい衝動に駆られる。
小夜ちゃんが気を利かせて新しいのを持ってきてくれていたらしいが、寝起きの一気飲みには刺激が強すぎた。
しかし。
その最悪の苦味が喉を焼き、脳細胞をパチパチと覚醒させていく中で、フッとある言葉が頭の中を過った。
『腐れ外道の桃花ジジイに、血の復讐を――』
「そうだ。私、まだあのジジイに最大級の「お礼(復讐)」をしてなかったわ……! 」
お父さんとの感動シーンからの、地獄に突き落とされ(桃花ジジイの口づけ話し)、お姉さんの成仏、そして佐伯君との気まずい俵担ぎイベントのせいですっかり忘れ去っていた記憶の扉が、この不味すぎる薬湯の起爆剤によって完全にぶち破られたのだ。
「ふふっ……ふふふふ。あーははははっ! 待ってろよクソジジイ、今度こそ本気で冥土に送ってやるわ……!」
暗闇の中、不敵な笑みをこぼしながら、私の目は完全にらんらんと見開かれた。
「昨日は足が思うように動かなくて悔し涙を呑んだ、リベンジマッチに向かうためにも、まずは現状把握!」
私は布団から這い出し、床に足をつけ、ゆっくりと慎重に立ち上がってみた。
「……あ、あれ? 立てた……! 立てたよ!」
足の裏にしっかりと大地の感覚がある。
生まれたての小鹿のようなガクガクとした震えは完全に消え去り、すっかり自分の足だけで凛と立つことができた。
私は心の底から安堵の息を漏らす。
もしあのまま一生ハイハイ生活だったらどうしようと、実は内心めちゃくちゃ焦っていたからだ。
これなら戦える。
ジジイを冥土に沈める脚力は十分に溜まっている。
「さて! 外はうっすらと明るくなってきてるし、サクッと着替えて古刹(本堂)にいるジジイのところに突撃するか!」
拳をぎゅっと握りしめて意気込んだ、その矢先。
腕を上げた瞬間、自分の身体から漂う妙なベタつきに気づいた。
「うわ、最悪……。そういえば昨夜、お風呂に入らずにそのまま爆睡しちゃったんだっけ……」
妖との激闘の汗と微かな血の匂い、そして(思い出したくもないが)お父さんに付着してしまったキラキラ事故などなど、着替えたはずの衣服の奥で自己主張している気がしていた。
「これでは復讐するにもニオイがキツくて私の方がダメージを喰らう」
「よし、先にお風呂に行こう。この時間帯なら、確実に誰もいない貸切風呂だよね~」
方針が決まれば行動は早い。
私は布団をこれでもかと綺麗に畳み、ルンルンと鼻歌を歌いそうになるのを堪えながら、着替えと手荷物を抱えて部屋の襖をそっと開けた。
「みんなはまだ夢の中だし、どこが誰の部屋かもわからないからね……。静かに、静かに……」
私は抜き足、差し足、忍び足で、薄暗く静まり返った宿坊の廊下を、大浴場へと向かって音もなく突き進んでいったのだった。
無事に大浴場へと辿り着いた私は、脱衣所で衣服をそそくさと脱ぎ捨て、誰もいない広々とした浴室へと足を踏み入れた。
掛け湯を済ませ、湯気の中に広がる大きな湯船を見つめる。
「誰もいない、完全な貸切……♪」
テンションが最高潮に達した私は、まるで子供のように勢いよく湯船へとダイブした。
バシャーン! と盛大な水音が響き、湯が周囲に溢れ出す。
「プハッ……! あ~、最高……!」
心地よい温度の湯船の中で、私は力を抜いてぷかぷかと浮き上がった。
肌にまとわりつくベタベタとした汚れが綺麗に洗い流されていき、手足の芯まで温もりが染み渡っていく。
「極楽、極楽~♪」
今にも盛大な鼻歌を歌い出しそうなほどドップリと浸かりながら、私は至福の朝風呂を全身で堪能するのだった。
―― 一方その頃。
ピピピピ、ピピピピ……と目覚ましのアラームが静かな室内に鳴り響いた。
小夜ちゃんの部屋。
アラームの音と同時にムクッと起き上がった小夜ちゃんは、まだ眠気の残る目をこすりながらスマートフォンの画面をタップして音を止めた。
「ふぁ~あ……。着替えて、すぐに詩樹さんの様子を見に行かないと」
大きなあくびを一つ噛み殺し、手早く身支度と着替えを始めた。
髪を整え、使った布団を綺麗に畳んで部屋の隅に寄せると、今度は手際よく荷物の整理を始めた。
忘れ物がないか、一つ一つ確認していく。
「お着替えに、貴重品、それから……空っぽになった結界を入れていた箱、化粧ポーチに……よし」
口に出しながら、相棒であるキャリーバッグへとパズルのように隙間なく詰め込んでいく。
手元のメモ帳には、スクールの生徒たちへ配る菓子折りの人数分、帰りの新幹線のチケット、車内で食べるお弁当の手配などなど、ぎっしりと予定が書き込まれていた。
さすが我らの小夜ちゃん、抜かりがない。
「よし! これで荷物の準備は完了。詩樹さんの部屋に行かなくっちゃ」
カチリとバッグの鍵を閉め、小夜ちゃんは気合を入れるように部屋を出た。
廊下を進み、詩樹の部屋の前へと辿り着く。
――コンコン。
「詩樹さん、おはようございます」
声をかけながら、ゆっくりと襖を開けた。
しかし、次の瞬間、小夜ちゃんはパチクリと目を丸くしてその場に凝固した。
「……え?」
そこには、いるはずの詩樹の姿がなかった。
それどころか、布団は完璧に畳まれ、置いてあったはずの荷物も一切合切が消え失せている。
主を失った部屋は、ただひっそりと静まり返っていた。
「え? えっ? し、詩樹さん……っ!?」
小夜ちゃんの声が、みるみるうちに恐怖で震えだす。
昨日あれだけの深手を負い、足に力が入らないとあれほど苦しんでいたはずの人間が、荷物ごと忽然と消え失せるなど、異常事態以外の何物でもない。
(まさか、また別の妖に……!? それとも高日さんの逆恨みで……!?)
最悪の想定が脳裏を駆け巡り、小夜ちゃんは血相を変えて廊下を飛び出した。
そして、そのまま隣の佐伯君の部屋へと文字通り猪突猛進をし、襖を勢いよくぶち開けた。
「佐伯さん、起きてください!! 詩樹さんが! 詩樹さんが大変なんですっ!」
バッと布団にすがりつき、まだ微睡みの中にいた佐伯君の体を、両手でゆさゆさと激しく、かつ強烈に揺さぶり起こす。
「えっ? ちょ、ちょっと……小夜さん……!?」
完全に寝ぼけモード全開だった佐伯君は、尋常ではない揺れに強制的に覚醒させられ、目を白黒させながらムクリと起き上がった。
あまりにも慌てふためく小夜ちゃんの様子に、何事かと声を張る。
「小夜さん、落ち着いてください! 詩樹さんが一体どうしたんですか?」
「いないんです……! 詩樹さんの様子を確かめに行ったら、お部屋に誰もいなくて……っ。荷物も全部なくなってましたし、まだ足だってまともに力が入らないはずなのに、どこにもいないんです……!!」
今にも大粒の涙を溢れさせて泣き出しそうな小夜ちゃんの訴えに、佐伯君の表情からも一気に睡魔が消え失せ、焦りの表情へと変わった。
「分かりました、私もすぐに探しますから、だから泣かないでくだ――」
彼がそう言いかけた、まさにその瞬間だった。
――ズズズズズズズズンッッッッ!!!!
突如として、宿坊全体、いや、山そのものが鳴動するかのような、地響きを伴う異様な大揺れが二人を襲った。
襖がガタガタと激しく鳴り、床から突き上げるような衝撃が走る。
「ひゃっ!?」
「っ!? なんだこの揺れは……!?」
妖との戦いは終わったはずのこの場所に、再び不穏極まりない激震が轟いた。
その異様な大揺れに、宿坊に泊まっていた佐伯君のお父さんや、お弟子さんたちが一斉に飛び起きた。
「一体何事か――っ!?」
お父さんが慌てて自室を飛び出すと、ほぼ同時に、隣の部屋から小夜ちゃんと佐伯君も凄まじい勢いで廊下へ飛び出してきたところだった。
「朔弥、それに小夜さん! 先ほどの地鳴りのような振動は一体何事だ!」
お父さんの鋭い声に、佐伯君は神妙な顔で答える。
「……私も今起きたばかりで詳細は分かりません。ただ、小夜さんから詩樹さんが部屋からいなくなったと話を聞いている最中に、この揺れが起きたんです」
「何っ、あの小娘がいなくなっただと……!?」
佐伯君のお父さんが驚愕の声を上げた瞬間、まるでその言葉に応じるかのように、一際大きな激震が再び宿坊を襲った。
ドンッ! と下から突き上げるような衝撃に、廊下の柱がきしむ。
「これは、一体どこからの地響きだ……」
顔に焦りの色を感じ始める佐伯君のお父さん。
その時、薄暗い廊下の奥から、バタバタと激しい足音が響いてきた。
「はぁ、はぁ、誰か……っ! 誰か、雪森さんを止めてくださいませんかぁっ!!」
血相を変えて走ってきたのは、息を切らした女将さんだった。
必死に訴えかける女将さんに、小夜ちゃんが焦って聞き返す。
「女将さん! 今、詩樹さんって言いましたよね!? 止めるって、一体どういうことですか!?」
「そ、それが……っ。桃花住職が、桃花住職がぁ……っ!!」
その名に、一同の脳裏に嫌な予感がよぎった。
「……まさかだとは思うが、この朝っぱらからの揺れというのは……」
佐伯君のお父さんが言うと、女将さんは半べそをかきながら頷いた。
「は、はいぃっ! 雪森さんと桃花住職のお二人なんどす……っ!! おねがいやさかいに、どうか二人を止めておくれやすぅっ!!」
「本堂だ! 急ぐぞ!」
全員が弾かれたように、本堂へと向かって廊下を駆け抜けた。
ドタドタと音を立てて本堂に到着し、階段を勢いよく駆け上る。
――そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
「この腐れ外道がぁぁぁっ!! 冥土へ行く心の準備はできたかコラァァァ!!」
「おー、怖い怖い。ゆきもちゃん、朝から元気だねぇ〜、ほほぉ〜」
そこには、烈火の如く怒り狂って本堂を破壊せんばかりの勢いで暴れ回る詩樹と、それを「ひょいひょい」と軽快な身のこなしでかわし続ける桃花住職の姿があった。
山をも揺るがす地響きは、完全に詩樹の怒りのメガトンパンチが巻き起こした副産物だった。
そしてそのバトルの爆風に巻き込まれたのか、立派な柱のすぐ横には、ぐったりと倒れ込んでいる雲水住職の姿が……。
「雲水さんっ! 大丈夫ですか!」
一同は戦場と化した中央を避け、慌てて雲水住職の元へと駆け寄った。
「うっ、ううぅ……」
柱を背にして座らされた雲水住職は、頭を押さえながら唸りを上げる。
「すまない、佐伯さん……。どうやら……桃花殿が、またやらかした様だ……」
その言葉に、その場にいた一同の脳裏に、昨日の出来事――『気絶した詩樹への、桃花ジジイ決死の口づけ(薬湯口移し)』が、鮮明にフラッシュバックした。
「う、うむ……。やはりか……」
お父さんは深〜いため息をついて、苦い言葉を口にした。
「どれ、朔弥よ。桃花住職の尻拭いをせねばならんな……」
「え? なぜ私たちが?」
不思議そうに言う佐伯君に、お父さんは言葉にするのも嫌そうな顔で説明する。
「桃花住職はああ見えて、この業界の長老の一人だ。そして、すこぶる若いお姉ちゃん好きときていてな……。昔から彼がやらかすたびに、必ず誰かがその尻拭いをしていたんだよ」
その実態を聞かされた佐伯君は、一切の感情を排した目で、ボソリと呟いた。
「……そこまでして生き残ってきたのなら、いっそ、このまま詩樹さんの手で極楽浄土へ送り届けては?」
なんとも言えぬ沈黙が本堂に漂う。
しかし、倒れていた雲水住職が、苦い顔で必死に佐伯君の手を掴んだ。
「本当に……私だって今すぐそう願いたいところなのだが、今送られたら(色々と面倒な事が掘り起こされる的な意味で)非常に困ることになるのだ……! すまないが、尻拭いの手伝いを頼めないか……っ?」
その切実すぎる大人の事情に、佐伯君も小夜ちゃんも、心の中で全く同時にこう呟いたのだった。
((あのジジイ……完全に常習犯じゃん……!!))
心の中で完全にハモった佐伯君と小夜ちゃんを余所に、本堂中央では未だに詩樹の怒りの鉄槌と、桃花ジジイの華麗なステップが激しく火花を散らしている。
「はぁ……」
あまりにも不毛な光景に、佐伯君はこれ以上ないほどめんどくさそうに、深いため息をついた。
そんな息子に対し、お父さんは肩をポンと叩く。
「朔弥……不本意だが、やるしかない」
「……分かりました。それで、どうするんです?」
渋々といった顔で聞き返す息子に、お父さんは険しい顔で前方の戦場を見据えた。
「ひとまず、あの小娘を捕縛して、その後に桃花殿だな」
捕縛。
言うのは簡単だが、今の詩樹は触るもの皆傷つける、怒れる破壊神と化している。
「……それであの状況の詩樹さんを、一体どうやって捕縛して止めるんですか?」
佐伯君が呆れたように、柱を粉砕せんばかりの勢いで拳を振り回す詩樹を指差した。
さすがのお父さんも、あの野生のゴリラ……もとい、烈火の如く怒り狂う詩樹を無傷で止める方法には、うーんと頭を悩ませてしまう。
「小娘は……確かに、あの状態では力ずくという訳にもいかんな……」
二人が作戦に行き詰まった、その時。
横から小夜ちゃんがすっと手を挙げた。
「あの~……少しばかりの提案なのですが、――」
小夜ちゃんは二人にそっと耳打ちし、自身の提案を手短に説明した。
そのあまりにも『詩樹の取り扱い』を熟知した完璧な内容に、佐伯君とお父さんは目を見張り、深く納得したように何度も頷いた。
「なるほどな……! よし、その作戦で行こうか!」
お父さんの言葉に、小夜ちゃんは「では、これをお願いします!」と、手元のメモ帳を千切って、急いで「紙」にサラサラと何かを描き、佐伯君とお父さんに手渡した。
「さて、いくぞ朔弥!」
「はい、お父さん」
手渡された紙を懐に忍ばせ、二人は息を合わせる。
図らずもこれが、作中「初」となる親子の共同捕縛作戦の幕開けであった。
2人は詩樹の死角へ回り込み、左右から挟み撃ちにするようにして猛スピードで間合いを詰めていく。
しかし、ただでさえ感覚が研ぎ澄まされている今の詩樹が、その接近を見落とすはずがない。
「っ!?」
迫る二人の気配を察知した私は、狙っていた桃花ジジイへの攻撃を瞬時に中断。
ヒョイッと身を翻して親子の突撃を鮮やかにかわすと、大きく後ろへ跳んで十分な間合いを取った。
「何? 二人して、その腐れ外道ジジイの味方をするつもり!?」
ギリッと歯を鳴らし、怒りに満ちた声で睨みつけてくる。
そんな狂犬状態の私に対し、佐伯君は一歩前に出て、努めて優しく語りかけた。
「詩樹さん、一旦落ち着きましょう」
「はっ! 邪魔しないで! 落ち着いてたらあのジジイを冥土に送れないでしょうが!」
完全に目が血走っている私に、佐伯君は真面目な顔で言葉を続ける。
「今、あの人を冥土に送られたら困るんですよ」
「はぁ!? なんで佐伯君が困るわけ!?」
私の至極当然なツッコミに、佐伯君は一瞬だけ言葉に詰まり、視線を彷徨わせた。
「……まぁ、確かに、私が困る理由は特にありませんね」
あっさりと私の正論に丸め込まれ、納得してしまう佐伯君。
(おい!しっかりしろ!)
そんな息子の頼りない姿に、後ろからお父さんの怒号が飛んだ。
「馬鹿者! 小娘の話は確かに正論だが、早く動かんか、お前は!!」
「あ、すみません」
お父さんに怒鳴られて我に返る佐伯君。
そんな二人のやり取りを見て、私はすかさずお父さんに向かって指を差した。
「正論だと思うなら、そっちのジジイを捕まえるのを手伝ってよ!」
私の放ったその一言に、佐伯君のお父さんはピクンと眉を動かした。
そして何かを閃いたのか、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「……フッ、わかった。小娘、そのジジイを捕まえるのを手伝おう」
「……え?」
お父さんのまさかの「寝返り(?)」宣言に、作戦を遂行しようとしていた佐伯君は、完全に置いてけぼりを食らった様子でぽっかーんとした顔を晒すのだった。
「なら、3対1でジジイを捕まえましょうか!」
味方が増えて勢いづいた私は、拳をバキバキと鳴らしながら不敵に笑った。
その提案に、佐伯君親子も力強く頷いて戦闘態勢に入る。
こうなると、さっきまで攻撃をヒョイヒョイと華麗にかわして余裕ぶっていた桃花住職の顔から、一気に余裕が消え失せた。
「お、お主ら、3対1とは卑怯ではないか!? 呪術界の重鎮たるワシに対してあんまりな仕打ち……っ」
「黙れ腐れ外道ジジイ! 因果応報よっ!」
焦りから桃花ジジイの足元が一瞬だけ乱れ、明確な隙が生まれた。
(今がチャンス――っ!!)
私は逃さず地面を蹴り、目にも留まらぬ速さで桃花住職の懐へと一気に間合いを詰めた。
勝った、そう確信した次の瞬間だった。
私の視界の端に、並走していた佐伯君とお父さんの手が映り込んだ。
二人がそれぞれの手に掲げていたのは、先ほど小夜ちゃんから手渡されていたあの「紙」。
そこには、達筆な文字でそれぞれ「捕」と「縛」の文字が描かれていた。
(しまっ――これ、油断を誘うためのお父さんの作戦だ……っ!?)
ジジイに牙を剥くフリをして、本当の狙いは最初から暴走している私だったのだ。
気がついた時には、もう完全に時すでに遅し。
「朔弥、今だ!」
お父さんの鋭い合図が響く。
「はい!」
二人が同時に紙へ強大な呪力を流し込み、声を揃えて叫んだ。
「「『捕』『縛』――っ!!」」
刹那、二人の掲げた紙から、青白く眩い光を放つ呪力の鎖が文字通り爆発するように飛び出してきた。
鎖はまるで生き物のようにうねりながら私の身体に巻き付き、瞬く間にその自由を完全に奪い去った。
「う、嘘……っ! この捕縛術の術式……小夜ちゃんの、ね……っ」
自由を失い、床へと倒れ込むスローモーションの視界の中で、私は本堂の隅に隠れていた小夜ちゃんの姿をハッキリと捉えた。
私はこれでもかというほど鋭い鬼の目つきで、親子に助言をした小夜ちゃんをギリィッとにらみつける。
その般若のような視線とバチッと目が合った小夜ちゃんは、恐怖に顔を引きつらせて飛び上がった。
「ヒィィィッ!! ご、ごめんなさい詩樹さーんっ!!」
涙目で本堂の柱の陰へと隠れる小夜ちゃんを見ながら、私は床にドサッと倒れ込んだ。
(覚えてろよ小夜ちゃん……。この脳筋親子に加担した罪は重い。あとでどうやって美味しく料理してやろうか……)
脳内で小夜ちゃんへのお仕置きメニューを冷徹に組み立てていると、トコトコと軽い足音が近づいてきた。
「いやぁ~、ゆきもちゃん、惜しかったな~! あともうちょっとでワシに一撃入れられたじゃろうにのぉ~、カッカッカ!」
床に転がった私を見下ろし、桃花ジジイがこれ以上ないほど愉快そうに、憎たらしい笑みを浮かべて煽ってきた。
勝ち誇ったジジイは、完全に警戒を解いて私のすぐ傍まで近づいてくる。
――だが、この生臭坊主は、佐伯親子の真の恐ろしさを分かっていなかった。
高笑いする桃花ジジイの左右に、いつの間にか、先ほど私を仕留めたばかりの親子二人が、音もなくスッと立っていたのだ。
気配を完全に消した二人の影に覆われ、桃花ジジイは「ん?」と笑いを止めた。
「なんじゃ? お主ら、どうしたんじゃ……?」
桃花ジジイが不思議そうに上を見上げた、まさにその瞬間。
二人の手から放たれた残りの青白い鎖が、容赦なくジジイの全身を締め上げた。
「ぶほっっ!?」
不意を突かれた桃花ジジイは、一瞬でミノムシのようにグルグル巻きにされ、その弾みで盛大に床へと転がった。
「お、お、お主らぁぁっ! よくもワシを裏切りおったな、この親不孝者どもめがぁぁっ!!」
床でうごめきながら、のたうち回って怒り狂う桃花ジジイ。
そのあまりにも無様な姿を見届けて、私はニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「あーっははは! ざまーみろクソジジイ!! 自業自得よーーっっ!!」
本堂の床にゴロゴロと転がったまま、私とジジイの、大人気ない罵り合いの第二ラウンドがまたしても幕を開けた。
「まんまと引っかかってやんの!」
捕縛されながらも勝ち誇って高笑いする私に、桃花ジジイはミノムシ状態で顔を真っ赤にして激怒する。
「くっ……! ワシに向かってなんてことをしてくれるんじゃ、この罰当たりめがぁ!」
ギャーギャーと騒ぐ私たちの側へ、呆れ果てた様子の小夜ちゃんと雲水住職が歩み寄ってきた。
続いてやってきた佐伯君のお父さんが、険しい顔で桃花ジジイを見下ろす。
「……して、桃花殿。この早朝からの大騒ぎ、一体事の始まりは何だったのだ?」
その問いに、桃花ジジイは都合が悪いとばかりに急に視線を逸らし、固く口を閉ざした。
そのあからさまな態度に、その場にいる全員から冷ややかな眼差しが注がれる。
「ふん、ジジイが黙ってたって無駄よ! みんな、聞いて!」
私は床に転がったまま、ことの経緯を大声でぶちまけ始めた。
【回想】ことの経緯。
――それは、ほんの数十分前のこと。
私は誰もいない完全貸切状態の大浴場にダイブし、ぷかぷかと浮きながら至福の温泉を堪能していた。
「はぁ~~……身も心も洗い流されていくわぁ……」
あまりの心地よさに、私は湯船の中でポツリと呟いたのだ。
「よし。桃花ジジイへの血の復讐はもうやめよう。今回だけはこの素晴らしい温泉に免じて、綺麗さっぱり目を瞑ってあげる!」
我ながら仏のような慈悲深さである。
外もうっすらと明るくなってきたし、そろそろみんなも起きる時間だ。
私は名残惜しくも湯船から上がり、体を拭いて脱衣所への戸をガラリと開けた。
――まさに、その瞬間だった。
私の着替えが入っている籠の前に、なんと桃花ジジイが立っていたのだ。
しかも、コソコソと何かを懐にしまい込んでいる真っ最中。
人の気配を察した桃花ジジイは、私の方向へぬっと振り返ると、卑しげな目を細めてこう述べた。
「おぉ、ゆきもちゃん、おはよう! 昔に比べて、随分とナイスバディになったもんじゃな~、ほほっ、ほほほほ!」
――そう、私は一糸まとわぬ姿(全裸)を、この生臭ジジイに頭から爪先まで完全に見られたのだ。
ジジイは下品に笑いながら、そのまま風のように脱衣所から去っていった。
「裸を見られた私は、あの桃花ジジイを今すぐ成敗してやろうと思って、急いで着替えて追いかけようとしたの! そしたら……なかったのよ!!」
回想から戻り、憤慨する私に、小夜ちゃんが恐る恐る尋ねる。
「……あの、詩樹さん。何が、なかったんですか?」
「下着がなかったのよ!!」
本堂に私の悲痛な叫びが響き渡る。
そうなのだ。
桃花ジジイは私の裸を覗き見しただけでなく、着替え籠から私の下着を白昼堂々(早朝だけど)盗み出していたのである!
「そこから一気に怒りが限界突破して! そのまま服だけ着て、本堂に逃げ込んだジジイを追いかけてきての、今よ!!」
私の怒濤の告発を聞いた全員の頭の中に、全く同じツッコミが浮かび、心の声が一頭にシンクロした。
(((タオルで前を隠せよ……!!)))
色々と言いたいことは山ほどあるが、何よりもまず、住職という立場にあるまじきその破廉恥な犯行に対し、一斉に深いため息が本堂の空気を重く包み込んだ。
雲水住職が、冷徹な目で桃花ジジイを睨みつける。
「……桃花殿。それで、雪森さんから盗んだ下着は、今どこにあるのですか」
「知らん! ワシは何も知らんぞ!」
なおも往生際悪く口を割ろうとしないジジイの前に、小夜ちゃんが静かに立ちはだかった。
その目は完全に、不審者を処分する時の視線そのものだった。
「佐伯さん、お父様。すみませんが、桃花住職を一度立たせてもらえますか?」
「あ、ああ……」
小夜ちゃんの迫力に押され、佐伯君親子はミノムシ状態の桃花住職をよっこらしょと引き起こし、左右からガッチリと支えた。
小夜ちゃんは懐から呪符を取り出すと、ジジイの胸元の鎖だけを部分的に指差した。
「『解』」
パキィンと音がして、胸元までの鎖が解除される。
桃花ジジイは慌てて、必死に弁明を始めた。
「な、なんじゃ! ワシは本当に何も取っておらんぞ! 濡れ衣じゃ!」
「往生際が悪すぎます」
雲水住職がピシャリと言い放つ。
小夜ちゃんは一切の躊躇なく、桃花住職の懐へとスッと手を伸ばし、ガサゴソと中を探った。
「やめんかー! 無礼者、ワシの身体に気安く触るな――」
ジジイが焦って暴れるのを無視して、小夜ちゃんが懐から「掴んだもの」をゆっくりと引き抜く。
それは、朝の光に照らされて美しく輝く、淡いラベンダー色のレースがあしらわれた、まごうことなき私の下着であった。
「「「「っ……!!!!」」」」
それを一瞬目撃してしまった小夜ちゃんと桃花住職以外の男たち――佐伯君、お父さん、雲水住職、そしてお弟子さんたちは、凄まじい速度で目を逸らすか、両手で顔を覆い隠して完全にフリーズした。
本堂に広がる、いたたまれないほどの超絶気まずい空間。
「ほら! 見ろこのクソジジイ!! やっぱり私の下着を盗んでたんじゃん!!」
証拠を突きつけられてなおも床でミノムシのようにのたうち回るジジイに、私は怒髪天を突く勢いで叫び、小夜ちゃんを振り返った。
「小夜ちゃん! 今すぐこれを解いて!!」
「は、はいっ! わかりました!」
小夜ちゃんは恐れおののきながら、私を縛っていた鎖の術式を急いで解除した。
バラバラと青白い鎖が床に散る。
「やっと自由だ……っ!!」
立ち上がった私は、この黄金のチャンスを絶対に逃さなかった。
一瞬で間合いを詰めると、親の仇と言わんばかりの勢いで拳を振りかぶる。
「せーーーいーーーばーーーいーーーーっっ!!!!」
ドゴォッ!!! と鈍い音が本堂に響き渡り、私の怒りの鉄槌が桃花ジジイの脳天へと容赦なく振り下ろされた。
「ギャフンっ!?」
漫画のように綺麗な悲鳴を上げて、桃花ジジイの頭の上にみるみるうちに巨大なたんこぶがニョキニョキと生え出す。
「ううっ、ゆきもちゃんひどい……! か弱い、耳も遠い年寄りに向かって、なんて理不尽な鉄槌を下すんじゃ……っ!!」
涙目で頭を押さえたいが押さえられない、縛られてるジジイをよそに、私は般若の顔で一喝した。
「人様の下着を盗むジジイがっ!そっちが悪いのよ!!」
その言葉に、目を覆っていた男たちも含め、その場にいた全員が深々と、力強く大きく頷いた。
「小夜ちゃん、ありがと」
私は小夜ちゃんから自分の下着をしっかりと受け取ると、ふんっと鼻を鳴らした。
「あー、怒ったらまた汗かいちゃった。気分も晴れたし、二度風呂してくるわ!」
それだけ言い残すと、私はルンルンとした足取りで、トコトコと再び大浴場へと向かって歩いて行ったのだった。
嵐の去った本堂で、未だに鎖でグルグル巻きにされている桃花ジジイを見つめ、佐伯君のお父さんが呆れたように諭す。
「桃花殿……これに懲りたら、いい加減大人しくしていてください」
しかし、肝心の桃花住職は反省するどころか、ぷいっと横を向いて唇を尖らせた。
「ふんっ! ワシはこれからもワシの好きなようにするんじゃい!」
完全に機嫌を損ねて拗ねる最長老。
その姿に、雲水住職は半分諦めたような乾いた笑いを漏らし、佐伯親子の前で深々と頭を下げた。
「みなさん……早朝から、本当に申し訳ない……」
すると、床の桃花ジジイがミノムシのようにモゾモゾしながら声を上げる。
「おい、雲水、これを早く外してくれんかの~」
「ダメです。雪森さん一行が完全に出発して帰るまでは、そのままです」
雲水住職は冷酷に言い放つと、再び全員に「本当にすみませんでした」と深々と頭を下げ、桃花ジジイの首根っこをガシッと掴んだ。
そして、そのまま「ズルズルズル……」と引きずりながら、本堂の裏手へと去っていったのだった。
「……」
あまりにも怒濤すぎる早朝のイベントに、佐伯君、お父さん、小夜ちゃんの三人は、魂が抜けたような疲れた顔で佇んでいた。
お父さんが、ふぅと息を吐いて息子たちを見る。
「お主らは、この後はどうするんだ?」
「……私たちは、新幹線の時間もありますので」
佐伯君が答えると、小夜ちゃんも手元の時計を見ながら同意した。
「そうですね。もう朝食をのんびり取る時間もないので、私たちは詩樹さんがお風呂から上がるまで、ロビーで荷物をまとめて待つことにします」
「そうか。気をつけて帰るように」
お父さんは一言そう告げると、お弟子さんたちを引き連れて立ち去ろうとする。
その背中に、佐伯君がふと声をかけた。
「あ、お父さん」
「なんだ、朔弥?」
振り返るお父さんに、佐伯君は少し気恥ずかしそうに尋ねる。
「お父さんたちは、この後どうするのですか?」
息子のその何気ない問いかけが、実は何よりも嬉しかったのだろう。
お父さんは一瞬だけ目を見張った後、ふっと口元を緩め、どこか嬉しそうな様子で答えた。
「……わしらも朝食は取らずに、少しばかり部屋で休んでから帰る」
お父さんは満足げに頷くと、今度こそ本堂を後にした。
小夜ちゃんと佐伯君は、その少し小さくなった背中を静かに見届ける。
「私たちも部屋に戻って、荷物を持って詩樹さんを待ちましょうか」
「はい、そうですね。私も一度着替えて……この寝癖を整えたいので」
佐伯君の発言に、小夜ちゃんがふと彼の頭を見上げ――思わずクスッと小さく笑った。
「ふふ、本当ですね。かなり元気な寝癖が……」
「……笑わないでください。状況が状況でしたので、仕方がありません」
佐伯君が恥ずかしそうにボソボソと呟くと、小夜ちゃんは「確かにそうですね」とクスクス笑いながら答える。
二人は穏やかな雰囲気のまま本堂を後にし、それぞれの部屋へと戻っていった。
しばらくして。
身支度を完璧に整え、キャリーバッグを手にした佐伯君がロビーにやってきた。
寝癖は見事に綺麗に直されている。
続いて、小夜ちゃんも大きな荷物を抱えてロビーに到着した。
「二人とも、遅いよー!」
ロビーのソファに腰掛けていた私は、二人の姿を見つけるなり手を振った。
すでに二度目の温泉を満喫し、すっきりとした顔をしている。
小夜ちゃんが心配そうに私に駆け寄ってきた。
「詩樹さん、足はもう大丈夫なんですか?」
「んー、もうすっかり大丈夫! と言いたいところだけど、ほんの少~しだけ、まだ名残の震えはあるかな?」
私はいつものトレードマークである満面のスマイルで笑ってみせる。
「もう、本当に無茶だけはしないでくださいね」
小夜ちゃんの言葉に、私は少しだけはにかみながら、二人を真っ直ぐに見つめた。
「二人とも、たくさん心配かけてごめんね」
すると、いつもはクールな佐伯君が、珍しく少し真剣な、だけど優しい眼差しで口を開いた。
「ええ、本当に心配しました。……二度と、あんな心配はかけないでくださいね」
予想外の温かい言葉に、思わず胸がキュンとする。
私は照れ隠しに、少しお茶目っぽく胸を張った。
「大丈夫! 次は絶対に失敗しないし、二人に心配をかけるようなこともしないよ~だ!」
私の宣言に、小夜ちゃんも佐伯君も思わず吹き出し、ロビーの空気は一気に和やかなものへと変わった。
「さて! それじゃあ、帰ろ!」
私が元気に立ち上がると、二人も笑顔で応じる。
「「はい、帰りましょう!」」
私たちが並んで宿坊の大きな玄関口へと向かおうとした、まさにその時だった。
「……おい」
後ろから、低く重みのある声が響いた。
私が「二人とも、ちょっと待って」と足を止め、三人で一緒に振り返る。
そこには、先ほど別れたはずの、佐伯君のお父さんたちの一行が立っていた。
「なんだ小娘、まだいたのか」
お父さんは少し怪訝そうな顔で腕を組んでいるが、その目は決して冷たいものではなかった。
私は一歩前に出ると、昨日からの感謝の気持ちを込めて、深々と頭を下げた。
「昨日の妖退治、私たちのために協力していただき、本当にありがとうございました!」
私の言葉に合わせるように、小夜ちゃんと佐伯君も綺麗に隣に並び、「ありがとうございました」と深く一礼する。
三人の心のこもった挨拶に、お父さんはふいっと顔を背け、ぶっきらぼうに言い放った。
「ふんっ。……当たり前のことをしたまでだ」
それだけ言い残すと、お父さんはお弟子さんたちを引き連れて、大股でスタスタと宿坊の門を出て行ってしまった。
不器用すぎる優しさに、私たちは思わず顔を見合わせて微笑む。
「よし、今度こそ本当に帰ろう!」
玄関で見送りに立ってくれた女将さんたちに「お世話になりました!」と大きく手を振り返し、私たちはレンタカーへと乗り込んだ。
排気音と共に、お世話になった静かな宿坊が、みるみるうちに窓の外へと遠ざかっていく。
妖退治に様々なやらかしと、感動(?)と、そして変態ジジイの襲来を乗り越え、私たちは賑やかに東京へと帰路につくのだった。
第九章、最後までお読みいただきありがとうございました!
これにて京都編が完結になります。
無事に東京へと戻る詩樹たち…
次回からは詩樹、小夜ちゃん、佐伯君の日常が始まります。
東京に帰った詩樹たちに、また新たな事件の影が……?
引き続き、応援よろしくお願いいたします!




